「……私、止め方なら知ってるよ──本体を倒すんだよ」
羅刹大蛇を見やった桃姫が濃桃色の瞳に力を込めながら告げると、五郎八姫が息を呑んでから口を開いた。
「ッ、つまり……あの巨大な大蛇ではなく、頭部にいる大おば様の方を倒す──そういうことでござるか?」
「うん……いろはちゃんの刻命刀なら、できるよ」
桃姫は五郎八姫が左腰に携える〈氷炎〉の黒鞘を見ながら言った。五郎八姫は〈氷炎〉の柄を握りしめて黒鞘から引き抜くと、銀蒼色の刃を青白い月光に反射させて光らせた。
「……いろはちゃん、その刀の前の持ち主はね──」
「──桃姫、余計なことは言わんでよい」
桃姫の言葉を遮ったぬらりひょん、しかし桃姫は首を横に振ると言葉を続けた。
「私の師匠、妖々魔先生の刀だったんだ……そしてね、その妖々魔先生は生前、14歳のいろはちゃんに斬られて死んだの」
「なッッ──!?」
「言わんでもよいことを……」
桃姫の言葉を聞き受けた五郎八姫は愕然と目を見開き、ぬらりひょんは呆れたようにため息をついた。
「覚えてるかな。私が仙台城に着いたその日に、いろはちゃんと初めて剣の手合わせをしたでしょ? その時、わかったんだ……ああ、この娘が妖々魔先生を妖怪にしたんだって」
「それは……何と言うか……申し訳ござらん──!」
笑みを浮かべながら語る桃姫に対して、五郎八姫は叫ぶように謝罪すると頭を下げた。
「違うよ、いろはちゃん。私は謝ってほしくないし、妖々魔先生もいろはちゃんを恨んだりなんてしなかった──"見事な腕前の若い女武者で、近いうちに桃姫殿と出会うだろう"ってそう言ってくれたんだ──そして、実際にいろはちゃんと出会えた。やっぱり師匠はすごいやって私、思ったんだ」
桃姫は妖々魔の姿を思い浮かべながらそう言うと、〈氷炎〉を握った五郎八姫に向かってほほ笑みながら言葉を続けた。
「だから、いろはちゃん。師匠からぬらりひょんさんに、ぬらりひょんさんからいろはちゃんに渡ったその刀は、まさしくいろはちゃんのための刀なんだよ」
「もも……あいわかった──拙者、妖々魔殿が託したこの"破邪の剣"にて、大おば様に引導を渡す覚悟にござる」
「うん……!」
決心を固めた五郎八姫の言葉を聞いて、桃姫は力強く頷いた。ぬらりひょんはその光景を見ながら満足気に目を細めると、猪苗代湖で暴れ狂う羅刹大蛇の巨体を見やった。
「──さて……この浮き木綿でどれだけ近づけるか。試してみるかの」
ぬらりひょんは"大浮き木綿"に意識を向けると、羅刹大蛇に向けてビュン──と加速させた。しかしその瞬間、羅刹大蛇の頭上に生え伸びる鬼波姫が左手に持つ〈七支刀〉を大きく振るうと"水流の刃"が撃ち放たれた。
「うおおおッッ──!! おぬしら、捕まれェッ──!!」
「わああああっっ──!!」
迫りくる"水流の刃"を目にして声を上げたぬらりひょんは"大浮き木綿"をひるがえすと、間一髪でかわして羅刹大蛇から距離を取った。
桃姫と五郎八姫、そして夜狐禅が必死で浮き木綿にしがみついて振り落とされるのを何とかこらえると、ぬらりひょんは羅刹大蛇と鬼波姫の姿を見ながら口を開いた。
「浮き木綿で近づくのは無謀じゃな……もっと速く近づかねば、水流で撃ち落とされてしまう──うーむ、そうだのう」
ぬらりひょんはうなりながら白濁した眼を閉じて考え込む。桃姫と五郎八姫、夜狐禅がそんなぬらりひょんを見ていると、ぬらりひょんはハッと両眼を開いて夜狐禅を見やった。
「……え?」
視線を受けた夜狐禅が声を上げると、ぬらりひょんはにんまりとした笑みを浮かべながら口を開いた。
「おぬしの"夜狐変化"は、"羅刹変化"ほどデカくないし強くもないが──べらぼうに速い。そうじゃな?」
「……えーっと……そう言われた僕は、喜ぶべきなのでしょうか……?」
ぬらりひょんの言葉に夜狐禅が困惑していると、ぬらりひょんは桃姫と五郎八姫を見た。そしていたずらな笑みを浮かべて二人に告げる。
「──おぬしら、夜狐禅の背中に乗れい」
「えっ……!?」
「はっ……!?」
「──真眼妖術・真眼ぬらり──」
ぬらりひょんの提案に声を漏らした桃姫と五郎八姫。夜狐禅もまた口を開いて呆然としていると、ぬらりひょんは両眼を閉じて額に四つの真眼をカッと見開いた。
「──はよせい。ぼけっとしておるうちに"山津波"で奥州が流されるぞい──」
「……っ」
ぬらりひょんの言葉を受けた桃姫、五郎八姫、夜狐禅は羅刹大蛇の姿を見やった。
羅刹大蛇は猪苗代湖を満たす莫大な量の水を"波羅の鬼術"で宙空に巻き上げると、巨大な大津波を引き連れながら、磐梯山に向かって這い進んでいた。
その光景を目にした夜狐禅は覚悟を決めると桃姫と五郎八姫に向けて告げた。
「皆様のお役に立てるなら……! どうぞ僕の体をお使いください……! ──夜狐変化ッッ──!!」
両手を合わせて唱えた夜狐禅の体がボンッ──と黒い煙に包まれると、中から一頭の大きな黒狐の妖狐、夜狐が現れた。
ぐるぐると円を描いた紫色の瞳が妖しく輝き、漆黒の毛並みはつややかで月光を反射して銀色にも見えていた。
「わ……久しぶりに見た。夜狐禅くんのその姿」
濃桃色の瞳を大きく広げながら感嘆の声を上げる桃姫の前に夜狐姿となった夜狐禅はその身を下げて座ると、背中への騎乗をうながした。
「……夜狐禅殿は、この姿になると人語を喋れなくなるでござるか……?」
夜狐禅の見慣れない姿を目にした五郎八姫が尋ねると、夜狐禅は"グルルル"と喉を鳴らして返した。
「いろはちゃん、夜狐禅くんが"乗ってください"って言ってるよ……乗ろうよ!」
「っ──!? 何を言ってるかわかるでござるか、もも……!?」
「なんとなくねっ──!!」
桃姫は笑顔でそう言うと、夜狐禅の背中に軽やかに飛び乗った。そして、緊張の面持ちを浮かべた五郎八姫も怖ず怖ずとその後ろにまたがって騎乗した。
「ぬらりひょんさん、いつでもいいよ! 浮き木綿を羅刹大蛇に近づけてください……!」
「──いや、近づける必要はない……特別な"階段"を用意してやるでな」
夜狐禅の背中に騎乗した桃姫が声を上げるとぬらりひょんはそう言って返してから、ちらりと背後をうかがった。
その視線の先には、夜空を舞いながら移動する大量の"砂塵の群れ"があった。
「よし、来おったな……普段たらふく花崗岩を喰わせてやってるのじゃ、ここぞという時には、しっかりと働いてもらうぞい──真眼妖術・大目壁兵衛(だいめかべえ)──」
掲げた杖を宙空に振るったぬらりひょんが、額に開く四つの"真眼"を赤く輝かせながら真眼妖術を詠唱した。
次の瞬間、大量の"砂塵の群れ"が次々と宙空で"合体"して石へと転じていく、そして石と石が"合体"して岩になり、岩と岩が"合体"して壁となっていった。
「──な、な、な、なんとッ……!?」
その光景を目にした五郎八姫が驚きの声を発すると、見る見るうちに巨大な目壁兵衛が"階段"のように次々と地上からそそり立っていった。
「──夜狐禅くん! 行こうッ──!」
「──ガウウウッッ──!!」
それを見た桃姫が声を上げると夜狐禅が吠えて返し、"大浮き木綿"から飛び出して、目の前に伸びる"大目壁兵衛"の"階段"に飛び移った。
そして、夜空に浮かぶ青白い月光を背景にしながら、"大目壁兵衛"が作り出す"階段"を桃姫と五郎八姫を背中に乗せた夜狐禅がダッ、ダッ、ダッ──と力強く駆け飛んでいく。
夜狐禅が踏み飛んだ"大目壁兵衛"の"階段"は崩れ去ると、前方に移動してまた別の"大目壁兵衛"の"階段"となって瞬時に作り上げられる。
"大目壁兵衛"が次々と崩壊と形成を繰り返しながら高く高く伸びていく"階段"を駆け飛びながら、大津波を引き連れて磐梯山の山肌を登り始めている羅刹大蛇目掛けて、夜狐禅は全力で走った。
「ッ、夜狐禅殿ッ──!! 水流が来るでござるよッ──!!」
羅刹大蛇の頭頂部に伸びる鬼波姫がこちらを見上げながら睨んだことに五郎八姫が気づくと声を上げた。次の瞬間、鬼波姫はひときわ強く青光りした〈七支刀〉の切っ先を夜狐禅に差し向けると、その刀身から激しく渦を巻いた水流を撃ち放った。
迫りくる水流をちらりと見やった夜狐禅は、"大目壁兵衛"を駆け登る速度を上げるが、後方から迫りくる水流は着実にその距離を詰めていった。
そして、今まさに水流が夜狐禅の元に追いつこうとしたその瞬間、一段と巨大な目壁兵衛が立ち上がり、その巨壁で水流をふせいだ。
「──これが奥州妖怪頭目の真眼妖術よ──」
"大浮き木綿"の上でにやりと笑みを浮かべたぬらりひょんが額に見開いた四つの"真眼"を更に赤く極光させた。
「──グァアアアウッッ──!!」
水流をまぬがれた夜狐禅は咆哮しながら急反転すると、眼前に立ち上がった巨大な目壁兵衛に向かって飛びつき、そして続けざまに全力で跳躍して羅刹大蛇の頭部に向けて夜空を飛んだ。
「いろはちゃんッッ──!!」
「いざ参らんッッ──!!」
桃姫と五郎八姫が互いに掛け声を発すると、騎乗していた夜狐禅の背中から立ち上がり、羅刹大蛇の頭部目掛けて飛び移った。
「──ヤェェェエエエッッ──!!」
「──デヤァァアアアッッ──!!」
桃姫は裂帛の声を張り上げながら、〈桃源郷〉を羅刹大蛇の青い目の一つに突き立ててその巨体にしがみつく。
五郎八姫も〈氷炎〉を青い目の一つに突き立てると、次の瞬間、凄まじい振動が二人の全身に走った。
「──キシャアアアアッッ──!!」
八つ並んだ青い目のうち、二つの目を仏刀と刻命刀によって同時に突き刺された羅刹大蛇は開いた大口から細長い舌を伸ばし、苦悶の鳴き声を張り上げながら磐梯山の斜面で全身を激しくのたうち回らせた。
まるで大地震のような怒涛の衝撃に桃姫と五郎八姫が耐えていると、羅刹大蛇が引き連れていた猪苗代湖の大津波が迫り上がって来て、二人を飲み込まんとした。
「いろはちゃん……!」
「もも……!」
桃姫と五郎八姫は互いに声を掛け合うと、なすすべなく激流にその身を飲み込まれていく。
「──いろは、私の勝ち……"国流し"を始めます──」
鬼波姫は激流の中で宣言するようにそう告げると、猪苗代湖から引き連れてきた大津波を磐梯山から奥州に向かって解き放った。
磐梯山の山肌を削り取りながら巨大な土石流となった激流は、勢いを増していきながら隣の山である安達太良(あだたら)山をいとも簡単に飲み込んで、地獄のような濁流と化しながらふもとに広がる奥州へと流れ込んでいった。
「──アハハハハッッ──!! そうよ、すべて飲み込みなさいッ! ──これが、私の怒りッッ!! 奥州を丸ごと洗い流すのよッッ──!! "死滅"ッッ──!! "死滅"ゥウッッ──!!」
激流に身を包んだ鬼波姫が、青光する〈七支刀〉を掲げながら、黄色い両眼に浮かぶ青い"羅"の文字を光り輝かせて怨嗟の咆哮を放った。
安達太良山のふもとにある村の住人たちが突如の轟音を聞きつけて家々から飛び出してくると、皆一様に唖然とした表情で安達太良山を見上げた。
夜空よりも暗い色をした"山津波"がゴォォオオオオオ──という壮絶な地響きと激流の音と共に村に向かって流れ落ちてくる。
「あ……あああっ! 逃げろっ……! 逃げろぉおおおっ──!!」
村人の一人が叫んで駆け出すと、堰を切ったように皆一斉に悲鳴を上げながらその場から駆け出した。
「──真眼大妖術(しんがんだいようじゅつ)……極大目壁兵衛(きょくだいめかべえ)──」
その光景を"大浮き木綿"に乗って上空から見ていたぬらりひょんが片手で印を結んだのちに詠唱すると、白濁した眼も合わせて六つの眼を見開いて真っ赤に極光させた。
次の瞬間──夜狐禅を運び終えてすべて崩壊していた目壁兵衛の群れが、村の前に集結して次々と合体して瞬く間に巨大化していく。
「──メェェェェ、カァァァァ、ベェェェェ──」
遂に顕れた"極大目壁兵衛"は、低いうなり声を巨壁の全体を震わせて発しながら迫りくる猛烈な"山津波"に対して堰き止めるように両手を広げると、その流れを猪苗代湖に流し向けた。
「──わしの妖力が尽きるまで残りわずか……さっさと始末をつけい……伊達の娘──」
ぬらりひょんはハゲた頭全体にはち切れんばかりの太い血管を走らせながらそう告げた。
「──……何ですか、あれは……」
鬼波姫が奥州を護るように突如として現れた巨壁の異様を見て声を漏らした。
"山津波"を起こすために羅刹大蛇が引き連れていた猪苗代湖の水量と勢いは目に見えて減っており、激流を耐えながら目に取り付ていた五郎八姫と桃姫は全身を濡らしながらも力強く笑みを浮かべた。
「いろはちゃん、ぬらりひょんさんがやってくれたよ……! ──さぁ、次はいろはちゃんの番だよッ!」
「──あいわかったッ!!」
桃姫が声を掛けると、五郎八姫は頷いて返した。羅刹大蛇の動きは見るからに鈍くなっており、"山津波"を起こすために多大な鬼の力を消耗しているようであった。
五郎八姫は〈氷炎〉を羅刹大蛇の青い目から引き抜くと、その流線型の頭部を力を振り絞って駆け上がった。
そして、羅刹大蛇の頭頂部から上半身を伸ばして呆然としている鬼波姫と対面すると、五郎八姫は〈氷炎〉を両手で構えた。
「──大おば様、御覚悟はよろしいか」
「──いろは……結局私たち、最期まで互いに理解し得なかったわね」
銀蒼色をした刃の切っ先を向けた五郎八姫に対して、鬼波姫は青光を失った〈七支刀〉を手放して"水蒸気"へと霧散させながら静かに言った。
「──それは仕方なきこと……拙者と大おば様は、"違う道"を歩んだ、"違う女"なのでござるから──」
「──ふっ、最期の最期になって、気が合うことを言うのですね……あなたのこと、地獄の底から見護りましょう。いろは──」
そう告げた鬼波姫は、目を閉じ、両手を広げて自身の胸部を曝す。それを見た五郎八姫は一息で跳躍して、両手で握りしめた〈氷炎〉の刃を鬼波姫の左胸──"鬼の心臓"目掛けて突き刺した。
「……さようなら、大おば様──」
苦渋の表情を浮かべた五郎八姫が鬼波姫の上半身に寄り掛かりながら別れの言葉を告げる。
刻命刀〈氷炎〉に"鬼の心臓"を深々と突き刺された鬼波姫はかすかに目をあけると、一筋の涙を流しながら小さく口を開いた。
「──平四郎……復讐も果たせぬ愚かな母上で、申し訳ありませんね──」
鬼波姫は青白い月に向けて最期の言葉を告げると、静かに目を閉じた──そして、五郎八姫が〈氷炎〉の刃を引き抜くと、墨よりも黒い鬼の鮮血が鬼波姫の左胸から噴き出し、奥州の夜空に弧を描くのであった。