関ヶ原の西、城山の頂上に築城された玉城の本丸にて、陣幕で囲った陣地に結集した西軍の武将たちの姿があった。
北に笹尾山、南に松尾山、東に桃配山と、四方を山々に囲まれているのが関ヶ原の地形的な特徴である。
「──諸君らも知っての通り、太閤殿下の御意志に反旗を翻した逆賊、悪将・徳川家康は我が佐和山城を攻め落とし、勢いそのまま大阪城までをも攻め立てるという悪辣外道な計画を企てていることが露見した」
三成の面の皮を被った役小角が、かがり火の炎で顔を橙色に照らし出し、勢揃いした武将たちを見回して歩きながら声を発した。
曇天広がる夜空の下、椅子に座って居並んだ西軍の武将たちは皆一様に緊張の面持ちで役小角扮する"石田三成"の一挙手一投足に注目した。
「ゆえに亡き太閤殿下の正当なる御意志を汲んだ私、この石田三成が! 日ノ本東西分け目の要衝、この関ヶ原にて大戦陣を張り、悪将・徳川家康めを返り討ちにすると決めたのであるッッ──!!」
「──オオオオオッッ──!!」
役小角が握り拳を高く掲げて宣言するように叫ぶと、西軍の武将たちが雄叫びを上げて呼応した。
「先刻忍びから得た情報によれば、我ら西軍の結集を知った家康率いる東軍はすでに動き出しており、東の桃配山(ももくばりやま)にて陣を張り始めているとのことである」
役小角は背後の陣幕に貼られた関ヶ原の地図の各所を、手に持った軍配で指し示しながら言葉を続けた。
「よって、我ら西軍も夜明けまでに各方面に陣を張る。大谷殿はこの玉城にて、私は北の笹尾山にて、小早川殿は南の松尾山城にて──それぞれに武将を振り分け、東の桃配山に向けて三方面の陣を早急に張る」
役小角の言葉を受けて、鬼の角を隠すための白頭巾を被った大谷吉継が隙間から覗かせた黄色い目を光らせながら力強く頷いて返し、太閤殿下・豊臣秀吉の甥である齢18の小早川秀秋は冷や汗をかきながら辺りをきょろきょろとうかがった。
「そして明日の朝、この関ヶ原にて、日ノ本の雌雄を決する大戦(おおいくさ)が幕を開ける──諸君、覚悟のほどはよろしいかッッ──!!」
「──オオオオオオオッッ──!!」
"石田三成"の顔をした役小角の鬼気迫る問い掛けを受けた武将たちは、一斉に椅子から立ち上がると夜空に向かって拳を振り上げながら咆哮した。
そうしていると、開いた陣幕の入口から酒樽が四つ積まれた荷車が足軽たちの手によって陣内に運ばれてきた。
武将たちがざわつきながらその様子を見ていると、役小角こと"石田三成"が笑みを浮かべながら軍配を振るって声を張り上げた。
「さぁ! 皆の衆──! 景気づけに一杯いこうではないか。越後から取り寄せた最高級の酒だ──! 諸君らの兵も呼びつけ、皆で一杯ずつ飲むのだ──さぁ、さぁ!」
役小角は漆黒の眼を三成の面の皮の奥で歪ませながらそう言って、西軍の武将たちに飲酒を勧めた。
荷車を運んできた足軽たちが酒樽を地面に降ろすと、武将たちが上機嫌で槌を振るって蓋を叩き壊し、ひしゃくで一杯ずつ酒を飲んでいった。
酒が振る舞われて浮足立った武将たちは自軍の兵を引き連れてくると、全員に一杯ずつひしゃくで酒をすくって飲ませていく。
「……こんなにもうまくいくものでしょうか……それがしが提案しておきながら、驚いております」
「かかか……まったくだのう」
祝杯を上げながら騒いでいる西軍の武将たちの姿を陣内の片隅で役小角と吉継が眺め見ながら小さな声で話し合った。
「……して大谷殿、この大戦、どう決着すると思う」
「……苦戦は強いられますでしょう。徳川葵紋の旗印の元に団結している東軍と比して、我ら西軍が烏合の衆であることは事実なので……」
「ほう、大谷殿……やはり、おぬし聡いな」
三成の顔で満面の笑みを浮かべた役小角が言うと、吉継は鬼の黒爪が伸びる自身の手を眼前に広げて、かがり火の炎に照らしながら口を開いた。
「しかし、この"鬼の力"……この"超常なる鬼の力"を上手く用いれば、"敗北の歴史"を書き変えることも不可能ではないかと──西軍に"鬼の酒"を振る舞っていただき……感謝しております」
「……うむ」
吉継が感謝の言葉を述べると、役小角は頷いて返した。そして、楽しげに"酒"を酌み交わす西軍の武将や兵たちの姿を二人が眺め見ていた時ふと、陣幕から足早に出ていこうとする小早川の姿を吉継は視界に入れた。
吉継は役小角の隣から離れて歩きだすと、陣幕の外で小早川の背中に声を掛けた。
「──小早川殿」
「うっ……!?」
不意に声を掛けられた小早川が肩をすくめながら細身の体をこわばらせた。
「……一滴も酒に口をつけていないように見えるが、いかがした。小早川の兵を呼んで、皆にも早く飲ませるとよい。あの勢いでは、すぐになくなってしまいますぞ……」
「いや、大谷殿……その申し出は実にありがたいのですが……私は、重度の下戸でして……それに、私の隊はこれより松尾山城にて早急に防御を固める必要があります……い、戦が始まるまでに仕上げなければ話になりませぬゆえ……これにて、失敬──」
小早川は顔だけ吉継に向けてそう言うと、早足で歩き去っていった。吉継は遠ざかるその背中を白頭巾の隙間に浮かぶ鬼の黄色い目でジッと見続けていた。
一方その頃、天照神宮の千歩階段を登りきった桃姫と五郎八姫は、雨に降られてもなお、くすぶった火を燃やし続けて、周囲の木々を赤く照らす本殿の前で立ち尽くしていた。
「…………」
夜が更けるにつれて雨脚は弱まったものの、全身ずぶ濡れになった桃姫と五郎八姫は沈黙し、ただ呆然と変わり果てた姿となった本殿を眺め続けた。
「……いろはちゃん、朝になるまでここに居てもいいかな……」
「あい……どこまでも付き合うでござるよ、もも」
桃姫が力なく声を発して沈黙を破ると、隣に立つ五郎八姫はそう言いながら頷いて返した。
「……ありがとう」
桃姫が静かに感謝の言葉を述べる。そして二人は、本殿の脇に立つ注連縄が巻かれた御神木の根本に座ると、身を寄せ合いながら目を閉じてしばしの休息を取った。
「──桃姫様──桃姫様──」
「……ん……」
聞き慣れた優しい声に呼び起こされた桃姫が目を開くと、視界を覆った黄金の光のあまりの眩しさに目を細め、桃姫は眉の上に手で傘を作った。
そして、徐々に目が眩しさに慣れていくと、朝露を燦(きら)めかせた朝日を浴びた本殿の姿が視界に入った。
不思議なことに本殿は燃やされる以前の姿をしており、その本殿の前に太陽のような穏やかな笑みを浮かべた雉猿狗が立っていた。
「……雉猿、狗……」
桃姫が誰よりも会いたかった人の名を声に漏らすと、雉猿狗は黄金の光に全身を包まれながら口を開いた。
「──桃姫様──雉猿狗は常に──あなた様と共におります」
そう告げた雉猿狗は、背後の本殿を振り返って見た。そして、おもむろに右手を持ち上げると、本殿の扉に向かって指を差す。
桃姫がその光景を濃桃色の瞳を瞠目させながら見届けると、視界全体が雉猿狗の体から放たれる黄金の極光に覆われるように飲み込まれていき、そして目覚めた。
「……雉猿狗っ──!!」
御神木の根元で声を上げながら目を開いた桃姫は、地平線から昇ってきた朝日に照らされながら、かすかに煙を上げる壊れた本殿を視界に捉えた後、隣で寝息を立てる五郎八姫を見た。
「いろはちゃん……いろはちゃん、起きて……」
「ん……んん……」
桃姫が五郎八姫の肩をゆすりながら声を掛けると五郎八姫は声を漏らしながら寝ぼけ眼を開いた。
「……雉猿狗が教えてくれる──私たちが行くべき場所を」
「……ん……え……?」
桃姫は真剣な眼差しで五郎八姫にそう告げると、すっくと立ち上がって本殿に向かって歩き出した。
五郎八姫は独眼をこすりながらその背中を見たあと、立ち上がって桃姫の後を追った。
「……な、何をするつもりでござるか……? もも……!」
本殿の階段を上り、両開きの扉に両手を掛けた桃姫の背中に向かって五郎八姫が声を発すると、桃姫は覚悟を決めて扉を左右に開け放った。
すると奇跡的に、あるいは神の御加護によるものか、その奥に祀られている天照神宮の御神体である"黄金の丸鏡"は無傷の状態で鎮座していた。
丸鏡の美しい鏡面に朝日を背中に浴びる桃姫の顔が映ると、意を決した桃姫は丸鏡に両手を伸ばして抱え上げた。
「……もも、もも……!?」
「……わからない、わからないけど……雉猿狗がこれをやれって教えてくれたんだよ──」
桃姫の予期せぬ行動に五郎八姫が困惑しながら声を発すると、両手で丸鏡を抱え持った桃姫がそう言いながら本殿の階段を下り、参道の中央に丸鏡を置いて、その鏡面を上に向けた。
そして桃姫は、白銀色の波紋が走る濃桃色の瞳を鏡面に映してから、後ろに一歩引くと、太陽の光を鏡面に当てた。
「──教えて、雉猿狗……教えて下さい、アマテラス様──私たちが、本当に"退治すべき悪意"は、今どこにいるのですか──」
胸元に下げた〈三つ巴の摩訶魂〉を両手で握りしめながら、桃姫が天界に向けて強い祈りを捧げた次の瞬間──その問い掛けに呼応するように、丸鏡の黄金で作られた枠が輝き出し、鏡面全体が薄っすらと黄金の光を放ち始める。
「……ッ……!!」
その光景を目にした五郎八姫は独眼を見開き、息を呑んで駆け出すと、桃姫の隣に並んで両手を合わせ、天界に向けて祈りを捧げた。
二人の祈りを受けた丸鏡の鏡面が黄金の光を更に強め、極光と呼べるまでの凄まじい輝きを放ち出すと、その極光を一点に収束させ、一本の"黄金の柱"として天界へと真っ直ぐに伸びていった。
「……っ──!!」
「……ッ──!?」
桃姫と五郎八姫が驚愕しながら"黄金の柱"が伸びる先、天空の一点を見上げた時、轟く雷鳴と共に稲妻に似た"黄金の波紋"がその一点から渦を巻くようにして顕れた。
天照山の山頂に立った桃姫と五郎八姫は、雉猿狗の翡翠色の瞳に浮かんでいた波紋を思わせるその光り輝く"黄金の波紋"を見上げながら大きく目を見張る。
そして次の瞬間、まるで"目標を観つけた"かのように勢いよく蒼穹を駆け出すと、北西に向かって一筋の軌跡を描きながら、"黄金の波紋"は伸びていった。
「──雉猿狗とアマテラス様が言ってる……"あの光の先に行きなさい"って……」
桃姫が胸元の〈三つ巴の摩訶魂〉を強く握りしめながらそう告げると、五郎八姫が軌跡が伸びる先を独眼で睨むように見やりながら口を開いた。
「……あの先は──"関ヶ原"でござる……」
五郎八姫が低い声で発すると、参道に置かれた丸鏡は瞬く間に輝きを失っていき、代わりに胸をすくような伊勢の青い空を映し出した。
そして、稲妻のように伸びていた"黄金の波紋"も風に吹かれながら細かい光の粒子へと転じていくと、太陽の光と同化するように霧散して消え去っていくのであった。