「──す、すごいでござる……! 飛んでる──拙者、空を飛んでるでござるよッ──!!」
"大浮き木綿"の背中に乗って奥州の景色を見下ろした五郎八姫が独眼を大きく見開きながら叫んだ。その頭上には、青い目をしたハヤブサの梵天丸が気持ちよさそうに並び飛んで滑空していた。
「これ、伊達の娘よ。はしゃぐでない……落ちたら洒落にならんぞ……まったく」
色違いの五枚の浮き木綿が繋がり合わさって作られた"大浮き木綿"の中央であぐらをかいたぬらりひょんが告げると、脚を崩して座った桃姫が朱色の浮き木綿を手で撫でながら口を開いた。
「ぬらりひょんさん、ありがとうございます。これなら、須賀川城までひとっ飛びですね」
「ほっほっほ──よかったのう、丁度わしが瑞鳳殿におって」
「頭目様、流石です」
ぬらりひょんの隣りに正座で座った夜狐禅がそう言っておだてるとぬらりひょんは満更でもないという感じで頷いた。
そしてぬらりひょんは、夢中で空からの景色を堪能する五郎八姫の背中を白濁した眼で見やると、おもむろに立ち上がった。
「のう、伊達の娘よ──おぬしに渡したいものがある」
「……えっ?」
呼びかけられた五郎八姫は振り返ってぬらりひょんと視線を合わせると、ぬらりひょんは手招きをした。
「……なんでござるか。ろくなものじゃなかったら承知しないでござるよ……」
「よいから来い……おぬしに渡すものはこれじゃ──ホッ!」
訝しみながら"大浮き木綿"の上を這うようにして近づいてきた五郎八姫に対して、ぬらりひょんは宙空に杖を振るうとボン──と紫色の煙を立てた。
煙が風に吹かれて流されると、その中から一振りの太刀が姿を顕した。そして、歴史を感じさせる黒鞘に包まれたその太刀をぬらりひょんは掴み取ると、五郎八姫の眼前に提示する。
「──伊達の娘よ。こいつを用いて、桃姫の力となるのじゃ──」
「……ッ──!?」
息を呑んだ五郎八姫は、両手を差し出してぬらりひょんから太刀を受け取ると、得も言われぬ"妖しい波動"を感じ取り、全身に鳥肌を立てた。
「……なんで、ござるか。この刀は……まるで──」
「──妖刀じゃよ。妖刀〈夜桜〉」
「……えっ──!?」
五郎八姫の言葉に言って返したぬらりひょん。その言葉を耳にして驚きの声を発したのは、桃姫であった。
妖刀〈夜桜〉──それは桃姫の師匠である妖々魔が退館する折にぬらりひょんに渡した大業物の一振りである。
「ふっ、桃姫は知っておるよな──そう、この〈夜桜〉は、日ノ本有数の妖刀にして大業物。こいつをおぬしの愛刀とするのじゃ──伊達の娘」
「ま、待つでござる……! 妖刀なんぞ、拙者は欲しくないでござるよ……! 妖刀を持った者は妖刀に取り憑かれる──! 拙者は──」
慌てて声を上げながら不穏な波動を放ち出す〈夜桜〉を自身の体から離した五郎八姫。それに対してぬらりひょんは、左手を上げながら口を開いた。
「落ち着け……無論、わしもおぬしを"妖刀憑かれ"にするつもりはない──そこで一つ、"手を加えよう"と思う。ほれ、呪われた刃を鞘から抜いてみせろ」
「……うう」
ぬらりひょんはそう言って抜刀を促すも、眉根を寄せた五郎八姫は手に持った〈夜桜〉の黒鞘を見つめたまま唸り声を漏らした。
「はようせぬか"腰抜け"──須賀川城に着いてしまうぞ」
「……くッ──」
罵倒するぬらりひょんをキッ──と睨みつけた五郎八姫は、覚悟を決めて〈夜桜〉の黒鞘を抜き取った。
そして、顕になったのは禍々しい波動を放つ黒光りする刃であった。五郎八姫は恐れながらもしかし、既に目線をその妖しい刃から外すことが出来なくなっていた。
「ふん、小娘──さっそく妖刀に魅せられておるか……まぁ、よい。そのまま刀を掲げ続けるのじゃぞ──フゥ……これより、"刻命の儀"を執り行う」
「……"刻命の儀"、ですか?」
ぬらりひょんの言葉を耳にした桃姫が尋ねると、ぬらりひょんは頷きながら深く息をはいた。
「うむ──"妖刀"のままでは、鬼を殺すことは叶わん……ゆえに、"妖刀"を"刻命刀"へと転じる必要がある……わしの命を半分〈夜桜〉に刻み込み、"預ける"ことによって、鬼を斬り裂く"破邪の剣"へと真化させるのじゃ」
「……ぬらりひょんさんの命を半分"預ける"って……そんなことして──」
ぬらりひょんの説明を受けて心配そうな顔を浮かべながら言った桃姫に対して、ぬらりひょんは〈夜桜〉の黒い刃を見ながら口を開いた。
「安心せい──この〈夜桜〉、相当頑丈に造られておる。わしの目利きが確かなら、命を半分預けても問題ないと見た……無論、〈夜桜〉が砕け散ればわしの命は半分消え失せることになるが──のう、伊達の娘よ。そんな無茶な扱い方はしまい?」
「……っ、え? ──ん? 何の話でござるか……?」
ぬらりひょんの問いかけに〈夜桜〉の刃に魅入られていた五郎八姫はハッとしながら顔を上げると、ぬらりひょんに聞き返した。
「……なんじゃ、なんか一気に心配になってきたぞ……やはり、取りやめるべきか……」
ぬらりひょんが呟くように言うと、五郎八姫は笑いながら口を開いた。
「かははは──! 冗談でござるよ、ちゃんと聞いてたでござる……さぁ、やるでござるよ、"刻命の儀"──拙者に、ももと共に"鬼退治"を可能にする刀を与えてほしいでござる」
五郎八姫がそう言って桃姫の顔を見ながら頷くと、桃姫も頷いて返した。しかし、ぬらりひょんは渋い顔を浮かべたまま眉根を寄せると五郎八姫に向けて告げた。
「伊達の娘……おぬしは何もせんと思うたら大間違いじゃぞ」
「──え?」
桃姫に向けて笑顔を見せていた五郎八姫の顔がぬらりひょんの言葉を受けて引きつった。
「"刻命の儀"──これは、わしとおぬしの間で交わす"命の契り"なのじゃ……わしは命の半分を〈夜桜〉に"預ける"。その時おぬしは──わしが今まで生きてきた時間を、"まるまる追体験"することになる」
「……は?」
ぬらりひょんの口から告げられた言葉の意味が理解できず声を漏らした五郎八姫。
「えっと……ぬらりひょんが今まで生きてきた時間って……何百年でござるか……?」
「いや──1000とんで、400年じゃ──」
五郎八姫の言葉を受けたぬらりひょんが首を横に振ると答えて返した。
「──ッ!? せ、せ、せ、せ、1400年ッッ──!? そんなに生きてるでござるか、おぬしッッ──!?」
「……ったりまえじゃろうが。妖怪頭目を舐めるでないわい」
「ぬらりひょんさん、長生きなんですね」
「ふふん──」
桃姫が感心したように声を漏らすと、ぬらりひょんは自慢気に胸を張った。
「……1400年……拙者がまるまる、その時間を味わうでござるか……? ──まだ17年しか生きてない拙者が、1400年の歳月を……?」
「そうじゃ──なぁに、せいぜいが80倍ちょっとじゃ。別に問題ないじゃろ……?」
「──問題大有りでござるよッッ!! ……うわああああああああ──!!」
"1400年"という考えも及ばない壮大な時間を前にして思考が処理しきれなくなった五郎八姫は、悲鳴のような声で天を仰ぎながら叫んだ。
「落ち着け──おぬしはわしの1400年ほどを"追体験"するが、実際に過ぎる時間は"14秒"ほどじゃ……"刻命の儀"が完了したとき、おぬしは一歳も年を取っておらんし、何一つとして失ってはおらん──ただ、わしの1400年の"追体験"が記憶に残るだけじゃ」
「なんか、さらっとヤバいこと言ってないでござるか……それ、拙者の17年の人生……その大切な記憶の数々が、ぬらりひょんの1400年の歴史で"上書き"されるなんて事態が起こるのではないでござらぬか……?」
ぬらりひょんの言葉を聞いた五郎八姫が怖ず怖ずと尋ねるとぬらりひょんは首を傾げた。
「……さぁ、それはおぬしの"受け取り方"次第だの……ただし、一度"儀式"を始めたら中断することは出来ないとだけ言っておこう──1400年、休むことなくぶっ続けで味わうことになる」
「……恐ろしすぎるでござる……」
震える声でそう呟いた五郎八姫は深くうなだれた。そんな五郎八姫の肩に桃姫の手がポンと優しく置かれる。
「いろはちゃん──しなくていいよ」
「……っ」
五郎八姫は桃姫の穏やかな顔を見やると、あまりの眩しさに息を呑んだ。
「そんな大変な想いしてまで、私、いろはちゃんに鬼退治して欲しいなんて思わないよ……大丈夫、鬼退治は私がするから。いろはちゃんは私と一緒に戦ってくれれば、それだけですごく勇気がもらえるんだよ」
「……もも……」
五郎八姫は桃姫の優しく告げられる言葉を耳にしながら独眼を潤ませた。
「すまんのう、桃姫……わしは自らの命を削ってまで"刻命の儀"をしてもよいと覚悟を決めたのじゃが──はぁ……伊達の娘がこうも"怖気づいて"しまってはのう……」
ぬらりひょんは言いながら、白濁した片眼を開いて、責めるように五郎八姫の顔を見やった。
「そんなこと言わないでよ、ぬらりひょんさん。いろはちゃんは私のためを想って──」
「──やるでござるッッ──!!」
桃姫がぬらりひょんに対して言う言葉を遮って、五郎八姫が吼えるように声を張り上げた。
「拙者、"刻命の儀"やるでござるッッ──!! 1000年でも2000年でも、1万年でもかかってこいでござるよッッ──!!」
「ッ、いろはちゃん……っ」
「……本気じゃな、伊達の娘……?」
五郎八姫の鬼気迫る覚悟の決まった顔を見た桃姫とぬらりひょんが目を見張りながら言葉を漏らした。
「この伊達五郎八──やると決めたことは絶対に最後までやり抜く所存でござる──それが父上に対する最大の手向けでござるからな」
「……よし、心得た──では、始めようではないか」
五郎八姫の熱意の込められた言葉を聞き受けたぬらりひょんは笑みを浮かべながら頷くと、手にしていた杖を浮き木綿の上に置いて、気合を込めるように両手を揉み合わせた。
「もも……"1400年"……もし耐えきれない瞬間が来たら、もものことを考えて、やり過ごすでござるからな」
「うん……私も"14秒間"、いろはちゃんのことだけを考えて強く祈り続けるよ──ぬらりひょんさん、いろはちゃんの手を握っていてもいいですか?」
五郎八姫と桃姫が互いの瞳を深く見合わせながら言葉を交わすと、桃姫がぬらりひょんに尋ね聞いた。
「構わん──ただし、声などは掛けるでないぞ。儀式中の"1秒"は、伊達の娘にとって"100年"じゃ……迂闊な行動は精神が乱れる原因になるでな」
「はい……!」
ぬらりひょんの警告を受けて桃姫は力強く頷いて返した。そして、ぬらりひょんは揉み合わせていた両手を開くと、その手のひらを妖刀〈夜桜〉の黒銀色の呪われた刃に向けた。
「──伊達の娘、これはわしも初めてする"儀式"でな……知識では理解しておるが、実際、おぬしの精神状態がどうなるかはわしにもわかっておらん」
〈夜桜〉を右手で抱え持ち、左手で桃姫と固く手を結んだ五郎八姫と対峙したぬらりひょんが低い声で告げる。
「──もし、気が狂うような膨大な時間を前にして自我が失われそうになった時は、わしの体に"取り憑け"……そして"心身一体"にして、わしに"成り切れ"……さすれば、いくらか楽に時間の大波を切り抜けられるはずじゃ──」
「……それではまるで──"亡霊"のそれでござるな……」
ぬらりひょんの言葉を聞き受けてにやりとした笑みを浮かべた五郎八姫。次の瞬間、ぬらりひょんの大きなハゲ頭に四つの赤光する"真眼"
がカッ──と見開かれた。
「──如何にも──おぬしはこれより"亡霊"となるのじゃ──」
「──ッッ──!!」
四つの"真眼"に睨まれた五郎八姫。赤光するその巨大な眼に光る紫色の瞳孔と自身の目を合わせた五郎八姫は、その中に吸い込まれていくような感覚に陥った。
「──真眼妖術──刻命ぬらり──」
ぬらりひょんが低い声で告げる妖術を反響させて耳にしながら、その肉体から"精神"だけを持っていかれた五郎八姫──紫色の海の中に"精神"がドプン──と落っこちると、なすすべなく沈み込んでいく。
そして、五郎八姫はぬらりひょんの過去──1400年前の九州は邪馬台国(やまたいこく)にて、"亡霊"となり、顕れるのであった。