自らの名を修羅巌鬼と告げた、漆黒の炎で体を燃やす謎の大鬼による山越村の炎上事件から一夜が明けた朝。
山越村を失った総勢64人の村人たちは、白桜に乗った桃姫に連れられて花咲村へと避難していた。
「片付けたばかりで何もないところですが、どうぞご自由にお過ごしください」
馬上から桃姫が村人たちに告げると、山越村の村長が両手を合わせながら口を開いた。
「桃姫様……竹三一家を助けてくださって、村の者みな深く感謝しておりますだ……! その上、避難先まで……ああ、何とお優しいことだべか……!」
「ああ……ありがたや、ありがたやぁ……桃姫様ありがやぁ……」
村長が述べた感謝の言葉を皮切りに、村人たちは一斉に手を合わせると、桃姫を見上げながら感謝の言葉を口にした。
「桃姫様ぁ……あなた様は間違いなく、この末法の世に現れた神仏融合の化身様だらぁ……」
老婆は深いシワの刻まれた顔で満面の笑みを作り、涙をこぼしながら桃姫に向かって両手をこすり合わせた。
「そんな……私はただ、自分の心の声に従ったまでですから」
そう言った桃姫が白桜から降りると、燃える森を駆け抜けて煤と汗で汚れた顔を袖まくりした腕で雑に拭った。
「その温かな御心こそが、神仏の御慈悲の現れなんでさ……桃姫様」
「……ありがとうございます」
桃姫に助けられて一命を取りとめた竹三の妻はそう言いながら花柄の手ぬぐいを桃姫に差し出すと、桃姫は感謝の言葉を述べながら受け取って顔を拭った。
「桃姫様。この花咲村、わしらに"復興"させてもらってもいいだべか?」
「"復興"……ですか?」
山越村の村長は、桃姫の家と桃の木が五本並んでいるだけの殺風景な花咲村の景色を見渡しながらそう尋ねると、桃姫は思いもよらなかった提案を受けて驚きの表情を浮かべた。
「ええ。山越村は木こりと大工の村。今日からでも花咲村の"復興"を始められますだ……なぁ、みんな──?」
「──おう……!」
「──やろう……!」
村長の発言に呼応して、山越村の村人たちが拳を掲げながら威勢の良い声を張り上げた。
「桃姫様……あたしら……花咲村で暮らしてもいいかい?」
竹三の妻が幼子を腕に抱きながら桃姫に問うと、桃姫は満面の笑みで頷いて返した。
「はいっ……! みなさん、よろしくお願いしますっ──!」
溌剌とした笑顔で桃姫が声を上げると、一陣の風が吹いて桃の花がブワッ──と花咲村の青空に舞い上がった。
村人たちが歓声を上げながら桃の花びらが散りばめられた胸がすくような蒼天を見上げると、両手を合わせた老婆が笑みを浮かべながら呟くように口にした。
「ああ──ありがたきかな桃姫様──」
それから一週間後──花咲村に移住した64人の村人たちは意気揚々と花咲村の復興にいそしんでいた。
木こりと大工が多い村人たちの手際の良さと神仏融合体である桃姫の百人力とが組み合わさって、殺風景だった花咲村は瞬く間に建築風景が広がる賑やかな村へと変わった。
鎮火した山越村の燃え跡からまだ使える大工道具を持ってきては、花咲村の住宅建築に用いる村人たち。そこかしこでトンカントンカンと木槌が軽快に振るわれる小気味のよい音が鳴り響くのであった。
「……ずいぶん賑やかになったなぁ……ね、白桜?」
石碑が立つ桃の木の下で竹三の妻が握った玄米おにぎりを昼食として食べながら花咲村を見渡した桃姫は、白桜に話しかけた。
「──ブルルル」
白桜は鼻を鳴らして返事をした後、桃姫の肩に鼻をこすりつけた。
「……これじゃあ当分仙台城に帰れないよね……ごめんね、白桜。月影に会いたかったよね」
「──ヒヒーン」
桃姫の言葉に白桜が小さくいなないて返すと、不意に遠くから自分の名を呼ぶ懐かしい声が発せられているのを桃姫の耳が聞き取った。
「──ももー、ももー……おーい、どこでござるかぁー」
「いろはちゃんっっ──!!」
桃姫は黄金と白銀の波紋が走る濃桃色の瞳を見開いて輝かせると、玄米おにぎりの残りを口に詰め込んで花咲村の表門目掛けて駆け出した。
白桜も喜び勇んで風を受けながら桃姫と並走すると、表門の先に月影に跨った五郎八姫の姿を見つけた。
「おー、もも! これはいったいどういうことでござるか……!? 村人がたくさんいるでござるよ……!!」
「いろはちゃんっ……! あのね……! あのねっ……!」
建築中の家屋を抜けて大通りに飛び出してきた桃姫と白桜の姿を見つけた五郎八姫が月影の上から声を上げると、息を切らした桃姫が必死に言葉を紡ごうとした。
「ははは、落ち着くでござるよ、もも──よっと……月影、白桜とそこいらで遊んでるでござるよ」
「──ヒヒーン……!」
月影の鞍から降りた五郎八姫が月影の胴を撫でながらそう告げると、月影は嬉しそうに高くいなないて白桜のそばまで駆け寄り、二頭仲良く表門の外に歩き去っていった。
その様子を見届けた桃姫は、半年ぶりに再会した五郎八姫と談笑しながら自宅に招くと、ちゃぶ台の上にお茶が入った湯呑みと五郎八姫が持ってきた仙台土産のずんだ餅を小皿に並べて置き、座布団の上に対面して座った。
「──なるほど……巌鬼に似た鬼が現れたでござるか」
「うん」
桃姫から事情を説明された五郎八姫は腕を組みながら眉根を寄せて呟くと桃姫は頷いて返した。
「それでね、隣の村は燃えちゃって……みんな花咲村に引っ越してきたんだ」
「……関ヶ原の戦いで、日ノ本の鬼はすべて退治されたと思っていたでござるが……どうやら、生き残りがいたようでござるな──日ノ本はまだ、"鬼退治の専門家"を必要としているということでござるよ」
五郎八姫はそう言って茶褐色の独眼で桃姫の濃桃色の瞳を見つめると、桃姫はずんだ餅の緑とお茶の緑を見ながら口を開いた。
「でも、いろはちゃん……今の私は、人よりちょっと……力が強いくらいで──」
「──いやっ! ちょっとどころじゃないでござるよ……! 半年前に来たとき、拙者じゃびくともしない瓦礫を軽々と持ち上げていたではござらぬか。結局、あのあと一人ですべて片付けたのでござろう?」
「……うん、それは、まぁ……」
桃姫はそう言うと、膝の上に置いた自身の手のひらを見た。あれだけ酷かった火傷が、わずか一週間で完治していた。
天照大御神と一体化して"神仏融合体"となってから、怪我が治癒する速度もそれ以前より遥かに早くなっているという自覚が桃姫にはあった。
「……もも。日ノ本に鬼がいるならば、立ち上がらねばならないのではござらぬか……?」
「……っ?」
独眼で力強く桃姫を見つめながら告げた五郎八姫は、ちゃぶ台の上に紺色の風呂敷に巻かれた長い何かをコトン──と置いた。
桃姫が疑問符を浮かべながらそれを見ていると、五郎八姫は風呂敷を開いて、その中から銀桃色の刃を持つ大小二振りの仏刀を顕にした。
「──〈桃源郷〉と〈桃月〉……!!」
桃姫は思わず大声を発した。中程で刃が真っ二つに折れている〈桃源郷〉と切っ先が欠けている〈桃月〉がちゃぶ台の上で鈍く輝いた。
いまだ神秘的といえる銀桃色の刃をしてはいるが、しかしかつて桃姫が振るっていたときよりも明らかに美しい光彩は失われていた。
「家康公からももに渡すように頼まれていたでござるよ。先月、関ヶ原の合戦跡地で見つかったそうでござる」
「そう、なんだ……届けてくれてありがとう、いろはちゃん」
桃姫は五郎八姫に感謝の言葉を述べると、〈桃月〉の柄を手に取って切っ先が失われた桃太郎由来の愛刀を見ながら静かに口を開いた。
「……でも……これじゃ鬼は倒せない……」
桃姫は瞳を震わせると、悲しげに五郎八姫に告げた。
「……仏刀としての役目を果たせるような状態じゃないって……この刃の輝きを見ただけで、痛いくらいに、それが伝ってくるんだ……」
「…………」
「……せっかく持ってきてくれたのに、ごめんね……いろはちゃん……」
桃姫はそう言って顔を伏せると、五郎八姫もまた顔を伏せて沈黙した。その時、家の外で村人たちの騒がしい声が沸き立ち始めた。
「──妖怪だっ! 妖怪が出たぞぉっ……!」
「──桃姫様、どちらですかぁっ! 早く退治してくだせぇっ……!」
村人たちの喧騒を耳にした桃姫と五郎八姫が互いに目を見合わせて立ち上がると、玄関の引き戸を開けて声のする方に向けて走り出した。
そして二人は、騒がしい声を辿って人だかりが出来ている村の表門まで行くと、桃姫の存在に気づいた村人たちが左右に分かれて道を開けた。
「──ガルルルっ……! グルルルっ……!」
「──たまこは悪い妖怪じゃないけろ! 桃姫の友達けろだよ! 退治しないでけろ、おねがい──!」
開かれた道の先には、唸り声を発しながら狼狽えている様子の黒狐の妖狐と、その背中に跨がりながら身振り手振りで村人たちに懸命な説得を試みている桃色肌でずんぐりむっくりとした子河童の姿があった。
「ッ……たまこちゃん──!? 夜狐禅くん──!?」
その姿を目にした桃姫は驚きと喜びが入り混じった声を上げると、懐かしの妖怪たちの元へとすかさず駆け出すのであった。