児啼爺(こなきじじい)と結託した荒羅刃刃鬼(あらはばき)は、四万十川を拠点に破竹の勢いで四国を攻め進め、四国の妖怪たちを次々と支配下に置いていった。
刃刃鬼の支配に抗った妖怪は見せしめとして食い殺され、四国の妖怪たちは皆、刃刃鬼の残虐性に恐れ慄いた。
そして、役小角によって四国に飛ばされてから4年の歳月を経た刃刃鬼が、四国全土を支配下に置こうとしていたその時──。
「──おのれカパトトノマト、おのれぬらりひょん……! 400年──! 我らの"妖怪大王"を400年も封じ込めおって……!」
四国の北東、讃岐にある嶽山(だけやま)──その内部の巨大な空洞にて、うずくまるようにして身を納めた巨大な人型の妖怪と、その前に立つ5人の女妖怪の姿があった。
「──オン──ドドマリ──ギャキテイ──ソワカ──オン──ドドマリ──ギャキテイ──ソワカ──」
5人の中央に立つ年老いた妖女・骨女が一心不乱に鬼子母神のマントラを唱え、その左に立つ川姫、清姫、右に立つ山姫、橋姫も各々念じながら妖怪大王の復活を祈念していた。
「──トト様ッ、どうぞお目覚めくださいませッ……朱肌の悪鬼が跋扈し、四国は闇に包まれております……!」
「──トト様っ、どうかお目覚めくださいませ……! 四国の妖怪は皆、トト様の力を求めております……!」
川姫と清姫が祈りながら声に出すと、山姫が隣で祈念する橋姫に声をかけた。
「橋姫……今宵、トト様が目覚めるよ──」
「……わかるのですか? 姉様」
「ああ、私は山の妖女だからね。この嶽山全体が妖力に満ち溢れている……懐かしいね、これはトト様の妖力だよ──」
岩姫が笑みを浮かべながら告げると、地鳴りのような轟音と共に嶽山が打ち震え、うずくまった巨人の体に巻き付けてある注連縄がゆさゆさと揺れた。
「──嗚呼あっっ……!!」
悲鳴を上げて川姫と清姫が地面にしゃがみ込むと、骨女が鬼気迫る顔つきで二人に向かって叫んだ。
「怯むでない、娘たちよッ──! これは大太郎坊(だいだらぼう)様の目覚めの声だよッッ──!! 祈り続けなさいッッ──!!」
骨女は落ち窪んだ眼を巨人・大太郎坊に向け直すと、骨ばった両手をこすり合わせながら金切り声にも似た声を発した。
「──あなた様ァ……!! なにとぞ400年の眠りより、お目覚めくださいましィ……!! あなた様ァ──!!」
骨女の懇願を聞き届けたかのように嶽山が一層激しく震えると、うずくまりながら固く目を閉じている大太郎坊の巨体が動き出すと、体に巻かれた注連縄がブチブチッ──と音を立てながらちぎれ落ちていった。
「ッ、お目覚めになられる……! トト様がお目覚めになられるッ……!」
紫色の瞳を大きく見開いた橋姫が嬉々とした声を上げると、背後から世にも恐ろしい鬼の咆哮が鳴り響いた。
「──グルラァァァアアアッッ!!」
「ひっひっひッッ──!! 刃刃鬼ィイッッ──!! やれェいッッ──!!」
鬼の爪が伸びる両手を広げて5人の妖女に向かって駆け迫ってくる刃刃鬼。その後方には杖を前に突き出して声を張り上げる児啼爺の姿があった。
「ッ──!? こやつら、嶽山の結界を超えてきたのか……!?」
骨女が悲鳴のような声を上げると、児啼爺が笑いながら声を発した。
「いっひっひっひッッ──!! ずーっと待っておったのよ! 大太郎坊が動き出して、結界が緩むその瞬間をのう──!!」
そう言って、次々に落ちていく注連縄と四つん這いになって巨体を起こそうとする大太郎坊を見た。
「邪魔だァッッ──!!」
「──ひィ……!」
刃刃鬼は牙をむき出しにしながら、やせ細った骨女めがけて突撃すると、その体を軽々と吹き飛ばして大太郎坊に向けて跳躍した。
「──テメェが妖怪大王だなッッ!? 邪魔なんだよッッ──!! 四国は俺のッッ──!! 荒羅刃刃鬼様の領域だァァアッッ──!!」
刃刃鬼は4年前と比べて遥かに屈強になったその鬼の肉体をあますことなく使って大太郎坊の巨体に飛びかかる。
「──……ぬ……お、う……」
その瞬間、大太郎坊が両目を400年ぶりに見開いて、四姉妹に介抱される骨女の姿、そして飛びかかってくる刃刃鬼の姿を見やった。
「──……ぬ……ぬォオオオごオオオオッッ──!!」
大太郎坊は常人なら聞くだけで鼓膜が破裂するようなとんでもない声量の怒号を張り上げると、飛びかかってきた刃刃鬼目掛けて右手で渾身の張り手を喰らわせた。
「──っっ!?」
刃刃鬼は一瞬、自分の身に何が起きたのかわからないというように鬼の目をキョトン──と見開くと、次の瞬間、その体が砲弾のように吹き飛ばされて、嶽山の分厚い岩盤をズガガガガッ──と猛烈に砕きながら山の外へと放出される。
「……は、刃刃鬼ぃっ……!?」
その光景を見て、愕然としたのは児啼爺であった。刃刃鬼が貫通していった岩壁の穴を見上げて呆然としていると、身を起こした大太郎坊が憤怒の赤い眼で児啼爺を見下ろす。
「……あ、ああ……! あの……偉大なる妖怪大王、大太郎坊様であらせられますねっ……! わしは、かねてよりあなた様の素晴らしいお噂をうかがっておりまして……そのっ、ぜひとも、一目お会いしたいものと……! そのぉッ──」
「──……ぬゥゥウウんッッ……!!」
血相を変えた児啼爺はまくし立てるように言葉を発するが、大太郎坊はその大樹のような腕を伸ばして児啼爺の老体を掴んで握りしめる。
「──あぎぎぎャッッ!! お、脅されていたんですゥッッ!! あの悪鬼に脅されていたんですゥッッ……!! ぎィっギャギャギャっ──!!」
「──……ン、がぁぁあああッッ……!!」
大太郎坊は児啼爺の口から発せられる弁明を一切聞き入れることなく、大口を開けたその中に児啼爺を落とした。
「……お、お助けっ……! お助げっ……! ゲっ──」
──ガリッ、バリッ、グシャ……!!
大太郎坊の口内にて、児啼爺は胴体を石化させながら5人の妖女に向けて泣き叫ぶが、大太郎坊の強靭なアゴの力を前にして石化は無力であり、難なく咀嚼されて胃袋の中へと呑み込まれた。
「──……ホネオンナ……ムスメタチ……ゴクロウ──……アトハ……ワレニ……マカセイ……」
四つん這いの大太郎坊は身を寄せ合った5人の妖女、妻の骨女と娘の四姉妹を見下ろしながら低い声を発した。
「……あなた様ァ……!!」
「トト様ぁっ……!!」
400年祈り続けてきた骨女と娘たちは歓喜の涙を流しながら大太郎坊の勇猛な巨体を見上げた。
「──……ぬンッッ……!!」
そして、大太郎坊は岩壁に両拳をぶち当てると、山肌を引き裂くようにして嶽山の内部から巨大な顔を覗かせた。
400年ぶりに見る夜空と満月。400年ぶりに味わう四国の風をその身に味わいながら、嶽山の内部から巨体を這いずり出して、遂に長きに渡って封じられていたその姿を現した妖怪大王・大太郎坊。
「──……ぬウウウん……」
目を閉じた大太郎坊は、両腕を広げながら気持ちのいい夜風を堪能していた、その時、嶽山の山頂から鬼の咆哮が放たれる。
「──いッッてェじゃねェかよォッッ……!! こンの、デカブツがァッッ──!!」
嶽山の山頂から吼えながら跳躍した刃刃鬼。油断していた大太郎坊が振り向いたその横顔目掛けて、握りしめた鬼の右拳をグォン──と唸らせながら、渾身の殴打を撃ち放った。
刃刃鬼の右拳と大太郎坊の右頬がぶつかりあったその瞬間、激しい爆発音と凄まじい衝撃波が周囲に炸裂し、大太郎坊の巨体は嶽山のふもとに広がる平野へと吹き飛ばされるように倒れ込んでいくのであった。