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20.刻命刀〈氷炎〉

 ──耕作地を主とした広大な国土を誇る邪馬台国の外れの村に建った質素な小屋にて、一つの産声が発せられたのを五郎八姫は聞いた。

 その小屋に暮らす塗犂(ぬらり)夫妻は、田畑を耕す犂(すき)を作ることを生業としている職人の夫妻であった。


 五郎八姫と同じく産声を耳にした夫は、犂(すき)を作る作業を放りだすと、嬉々とした顔つきで小屋の中に入った。

 そして、産後間もない妻がその腕に抱いた赤ん坊の姿を見て我が目を疑った。


 その赤ん坊は、"氷"のような白い髪を持っており、"炎"のような赤い目をしていたのである。

 妻はほほ笑みながら夫に言った、"この美しい子の名前は、氷炎(ひえん)にいたしましょう"と。息子の姿を見た夫が息を呑む中、険しい表情を浮かべた産婆が立ち上がって夫を小屋の外に連れ出した。


 そして夫の耳元で告げた──"あの赤子は見るからに忌み子"であり、"大神殿に御わす巫女王様の御神託を得る必要がある"と。

 夫は産婆の忠告に同意した。実際あのような姿をした赤ん坊は、この村では見たことがなかったからである。


 その日の夜──夫は、命がけの出産を経て疲れ果てて眠る妻の腕から氷炎を奪い取ると、小屋の外で待機していた女神官に手渡した。

 穏やかな顔で眠る氷炎の髪と目の色を確認した女神官は夫に対して静かに頷くと、邪馬台国の中央にそびえ立つ大神殿へと運び去っていった。


 そんな光景を"亡霊"と化した五郎八姫が呆然と見届けていると──小屋の中からけたたましい絶叫が発せられ、血相を変えた妻が外に飛び出してきた。

 そして、遠くに去っていく女神官の一団の後ろ姿を青ざめた顔で見ると、慌てた夫が妻に状況を説明した。その瞬間、妻は狂乱状態となると、夫を小屋の壁に立てかけていた作りかけの犂(すき)で突き殺し、小屋に火をつけて自らの命を絶った。


 一方、大神殿に運ばれた氷炎は、白布で顔を覆い隠した巫女王・卑弥呼の前に差し出されると、"殺す"か"生かす"かの"御神託"が執り行われた。

 それは、神の化身である赤い目をした白い大蛇"神蛇"の前に氷炎を置くというものであった。


 卑弥呼と女神官、そして女呪術師たちが取り囲んでその"儀式"を見届ける中、"神蛇"は眠る氷炎の周囲を一晩中円を描くように幾度も周ると、夜が終わって朝日が昇るのと同時に氷炎を護るようにして大人しくなった。

 大神殿に注ぎ込む陽光を巫女服に浴びた卑弥呼は氷炎を"生かす"ことを決定すると、"信託の間"に駆け込んできた兵によって、塗犂(ぬらり)夫妻が昨晩亡くなったという報告を受けた。


 それから氷炎は、塗犂氷炎(ぬらりひえん)を正式な名前として、卑弥呼の目の届く範囲──大神殿の周囲に並び立つ屋敷の一つに預けられて、育てられることとなった。

 子供時代の氷炎は、門番兵長を父に持つ影鳩(えいく)という名の同い年の友人を手に入れると、二人は剣戟ごっこや力比べなどをして日々活発に過ごした。


 そして、14歳を迎えた二人は揃って卑弥呼の警護兵に着任すると、"剣の腕の立つ若き両雄が現れた"としてその存在は邪馬台国中に知れ渡っていった。

 五郎八姫は柵で囲われた剣術場で互いに汗を流しながら剣の腕を磨きあう二人の少年の姿を眺め見ると、過酷な生い立ちを持ちながらも真っ直ぐに育っていく氷炎に対して、草葉の陰から黙って見護る姉のような気持ちとなりながらほほ笑んだ。


 それから3年後──17歳になった氷炎は、白い長髪をなびかせる美男子へと成長を遂げており、影鳩との間で行われた"隊長争い"にも見事に勝利して、警護隊長に就任していた。

 美男子・氷炎の自信あふれる堂々とした立ち居振る舞いは、卑弥呼に仕える女神官や女呪術師たちにとって羨望の的であり、更に剣の腕前も邪馬台国随一となれば、氷炎は飛ぶ鳥を落とす勢いで中央での地位を高めていった。


 そんなある日、事件は起こった──住む屋敷を提供し、親代わりとなってくれていた高級女神官・痲苹(まほ)に呼び出された氷炎は、その夜の"隊長権限"を影鳩に渡して、14歳から離れていた痲苹の待つ屋敷へと向かった。

 玄関も兼ねている屋敷の中庭に足を踏み入れた氷炎は、随分と顔にシワの増えた痲苹と昔話をしながら供された薬湯を一口飲んだ。すると、途端に体が激しく痙攣し始め、氷炎は地面に倒れ込んだ。


 体の制御が効かない氷炎が困惑していると、痲苹の従えている女呪術師が屋敷の扉を開けて中庭に姿を見せ、氷炎に対して呪術を唱えだした。

 両手で印を結んだ女呪術師の目が妖しく紫光すると、その目を見た氷炎は自身の意思とは関係なく体が動き出し、すっくと立ち上がって痲苹と顔を合わせた。


 痲苹は満面の笑みを浮かべながら抵抗できなくなった氷炎に顔を近づけて唇を重ねると、ジュバッ──と嫌な音を立てながら唇を離した。

 そして痲苹は、"卑弥呼暗殺"について語り出した──"傀儡操呪(くぐつそうじゅ)"と呼ばれる呪術によって氷炎の肉体を操り、卑弥呼を斬り殺させる──その目的は、最も高位な女神官である自身が新たな巫女王となるため。


 痲苹は、氷炎の頬を指で愛おしそうに撫でながら、"あなたに汚れ役をやらせるのは、美しく育っていくあなたが私の元から離れていくのを見続けるのがイヤだからよ"──そう囁くように告げた。

 あまりにも身勝手な育ての親の言い分を聞いた氷炎は人生で感じたことのない激しい怒りを胸の奥底に燃やすと、かろうじて制御の効く首を動かして、中庭の出入り口に立つかがり火を見た。


 "役目を果たしてきなさい……私の可愛い氷炎"──そう告げる痲苹の言葉を背中に聞きながら、女呪術師に操られた氷炎が中庭の出入り口に立ったその瞬間、氷炎は燃え盛るかがり火に向けて首を差し出し、紫光する自身の両目を焼き潰した。

 顔面に走る激痛と共に瞬く間に失われる視界──それと同時に、目を支配することで相手を操る"傀儡操呪"が強制的に解かれて体の自由を取り戻した氷炎は、左腰に帯びている鉄の剣を素早く振り抜きながら右手に構えると、中庭で息を殺した痲苹と女呪術師の気配を暗闇の視界の中で探った。


 中庭の出入り口は一つしかなく、それは氷炎の背後にある。真っ赤に焼けただれた両眼を固く閉じた氷炎は、捨て身の解呪を目にして驚愕しながら中庭に隠れ潜んだ痲苹と女呪術師の気配を探りながら、凛とした声音で告げた。

 "巫女王の暗殺を企てる者は、それが育ての親であろうと斬って捨てるのが私の役目だ……容赦はしない"──その時、中庭の壁に身を寄せた痲苹は反対側の壁に身を寄せる女呪術師に氷炎の体に飛びつくように視線で促した。


 女呪術師が顔面蒼白になりながら首を横に振って拒絶すると痲苹は女呪術師を黙って睨みつけた。深く息をはいて逡巡した氷炎は、おもむろに燃え盛るかがり火を左手に掴んで持ち上げると、大きく振るいながら歩き出し、中庭の全体に火の粉を撒き散らし始めた。

 飛び散る火の粉が体に降り掛かった痲苹は咄嗟に両手で口を抑えて耐えるも、火の粉に体を包まれた女呪術師は目をひん剥きながら壁から走り出して氷炎の脇を通り抜けようとした。


 しかしその瞬間、女呪術師の胴体が氷炎の極限まで研がれた鉄の剣によって寸断される。ドサッ──と音を立てながら地面に落ちる女呪術師の上半身と下半身を目にした痲苹は思わず小さな悲鳴を発した。

 氷炎は手にしたかがり火を声の聞こえた方角に即座に投げつけると、壁から走り出した痲苹は喉が張り裂けんばかりの大絶叫を張り上げてこう叫んだ──"助けて、殺される"。


 わずかな物音に注意していた氷炎は、突然の絶叫に耳の奥を痺れさせながらも、出入り口に向かって必死の形相で走る痲苹の背中に向かって一息で跳躍すると、鉄の剣を軽く振り払い、鋭い切っ先でその背中をザッ──と斬りつけた。

 痲苹は、"ギヤッ"と短い悲鳴を発しながら地面に倒れ込むと、背中から鮮血を噴き出しながら這いずって屋敷の外に出ていこうとする。


 氷炎は、痛々しく目元が焼き潰れた顔を怒りと悲しみで歪めながら痲苹に向けると、鉄の剣を突き出して、育ての親に止めを刺した。

 "氷炎、お前、何をしている"──影鳩の引きつった声が氷炎の耳に届く。次の瞬間、けたたましく警報の鐘の鳴らされる音が周囲に響き渡り、数十人からなる警護兵の足音が近づいてくるのを氷炎は耳にした。


 "聞け影鳩、痲苹が巫女王の暗殺を企て、私を暗殺者に仕立て上げようとしたのだ"──屋敷の外で氷炎は影鳩にそう弁明すると、影鳩は首を横に振ってから、氷炎に向けて鉄の剣の切っ先を差し向けた。

 "黙れ、逆賊"──敵意をむき出しにして低い声で告げられる友の声に氷炎は絶句した。そして集まってきた警護兵の面々に向かって影鳩は声高々に告げた。


 "塗犂氷炎は、気が触れて女神官を斬殺した、親代わりの女神官をだ、どのような理由があっても許されることではない、そうだろ、みんな"──鉄の剣を掲げながら声を発した影鳩。

 氷炎の美貌と人気に嫉妬していた一部の警護兵は、影鳩に賛同して大声でがなり立てた。氷炎を尊敬して慕う警護兵も中にはいたが、目元が焼き潰れた顔と、血濡れた鉄の剣を持ちながら女神官の亡骸の前に立つその姿に何も言えなかった。


 "今の警護隊長は俺だ、返して欲しければ、力付くで奪い取ってみろよ"──"愚かな真似はやめろ、影鳩"、幼馴染の影鳩の口から発せられる荒々しい言葉を聞いて、悲痛な面持ちを浮かべた氷炎はそう言って返す。

 "愚かなのはどっちか、今ここで決着をつけよう"、影鳩は目が見えない氷炎に対して余裕の笑みを浮かべると、まだ剣を構えていない氷炎に向けて駆け出した。


 氷炎は耳障りな警報の鐘の音を耳にしながら、真っ暗な視界の中で"赤い熱"を発しながら迫りくる"敵意"を視やった。そして、その"敵意"に対して飛び跳ねるように身をかわしながら、右手に持つ鉄の剣を振るった。

 "グッ"という唸り声と共に体に降りかかる生暖かい血しぶき、氷炎は"敵意"が怯んだのを視ると、"赤い熱"から切断され、宙空に舞った"青い熱"を左手で握り取った。


 そして、氷炎は影鳩の首を刎ね飛ばした──両腕と頭を失い、地面に力なく崩折れた影鳩の前に、両手に握る二振りの鉄の剣を振り払い、大きく腕を広げた氷炎が立つ。

 その光景を唖然とした表情で見届けた警護兵たちは誰一人として動くことができず、氷炎は両手の剣を帯を巻いた左腰に差すと、痲苹と影鳩の亡骸の前から静かに歩き出した。


 慄いた警護兵たちがザザッ──と引いて道を開けると、氷炎は高台の上に立つ大神殿からこちらを見下ろす巫女王・卑弥呼に横顔を向けた。しかし、何も言わずに前を向き直すと、その場から立ち去っていった。

 五郎八姫は"亡霊"として氷炎の後を追いかけると、くるりと氷炎の前に回り込んでその顔を覗き込んだ。氷炎は焼き潰れた両目を固く閉じ、歯噛みした口から嗚咽を漏らしていた。


 例え巫女王が正当防衛として許してくれようとも、信じる者の裏切りに立て続けにあった氷炎は、もう邪馬台国には居られないのだと、その顔を見た五郎八姫は悟った。そしてその瞬間、五郎八姫は氷炎への深い共感によって知らずのうちに"心身一体"となっていた。

 夜が明ける前に邪馬台国の地を離れた氷炎はその足で九州からも離れると、"盲目の両手剣士"として列島の各地をさすらった。


 寄る辺なくさすらう中で剣の腕前と身体感覚を更に磨き上げ、研ぎ澄ましていった氷炎──時には傭兵や用心棒などもしたが、しかし結局は生じる人間同士の醜い争いと裏切りによって、心が疲弊してすり減っていくのを感じた。

 そうして歳を重ねた氷炎は、極力人が少ない土地を目指し、北へ北へと向かった末に40歳で奥州の森に辿り着き、そこで隠遁生活を始めた。


 静謐な森の中での生活にて、自然と調和した妖(あやかし)との交流に"心の救い"を見出した氷炎は、いつしか妖力をその身に蓄えるようになり、独自に編み出した妖術・心眼によって肉眼で見るのと変わらぬ視界を得られるようになっていた。

 御年100歳──その頃には既に、氷炎は人間ではなく、妖怪に片足を突っ込んでいた。奥州の妖たちからも一目置かれるようになった氷炎は、更に長い年月をかけて人から妖へと完全なる変体を遂げていき、"奥州妖怪頭目ぬらりひょん"としての頭角を現していくのであった。


 そして、決して"退屈"とは言えない目くるめくぬらりひょんの残り1300年の歴史が過ぎ去っていくと、夜狐禅と共に瑞鳳殿に向かう場面が起こり、次いで"大浮き木綿"に乗って須賀川城に向かう瞬間が訪れ、遂に1400年の"追体験"の終着点へと五郎八姫は辿り着いた。

 五郎八姫の精神が"亡霊"となって、ぬらりひょんの体から抜け出すと、紫色の海を浮き上がっていき、そして四つの"真眼"から巻き戻されるように五郎八姫の体に精神が回収されていく。


「──"刻命の儀"。これにて、完了じゃ──話しかけてもよいぞ、桃姫」


 ぬらりひょんが低い声でそう告げると、五郎八姫の黒い瞳に光が戻ったの見届けた桃姫が心配そうな面持ちで口を開いた。


「……いろはちゃん……」

「──……ッ」


 声を掛けられた五郎八姫は息を呑みながら桃姫の瞳を見つめ返し、そして左手で握りしめる温かなその手に力を込めた。


「……もも……拙者、1400年……やりきったで……ござる、か……?」

「──いろはちゃんっ……!」


 まだ頭がボウっとしている五郎八姫が尋ねると、感極まった桃姫は瞳をうるませながら、五郎八姫の左腕を胸元に抱きしめて喜びの声を上げた。


「伊達の娘……証拠が欲しいならば、おぬしが手に持つ刀を見てみよ」


 実感のわかない五郎八姫に対してぬらりひょんが告げると、五郎八姫はようやく自身の右手が握りしめるその刀の変容を見やった。


「──刻命刀〈氷炎〉……正真正銘、おぬし専用の"破邪の剣"じゃよ──」


 ぬらりひょんの命の半分を刀身に刻み込むことによって鬼を断ち切るまでの妖力を得たその刀は、神秘的な銀蒼色の刃を持ち、刀身にはぬらりひょんの真名"ぬらりひえん"の六文字が、神代文字にて淡く浮かび上がっていた。

 それは、ぬらりひょんが生きた1400年を"追体験"した五郎八姫だからこそ振るうことを許された、凛と輝きながら燃える〈氷炎〉の名に相応しい美しき蒼刀であった。

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