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18.阿南姫の呪詛

 伊達領は須賀川城(すかがわじょう)の天守閣、その大広間にて──武装した10人の伊達武者と額の右側から紺碧色をした鋭い鬼の角を生やした女性が対峙していた。

 荒れ狂う波の描かれた着物を身にまとった青黒い髪を持つその女性は、黄色く染まった鬼の両眼の中央に"鬼"の文字を青く光らせていた。


「──阿南姫(おなみひめ)殿ッ……! 正気にお戻りくだされ……! 貴殿は政宗公のおば君(ぎみ)でござろう。なにゆえ、このような狼藉をなさるのか──!!」

「──お黙りなさい、無礼者──」


 阿南姫(おなみひめ)と呼ばれた女性は青い爪が伸びる人差し指を伊達武者の一人に指し向けると、その爪先に一粒の大きな水滴を作り出した。

 そして、ギュルギュル──と高速で渦を巻き出したその水滴は、青い爪先から弾かれるように射出されると、伊達武者の喉仏に当たって穴を穿った。


「っ──!? カッ、ハッ──ガハッ……!」


 穴の開いた喉を咄嗟に両手で抑えた伊達武者は、黒い両目を見開きながら畳の上に崩折れると、口から盛大に吐血して畳の上に血溜まりを作りながら絶命した。


「──須賀川城は、二階堂の城……なれば、二階堂に嫁いだ私の城です──仙台で居眠りをしている政宗にお伝えなさい……阿南姫が鬼となって帰城したと」

「ッ、鬼……!?」

「……やはり、鬼に身を堕としていたか……! ──皆の衆ッ! 伊達の血族であろうと躊躇するなッ──! 相手は鬼ぞ──!! 臆せずかかれェッ──!」


 刀と槍で武装した9人の伊達武者が、怒声を発しながら阿南姫に向かって一斉に攻め掛かると、阿南姫は呆れたようにため息をつきながら、黄色い両目に浮かぶ青い"鬼"の文字をギン──と光り輝かせた。


「──"波羅の力"の前には……すべて無力──」


 不敵な笑みを浮かべながら告げた阿南姫は、掲げた右腕の全体に大量の水滴を瞬く間に凝縮してまとわせると、宙空に薙ぎ払うように振るって、鋭い刃と化した水しぶきを伊達武者の集団に向かって高速で飛ばした。


「……がぁッ──!?」


 刃状の水しぶきが黒鎧をまとった胴に当たった伊達武者の一人が、驚愕しながら声を漏らすと、その次の瞬間、ザバッ──と音を立てながら胴体が裂き斬れて、9人の伊達武者が一斉に宙空に向かって鮮血を噴き上げた。

 そして、ドサドサドサッ──と畳の上に倒れ伏していく伊達武者たちの死に顔を見下ろしながら、阿南姫はうっすらとした笑みを浮かべて口を開いた。


「──まったく……これではいったい誰が、仙台にいる政宗に私の帰城を伝えるのですか──」


 阿南姫がそう言って苦笑すると、チリンチリン──という金輪の鳴る音と共に役小角が開かれたふすまの向こうから姿を現した。


「かかか。"八天鬼の力"、さっそく使いこなしておるようじゃのう──阿南姫殿」


 特徴的なしゃがれた声を耳にした阿南姫は、〈黄金の錫杖〉を突きながら天守閣の大広間にやってくる役小角の姿を見た。


「……行者様、おいでになられたのですか」

「うむ……血のにおいが城の外までぷんと漂っておるでのう。かかか」


 役小角は、倒れ伏している伊達武者の亡骸を見回すと、満面の笑みを浮かべた顔で阿南姫を見やった。


「してどうじゃ、"波羅の力"は──気に入ってくれたかのう?」

「はい。こうして一日足らずで憎き伊達めの軍勢から須賀川城を奪還することが叶いました──心より感謝しております、行者様」


 そう言って阿南姫はうやうやしく頭を下げると、役小角はうんうんと頷いてから、懐から空になった"波羅"の文字が書かれた小瓶を取り出した。


「予てからおぬしの存在は知っておったよ、阿南姫殿──おぬしは伊達の一族に生まれながらにして、誰よりも深く伊達のことを憎んでおりますわいの……」

「はい、その通りでございます──私は伊達晴宗の長女として奥州に生まれました。弟は輝宗……政宗の父にございます──若き日の私は、父上の命によって蘆名の武将、二階堂盛義の元に嫁がされました──"政略結婚"……確かに望んだ婚姻ではありません……ですが私は、二階堂の元で"成すべきこと"を見つけたのです──」


 阿南姫は話しながら、須賀川城の天守閣の大窓から遠くに望む広大な猪苗代湖と磐梯山の荘厳たる景色を眺め見た。


「──それは、伊達と蘆名の両家に"一滴の血"も流させることなく、"和睦一体"となること……私はそれを夢見て、子を産みました。平四郎……彼は見事に子の居なかった蘆名家の跡継ぎとなり、蘆名盛隆とあい成ったのでございます……! ──これで、伊達と蘆名は"一体"となれる……! 私の、"女としての戦い"は成就したのだと──ああ、なんと嬉しかったことでありましょうか……!」

「…………」


 阿南姫は破顔しながら、実に嬉しそうに胸元に青い爪をした両手を当てて語った。役小角もまた漆黒の眼を細め、満面の笑みを浮かべながらその話を聞いた。


「……しかし、夢の期間はたった10年しか続かなかった……平四郎が……ああ……! 私の可愛い平四郎が、暗殺されたのでございます……!」


 阿南姫は青い"鬼"の文字が浮かんだ黄色い瞳を震わせながら、荒れ狂う波が描かれた着物の胸元をグッ──と強く掴んだ。


「……当主不在となった蘆名の内部では跡目争いが勃発……伊達と蘆名の関係は冷え込み、その距離は急速に離れていきました──それでも、私は抗いました……まだ、伊達と蘆名が"一体"になる夢は叶うと──その切なる希望を完全にぶち壊したのがッ、政宗ッ──!! あの憎たらしい私の甥、独眼竜・伊達政宗でございます──!!」

「……かかかかっ」


 阿南姫は怨嗟にまみれた声を震わせると、怒りと憎悪に顔を歪ませながら歯噛みした。役小角はその横顔を眺め見ると、愉快さのあまり笑い声を漏らした。


「平四郎がこの世を去ってから5年の後……政宗率いる伊達の軍勢は幾度となく蘆名領に攻め入りました──そして遂には、蘆名と二階堂を攻め滅ぼしてしまった──嗚呼ああッッ──!!」


 阿南姫は絶叫しながらその場に崩折れると、顔を青い爪が伸びる両手で覆って涙を流した。役小角は満面の笑みを浮かべながら歩み寄ると、その肩に手を置いた。


「辛かったのう、辛かったのう──だからこそわしは、放心状態で磐梯山を放浪するおぬしを見つけ出し、"波羅の鬼薬"を飲ませて"八天鬼人"としたのだ」

「はい、感謝しております……このような素晴らしい"鬼の力"をお授け頂いて……」

「──しかしのう、阿南姫殿。わしはこのような噂も聞いたぞ──蘆名を滅ぼした政宗は、おばであるおぬしに伊達家に戻ってくるように幾度も説得したと。しかしおぬしは伊達に戻らんかった──」


 役小角の言葉を聞いた阿南姫は青い爪の隙間からのぞかせた"鬼の目"をカッ──と見開いた。そして、振り返って役小角の顔を見上げる。

 その形相はまさしく"鬼"そのものであり、憎悪と怨嗟にひどくまみれていた。


「──なぜ、私が政宗に降らねばならぬのです──?」

「……ンぬっ……」


 恐ろしく冷たく低い声を投げかけられた役小角は、思わず阿南姫の肩から手を離してたじろいだ。その異様な迫力は"千年の時"を生きる伝説の修験僧・役小角ですら戦慄させる"女の恐ろしさ"があった。


「──私は二階堂に嫁ぎ、孤独の中で"女の戦い"を行いました。一人の"女の人生"を掛けた"命がけの戦い"でございます……それを情け容赦なく破壊したのは伊達の政宗──あの甥っ子を"死滅"させねば、私は死んでも死にきれぬのです──」

「……しかし、阿南姫殿……おぬしも知っておられるとは思うが……政宗は……既に──」


 役小角の言葉を遮るように阿南姫はすっくと立ち上がると、役小角の眼前に顔をグッ──と近づけて黄色い両目に浮かぶ青い"鬼"の文字を爛々と光り輝かせながら低い声で告げた。


「──政宗の"すべて"を死滅させるのでございます──」


 役小角より背の高い阿南姫は身をかがめるようにして役小角の深淵の眼を覗き込みながらそう告げると、背筋を美しく整えた。


「──行者様が教えてくださった、"羅刹変化"……その"超常なる鬼の力"を用いれば、それが可能かと存じます──」

「……うむ……阿南姫(おなみひめ)よ。先程のおぬしの"鬼の目"を見て、わしはおぬしをこう呼ぶことにしたよ──鬼の波の姫、"鬼波姫(おなみひめ)"とな」

「ふっ──"鬼波姫の戦い"、どうぞお楽しみくださいませ──」


 不敵な笑みを浮かべながら告げる鬼波姫の言葉を聞き受けた役小角は、〈黄金の錫杖〉を掲げて別れの挨拶とすると、チリンチリン──と金輪を鳴らしながら大広間から立ち去っていった。

 その後ろ姿を見送った鬼波姫は、須賀川城の天守閣の大窓の外に広がる猪苗代湖と磐梯山が連なる雄大な景色に視線を移してから静かに口を開いた。


「──……この"八天鬼・波羅の力"……この世から伊達の痕跡を完全に洗い流すため、存分に使わさせて頂きます……──」


 宣言するようにそう口にした鬼波姫は、決意を固めたように青い唇を閉じて、青い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い瞳を細めるのであった。

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