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24.暗躍の役小角

 石田三成の居城、近江は佐和山城──佐和山の上にそびえ立つ見事な五重の天守閣を持つ巨城の一室にて、特徴的なしゃがれ声が低く響いた。


「──三成に過ぎたるものが二つある、島の左近と佐和山の城……確かに、この城はおぬしにはもったいないのう」


 〈黄金の錫杖〉を畳の上に突いた役小角が、正座する石田三成の姿を見下ろしながら満面の笑みでそう言った。


「太閤殿下が私めに与えてくださった城にございます……私にとって過分な城であることは、重々承知の上」


 三成は力なくそう言って顔を伏せると、役小角は部屋の隅に置かれた行灯が照らす橙色の明かりに顔を照らされながら口を開いた。


「して、三成殿……来たる天下分け目の大戦(おおいくさ)、毛利輝元を西軍の総大将に据えるとは──おぬし、正気か?」

「あ、ああ……行者殿……すまぬ」


 満面の笑みを浮かべながらも、その声音には一切の慈悲心がない役小角の言葉を受けて、三成はただ平伏するように頭を下げた。


「おぬしも知っておるであろうが、あの男は毛利家の延命だけを考える狭量にして矮小な男……此度の大戦に、本気で毛利家の命運を掛けておると思うておるのか?」


 役小角は深淵の大宇宙を奥底に秘めた漆黒の眼を鋭く細めて、頭を下げ続ける三成に向けて冷たく言葉を投げかけた。


「行者殿の申し上げることはよくわかる……しかし、私には総大将を務める自信がないのだ……この大戦で西軍を率いて勝利する自信が……最近では腹の調子も悪く……」

「何を腑抜けたことを申しておるか、三成殿。それでは、今日までおぬしを支えてきたわしの立場はどうなる」

「っ……こればかりはどうにもならぬのだ……申し訳ない……」


 三成は役小角から向けられる強い威圧感と恐怖によって涙をこらえながら土下座を続けた。


「ふん……まぁ、よい。腹の痛みに効く霊薬がちょうどわしの手元にありますわいの──これを飲んで、その弱気な考えを今一度改めるがよろしい」

「れ、霊薬とは……! 流石は、伝説の修験僧にして陰陽師でもあられる行者殿……! かたじけない……!」


 役小角は白装束の懐にスッ──と手を差し入れると、透明な液体が入った小瓶を取り出した。

 顔を上げた三成は笑みを浮かべながら両手を差し出して小瓶を受け取る。


「この霊薬は一息に飲むのが肝要……いやしくちびちびと飲むではないぞ」

「相わかった……!」


 三成は威勢よく声を発して頷くと、小瓶の蓋をキュポと開けて役小角に言われた通り一息にあおって飲み干した。

 次の瞬間、三成の口内と喉と胃に焼けるような激痛が走った。


「──ぐぅッ……!?」


 ガマガエルの断末魔のような声を漏らした三成は小瓶を手落とし、胸を両手で抑えると、眼球が飛び出さんばかりに両目を見開いた。

 そして、ついに痛みに耐えきれなくなり畳の上に倒れ込んでしまう。


「行者……どの……ぐッ! ……腹が……があアッ──!」

「わしはのう、西軍の総大将は三成殿しかありえぬと考えておったのだ……それゆえ、今日まで協力してきたでな」


 絶望の表情を浮かべ、口から泡を噴きながらながら畳の上をのたうつ三成を見下ろしながら冷めた口調で告げた役小角。


「仕方あるまい──今宵よりは、わしが"石田三成"となろう──」

「ぐ……!? ぐふう──」


 満面の笑みを浮かべながら告げる役小角の顔を青ざめた顔で見上げた三成は、最期に大きな泡を一つ口から吐いて絶命した。


「これでもう腹の痛みは感じませぬわいの。かかか。しかし、なんだのう……明智光秀のほうがまだ肝が座っておったぞ……まったく、この戦国の世も腑抜けた輩が増えてきた──いやはや、困りものじゃて」


 役小角はそう言って三成の亡骸を見下ろしながらしゃがみ込むと、その顔をグッと持ち上げて両目を見開いた苦悶の死に顔を見やった。


「──やはり、わしの"千年悪行"こそが日ノ本には必要とみた……くかかかかかッッ──!!」


 そのやり取りを廊下で聞いていたのは石田三成の親友にして西軍の参謀・大谷吉継であった。


「……ッ」


 吉継は病の瘢痕(はんこん)を隠す白頭巾の下でしとどに脂汗をかいた。とんでもないことが起きていると全身に震えが走った。

 生唾を呑み込んだ吉継は、静かにきびすを返すと音を立てないように注意しながら廊下を歩き出す──その時、後方のふすまがガッ──と開かれる音がして吉継の全身の神経が強張った。


「──大谷殿や──」


 背中に向けて声を投げかけられ、脂汗をブワッ──と噴き出した吉継が慎重に後ろを振り返った。

 開いた戸から顔をのぞかせた役小角が満面の笑みを浮かべながらちょいちょいと手招きをして告げる。


「──おぬしに話がありますわいの──」

「……くッ」


 そう告げて部屋に顔を引っ込めた役小角。吉継は白頭巾の下で歯噛みしながら覚悟を決めると、開かれたふすまの前まで歩き、部屋の中に足を踏み入れてから後ろ手でふすまを閉めた。

 吉継の視線が畳に倒れ伏して絶命した親友・三成の姿を捉えてから、そんな吉継を見る役小角に視線を移すとその場に正座した。


「……行者殿、それがし……盗み聞きなどという無礼な真似をするつもりはなく……その──」

「──聞かせたのじゃよ。おぬしにの──」


 やっとのことで口を開いた吉継に対して役小角が返した言葉は意外なものであった。


「わしは予てより、おぬしのことを高く評価しておるのだ。三国志においても龐統(ほうとう)のような知恵の回る軍師が乱世の趨勢を決め申した──わかるか、大谷殿。おぬしは日ノ本における龐統なのじゃよ」

「は……そのような、ありがたきお言葉……恐悦至極……」


 吉継は感服したように声を出すと役小角の前に頭を垂れた。


「──"国取り"には参謀役が必要不可欠……大谷殿、おぬしにその大任が務まるかの?」

「は、はァ……! しかと、お任せくだされ。この大谷吉継、行者殿の右腕として必ずや御役に──」

「──行者ではないッ! わしは──"石田三成"だ」

「は……?」


 役小角の一喝に唖然としながら白頭巾の下で口を開いた吉継。役小角はスッ──と歩きだすと石田三成の亡骸の前にしゃがみこんだ。


「……ッ……?」


 吉継はその光景を戦慄しながら見た。吉継に背中を向けた役小角は三成の亡骸の顔に両手で触れながら"何か"やっているのだが、吉継の位置からはうかがい知れなかった。

 役小角は三成の顔に触れた手を自身の顔に何度も触れて、その行為を繰り返した。そして、スッ──と立ち上がると、吉継はギョッとした。三成の顔の皮膚がずるりと丸々引き剥がされていたのだ。


「──どうじゃ。大谷殿。わしが、いや──私が三成に見えるか」


 役小角は振り返ると、"石田三成"となった顔で笑みを浮かべながら吉継を見下ろして言った。奇妙なことに声音すらも三成のそれに変わっていた。


「……っ、は、はァ……! まさしく、それがしの旧友、三成殿の面相……にございます」

「かかか。世辞とはわかっていながら嬉しいものじゃな」


 吉継は震えながら驚嘆の声を発すると、役小角は自身の三成となった顔を枯れ枝のような指で撫でながら言った。


「して大谷殿──おぬし、長年病に苦しんでおるようだのう?」

「は……治療法のない、忌まわしい宿痾(しゅくあ)──業病の類にございます……」


 悲しげに告げる吉継の言葉を受けて、役小角は三成となった顔で漆黒の眼を細めた。


「──治療法がないと、この私の前で申したのか?」


 役小角はそう言うと、懐から黒い液体が入った小瓶を取り出した。


「ほれ……こいつをグイッと飲むがよろしい」

「……ッ」


 役小角が差し出す怪しい小瓶を見たあと、吉継はちらりと畳の上に倒れ伏して顔の皮を失った親友の亡骸を見やった。

 そして、その脇に転がる空の小瓶。


「……ぐっ」

「恐れるでない、大谷殿……おぬしを気にいっていると先ほど申したよな……?」

「う、うう……ぐぅ……」


 三成の顔をした役小角のあまりにも深淵の闇を含みすぎた漆黒の眼を見上げた吉継は、自身には拒否権がないのだと悟って黒い液体が入った小瓶を役小角から受け取った。

 そして吉継は震えながら、どろりとした粘り気のある黒い液体で満たされた小瓶を見ると、"怒羅"と赤い文字で書かれていることに気づいた。


「ふぅ……! ふぅ……! ──んグッ──!!」


 吉継は呼吸を荒くし、脂汗を白頭巾の下で噴き出しながらキュポと蓋を開けると、役小角が見下ろす中、"怒羅の八天鬼薬"を一息に飲み干した。


「かッ──! がハァッ──!! ガァァアアッッ──!!」


 その瞬間、体中の全器官に燃えるような熱を感じた吉継は両手で喉を抑え、カッと両目を見開きながら唸るように吼えた。


「くかかか……いつ見てもよいのう、人が鬼へと転じる様は……」


 役小角は満面の笑みを浮かべながら小声で漏らすと、吉継は前に倒れ込んで、畳に顔を押しつけた。


「──熱い! 熱いッッ──!! ──体がッ! 中から焼けてしまうッッ──!!」


 吉継は叫びながら被っていた白頭巾を力任せに自身の頭から剥ぎ取った。


「ガぁ──!! がッ……! がハっ──がぁ……ああ……あぁ……はぁ……」


 そして激しい発作が治まると、吉継は呼吸を整えながら畳から顔を持ち上げる。その光景を眺めた役小角は満足気に頷いてから口を開いた。


「かかか──どうじゃ、"八天鬼人"となった心地は」

「……"八天、鬼人"……」


 呟くように繰り返した吉継の顔からは業病による一切の瘢痕(はんこん)が取り除かれていた。

 むしろその肌は健康的なつややかさを誇っており、額の左右から伸びる黒い角、黒光りする"鬼"の文字が浮かんだ黄色い瞳を除けば、その顔立ちは伊達男のそれと言えた。


「おぬしが飲んだのは、"怒羅の八天鬼薬"──本来であれば、織田信長に飲ませようと思うて煎じた代物じゃ……くかかか。"鬼の力"は、今おぬしのものとなった。その力、この"石田三成"の参謀役として存分に活かすがよいぞ──くかかかかかッッ──!!」


 三成の顔と声音をした役小角は吉継に向けてそう告げると、大いに高笑いをした。吉継は"なめらか"になった自身の顔に手で触れると、部屋の隅に置かれた鏡を見やった。


「これが、それがし……これが"鬼の力"……」


 "八天鬼人"として生まれ変わった凛々しい己の顔を鏡面に映し見た吉継は、感嘆の声を漏らした。


「……ははは、なるほど……これは……全人類が味わうべき、"至高の力"ですな……」

「かかか──……わしは遠慮しておくかのう……──」


 生き生きとした自身の顔を見た吉継がそう言って恍惚の笑みを浮かべると、"石田三成"となった役小角は聞き取れないほど小さな声でそう呟くのであった。

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