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26.餓羅の力・餓羅鬼虫

 翌朝、身支度を整えた桃姫と五郎八姫は、仙台城の外れにある厩舎に足を運んだ。

 そこには、美しい栗毛の馬が四頭と精悍な黒毛の馬が一頭、それに神秘的な白毛の馬が一頭いた。


「御当主様、桃姫様。馬の御用意できております」


 厩舎仕えの男がそう言って頭を下げると、桃姫は白馬の前に、五郎八姫は黒馬の前に立った。

 白馬、黒馬、共に伊達家の家紋が入った紺色の馬装を身に付けており、遠目から見ても伊達家配下の軍馬であることが見て取れた。


「白桜(はくおう)、久しぶりだね。今日は遠くまで行かなきゃならないんだ──私を連れて行ってくれる?」


 桃姫が優しく声をかけながら白馬・白桜の頬を撫でると、白桜は嬉しそうにいななきながらその頬を桃姫の手に擦り寄せた。


「父上の愛馬、月影(げつえい)──おぬしのような稀有な名馬、拙者のような若輩者に扱いきれるかわからぬが……元来、人と馬とは深く心が通じ合うもの──伊達の名誉のため、共に参ろうぞ……!」


 五郎八姫はそう言いながら、黒馬・月影の逞しい首筋を撫でた。月影は頭を下げると、新しい主に対して忠誠を誓うように鋭い眼光で見やりながら低くいなないた。

 そして二人は、白桜と月影を厩舎から連れ出すと、鞍に跨って騎乗した。その時、一羽のハヤブサが青空を滑空しながら飛んでくると、五郎八姫の肩に止まった。


「うおっ……! 梵天丸……! おぬしも、伊勢に行くでござるか!?」


 五郎八姫が驚きの声を上げると、青い目をした梵天丸は"キィ"と高い声で鳴いて返した。

 桃姫はその光景を笑顔で見ながら口を開いた。


「──いろはちゃん、行こうか……!」

「あい。どこまでも付いていくてござるよ、もも……!」


 伊達家特製の白と黒の軽鎧を着込んだ二人は、白鞘と黒鞘、二振りの刀を左腰に携えて、互いに顔を見合わせながら声を掛け合う。

 そして、白馬と黒馬の腹を足で蹴って一息に走らせると、晴天の下、水たまりの泥を跳ね上げながら、伊勢は天照神宮へと向けて旅立つのであった。


「──……ッ」


 奥州を南下した二人が、常陸の街道を駆け抜けているとき、街道の脇に立つ三本松を目にした桃姫がハッと息を呑んだ。

 それはかつて、雉猿狗と共に歩いた道──蘆名の落ち武者に襲われ、巌鬼と鬼蝶までもがやってきた。そんな危機的状況を神術によって救ってくれたのが雉猿狗だった。


「……雉猿狗、今度は私が助ける番だからね……!」


 桃姫は三本松の横を白桜で駆け抜けながらそう声に漏らすと、五郎八姫の月影と共に一気に雉猿狗と辿った道を遡っていった。

 そして、桃姫と五郎八姫は常陸から下総に南下すると、そこから西に向かって走り、武蔵へと入った。

 この地域は桃姫が初めて訪れる場所であったが、この一帯は五大老の一人、徳川家康が治めており、"江戸"という名の開発中の都があるという噂は予てより耳にしていた。


「もも……! ちょっと……!」


 五郎八姫が月影を早く走らせると桃姫の白桜と並ばせながら声を掛けた。


「……? なに、いろはちゃん……?」


 桃姫は白桜の速度を落とすと、五郎八姫と肩を並べて江戸の入口までやってきた。


「今晩は江戸で一泊するでござるよ。白桜と月影、いくら名馬とはいえ走らせっぱなしは良くないでござるからな」

「そうだね」


 五郎八姫はそう言って月影から降りると、桃姫も同意して白桜から降りた。

 そして、馬の手綱を引きながら江戸に入った二人は、大通りを歩きながら活気ある町並みを見て回った。


「いや、噂には聞いていたでござるが、家康殿は本気で江戸を発展させるつもりでござるな」

「うん……堺の都を思い出したよ」


 江戸は仙台城を立ってより、今まで見たどの町よりも人の数が多く、江戸湾を望むその景色は、桃姫が幼い日に見た堺の都を連想させた。

 そして、桃姫と五郎八姫は宿屋を取ると江戸に一泊することにした。宿屋の外には馬小屋がありそこで白桜と月影は水を飲み、草を食みながら休憩した。

 翌朝早く、桃姫と五郎八姫は身支度を整えて宿屋を出ると、白桜と月影の手綱を引いて町の外まで連れ出してから鞍に騎乗して駆け出した。

 幸いにも連日に渡って空は晴れ模様であり、桃姫と五郎八姫は一路順調に天照神宮のある伊勢へと向かっていた。


「──うわぁ……! 見て! いろはちゃん!」

「見事でござるなぁ……! あっぱれ! ──日ノ本一の山っ!」


 道中、桃姫と五郎八姫は"富士山"を眺望する駿河の街道を馬で走りながら互いに感嘆の声を上げた。

 梵天丸が気持ちよさそうに青空を滑空しながら、二人の女武者を乗せた白い馬と黒い馬が"富士山"を背景にしながら駆け抜けていく。

 そして遂に、桃姫と五郎八姫は伊勢に辿り着いた。日は落ち始めていたが、しかし、今日中に天照神宮に辿り着きたい桃姫の意向を汲んで五郎八姫も休まず馬を走らせたのであった。


「はぁ……ついた……! ついたよ……雉猿狗……!」


 桃姫は、雲がかっていく夕焼け空に照らされながら天照山の頂上で赤く燃える本殿の姿を遠くに見ながら馬上で声を上げた。

 しかし、五郎八姫がギョッとしながら独眼を大きく広げると、本殿を見ながら叫ぶように言った。


「──もも……! 本殿が、燃えてる……! 燃えてるでござるよッッ──!!」

「……っっ!?」


 五郎八姫の言葉に驚いた桃姫もよく目をこらして見れば、夕焼けで赤く染まりながらも、本殿自らが轟々と燃えて赤い炎を茜空に立ち昇らせていた。


「……うそ……嘘ッッ──!!」


 桃姫は刻々と近づいてくる赤い景色を拒絶するように絶叫の声を発しながら、天照神宮の巨大な鳥居の前まで白桜を走らせた。

 五郎八姫も月影を走らせると、鳥居が近づいてくるにつれて、全体が赤く黒ずんでいて焼け焦げていることがわかった。

 煙を上げながらくすぶっている鳥居の異様に二人は目を見張ると、下馬して鳥居をくぐり、天照神宮の境内へと突入した。


「……そんなっ……!」


 桃姫は絶望に大きく目を広げて震える声を漏らした。そして、これまで自分を突き進めてきた"希望の力"を失って参道の石畳に両ひざをついた。


「……破壊、されてる……」


 五郎八姫も眼前に広がる天照神宮の悲惨な光景を見やると、両手をだらりと下げながら絶望感に打ちひしがれた。

 天照神宮は、豪奢な拝殿のみならず、境内にあるすべての施設も完膚なきまでに破壊され尽くしており、どれも火が付けられていて、まだ燃えている所もあった。

 その火の様子から見るに、まだ破壊され、放火されてからそう時間は経っていないことが見て取れた。


「……う……うう……!」


 桃姫は拝殿の後ろに伸びる千歩階段の上で燃え続ける本殿の姿を見ながら涙を流した。


「……雉猿狗……雉猿狗ぉ……!」

「…………」


 首から赤い紐で下げた〈三つ巴の摩訶魂〉を両手で握りしめながら声を上げて桃姫が涙を流すと、五郎八姫は桃姫の肩に手を置いて何も掛ける言葉が見当たらなかった。


「……っ──?」


 桃姫から境内に視線を移した五郎八姫は、破壊された拝殿の脇に一人の男の姿があることに気づいた。

 背中を向けて"何か"を一心不乱になって行っている様子をうかがい見た五郎八姫は、不意に激しい悪寒を感じて独眼を細めた。

 直感とも呼ぶべき悪寒に従って、五郎八姫は桃姫の肩に置いていた手をスッ──と離すと、ぬらりひょんから譲り受けた刻命刀〈氷炎〉、政宗から譲り受けた名刀〈燭台切〉の二振りを黒鞘から素早く引き抜いて両手に構えた。


「──もも……"鬼"がいるでござる」

「……え」


 静かに告げた五郎八姫の言葉を受けて桃姫もまた、拝殿の脇にいる背中を向けて地面に座り込む怪しい男の存在に気づいた。

 沈黙した桃姫と五郎八姫が耳を傾けると、ムシャムシャ──クチャクチャ──という"何か"をむさぼり喰う不快な音がかすかに聞き取れた。


「……もも。ももはここで……拙者が"斬る"でござる」


 そう静かに言って歩き出そうとした五郎八姫の軽鎧の下に着た着物の裾を桃姫が掴んで止めた。

 そして、桃姫は立ち上がると、涙の浮かぶ濃桃色の瞳に怒りの炎を燃やしながら口を開いた。


「……天照神宮を燃やした"鬼"かもしれない──それなら私は……絶対に許さない」


 桃姫は激しい怒りに震えた声でそう言うと、桃太郎から譲り受けた二振りの仏刀〈桃源郷〉と〈桃月〉をスラッ──と白鞘から引き抜いて両手に構えた。

 五郎八姫はその様子を見て静かに頷いて返すと、両手に刀を構えた二人で怪しい男に一歩、一歩、近づいていった。

 そして、男が何をむさぼり喰っていたのかが判明した──神主の死体である。神主の腹に顔を突っ込みながら内蔵を引きちぎって血をすすり咀嚼していたのであった。


「……悪鬼めッ──」


 その光景を目にした五郎八姫が吐き捨てるように声に漏らす。もはや、一息の跳躍で男の背中に向かって斬りつけることが出来る。そのような距離まで接近した時、最終確認として桃姫が声を発した。


「──天照神宮を破壊したのはお前かッッ──!!」


 桃姫が力強く声を発すると、男はピタリと咀嚼を停止した。そして、ゆっくりと桃姫と五郎八姫に向かって振り返った。


「……なッ──!?」

「……っっ──!?」


 五郎八姫と桃姫が驚愕の声を漏らす。その男は顔面が真っ赤に染まっていた。それは血で染まっていたのではない、頭の皮がすべて剥れていたのだ。

 まぶたを失った眼球は曝されており、鼻の穴は節穴のように二つ黒くぽっかりと開かれ、口は血濡れた白い歯がむき出しとなっていた。


「──グッ、カカッ……グッ、カカ──!」


 男は口から血を垂らしながら奇怪な声を上げると、カクカク──と体をくねらせながら立ち上がった。

 そのおぞましい姿に絶句して身を引きながらたじろいだ桃姫と五郎八姫は、異様な男に向けて同時に叫んだ。


「──覚悟ッ──!!」

「──覚悟っ──!!」


 そして二人同時に跳躍して両手の刀で斬りつけようと地面を踏みしめた次の瞬間、男の胸部がガバッ──と音を立てながら大きく割れ、内部から沸騰する鮮血が放出させた。


「ぐわッッ──!!」

「くっっ──!!」


 五郎八姫と桃姫は咄嗟に目を閉じて二振りの刀を交差させると後方に跳躍して男から距離を取った。


「……なんでござるかッッ──!? これは、血……!?」


 顔が血濡れた五郎八姫が手についた赤い液体を見て叫んだ。

 その光景を見て、桃姫は雉猿狗との記憶を思い出していた。雉猿狗も浴びていた"熱い鮮血"、これは、"鬼虫"が生まれる際に噴き出す鮮血であると。

 そして、顔が血濡れた桃姫は男を鋭く見やると、男の大きく開かれた胸の中から角がバゴッ──と伸び現れて、更に二本の顎までもがグイッ──と現れた。


「……こんな鬼虫……見たことない……」


 桃姫は戦慄しながら声を発した。男の体は今やただ"蛹の殻"としての機能しかなく、内部から六本脚が這い伸びて、遂に巨大な鬼虫がその姿を現した。

 一本の大きな角と左右に伸びる顎、それはカブト型とクワガタ型の二種類の特徴を両方兼ね備えているような異形の姿であった。

 そして、特筆すべきはその大きさと色である。桃姫が今まで見てきた鬼虫は人間と変わらない大きさですべて赤色をしていたが、この鬼虫はそれらの倍以上の大きさであり、その体色も禍々しい黄土色をしていた。


「──キシャアアアッッ──!!」


 二本脚で立った大型の鬼虫が大口を開きながら桃姫と五郎八姫に向けて耳障りな鳴き声を発すると、雲が覆い始めていた空から堰を切ったように大雨が振り始めた。

 全身を濡らして赤い鮮血を顔から落とした桃姫は、両手の仏刀を構えながら口を開いた。


「……こいつが犯人じゃない……犯人はこいつを"造った"やつだ……」


 桃姫の言葉を聞いた五郎八姫も大雨によって全身を濡らしながら悪臭のする鮮血が落とされていくと、両手に刀を構え直して大型の鬼虫と対峙した。


「──すべての"元凶"は、別の場所にいる──」


 桃姫は白銀色の波紋が浮かんだ濃桃色の瞳を力強く光らせながら告げると、その瞬間、カッ──と大きな稲妻が閃光し、雷鳴を轟かせながら雨雲を走った。


「──桃の娘、楽しんでくれておるとよいのう……餓羅鬼虫──」


 佐和山城の一室にて満面の笑みを浮かべた役小角が手につまんだモチを眺めながらおもむろに告げた。


「何でしょうか、それは……?」


 関ヶ原の地図を畳の上に大きく広げてあぐらをかきながら西軍の陣形の確認を取っていた吉継が役小角に尋ねた。


「──"餓羅の八天鬼薬"に漬け込んで育てた鬼醒虫を……クッチャ、モッチャ……んむ……三成の死体に入れた天照神宮への"置き土産"じゃよ。かかか」

「……ふっ! 三成殿の亡骸を有効活用ですか……粋なことをしますな、行者殿」


 役小角はモチを咀嚼、嚥下しながら言うと、吉継は苦笑しながら言って返した。


「──桃の娘は賢いゆえにすぐに気づくだろうからのう、雉猿狗を復活させるためには"アマテラスの力"だと……かかか。何事も先手を打つのが肝要じゃよ」


 役小角は言うと、湯呑みから茶をすすって飲んだ。


「さすがは"神変大菩薩様"……あなた様の深遠なる智慧には何者も敵いませぬな」

「──まぁのォ……くかかかかかッッ──!!」


 役小角の高笑いが佐和山城の一室に響くと、天照神宮の上空で一際大きな雷鳴が轟いた。


「──許さない……絶対に許さない──」


 白銀色の闘気を全身にまとった桃姫が両目を極光させながら低い声で告げた。

 その視線の先には、二振りの仏刀が深々と突き刺さって完全に沈黙した餓羅鬼虫の死骸が石畳の上に転がっていた。


「……もも……」


 どしゃぶりの夕立ちの中、両手に刀を握りしめたままずぶ濡れになった五郎八姫が、肩を揺らしながら荒い呼吸をする桃姫の背中に向けて心配そうに声をかけるのであった。

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