「──……ぬゥゥウっっん……！？」

「──そのデカい耳穴かっぽじってよォく聞けよ、デカブツッッ──！！　この荒羅刃刃鬼様こそがッッ──！！　四国の真の支配者ッッ──！！　"鬼大王"様だァアアッッ──！！」

　平野に向かって倒れ込んでいく大太郎坊（だいらだぼう）の巨体にしがみついた刃刃鬼は、雄叫びを張り上げながら大太郎坊の毛深い胸板を両手両足を使って駆け上っていき、跳躍して顔面にまで張り付くと、驚きに見開かれた大太郎坊の左の眼球目掛けて、鋭い鬼の牙を剥き出して思いっきり噛みついた。

「──ガゥルルルッッ──！！」

「──ッッ……！？　──ぬガぁぁアアアッッ──！！」

　大気を揺るがす野太い咆哮を放った大太郎坊は、その場に激しく尻もちをつくと、その衝撃波で周辺の家屋を木っ端微塵に吹き飛ばした。

　刃刃鬼は猛獣のような恐ろしい唸り声を喉奥から発しながら大太郎坊の巨大な眼球に深々と鬼の牙を突き立てると、尻もちをついた衝撃にも怯むことなく、鬼の爪を伸ばした両手で充血する眼球を抑え込むように握りしめた。

「──あなた様ァッッ！！」

「──トト様ァッッ……！！」

　そんな壮絶な光景を、大太郎坊によって引き裂かれた嶽山の山肌から姿を現した骨女と四姉妹が目にして悲鳴の声を上げた。

「──……ぬんがァァアアっっ──！！」

　大太郎坊は激痛に泣き叫ぶ大声で大気を激しく震わせると、眼球にしがみつく刃刃鬼の体を巨大な左手で掴んで自身の眼球ごとズゾゾッ──と引き剥がした。

　大太郎坊の尋常ではない握力で全身を丸ごと握りしめられた刃刃鬼は、その掌の中で体中の筋肉を強張らせると、鬼の咆哮を張り上げた。

「──グルルゥアァァアッッ──！！」

　その瞬間、刃刃鬼の両肩と背中から六枚の真紅の刃がジャキッ──と鋭い刃音を立てて生え伸び、大太郎坊の左拳を内部から斬り裂いた。

「──……ッッ！？　──……ぬガぁぁアアッッ──！！」

　突如として左手に走った激痛に絶叫しながら、思わず刃刃鬼を掴んでいた握力を緩めてしまった大太郎坊。

　刃刃鬼はニヤリとした笑みを浮かべ、上半身から伸びた刃をチャキッ──と体内に収めると左手の隙間から這い出す。

　そして、大太郎坊の眼球から眼孔へと繋がり垂れている"視神経の束"の上を、まるで"綱渡り"のごとく手足を使って獣のように駆け上がっていく。

「──ああッッ！！　それは、いけませんッッ！！　嗚呼っっ──！！」

「──トト様ぁ……！！　起きてぇッッ──！！」

　骨女と四姉妹は、刃刃鬼によって大太郎坊が蹂躙されるその光景を見ながら、気を失いそうなるほど悲鳴の声を上げた。

　"視神経の束"を素早く上りきった刃刃鬼は大太郎坊の眼孔の中にズボリ──と音を立てながら入り込むと、全身を大太郎坊の血で赤く染めながら内部の肉を噛み千切り、鬼の爪で容赦なく引き裂いていく。

「──ぬがぁぁああッッ！！　──ヌガァァアアアアッッ！！」

　大太郎坊は顔面を両手で抑えながら地面に仰向けに倒れ込むと、その巨体をドシンドシン──と激しくのたうち回らせた。

　右に左にと、大太郎坊の巨体が地面に叩きつけられる度に地震のような激しい揺れが周囲に走って近隣の村の家屋を倒壊させていく。

「──なンだぁ……？　こいつぁちょっと……他の肉とは、ちげぇなぁ──」

　刃刃鬼は大太郎坊の眼孔を"掘り進んでいった"その奥に、ドクンドクンッ──と脈打つ桃色をした巨大な"肉の塊"を見つけた。

「──どうやら、俺の勝ちみたいだな……"妖怪大王"さんよォ──！！」

　血濡れた刃刃鬼は残忍な笑みを浮かべると、両手の鬼の爪、そして鬼の牙でもって桃色の"肉の塊"にしがみつき、噛みつき、喰い千切る。

　次の瞬間、大太郎坊は残った右目をグルン──と上に向けると、大の字になって完全に沈黙するのであった。

「……あ、嗚呼……そんな……そんなァ……」

「……トト様……トト様、嘘でしょ……」

　顔面蒼白となり、絶望の眼差しでその光景を見つめた骨女とその娘たちの中にあって、ただ一人、橋姫だけは顔を赤く上気させながら、興奮の面持ちで息を呑んだ。

「ッ……鬼って……凄い……」

　父である大太郎坊が鬼に惨殺されるという衝撃的な光景を前にしながら、その恍惚をふくんだ熱い眼差しは大太郎坊の眼孔から勢いよく飛び出した朱肌の若い鬼──刃刃鬼その一点に向けられていた。

「──グルオラァァァアアアアッッ──！！」

　赤い肉片にまみれた刃刃鬼が両腕を大きく広げながら、四国の夜空に向けて勝利の雄叫びを吼えると、橋姫は"この鬼の妻になりたい"と、心の底からそう思ってしまうのであった。

　それから25年の月日が経った今現在──嶽山の広大な空洞内にて、無数のロウソウが灯る赤い祭壇の上に四つ並べられた頭蓋骨の一つを、橋姫は遠い目をしながら静かに撫でていると、その背中に声が投げ掛けられた。

「ねぇ、カカ様……！　おーい、カカ様ぁ～……？」

「……ん？　どうしました、断魔鬼（たつまき）──」

　赤い祭壇から振り返った橋姫は、断魔鬼と呼んだ燃えるようにうねった赤髪に橙色の肌、そして黄色い鬼の三本角を額から生やした少女に返事をした。

「なーんかボーッとしてたからさぁ……どしたん？」

「……ふふっ、ちょっとね……刃刃鬼様と初めて出会った日のことを思い返していたの」

　橋姫はそう言って、左端の頭蓋骨を両手で持ち上げると自身の顔の前に掲げた。

「それってさぁ～、トト様が"ジジ様"を殺して喰った日のことォ……？」

　断魔鬼は言いながら祭壇に片肘を乗せて寄りかかると、橋姫は静かに頷いてから口を開いた。

「ええ、そうよ。あなたたちの"ジジ様"──大太郎坊様もとてもお強かったのだけれどね……それよりも遥かに獰猛で強かったのが刃刃鬼様だったの……私はその猛々しいお姿をひと目見て……ふふ、一瞬で恋に落ちてしまったのよ」

　橋姫はうっすらと頬を赤く染めながら懐かしそうに話すと、手に持った頭蓋骨を眺めながら口を開いた。

「──カカ様……私のこと、お恨みですか？　──刃刃鬼様にカカ様と三人の姉様を"捧げた"こと……今でも、強くお恨みですか？」

　橋姫が掲げる骨女の頭蓋骨と祭壇に並んだ川姫、清姫、山姫の頭蓋骨に空いた二つの黒い眼孔は、物言わずにジッ──と四女・橋姫の顔を見つめていた。

「──その恨み、どうぞ存分に募らせてくださいませ……カカ様と姉様がたには、私が"恨みの発露"を用意してさしあげますから……今しばらくは、大人しくしていてくださいませね」

　橋姫はそう言って、手にしていた骨女の頭蓋骨を祭壇の上に丁寧に置くと、断魔鬼は祭壇右端の山姫の頭蓋骨をポンポンと手のひらで雑に叩きながら口を開いた。

「へへへ。大人しくしててねぇ、ババ様とオバ様たちぃ～」

　断魔鬼がへらへら笑いながら告げると、淡い緑色の肌に真夜中の森のような深緑色の長い髪、そして黄色い鬼の三本角を額に生やした少女が"祭壇の間"に姿を現した。

「……カカ様、鬼ヶ島の"位置"が見つかりました」

「ッ、本当ですか……！？　渦魔鬼（うずまき）……やはりあなたは天才ですね」

「うん。姉やんって、マジで天才だよね」

　渦魔鬼と呼ばれた少女が凛とした声音で告げると、橋姫と断魔鬼は渦魔鬼の後を追って"祭壇の間"を離れた。

　広大な嶽山の空洞の奥には巨大な赤い玉座が置かれており、その玉座には更に巨大な朱色の肌をした大鬼・荒羅刃刃鬼が鎮座していた。

「──おう橋姫、とうとう渦魔鬼が鬼ヶ島の"位置"を見つけ出しおったぞッッ──！！」

　刃刃鬼は29年間にわたって反抗的な四国の妖怪たちを喰らい続けた結果、異常に筋肉の発達した屈強な肉体を膨らませながら咆哮のような声を発した。

「ええ、誇らしいですわ。さすが私たちの娘……"鬼と妖の融合体"です」

　橋姫はそう言って刃刃鬼の巨体にぴょんと飛び乗ると、左膝の上に座って胸筋にしなだれかかった。

「まさしくだな……おい、断魔鬼。そうすねるでない──確かに渦魔鬼は橋姫に似て妖術が得意だが、お前は俺に似て力が強いのだからな」

　姉の渦魔鬼が褒められてつまらなそうにしていた妹の断魔鬼の様子に気づいた刃刃鬼がそう言って手招きをした。

「うん……トト様！　そうだ、あたいはトト様似なんだっ！」

　断魔鬼は嬉しそうに笑みをこぼしながら刃刃鬼に向かって駆け寄ると、玉座に腰掛ける刃刃鬼の左隣にぴたりと寄り添った。

　刃刃鬼はそんな断魔鬼の姿を愛おしそうに見やると、巨大な左手を伸ばして、赤い髪が伸びる頭をごしごしと強く撫でながら口を開いた。

「──お前が背負ったその大ナタ、〈人砕（ひとくだき）〉。それを軽々と振るえるということが、俺に似ている何よりの証拠よ──」

　断魔鬼は自身の身長よりも長大な大ナタを背負っていた。それは〈人砕〉の名の通り、"斬る"というより"砕く"という表現が相応しい無骨で分厚い刃を持った大ナタであった。

　形状はナタというよりも斧に似ており、刀でいうところの切っ先がなく、先端は平らになっていて非常に分厚かった。それがより、ナタでありながら叩きつけて"砕く"という〈人砕〉の特性を強めていた。

「トト様ぁ！　あたいはトト様から〈人砕〉を貰ったその日から、こいつでトト様の"覇道"を邪魔するやつらを蹴散らすって決めてんだぁ！」

　断魔鬼が言うように〈人砕〉は、刃刃鬼が断魔鬼10歳の誕生日に祝いの品として贈った刃刃鬼手製の得物であり、〈人砕〉という名も刃刃鬼が断魔鬼に"こう育ってほしい"という願いを込めて名づけたものであった。

　10歳の断魔鬼は父からの贈り物が嬉しくてしょうがなく、両手で持ち上げようとも微動だにしない〈人砕〉を毎日のように持ち上げようと努力し続け、そして17歳となった今や片手で縦横無尽に振り回せるようにまでなっていた。

　当時の橋姫は"断魔鬼には大きすぎやしませんか"と眉をひそめたが、結果として早くに与えられた〈人砕〉の存在が断魔鬼の驚異的な潜在能力を引き出し、刃刃鬼から認められるまでにその体を鍛え上げたのであった。

「──その意気だ、断魔鬼。お前の怪力、期待しているぞ」

「──おうよっ！！」

　刃刃鬼の言葉を聞き受けた断魔鬼は、〈人砕〉の柄を左手で掴んでその大刃をドスンと地面に落とすと、片足を刃の上に乗っけて威勢よく答えて返した。

「ふふ。そうよ断魔鬼。刃刃鬼様の"覇道"のお力添えとなることが、あなたたち姉妹の"お役目"なのですからね……さて、渦魔鬼。ではさっそく、鬼ヶ島を見てもいいかしら……？」

「はい、カカ様」

　橋姫に促された渦魔鬼がしなやかに赤い玉座の前まで進み出ると、胸元が開いた黒い着物の中に右手をスッ──と差し入れて、母であり妖術の師匠でもある橋姫仕込みの赤い呪札の束を取り出すと、宙空にばらまいた。

「──オン──マユラギ──ランテイ──ソワカ──」

　そして黄色い瞳を緑光させながら孔雀明王のマントラを唱えて、黒い爪をした指先で宙空に円を描くと、紫光した呪札の束が門を形作り、"呪札門"が嶽山の空洞内に完成した。

「うっわ……！　姉やんっ、何度見てもすっげぇよこの術……！」

「断魔鬼……"呪札門"じゃなくて、その"向こう側の景色"を見なさい」

　断魔鬼が黄色い瞳を見開きながら歓声を上げると、渦魔鬼は冷静に告げた。そして紫色の瞳を細めた橋姫が、"呪札門"の揺れる鏡面に映し出された"向こう側の景色"──漆黒の鬼ノ城がそびえ立つ広場の景色を確認すると、静かに口を開いた。

「渦魔鬼、本当によくやりましたね……鬼ヶ島の"位置"は、鬼でなければ掴むことができない……妖怪の私では何百年掛かっても見つけ出すことが出来なかったでしょう……"鬼の血"が体に流れるあなただから導けたのですよ──」

「──はい、カカ様……鬼ヶ島に行けば、"役小角の遺産"がある……その遺産を用いれば、日ノ本全土を"鬼の領域"にすることが叶う……私、鬼ヶ島に行くのが楽しみです」

　渦魔鬼は静かな笑みを浮かべながらそう告げると、玉座に歩み寄って刃刃鬼の巨大な右手にしとやかにしなだれかかった。

　橋姫、渦魔鬼、断魔鬼の三人が、巨大な玉座に鎮座する荒羅刃刃鬼の巨体にそれぞれの形でぴたりと身を寄せ合うと、刃刃鬼は鬼ヶ島に繋がった"呪札門"を睨みつけながら、凶悪に発達した長い牙が伸びる口を開いた。

「──この荒羅刃刃鬼様が、巌鬼の"予備"なんかじゃねぇってことを、日ノ本全土に教え込んでやらねぇとなぁ──刃刃鬼一家の時代、幕開けだ──」

　刃刃鬼が低い声で力強く宣言した赤い玉座のその背後には、白骨化した大太郎坊の巨大な死骸が、かつて封印されていた時のようにうずくまった体勢で置かれていた。

　その巨体を分厚く覆っていた肥肉は完全に失われ、真っ白な骨格だけが曝されており、娘の橋姫とその夫である刃刃鬼によって乗っ取られた嶽山の空洞を、巨大な頭蓋骨にぽっかりと空いた二つの大きな眼孔にて、ただ虚ろに見下ろし続けるのであった。