「──いや~、ひどい目にあったけろだよ……」
桃姫の家に上がったたまこは、座布団に座って湯呑みに入った水を一気に飲み干すと、短い足を畳の上に投げ出しながら嘆息した。
「村の人たちは初めて妖怪を見たから、驚いたんだよ。ごめんね」
「それに、妖怪といえば人に迷惑をかける存在と思われているでござる。彼らも悪気はなかったのでござろうよ」
桃姫と五郎八姫がしょんぼりした顔のたまこを励ますようにそう声をかけると、その隣の座布団に座っている人間形態の夜狐禅が口を開いた。
「……はい。突然訪問して驚かせてしまった僕らにも非があります。ただ、この村には桃姫様だけが暮らしていると聞いていたので……何やら、とても賑やかですね」
夜狐禅が桃姫に問いかけると、笑みを浮かべた桃姫は頷いて答えた。
「うん。あの人たちは隣村の人たちでね、最近引っ越してきたんだ。村が"修羅巌鬼"に焼かれてしまったから──」
「……っっ!!」
桃姫の言葉を受けて、たまこと夜狐禅がハッとしながら大きく目を見開いた。
「修羅巌鬼ッ……! 正しくそれです……! 僕たちが桃姫様に会いに来たのは、その黒い炎をまとった大鬼についてなんです……!」
「そうだけろっ……! 桃姫、助けてけろっ……! お願いだけろっ……!」
夜狐禅の言葉に呼応したたまこが、座布団から立ち上がってちゃぶ台に短い手をつきながら声を上げると、桃姫は妖怪たちを落ち着けた。
「ちょ、ちょっと待って。何でみんな……修羅巌鬼を知ってるの?」
「知ってるも何も……! やつは10日前、紀伊の山にある"河童の領域"を燃やしたんだけろだよ……!」
「えっ……」
たまこが険しい表情で告げると、桃姫の脳裏にかつて雉猿狗と巡った紀伊の山々と河童たちの長・カシャンボが鎮座する河童の領域の光景が思い出された。
「それで、怒ったおっとおが追いかけたら、やつは炎の中に姿を消して……おっとおはその時に火傷を負ったんだけろ……!」
「カシャンボさんが……!? たまこちゃん、他の河童さんたちは無事だったの……?」
膝に短い両手を置いたたまこが涙で瞳を潤ませながら黄色いクチバシを震わせると、桃姫は心配そうに尋ねた。
「うん……みんな山火事に備えて日頃から訓練してたけろから、急いで川に飛び込んで……村の人間たちも河童と一緒に川に飛び込んで、みんな無事だったけろ……」
「……そっか……あの子たちも無事だったんだ……よかった」
桃姫は尻子玉を抜かれて泣きべそをかいていた村の子供たちのことを思い出して懐かしさと共に安堵した。
あの日から随分と時間が流れて、彼らも自分と同じく成長しているのだろうと桃姫は思った。
「おっとおの火傷も命に別状はないけろだけども……でも、河童の領域が焼かれてしまったのは事実だけろ……! あたいは怒ってるんだけろ……!」
たまこは桃色の体をぷるぷると震わせながら緑色の瞳を怒りに燃やした。
「……夜狐禅くん。夜狐禅くんはどうして修羅巌鬼のことを……?」
「はい。あれは、5日前のことです……ぬらりひょんの館にも修羅巌鬼が顕れたのです」
桃姫が夜狐禅に尋ねると夜狐禅は長い前髪の奥で眉根を寄せながら話し始めた。
「修羅巌鬼は、奥州の森を焼き払いながら館の前までやってきました……頭目様が帰るように告げると、"我ハ修羅巌鬼ナリ"と言い残して、自らが作り出した炎の渦の中に消えていったのです……」
「……同じだ……私が遭遇した修羅巌鬼と、間違いなく同じ存在……」
夜狐禅の言葉を聞いた桃姫は、自身が遭遇した炎の渦の中に消え去っていく修羅巌鬼の姿を思い出しながら答えて返した。
しかし、たまこと夜狐禅による修羅巌鬼との遭遇情報を聞き受けた桃姫には、ある違和感が生じた。
「……紀伊に顕れたのが10日前……備前に顕れたのが一週間前で、奥州に顕れたのが5日前……この短い期間に立て続けに現れてはいるけど、その"位置"はバラバラなんだね……」
「はい、目的と法則性がまるで見いだせません……そこで桃姫様、こちらをご覧ください──」
夜狐禅は桃姫に対して頷いてから立ち上がると、黒い着物の懐から丸められた一枚の赤い羊皮紙を取り出した。
「──こちらは、頭目様の秘妖具……"追跡地図"でございます」
夜狐禅はちゃぶ台の上に置いた羊皮紙を広げながら告げると、日ノ本全土が描かれた赤い地図を一同に見せた。
「修羅巌鬼が炎の中に消えていく間際、頭目様は妖術を用いて"追跡針"をその体に打ち込んだのです……"追跡針"は"追跡地図"と繋がっております……すなわち──」
「──あッ……! "針"が浮き出たでござる……!」
夜狐禅の言葉を聞きながら桃姫と五郎八姫、たまこが地図を凝視していると、紫光する"針"の絵が九州にフッ──と現れたのを目にした五郎八姫が声を上げた。
「……ここに今、修羅巌鬼がいるってこと……?」
地図から顔を上げた桃姫が夜狐禅に尋ねると、夜狐禅は静かに頷いた。
「はい……この"追跡地図"を桃姫様に渡すようにと、頭目様に頼まれて僕は奥州を立ちました。そして紀伊を通る際に山道を歩いているたまこ様と鉢合わせのです。話を聞けば、河童もまた、修羅巌鬼による被害を被っていたことがわかり、僕の背中に乗って頂いたのです」
「本当に助かったけろだよ……あたいの足だと、備前までどれだけの時間がかかるか、わからなかったけろだから……」
そう言ってたまこは、短い両足を短い両手でぷにぷにと揉みほぐした。
「うん……わかった。つまり、私に修羅巌鬼を退治して欲しい……ってことだよね。だから二人とも、私の村まで遠路遥々やってきてくれたんだよね……?」
「はい」
「その通りだけろ」
桃姫の言葉を受けて、夜狐禅とたまこが力強く頷いて返すと、桃姫は深く息をはき、顔を伏せながら目を細めると、静かに口を開いた。
「──ごめん。今の私には、出来ないんだ──」
「……ッ!?」
「……けろ!?」
桃姫の告白に夜狐禅とたまこが驚きを隠せずに声を漏らすと、桃姫の隣に座る五郎八姫もまた深く息をはいてから口を開いた。
「……夜狐禅殿、たまこ殿。あれを見るでござるよ……」
五郎八姫は、仏壇の前に立てかけられている折れた二振りの仏刀を独眼で示しながら静かに告げた。
夜狐禅とたまこは、かつての輝きを失った鬼殺しの仏刀の悲惨な姿を見やって、思わず息を呑んだ。
「ももは仏刀を失ったでござる……いくらももが強いと言っても、そのような燃える大鬼を素手で退治することは叶わぬでござるよ」
五郎八姫がそう言うと、夜狐禅は五郎八姫の左の腰に携えられている黒鞘を見ながら口を開いた。
「あの、五郎八姫様の〈氷炎〉は……桃姫様には、扱えないのでしょうか……?」
「……夜狐禅殿もあの日浮き木綿の上にて執り行われた"刻命の儀"で見届けた通り……この刻命刀は、ぬらりひょんの過去を味わった"拙者専用"に拵えられた破邪の剣でござる」
五郎八姫は、妖刀〈夜桜〉を進化させた刻命刀〈氷炎〉の黒鞘を見下ろしながら話を続けた。
「……現に〈氷炎〉を拙者の元に運ぼうとした伊達の家臣が、その手で鞘に触れた途端、激しく吐血して一ヶ月以上寝込んだことがあるでござるよ……」
五郎八姫は笑い話のように鼻で笑いながら告げたが、その話を聞いた桃姫と夜狐禅、たまこは引きつった表情を浮かべた。
「……ももの体に神仏の御加護があるとはいえ、そんな危険な刀を扱わせるわけにはいかないでござる。妖々魔殿によって持たされ、ぬらりひょんによって"拙者専用"へと拵えられた〈氷炎〉……まったく、なかなかに難儀な愛刀でござるよ」
五郎八姫はそう言ってため息をつきながら独眼を閉じると、四人の沈黙が居間を包み込んだ。
そんな中、桃姫はふと仏壇に視線をやった。両親の位牌とおつるの赤いかんざし、そして桃の花が咲いた小枝が飾られている質素な作りの手製の仏壇。
「…………」
そして桃姫は視線を下に落とし、立てかけられている二振りの壊れた仏刀を見つめる。見つめながら、先程の五郎八姫の言葉が心の中で繰り返された。
──"拙者専用"に拵えられた破邪の剣でござる。
──"拙者専用"へと拵えられた〈氷炎〉……。
「……専用に……こしらえる……」
小さく呟いた桃姫は、光を失った銀桃色の刃を見つめながら、三獣の祠に安置された雉猿狗の魂──三つに割れた〈三つ巴の摩訶魂〉の姿を想い、その両者を心の中で重ね合わせる。
その瞬間──〈桃源郷〉と〈桃月〉、〈三つ巴の摩訶魂〉とが融け合いながら極光を放ち、翡翠色の輝きを放つ一振りの両刃の長剣に転じる光景が心の中に強く想起された。
「……ッッ──!!」
そして桃姫は、濃桃色の瞳に走る黄金と白銀の波紋をカッ──と光り輝かせると、勢いよく立ち上がって口を開いた。
「──拵えようッッ──!!」
両手の拳を握りしめながら、宣言するように力強くそう告げた桃姫の顔を五郎八姫、夜狐禅、たまこが一斉に見上げた。
「……"私専用"の剣を、新しく拵えればいいんだよ……!!」
呆気にとられる一同の顔を見回しながら、太陽のような笑みを浮かべて皆にそう呼びかけた桃姫。
腕を組んだ五郎八姫は桃姫のその言葉を噛みしめるように吟味すると、大きく頷いてから口を開いた。
「ッ……"もも専用"の剣でござるかッッ──!!」
「うんっ……!! だからみんな、力を貸して……!! "私専用"の鬼退治の剣を、この世に生み出すのをッッ──!!」
そう言って右手を伸ばした桃姫の呼びかけに五郎八姫、夜狐禅、たまこは互いに顔を見合わせて力強く頷くと立ち上がり、桃姫が伸ばした右手に各々の右手を重ね合わせるのであった。