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21.波羅の力・鬼波姫

「あっ──あれが須賀川城でござる……!」


 刻命刀〈氷炎〉を黒鞘の中に差し入れた五郎八姫が、小高い丘陵の上に建つ仙台城より一回り小さな城を視界に入れると声を発した。


「……大おば様があの城の中に……」


 眉根を寄せた五郎八姫がそう呟くと、あぐらをかいたぬらりひょんが杖を手に持ちながら口を開いた。


「伊達の娘──〈氷炎〉で鬼を斬り伏せ、わしの可愛い桃姫を護るのじゃ……よいな」

「言われなくてもそうするでござるよ」


 五郎八姫は胸を張りながら応えて返すと、桃姫と共に"大浮き木綿"の端に立った。


「よく聞け。浮き木綿は、おぬしらの思考を読み取って動く──左に行けと考えれば左に、右へ行けと考えれば右に……もしも落ちた場合は"助けてくれ"と強く考えよ、機嫌が良ければ助けてもらえるじゃろうて」

「はい……!」


 ぬらりひょんの言葉を受けて桃姫は声を上げて返すと、ぬらりひょんは頷いて返した。そして、杖を掲げると円を描くように一振りする。


「──では、行って参れ」


 ぬらりひょんが低い声でそう告げると、桃姫と五郎八姫が乗っていた箇所の浮き木綿が"大浮き木綿"から剥がれ、二枚が連なった浮き木綿となる。

 そして、ぬらりひょんと夜狐禅が乗る"大浮き木綿"と別れた桃姫と五郎八姫を乗せた浮き木綿は、須賀川城の天守閣へ向けてふわふわと漂っていった。


「……よし。いろはちゃん、気をつけて入ろう」

「あい」


 そう声を掛け合いながら、天守閣の大窓に寄せた浮き木綿から跳躍して、大広間に突入した桃姫と五郎八姫は、畳の上に着地すると周囲に倒れ伏す伊達武者たちの亡骸に目を見張った。


「……この傷跡。間違いない……これは、"鬼の力"だよ」

「左様……それも鬼蝶とは異なる力のようでござるな──大おば様……あなたの身に、いったい何があったでござるか」


 桃姫と五郎八姫は胴体に大きな裂傷を受けた傷口、そして喉に穴の空いた亡骸を見ながら言葉を交わした。

 その傷跡から察するに鬼蝶の操る炎の力とは、何か異なる鬼の力であることは明確であった。


「……もも、血とは別に畳が濡れているでござる……まるで、そこら中に水を撒いたように」


 しゃがんだ五郎八姫が湿った畳に指で触れて調べると、それは何の変哲もない"水"であることがわかった。

 桃姫がその様子を見ていると不意に薄暗いふすまの向こう側から視線を感じた。


「──いろはちゃんッ!」

「うおッ──!?」


 叫んだ桃姫がしゃがんでいる五郎八姫の両肩を掴んで後ろに引き倒した──次の瞬間、五つの水滴が弾丸のような速さで五郎八姫の眼前を過ぎると元居た場所にぶち当たって畳に五つの穴を穿った。


「……っ!?」


 桃姫と五郎八姫が驚愕しながら水滴の弾丸が飛んできた先、ふすまの奥を見やると、青い爪を伸ばした右手を突き出して不敵な笑みを浮かべた鬼波姫の姿がそこにはあった。


「──まさか、あなたの方から来てくれるとは思わなかったですよ……久しぶりね、いろは──」

「……大おば様……」


 鬼波姫は静かに言いながら、一歩二歩と天守閣の間に姿を現すと、五郎八姫は立ち上がって悲しげに目を細めた。

 その隣に立つ桃姫は〈桃源郷〉と〈桃月〉を左腰の白鞘から抜き取って構えると、臨戦態勢を取った。


「……なにゆえ、こんな惨いことをするのでござるか……あなたは伊達家の人間ッ……! 伊達の城を襲う理由なんてないはずでござろうッ──!?」

「──愚かな甥っ子は、あなたに何も説明せずに死んでいったのですね……本当に自分勝手で虫酸が走るイヤな男です──」


 鬼波姫は顔を引きつらせると唾棄するようにそう言った、そして両手を合掌するように組み合わせると、瞳に浮かぶ青い"鬼"の文字を光らせながら五郎八姫を睨みつけた。


「──いいでしょう、いろは……あなたは何も知らないまま、愚かな政宗の愚かな娘として死んでいきなさい──それにその眼帯……見ているだけで殺意が止まらなくなりますッ──!!」

「いろはちゃんッ──! 戦ってッ──!」

「……くッ──!」


 鬼の形相を浮かべた鬼波姫は、組み合わせた両手に膨大な量の水を集合させて"水塊"を作り出すと、グォングォン──と大きな渦を巻かせていった。

 その光景を見ながら、桃姫はいまだ刀を抜かない五郎八姫に向かって叫ぶと、五郎八姫は歯噛みしながら右手に〈氷炎〉、左手に〈燭台切〉を黒鞘から抜いて構えた。


「──死滅なさいッ! 蘆名に呪われた伊達の血と共にッッ──!!」


 両目を見開き、吼えるように呪詛を叫んだ鬼波姫は両手を開いて高速で渦巻く"水塊"を撃ち放った。


「──うぉおおおおっっ!!」

「うわああぁあぁぁっっ──!!」


 五郎八姫と桃姫が両手の刀を交差させて激流と化した"水塊"を受け止めながら叫び声を上げると、天守閣は瞬く間に水の中に飲み込まれて二人共水中でもがき苦しんだ。


「──ごぼっ! ごぼ、ごぼっ──!!」


 酸素を盛大に肺から漏らした五郎八姫が水中で独眼を見開くと、青い爪を鋭く伸ばした鬼波姫が水中を優雅に舞うように移動しながら、五郎八姫に狙いをつけて跳躍する。


「ゴボッ──!! ゴボォッッ──!!」


 咄嗟に右手に握った〈氷炎〉を水中で振るった五郎八姫。しかし鬼波姫は軽くかわすと、左手の青い鬼の爪をグン──と伸ばし、五郎八姫の顔面を引き裂こうと迫った。


「ンンッッ──!!」


 五郎八姫はこれ以上息を漏らすまいと固く口を閉じると、水中で右脚を突き伸ばして鬼波姫の顔面を蹴りつけた。

 まともに蹴りを食らった鬼波姫の体が水底に弾き飛ばされると、五郎八姫は蹴った勢いを利用して水面に顔を出した。


「ぶはぁッッ──!! だハァッ! がはぁっ──!!」


 水面から顔を出した五郎八姫は大きな呼吸を繰り返して懸命に肺に酸素を取り込んだ。そしてよく見ると天井が眼前まで迫っており、天守閣が水で一杯になっていることに五郎八姫は愕然とした。


「ももッ──!? ももッ──! どこでござるかァッ──!!」


 辺りを見回しながら叫んだ五郎八姫。しかし、桃姫の姿が見当たらないことから水面に視線を移すと、黄色い瞳に浮かんだ"鬼"の文字を青々しく光らせた鬼波姫が、拝むように重ね合わせた両手の指先をこちらに指し向けているのを目撃した。


「……まずいッ──!!」


 声を上げた五郎八姫は揺れる水面を両手でかいて泳ぎだしたが、黒い軽鎧を着込んでいる体は泳ぎに適しておらず、水面下で不敵な笑みを浮かべながら、両手の指先に作り出した渦を高速回転させて、一つの大きな青く光り輝く大渦に変えた鬼波姫の標的から逃れることは出来なかった。


「──死滅なさい──」


 水中で口を動かして頭上で泳ぐ五郎八姫にそう告げた鬼波姫。両腕にまとった大渦を五郎八姫に向かって撃ち放とうとした正にその瞬間──銀桃色をした刃が鬼波姫の視界の端にちらりと移った。

 天守閣の大窓の外──二枚の連結した浮き木綿の上に立った桃姫が二振りの仏刀の刃を重ね合わせ、体勢を限界まで低くしながら力を溜め込み、白銀色の波紋が浮かぶ濃桃色の瞳を力強く光らせる。


「──烈風・桃心牙ァァアアアッッ──!!」


 そして、天守閣の水中にいる鬼波姫の姿を視界に捉えると同時に、二枚の浮き木綿を両足の雪駄で踏みしめながら、驚愕する鬼波姫目掛けて桃姫は全力の一撃を撃ち放った。


「──ッッ──!!」


 鬼波姫は咄嗟に両手を桃姫に向けて青く輝く大渦を撃ち放った──巨大な水槽のようになった天守閣の水を巻き込みながら突き進んでいく青く輝く大渦は、天守閣の外から放たれた桃色の烈風と激しくぶつかり合う。


「──行っけええええッッッッ──!!」

「ももッ──!?」


 外から発せられた桃姫の叫び声が天守閣の中にまで響き渡り、天井付近を泳ぐ五郎八姫が水面下で桃姫と鬼波姫の戦いが起きているのだと気づくと、うねる大波が生じてその身が翻弄された。


「──ッ、私が押し負けてるッッ──!?」


 怒涛の勢いで押し寄せてくる桃色の烈風に瞠目した鬼波姫が水中で声を発した。桃色の烈風によって青い大渦が引き裂かれながら、天守閣に満たされた分厚い水壁を力強く突き進んで、鬼波姫の眼前に迫りくる。


「──嗚呼アッッ──!!」


 鬼波姫は悲鳴に似た声を張り上げると、水中を素早く泳いで開かれたふすまの先まで逃げようとした──しかし、後ろから迫ってくる激しく渦を巻いた桃色の烈風が、容赦なくその無防備な背中に激突すると、鬼波姫は声にならない声を上げた。

 そして、天守閣の大窓から放たれた桃色の烈風は、その反対側に位置する天守閣の階段の踊り場にまで到達すると、鬼波姫の体を巻き込みながら壁面を破壊して、大穴を穿った。


「──ぐッ! ──ググッッ! ガァァアァアアッッ──!!」


 目をひん剥いた鬼波姫が絶叫しながら大穴の縁にしがみつく。しかし、天守閣に溜まっていた膨大な量の水は、大穴を目指す激流と化して鬼波姫の体に容赦なく襲いかかると、遂に縁から手を離した鬼波姫の体を天守閣の外に向かって吐き出した。


「──いろはちゃんっ!!」

「ももっ……!!」


 五郎八姫もまた、大穴が開いたことによって生じた大広間に渦を巻く水の奔流によって天守閣の大窓から外に排出されようとしていた。しかし、桃姫が乗った浮き木綿が大窓に近づくと、五郎八姫を乗せることに成功して難を逃れた。


「もも、大おば様は……!?」

「わからない……!」


 連結した浮き木綿の上で互いの無事を確認しあった五郎八姫と桃姫は、姿が見えなくなった鬼波姫の行方を探した。一方、須賀川城の反対側では、天守閣から落下した鬼波姫が濡れた地面の上に倒れ伏してうめいていた。


「……ぐ、うう……私の力……"波羅の力"がッ、敗れた──!?」


 怨嗟にまみれた鬼の形相を浮かべた鬼波姫は、全身に激痛を味わいながらも何とか両手を突いて立ち上がろうとする。しかし思うように力が入らず、再び水びたしの地面に倒れ込むのであった。

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