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22.羅刹変化──羅刹大蛇

「──阿南姫殿、御覚悟──」


 地面に倒れ伏した鬼波姫に向けて声が投げかけられる。鬼波姫が顔を上げると、黒脛巾(くろはばき)組の忍び衆がずらりと立ちはだかっていた。

 首飾り、腕飾り、耳飾り──そして彼らが率いる忍び衆30人が鬼波姫を見下ろしながら素早く取り囲むと、それぞれの得物を構えた。


「──仏刀を持たぬ我ら忍びでも、鬼の肢体を切断し、封じることは可能──」


 鎖鎌を手にした腕飾りが低い声で告げると、匕首(あいくち)を構えた耳飾り、忍者刀を構えた首飾りが黒布で口元まで覆い隠した状態で鬼波姫ににじり寄った。


「……ウウ……うううッッ──!」


 その光景を見やった鬼波姫は突如として怯えたように嗚咽の声を発すると、尋常ではない膨大な量の涙を流しながら顔面を両手で抑えた。そして黒脛巾(くろはばき)組に向けて怒りの声を発する。


「──それが、それが政宗のおばに対する仕打ちですか……!? あなた方、それでも政宗仕えの忍び衆なのですかッ──!? 私に刃を向けるなどと……! 恥を知りなさいッッ──!!」


 鬼波姫のまさかの発言に困惑した黒脛巾(くろはばき)組は、一斉ににじり寄る足を止めた。


「──私がなぜこのような行動を起こしたのか、若く愚かないろはには理解出来ずとも……長年政宗に仕えたあなた方ならばわかるでしょう……!? ──耳飾り、答えなさいッ! どうなのですか──!?」


 鬼波姫は細身の女忍び耳飾りに向けて声を発すると、耳飾りは戸惑いながらも黒布の下の口を開いた。


「……阿南姫殿──あなた様が伊達をお憎みになられるそのお気持ちは痛いほどにわかります……ですが、あなたはついぞ仙台城にお戻りになられなかった──幾度も"蘆名は滅んだ、伊達に戻るように"と政宗公が書状を送っても、あなたは私の眼前で書状を破り捨て、突き返したではございませぬか」


 耳飾りの言葉を受けた鬼波姫は顔を両手で覆い隠したまま、さめざめと泣きながら言って返した。


「──耳飾り……! あなたも忍びである前に"一人の女"であるならばわかるでしょう……!? ──人生をかけた"女の戦い"というものは、数枚の書状ごときで済ませられるものではないのですよ──!」

「だとしても……! いつまでも伊達を憎んで戦い続けるわけにはいかないはずです……! 阿南姫殿、今からでも遅くはありません、どうか仙台城にお戻りくださいませ……!」


 耳飾りは懇願するように鬼波姫に言って聞かせると、鬼波姫は顔を伏せながらゆっくりと青い唇を開いた。


「……そうですか……では、耳飾りの熱意に免じて帰らせて頂きましょう……政宗の死に顔に向けて、話したいこともあります……」


 両手の下で不敵な笑みを浮かべながらそう言った鬼波姫に対して、壮齢の忍者である首飾りは忍者刀を構えたまま黒布の下の口を開いた。


「──さりとて、貴殿は"鬼"となることを選び、須賀川城にいた伊達武者を惨殺して回り申した──そのような"悪鬼"を仙台城に連れ帰ることは危険極まりない……ゆえに四肢は、この場で切断させて頂く」

「……首飾り、主君のおばに対して、よくもそのようなことが言える……いったいどちらが"悪鬼"でしょう」


 首飾りに対して、鬼波姫が恨めしそうな声音で告げると、首飾りは毅然とした態度で答えて返した。


「──我らの今の主君は、五郎八姫殿でございまする──」

「……生意気な」


 鬼波姫は忌々しげにそう声に漏らすと、唐突に耳飾りが駆け出して鬼波姫の前に立った、そして首飾りと腕飾りに向けて振り返る。


「私は阿南姫殿を信じたい……! 四肢を切断し、轡(くつわ)を噛ませた状態で仙台城に連れて帰る──果たしてそんな残酷な真似を政宗公はお許ししたでしょうか……今の主君が五郎八姫殿だとしてもです……!」

「──耳飾りよ。我らは忍び、要らぬ感情にほだされるでない」


 懸命に訴える耳飾りに腕飾りが低い声で告げる。しかし、それでも耳飾りは引かずに声を発した。 


「要らぬ感情などではございませぬ……! 私は阿南姫殿を"鬼の道"から救いたいのでございます……!」

「──もういいですよ、耳飾り……十分に時間は稼げました──」


 鬼波姫はそう言ってスッ──と立ち上がると、右手に作り出した"涙滴の刃"を振るって耳飾りのうなじを素早く斬りつけた。


「──えッ」


 目を見開き、声を漏らした耳飾りのうなじから噴き出た真っ赤な鮮血が、不敵な笑みを浮かべる鬼波姫の顔を赤く染め上げた。

 耳飾りが力なく膝から泥まじりの地面に崩れ落ちると、鬼波姫は青い"鬼"の文字を光り輝かせた黄色い瞳でざわめく黒脛巾(くろはばき)組を見回した。


「──政宗に使えた忍び衆なんて……"死滅"する以外に許されると思って──?」

「ッ……かかれェッ──!!」


 首飾りが掛け声を張り上げると、30人の忍びが一斉に鬼波姫に跳躍して斬り掛かった。その瞬間──くすりと笑った鬼波姫は舞うようにその場で一回転すると、地面に含まれた大量の水分を上空に向かってダンッ──と撃ち上げた。


「──死滅なさい──」

「……ッ──!?」


 まさか下からの攻撃が来るとは想定していなかった黒脛巾(くろはばき)組の一同は、地面から飛び上がった水滴の弾丸に体を撃ち抜かれて鬼波姫に一太刀も与えることなくバタバタと地面に倒れ込んだ。


「……ぐ、ぐ……っ」


 全身から血を流し、苦悶の表情を浮かべながら地面に倒れ伏した首飾りに向けて鬼波姫は歩み寄ると、顔についた耳飾りの赤い血を指先で拭った。

 そして、青い爪が伸びる人さし指を虫の息となっている首飾りに向けながら陰惨な笑みに顔を歪めながら口を開いた。


「──地獄で政宗に伝えなさい……伊達家は滅んだとね──」

「……ッ……」


 耳飾りの血で作られた弾丸が鬼波姫の指先から射出されると、歯噛みした首飾りの額を貫通してその命を奪い去った。


「──さて……始めましょうか──"国流し"──」


 鬼波姫は呟くようにそう言いながら歩き出し、須賀川城を出ていった。

 それからしばらく後、浮き木綿に乗った桃姫と五郎八姫が30人の忍びが倒れている現場を発見して降り立った。


「──黒脛巾(くろはばき)組……!」

「どうして、こんな……!」


 五郎八姫が戦慄しながら言うと、桃姫は悲痛な面持ちで声に漏らした。その時、一人の大柄な忍びがかすかなうめき声をこぼした。


「……いろはちゃん! まだ息のある人がいるよ……!」

「──ッ、腕飾り……!」


 それに気づいた桃姫が五郎八姫に声をかけると、五郎八姫は"腕衆"を率いる腕飾りの前にしゃがみ込んだ。


「……ご……御当主殿……」


 五郎八姫に声を掛けられた腕飾りは口から血を吐き出しながら、五郎八姫の顔を見上げた。


「……阿南姫殿が……"水弾"を使って、一網打尽に……くッ、無念……」

「しっかりするでござる……しっかり……!」


 腕飾りはそう言って悔しそうに目を閉じて歯噛みすると、五郎八姫は声を掛けながら腕飾りの上体を抱き起こした。


「大おば様はどこへ行ったかわかるでござるか……?」

「……"国流し"と言い残して、湖のほうへ向かいました……嫌な予感がいたします……グッ──御当主殿、我ら忍びの仇……必ずや、取ってくだされ……」


 腕飾りは低い声でそう告げると、五郎八姫の腕の中で静かに息を引き取った。


「──いろはちゃん……!」

「もも、湖……猪苗代湖に行くでござるよッ!」

「うん……!」


 桃姫と五郎八姫は浮き木綿に飛び乗ると、鬼波姫が向かった先、磐梯山のふもとに広がる猪苗代湖へと飛び立った。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 日が沈みかけた猪苗代湖の湖畔にて、顔を血に染めた鬼波姫は息を荒くしながらざぶざぶ──と水の中に歩みを進めていく。

 湖面は夕焼けによって赤く染まり、それはまるで地獄の底に広がる血の池のように見えた。


「──大おば様ッ……!」


 鬼波姫の背中に掛けられる声。鬼波姫が横目で背後を見ると、浮き木綿から飛び降りて駆け寄ってくる五郎八姫と桃姫の姿があった。


「大おば様ッ……! いったい何を考えているでござるか……! 幼い頃の拙者は、伊達女として強く生きるあなたのことを尊敬し、あなたに仙台城に帰ってきて欲しかったでござる! 父上殿もそうでござった──! それなのに、なにゆえ、なにゆえそこまで伊達の血筋を忌み嫌うのでござるかッ──!?」

「──いろは……私の味わった苦しみ。あなたには到底理解などできないわ……私とあなた、価値観が根底から異なっているのですよ──」


 懸命に訴える五郎八姫に対して、鬼波姫は虚ろな目を浮かべながら視線を戻し、赤く染まる磐梯山の山肌と赤く揺れる猪苗代湖の水面を眺め見ながら告げた。


「……あなたが生まれた日、私は仙台城に祝いに行きました……その時、政宗が言っていたわ……"ごろはちには、男児として生まれて欲しかった"と……ふっ、なるほど……それを思えば、あなたも愚かな政宗の被害者なのかもしれないですね」


 鬼波姫は苦笑しながらそう言うと、赤い水面を背にしながら振り返って五郎八姫と視線を合わせた。


「──ですが、あなたは蘆名を攻め滅ぼした政宗の愛した娘……あなたの"存在"もまた、私は許容するつもりなどありません──」

「……ッ……!」


 ゾッとするような怨嗟の眼差しに息を呑んだ五郎八姫と桃姫。鬼波姫はゆっくりと両手を広げて掲げると、赤い猪苗代湖と赤い磐梯山を掲げ持つようにして目を閉じ、口を開いた。


「──八天鬼人──鬼波姫──」


 そして、青い"鬼"の文字が光り輝く黄色い瞳をカッと見開くと、宣言するように告げた。


「──羅刹変化──羅刹大蛇(らせつおろち)──」


 鬼波姫が告げた瞬間、その瞳に浮かぶ"鬼"の文字が"羅"の文字に転じると、地平線の彼方に太陽が完全に沈んで辺り一帯が夜の帳に包まれた。

 そして一瞬の静けさの後、湖面から怒涛の勢いでドォォォオオオン──と爆音を立てながら巨大な水柱が噴き上がり、鬼波姫の体を容赦なく飲み込んでいく。


「うわァァァあッ──!!」

「……いろはちゃん、下がってっ!」


 突然の事態に驚きの声を発してたじろいだ五郎八姫。その肩を引っ張って桃姫が後ろに引き下げると、鬼波姫を飲み込みながら天高く上がっていく巨大な水柱の内側に、太く長く伸びていく黒い影が顕れるのを二人は見た。


「……あ、ああ」


 独眼を見開いた五郎八姫が戦慄の声を漏らすと、噴き上がった水柱が崩れていくと同時に、その内部から長大な黒蛇──羅刹大蛇がその異様を現した。

 妖しく光る八つの青い目を次々に見開いた羅刹大蛇は大口を開くと、鋭い牙と長細い舌を見せつけながら二人に向けてキシャアアア──と威嚇の声を張り上げた。

 その巨体を見上げた五郎八姫と桃姫が恐怖に身を固めた次の瞬間、羅刹大蛇はグッ──と頭を引き下げる。そして、羅刹大蛇の頭頂部にて、上半身を結合させた鬼波姫がその姿を現した。


「──いろは。これから奥州で起きる"死滅"を止めてみなさいな……愚かなあなたに出来るものならね──アッハッハッハッハッ──!!」


 青光する〈七支刀〉を右手に握りしめ、瞳に浮かぶ"羅"の文字を爛々と青く光り輝かせた鬼波姫が、高笑いしながら羅刹大蛇の長大な体をくねらせて湖面を強烈に叩きつけた。

 その衝撃で猪苗代湖の水面が大波を打って暴れ狂うと、五郎八姫と桃姫に向かって巨大な津波と化して襲いかかった。


「あッ、嗚呼ああッッ──!!」

「──きゃあああッッ!!」


 五郎八姫と桃姫が前方の視界を覆い尽くしながら迫りくる水の大壁に絶叫すると、"大浮き木綿"が颯爽と飛来して二人を回収し、上空へと連れ去った。


「──おーおーおー、こいつは随分と見事な"変化"をしたもんじゃのう……あれが"超常なる鬼の力"というものか」

「……あっ、あっ」

「……ぬらりひょん、さん」


 "大浮き木綿"の上で腰を抜かすように尻もちをついた五郎八姫と桃姫が、羅刹大蛇の巨体を見下ろしながら感心したように告げるぬらりひょんの姿を見た。


「ほっほっほ。おぬしら、無事か──しかし、"八天鬼"による"羅刹変化"の話は知識としては知っておったが、実際に目にしたのは初めてじゃわい……これはたまげた」


 ぬらりひょんは笑みを浮かべながら二人に向けて声をかけると、再び猪苗代湖をのたうち回る羅刹大蛇の姿を見やった。


「……じゃがあれは、"八天鬼の力"を人間が取り込んだ"八天鬼人"というやつか……小角め、本気で"悪行"をしておるようじゃのう──のう、夜狐禅よ。おぬしも本気を出せばあれくらいデカく"変化"できんものか……?」

「……無茶言わないでください、頭目様」


 猪苗代湖を跋扈する羅刹大蛇の異様を興味深げに観察するぬらりひょんの発言に言って返した夜狐禅。尻もちをついていた五郎八姫と桃姫はようやく立ち上がると、眉根を寄せた五郎八姫が羅刹大蛇を見下ろしながら口を開いた。


「……さっきの津波を見て、大おば様がやろうとしていることが何となくわかったでござるよ……"国流し"──おそらくは、磐梯山に猪苗代湖の大津波をぶち当てて……山の向こう側──奥州に向けて、巨大な"山津波"を引き起こすつもりでござろう……」

「……"山津波"とな──なるほどのう、山と水……"自然の力"を用いて奥州を一網打尽にしようというわけか」


 五郎八姫の言葉を聞き受けたぬらりひょんは、白濁した眼を細めながら唸るように口にするのであった。

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