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4.江戸城の闇

「──房州黒アワビ~。房州黒アワビはいかがかね~。安房で採れた新鮮、肉厚、極上の黒アワビはいかがね~」


 江戸の賑やかな城下町にて、おたつが両端に桶の付いた天秤棒を肩に担ぎながら、よく通る声で売り文句を告げながら大通りを練り歩いていた。

 そんなおたつの後ろからは、大きな籠を背負った多五郎が続く。


「姐さん、安房のアワビ買うよ──!」

「──あいよぉ!」


 おたつの威勢の良い声を耳にして、居酒屋の店内から飛び出してきた店主の男が手を上げながら声を掛けると、おたつは陽に焼けた顔で笑みを浮かべて返し、白い歯を見せながら天秤棒を下ろした。

 そして見事な大きさの黒アワビを五杯、店主の男が持ってきた桶に移すと、銭を受け取って着物の懐に仕舞った。


「いやー、飛ぶように売れるっぺ。なぁ、おたつ」


 多五郎が感心したように言いながら、背負った籠を地面に降ろして開き、中から新たな黒アワビを五杯取って、おたつの桶の中に移す。


「おたつの言う通りだったっぺよ。観光も兼ねて江戸まで売りに来て、いやー、良かった」

「はっ、江戸は景気がいいからね。安房だと二束三文でやり取りされるアワビが、ここにくりゃ十倍の値段で売れるのさ」


 おたつは腰に両手を当てて伸びをしながら言って返した。そして、目線を上げて遠くに見える江戸城の威容を眺めた。


「これはあんたとの"結婚祝い"も兼ねた江戸観光だけどさ、ついでに持ってきたアワビも売れば一石二鳥──行きの時には重くっても、帰りになったら随分と軽くなってるだろ?」


 おたつがいたずらな笑みを浮かべながら、安房産の黒アワビが詰まった大きな籠を背負い直した多五郎を見やって言った。


「どうだかなぁ……帰りは銭子(ぜにこ)で行きより重くなってるかも知んねぇっぺよ」

「はははは! そりゃあ間違いないねぇ。さっ、日が暮れる前にどんどん売ってくよ」


 おたつは多五郎の言葉に快活に笑って返すと、天秤棒を再び肩に担いだ。そして、今度は夫婦二人で声を張り上げながら江戸の城下町を練り歩くのであった。

 一方その頃、江戸城の大天守閣では、天下人・徳川家康が家臣による報告を聞き受けていた。


「──ふむ。五郎八姫殿は天守閣を造ることを諦めたのだな?」

「はい。その代わりとして、"仙台城の再建において、幾ばくかの援助をお願い申す"とのことにございます」

「……なるほどのう」


 あぐらをかいた家康は扇子で顔を扇ぎながらしばし考えた後、口を開いた。


「五郎八姫殿は桃姫殿の親友……桃姫殿は、わしの"命の恩人"じゃ──出来うる限りの援助をしようと、そう文(ふみ)にしたためておけ」

「ハッ──!」


 正座をした家臣は、声を発しながら畳に額がつくまで頭を下げると、すっくと立ち上がって大広間を後にした。


「ふむ……確か桃姫殿は、仙台城を離れて故郷の備前に帰ったとの話だが……まだ備前におるのかのう」


 家康が遠い目をしながら声に出すと、隣の椅子に座っている天海上人が口を開いた。


「鬼がいなくなった日ノ本において、桃太郎の娘が果たす役割なんぞは、消え失せたのでございましょう」


 閉じられた両目の隙間から薄っすらと怪しい灰色の光を放った天海が告げると、家康は横目で天海の顔を見ながら口を開いた。


「つまり……"鬼退治の専門家"は、不要になったと言うことか……?」

「いかにも。家康公が日ノ本に招いた"天下泰平"によって、それが実現したのでございます──誠に素晴らしきかな」


 天海がほほ笑みながら穏やかな声音で言うと、家康は首を横に振った。


「いやいや天海殿、わしはおぬしの進言通りに行動したまでのことよ──そうしておれば、秀吉が死に、関ヶ原の合戦が起き──あれよあれよと言う間にわしは天下人となれたのじゃ……感謝しておるぞ、天海殿」

「ふふふ、一介のハゲ坊主ごときにもったいなきお言葉──誠にありがたきかな」


 そう言って天海は頭を下げると、うやうやしく合掌した。


「して、家康公──実は本日、ぜひとも殿に採用して頂きたい"逸材"が江戸城を訪ねておりましてな……彼らを参謀に加えれば、徳川幕府による国造り、これは盤石の体制が整うこと間違いなしかと」

「ほうッ──! 天海殿にそこまで言わしめる"逸材"が日ノ本におったとは知らなんだ。はよう、わしに会わせてくれ……!」

「ははは……では、早速──道ノ者、晴ノ者──殿がお呼びだ、入られよ」


 不敵な笑みを浮かべた天海が少しだけ目を開いて灰色に光る"鬼"の文字を顕にしながら声を発すると、ふすまが開かれ、その奥から芦屋道満と安倍晴明が大広間に入ってきた。

 畳が敷かれた大広間を音もなく颯爽と歩き、左右に居並ぶ家臣団の前を通って家康の面前へと近づいていく二人。古の陰陽道の道着をまとったその二人が全身から放つ、得も言われぬ威圧感に気圧された家臣団が黙って見つめていると、道満と晴明は家康の前でサッ──と拱手して頭を下げてから、その場にあぐらをかいて座った。


「──ただいま天海殿よりご紹介賜りました。古くは芦屋道満の血脈に通ずる陰陽師、名を"道ノ者"と申します──私の持つこの"古の力"、ぜひとも天下人・家康公の栄華のために行使したく馳せ参じた所存。以後、お見知りおきをば──」


 坊主頭で筋骨隆々、陰陽道の赤い道着をまとった道満が低い声を発して挨拶をすると深く頭を下げた。


「──同じく、天海殿よりご紹介賜りました。古くは安倍晴明の血脈に通ずる陰陽師、名を"晴ノ者"にございます──家康公の"天下泰平"が一日でも永く続きますように、微力ながらお手伝いさせて頂きというございます──」


 細面の長い黒髪で、緑色の陰陽道の道着をまとった晴明が高い声で挨拶をして深く頭を下げた。


「うむ……面を上げよ、道ノ者、晴ノ者──しかし、芦屋道満に安倍清明とな……よもや、伝説の陰陽師に子孫がいたとはつゆ知らず……天海殿、それは確かなのか?」


 家康の言葉を受けて顔を上げた道満と晴明。二人はちらりと家康の隣の椅子に座る天海を見て何かを確認するかのように視線を交差させると、天海が口を開いた。


「確かですよ。その証拠に──ほら、なにか陰陽術を見せて差し上げなさい」


 天海が道満と晴明にそう声を掛けると、訝しんだ眼差しを向ける左右の家臣団の顔をちらりと見やりながら道満と晴明が静かに立ち上がる。

 そして、おもむろに道着の胸元に手を差し入れると、師匠・役小角仕込みの赤い呪文が書かれた黒い呪札を一枚ずつ取り出した。


「──しかと、御照覧あれ」

「──決して、触れないように」


 不敵な笑みを浮かべた道満と晴明がそう告げると、二枚の呪札を天井に向かって放り投げる。そして、両手で印を結びながら矜羯羅童子(こんがらどうじ)のマントラを同時に唱えた。


「──オン──バサラキ──タッタリ──ソワカ──」


 宙空を舞う二枚の呪札がマントラを聞き受けると、それぞれ赤光と緑光を放ちながら"変化"していく。


「お、おお──!!」


 家康とその場に居合わせた家臣団とが驚きの声を発すると、次の瞬間、手のひら大の赤虎と緑龍が宙空に出現した。


「──ガォオオ──」

「──ギャウウ──」


 小さな鳴き声を発しながら宙空を駆け回り、飛翔する赤虎と緑龍、その姿を見て思わず家臣団はドッ──と笑い出した。


「はっ、はははっ! なんじゃあれは、ははは!」

「見事、見事じゃ、はははっ!」


 家臣団たちは自分たちの頭上を吼えながら飛ぶ、赤虎と緑龍の小さな姿を見ながら手を叩いて愉快そうに笑った。


「──陰陽術は、呪札の枚数に応じて効力が増しますゆえ。一枚ではこの程度なのです」

「ほう、なるほど……!」


 晴明は扇で顔をあおぎながら楽しそうに眺め見る家康に向かってそう告げると、家康は感心したように頷いて返した。


「──されど、侮るなかれ。たとえ一枚だとしても、我らの手に掛かれば、その威力は十分に──」

「……へへ、うちの坊やにも見せてやりたかったな、こりゃ──」


 続けて道満が話している最中、家臣の一人が言いながら立ち上がると頭上を舞う緑龍に向けて、うかつにも右手を伸ばした。


「──おいッ、触るなッッ──!!」


 その瞬間、血相を変えて叫んだ晴明。家臣の指先が緑龍の尾に触れた瞬間、緑光をカッ──と周囲に放ちながら緑竜は宙空で小爆発を引き起こした。


「ッ……あっ、ああッッ──!! アアッッ──!!」


 眩い緑光が収まると、右腕が肘の付け根までごっそりと失われた家臣が激痛と驚愕に顔を歪めながら慄きの声を発して、畳の上にひっくり返った。

 その光景を目にした家臣団は騒然となると、複数の家臣が立ち上がって駆け寄り、右腕を失った家臣を担ぎ上げて、大広間から足早に去っていく。


「──人を殺めることが可能です」


 そんな騒ぎを横目で見ながら道満が続きの言葉を告げると、"ガオー"と小さい声で鳴きながら頭上から駆け降りてきた赤虎を右手で掴み取り、胸の前で両手をパンと叩き合わせて、赤虎から呪札に戻すとボッ──と燃やして灰に転じた。

 道満の両手の指の隙間からパラパラと畳の上にこぼれ落ちる灰を見つめた家康が大きく息を呑むと、隣の椅子に座った天海が咳払い一つしてから口を開いた。


「彼らは、待っておったのですよ──家康公のような"誠の天下人"が現れるその瞬間を──」


 天海がそう告げると、道満と晴明はスッ──と拱手して家康に向けて頭を垂れた。


「うむ……その"古の力"、この目でしかと見届けた。おぬしらは"誠の陰陽師"に相違あるまい──頼む、江戸のため、徳川幕府による"天下泰平"を維持するため、陰陽師の力、存分に奮ってくれ──!!」


 家康はそう言って道満と晴明に期待の眼差しを熱く向けると、その隣に座る天海はフンと鼻を鳴らして道満と晴明を見やった。


「では、家康公……わしは彼らと今後の国造りについて話す必要がございますので。これにて失礼申し上げる」

「うむ……! よーく国造りについて議論してくだされ! ──道ノ者、晴ノ者、おぬしらの活躍、期待しておるぞ……!」


 椅子から立ち上がった天海は、白い法衣の裾を畳に引きずりながら道満と晴明の間を抜けるように歩いていった。


「──では……」

「──失敬……」


 道満と晴明は家康に拱手をすると、天海と連れたって残った家臣団の間を通り、開かれたふすまを抜けて大広間を出ていった。

 二人の陰陽師を引き連れた天海が大天守閣を歩いている最中、その剃り上げた坊主頭のうなじから伸びる短く反り返った鬼の角がうずいたが、長く立たせた白い法衣の襟で隠されており、人目に付くことはなかった。

 そして、人気のない江戸城の廊下まで辿り着くと、晴明が静かに口を開いた。


「──まさかここまで信頼されているとはね、ふふ……思いもよりませんでしたよ──」


 前を行く天海がその言葉聞いてピタリ──と足を止めると、灰色の"鬼"の文字が光る黄色い鬼の目を開いて道満と晴明を横目で見ながら口を開いた。


「──すべては、"千年天下"樹立のための布石──もう誰一人として、"三日天下"などとは言わせぬッッ──」


 大広間にいた先程の僧正と同一人物とは思えない強烈な"鬼の波動"を放った天海の言葉を受けて、道満と晴明は互いに顔を見合わせると不敵な笑みを浮かべるのであった。

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