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17.曇天雷鳴

 白銀色の巨大な火の玉と化した羅刹般若から距離を取った桃姫は、鬼蝶の最期を黙って見届けた。

 その濃桃色の瞳の中央には、わずかに白銀色の波紋が浮かぶのみで、全身にうねるようにまとっていた"闘気"もまた消え失せていた。


「──…………」


 "仏炎"は、鬼蝶の体と羅刹般若の巨顔を浄化するように燃やし尽くしていくと、白い灰の山を跡に残しながら仙台の夜空へと霧散して消えていった。

 地面に倒れ伏す政宗に寄り添った五郎八姫も潰された右目から血を流しながらその光景を固唾を呑んで見届けた。

 そして桃姫は、燃え尽きた羅刹般若の白い灰の山の中にただ一つ、翡翠色をした物体を見つけて近づいた。


「……雉猿、狗──」


 桃姫は静かに呟くと灰の前に跪いた。そして両手でかきわけ、雉猿狗の魂──〈三つ巴の摩訶魂〉を抱え持つように両手で丁寧にすくい上げた。

 手にした〈三つ巴の摩訶魂〉は、かつて堺の宿屋にて桃姫が雉猿狗の胸奥に浮かぶそれに触れた時とは打って変わって、太陽光のように暖かな"命の熱"を失っており、くすんだ鈍い翡翠色を放っていた。


「……う、うう……うううッ──!!」

「…………」


 桃姫は顔を伏せると、嗚咽を漏らしながら白い軽鎧を着けた胸元に〈三つ巴の摩訶魂〉を抱き入れた。

 その様子を五郎八姫が呆然と眺めていると、政宗が腕を掴んで呼びかけた。


「……いろは……」


 五郎八姫が見やった政宗は、自身の右目に巻かれた眼帯を外しており、その眼帯を五郎八姫に差し出す。


「……父上殿」


 羅刹般若に潰された右目から血を流す五郎八姫は、政宗の眼帯を受け取りながら声を漏らした。


「いろは──今この時より、お前が伊達の当主だ……これからはお前が、伊達家を率いるのだ……よいな──?」


 政宗の口から発せられる掠れた声音は、彼の"命の灯火"が間もなく消えることを五郎八姫に否応なく感じ取らせた。


「──父上殿……っ」


 五郎八姫は受け取った眼帯を右手で固く握りしめると、左手で政宗の手を握りしめた。そして、右目から赤い血を左目からは涙を流した。


「いいか、心して聞け──桃姫は、日ノ本の希望だ。わかるな……? これから先、どのような苦難が待ち受けていようとも……お前は常に"桃姫の刀"となり……"桃姫の力"となるのだ……」

「──はい……! はいっ……!」


 政宗は力なくかすかに開いた独眼で五郎八姫の顔を見ながら告げると、五郎八姫もまた独眼で政宗の顔を見つめながら頷いて声を返した。


「……いろは、お前はもっと強くなれる……この政宗がそう信じている……そのことを、決して忘れる……な──」

「──ッッ──!!」


 政宗は五郎八姫に握り返していた手から力を失い、そして顔を見つめていた黒い瞳からも光を失った。

 五郎八姫は力を失ったその手を強く握りしめ、曇天が包み始めた夜空に向かって吼えるように泣き叫んだ。


「──嗚呼あああああッッ──!!」

「……ううう……ううううッ……」


 政宗の手を握りしめながら叫んで泣く五郎八姫の姿と、〈三つ巴の摩訶魂〉を胸に抱きしめながら嗚咽を漏らして泣く桃姫の姿が、燃える仙台城を背景に背中合わせで連なりあった。

 その瞬間──大気を震わす激しい雷鳴が天に轟き、堰を切ったような豪雨が地上に向けて猛烈に降り注いだ。その雨は仙台城を消火していくと共に、二人の体を瞬く間に濡らしていった。

 大切な人の死を前にして泣き続ける二人の少女の声は、雷鳴と雨音に無情にもかき消されていくのであった。


 それから三日後──あの日から続く曇天雷鳴の鈍色の空の下、藍色の和傘を差した桃姫と五郎八姫の二人は瑞鳳殿(ずいほうでん)の前に立っていた。

 瑞鳳殿とは、政宗が生前のうちに自ら指揮して建てた霊廟である。"ごろはちが仙台城に天守閣を設けるのならば、俺は生きてるうちに瑞鳳殿を建てさせてもらう"とは、政宗の談である。

 黒を基調とした荘厳な造りに、威厳ある金と赤の装飾で彩られた実に伊達男らしい豪奢な意匠の瑞鳳殿──その大扉の奥にて、伊達政宗の遺体は収められ、荼毘に付されていた。


「…………」

「…………」


 周囲に雨音だけが響く中、桃姫と五郎八姫は互いに黙って瑞鳳殿を見つめていた。最愛の人を失ったあの日から言葉数が少なくなっていた二人である。

 藍色の和傘を左手から右手に持ち替えた五郎八姫が、ふと左目の独眼で、左隣に立つ桃姫の首に赤紐を通して掛けられた〈三つ巴の摩訶魂〉に視線を向けた。

 五郎八姫の視線に気づいた桃姫は、かつてぬらりひょんの館にて雉猿狗が浮き木綿を素材にして繕った桃色の着物の胸元に吊るされた〈三つ巴の摩訶魂〉に手で触れながら口を開いた。


「……雉猿狗の熱を、感じたんだ」


 桃姫の静かな言葉を受けて、政宗の眼帯を右目に巻いた五郎八姫が桃姫の横顔を見やった。


「……鬼蝶を燃やしている時ね……太陽の熱……雉猿狗の熱を、確かに手のひらに感じたんだ──雉猿狗はまだ、この〈摩訶魂〉の中にいる……死んでなんかいないって……私はそう、信じてるんだ」


 白銀色の波紋を濃桃色の瞳に浮かばせた桃姫はそう告げながら〈三つ巴の摩訶魂〉を固く握りしめた。しかし、円を描くように三つ並んだ翡翠の宝玉はひんやりと冷たく、雉猿狗がその体内から放っていた太陽の熱、"命の熱"は感じ取れなかった。


「……拙者も……拙者も、父上が本当に死んだとは、思ってないでござる……だって、あの天下無双の伊達政宗が死んだなんて──そんなのは、質の悪い冗談でござろう……?」

「……そうだね……」


 五郎八姫は、伊達家の金色の家紋が装飾された瑞鳳殿の閉じられた黒い大扉を見ながら言うと、少しだけ笑みをこぼしながら桃姫に問いかけた。

 桃姫もまた、政宗の豪快に笑う顔を思い出しながらほんの少しばかり笑みをこぼして頷いて返すと、五郎八姫は力強く頷いて、そして瑞鳳殿を見上げた。


「だから、父上不在の間だけ……拙者は伊達家の当主を務めるでござる。それで、いつの日か……笑いながら現れた父上殿に、当主の座を返すのでござるよ」

「……うん」


 降りしきる雨の中、和傘を差した桃姫と五郎八姫が静かに言葉を交わしていると、"キィー"という甲高い鳴き声と共に一羽のハヤブサが灰色の空から舞い降りてくる。


「あっ──梵天丸……!」


 五郎八姫が空を見上げて言うと、伊達政宗の愛鳥である青い目をしたハヤブサの梵天丸が五郎八姫が差し出した腕に止まって"キィキィ"と鳴いた。


「おぬし、今までどこに行ってたでござるか……?」

「……っ」


 五郎八姫が梵天丸の頭を指先で撫でながら声を掛けていると、梵天丸が飛んで来た方角に向けて伸びる参道から、一本の番傘を差した二人の影がこちらに向かって歩いて来ていることに桃姫が気づいた。

 煙雨の中に霞んで見える同じ背格好の二人の影だが、片方は番傘の代わりに杖をついており、そのハゲた頭部は異様にふくれあがっていた。


「……っ、ぬらりひょんさん、夜狐禅くん……っ」


 目を凝らした桃姫が声を上げると、梵天丸とたわむれていた五郎八姫も近づいてくる二人の妖怪の姿に気づいた。

 こげ茶色をした番傘を差した夜狐禅が、ぬらりひょんの頭がはみ出て濡れないように気をつけながら瑞鳳殿の前まで歩いてくると、桃姫が一歩前に出てから話しかけた。


「……ぬらりひょんさん。鬼ヶ島では助けて頂いて、ありがとうございました……私を逃がしたあとは、大丈夫でしたか……?」


 あの日の出来事を思い出しながら、桃姫が心配そうに尋ねると、ぬらりひょんは軽く鼻で笑いながら口を開いた。


「わしを誰だと思うておる──奥州妖怪頭目ぞ……あのような妖(あやかし)に片足突っ込んだ"怪僧"など屁でもないわい」


 ぬらりひょんは桃姫の心配に対して飄々とした態度で答えて返した。桃姫は"怪僧"──役小角の顔を鬼ノ城で見てはいないが、ぬらりひょんが何かと部屋の中で戦っていることだけは廊下で聞き取れたのであった。

 ぬらりひょんの言葉を聞き受けた桃姫は安堵しながら静かに頷くと、ぬらりひょんの隣で眉根を寄せた夜狐禅が大きなハゲ頭を見ながら口を開いた。


「本当にそうでしたか……? 体を鎖で固められて危うく壺の中に封じられそうになっていたところを、夜狐になった僕が間一髪で救出して、窮地を脱していたような──」

「こら──!! 余計なことは言わんでよい……! ──……とにかく、わしらは問題ない……しかし──」


 ぬらりひょんはぴしゃりと夜狐禅を叱りつけたあと、杖を握る手に力を込めながら瑞鳳殿を見上げて静かに告げた。そして深くため息をつくと、ザァッ──と雨脚が強まって重い沈黙が四人を包みこんだ。

 ぬらりひょんと夜狐禅、桃姫と五郎八姫がそれぞれ目を伏せながら雉猿狗と政宗に対して黙祷を捧げていると、不意にぬらりひょんが白濁した眼を見開いて背後に伸びる人影のない参道を睨みつけながら振り返った。


「……何奴ッッ──!!」


 鬼気迫る顔つきで声を張り上げたぬらりひょんが、杖頭を引き抜いて中に仕込まれた白刃を曝しながら素早く構えると、煙雨の中から黒装束に身を包んだ三人組が音もなく姿を顕して、石畳の上に片ひざをついた。


「──失敬。驚かせるつもりはござらぬ……我ら政宗公の懐刀──黒脛巾(くろはばき)組にございまする」


 片膝を突いた三人のうち真ん中の一人が顔を上げてそう告げると、五郎八姫が独眼を見開いて声を上げた。


「っ、黒脛巾(くろはばき)……!? ──ぬらりひょん、心配ござらぬ……! 彼らは、父上に仕える忍び集団でござる──拙者もその姿を見るのは初めてでござるが……」

「──如何にも、お初にお目にかかりまする五郎八姫様──拙者、"首衆"を率いる首飾り……暗殺任務を主としておりまする──」


 そう言って首飾りを名乗った真ん中の壮齢の男が頭を下げると、右隣の筋肉質の男が口を開いた。


「──某(それがし)、"腕衆"を率いる腕飾り……破壊工作を任務としております──」

「──私は、"耳衆"を率いる耳飾り……情報収集を担当しております──」


 腕飾りが低い声で名乗ると、次いで細身の女、耳飾りが名乗りを上げた。

 三人とも忍び特有の黒装束で身を包みながらも、冠した名前を体現するかのように、それぞれ伊達の家紋が彫られた"金の首飾り"、"金の腕飾り"、"金の耳飾り"を身につけていた。


「──我ら黒脛巾(くろはばき)組……三日前の鬼による仙台城襲撃の折、300を超える鬼人兵との戦いにその人員を割かれ、肝心の政宗公を護るという職務を果たせずに……無念の極み……」

「──かたじけない」

「──申し訳ございませぬ」


 首飾りの沈痛な言葉を受けて、腕飾りと耳飾りも頭を下げて五郎八姫に向けて陳謝した。


「──本来なれば、己の命を捨てて贖罪と成すべきところ……しかし、伊達家当主は五郎八姫様へと代わりもうした……今や我らの命は五郎八姫様の手中にございまする……ゆえに今一度、我らにご命令くだされ──ここで腹を切るべきか……あるいは引き続き──伊達家のために働くべきか」

「……うむ。そういうことでござるか」


 首飾りの真摯な言葉を受けた五郎八姫は深く息をはきながら答えて返すと、一歩二歩と足を進めて、片ひざをついて参道に並ぶ黒脛巾(くろはばき)組の前に立った。

 藍色の和傘を差した五郎八姫は、ずぶ濡れになって跪く三人の姿を見回すと、おもむろに腕に乗った梵天丸を空中に放った。


「……ッ」


 黒脛巾(くろはばき)組の三人は思わず梵天丸が飛んでいく様子を見上げて目で追うと、不思議なことに梵天丸が飛んでいった先の雲が割れ、黄金に光り輝く陽光が瑞鳳殿に降り注いだ。


「──今、梵天丸は雲を割るという仕事を果たしたでござる……しかして、おぬしらは、いつまでそこで暇をつぶしているつもりでござるか……?」

「……っ、ハッ──!」


 黒脛巾(くろはばき)組の三人は陽光に輝いた五郎八姫の顔を見上げて息を呑むと、頭を下げ、一声を発してから即座に立ち上がった。


「──今すぐ任に当たらせて頂きまする……当主殿──!!」


 首飾りはそう言って五郎八姫に声を発すると、腕飾り、耳飾り共々、五郎八姫に向かって拱手をした。

 その時、一人の女忍びが瑞鳳殿の参道に向かって走り込んできて、耳飾りに向けて耳打ちをすると、耳飾りは目を見開いて血相を変えた。

 そして、五郎八姫に向かって口を開く。


「──当主殿……! 行方をくらましていた阿南姫(おなみひめ)様が、突如として須賀川(すかがわ)城に現れ──"武力"で城を占拠したとのことでございます……!」

「……ッ──!? 阿南(おなみ)の大おば様が……ッ!?」


 耳飾りの報告を耳にした五郎八姫は驚愕しながら声を上げると、首飾りと腕飾りが互いの顔を見合わせて頷き合い、すぐさま瑞鳳殿の参道から駆け出す。

 桃姫とぬらりひょん、夜狐禅は五郎八姫の震える背中を見ながら、ただならぬ事態が起きたのだと察したのであった。

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