「……おお、これよ。これぞ、鬼ヶ島の空気──ああ、相変わらず不味いのう。肺が腐るようだ」
鬼ノ城の広場にて、両腕を広げた道満が深呼吸をしてから、不気味な赤い空に向けて吐き捨てるように言った。
「まったくです。首領を失ってもなお、この辛気臭さですか……"彼岸と此岸の狭間"。ここは、生者のいる場所ではありませんね。早いところ"目的"を果たして立ち去りたいものです」
晴明が道満に同意して返すと、道満は眼前にそびえ立つ黒岩の巨城・鬼ノ城を見上げた。
「だが、巌鬼がいなくなったのは好都合。今や鬼ノ城は誰の支配下にもあらず、我らのやりたい放題よ」
「鬼ヶ島に来たついでです。宝物庫も覗いてみますか、道満……?」
晴明は冷たい笑みを浮かべながら道満に尋ねると道満は首を横に振って返した。
「ふははっ。早く帰りたいと言ったのはおぬしだろう、晴明──寄り道など不要。"目的"を果たすのみ。さぁ、さっさと行くぞ──開けろ、忠勝」
「…………」
道満が黒い瞳を紫光させて忠勝に指示を出すと、忠勝は無言のまま鬼ノ城の大扉まで歩いていき、両手で大扉を押し開けた。
「……ここが鬼の根城……何事も起きぬとよいが……」
鬼ノ城の城内に入っていく陰陽師たちの背中を見ながら天海は呟くと、自身も鬼ノ城へと足を踏み入れた。
道満の操る忠勝に先導されながら、鬼ノ城の廊下を歩いていく陰陽師一行は、城主の不在によって開け放たれた宝物庫に立ち寄ることもせず、一階の廊下を進んで地下へと繋がる階段に向かった。
深淵に繋がっているかのような真っ暗な下り階段を道満が見下ろすと、晴明が両手をパン──と叩き鳴らして声を発した。
「──オン──!」
晴明の声に合わせて階段の左右に並んでいる燭台のロウソクに次々と火が灯っていき下り階段を明るく照らし出した。
道満は晴明に頷いて応えると、忠勝を先導させて階段を下っていった。そして、突き当りに現れた赤い扉の前で一行は立ち止まる。
「……道満、覚えていますか……?」
「……ああ、覚えている──"おぬしらは、ここで待て"、だろ」
「……ええ。ふふっ……懐かしさすら感じますね」
道満と晴明は、役小角に使役されていた前鬼と後鬼の中に居た時代を思い出しながら言葉を交わした。
役小角は二体の大鬼に対して、この赤い扉の前で待つように毎度命令を下していたのであった。
「──忠勝、触れるな。死ぬぞ」
行く手を塞ぐ赤い扉を押し開けようと、両手を伸ばした忠勝を制する道満。
「──下がって待機していろ」
「…………」
道満は忠勝にそう命令すると、忠勝は天海よりも後ろに下がり仁王立ちになった。
「……道満、二人なら開けられますよね」
「……開けられねば、天下は取れぬ」
赤い扉の前に立った晴明と道満は互いに言葉を交わすと、晴明は左手、道満は右手を突き出して、弁財天のマントラを同時に詠唱した。
「──オン──ソラソバ──テイエイ──ソワカ──」
役小角ではないマントラを聞き届けるか否か、道満と晴明は固唾を飲み、一瞬の緊張が周囲に走ったあと、赤い扉が紫色に光り、ガチャリ──という音が扉から鳴った。
ギィ──と赤い扉が開くと、道満と晴明は安堵に胸を撫で下ろした。
「……天海殿も入るか? 我らの師匠──"役小角の部屋"だ」
「……っ」
不敵な笑みを浮かべた道満が後方の天海に声を掛けると、天海は額から一筋の汗を垂らしたあとに頷いた。
「……大鬼の中から這い出た時……あの時は、御大様(おんたいさま)が居たので、部屋を見て回ることが出来ませんでしたが……」
晴明はため息混じりの嬉々とした声を発しながら役小角の赤い部屋を見て回った。
「……晴明、我らがこの部屋に来た"目的"を忘れるでないぞ」
「ええ、ですが……ここにある呪物と書物はどれも一級品……素晴らしい……!」
晴明は本棚から書物を取り出して、表紙を眺めながら感嘆の声を漏らした。
「まったく──さて、"目的"の品は……ん?」
道満は晴明に対して呆れながら赤い部屋を見渡すと、部屋の中央に置かれた赤い瓶を覗き込む天海の姿を視界に捉えた。
「天海殿……いかがした」
「ッ……道満殿……これは……?」
天海が覗き込む赤い瓶の中を道満も覗き込むと、赤黒い液体がフツフツと泡を立てて煮えたぎっている様子が見て取れた。
「……これは、"鬼薬"だな」
「"鬼薬"……? では、これが"目的"の……?」
「いや、これではない……こいつは"下級の鬼薬"だ」
道満は天海に対してそう言って返すと赤い瓶から顔を上げた。
「こいつは、鬼人兵や鬼虫を生み出すための"鬼薬"。我らが求めているのは──"八天鬼の鬼薬"だ」
「見つけましたよ、道満──」
道満が言うと、晴明が声を上げて棚の上に置かれていた筒立てを手にとって見せた。
8本の小瓶が収まる筒立てには、中身が残っている2本の小瓶が収まっていた。
「……おお、まさしく──"八天鬼薬"」
道満は笑みを浮かべながら言うと、晴明は2本の小瓶を筒立てからスッ──と抜き取って、"絶羅"と書かれた朱色の液体と"滅羅"と書かれた緑色の液体を両手に持って顔の前に掲げて見せた。
「ふふっ……道満は、どちらがお好みですか──?」
「──そうだな……ならば、"絶羅"を頂こうか」
冷たいを笑みを浮かべた晴明に対して、不敵な笑みを浮かべた道満が言って返すと、晴明は左手に持った朱色の液体が入った小瓶を道満に向かって放り投げた。
「おいッ……!! 雑に扱うなッ……!! ──我ら弟子に対する、御大様からの大切な贈り物ぞッ……!!」
道満は慌てながら宙空を飛ぶ小瓶を掴み取ると、晴明の顔を睨みつけながら怒りの声を上げた。
「おお、怖い。そう怒鳴らないでくださいよ……私たち、千年の時を共にした腐れ縁ではないですか……これからも仲良くやっていきましょうよ──ねぇ?」
「だがその千年前……俺たちは互いに呪詛を掛け合って殺し合っていた仲だったよな──? そんな俺たちを繋ぎ合わせてくれたのが、御大様の存在だ──そのことを決して忘れるな」
道満はそう言って晴明を睨みつけながらも、手に持った"絶羅の八天鬼薬"を晴明に向けて掲げた。
それを見た晴明は冷たい笑みで返すと、"滅羅の八天鬼薬"を道満に向けて掲げた。
「決して忘れませんよ……すべては御大様のおかげです──"御大様の遺産"に乾杯──」
「──"御大様の遺産"に乾杯──」
かつては憎み合っていたお互いの黒い瞳を見ながら、"役小角の遺産"に感謝を述べて、"八天鬼薬"の入った小瓶をカチン──と叩き鳴らした晴明と道満。そして二人は、親指でキュポン──と小瓶の蓋を弾いて開けると、グイッ──と一息に呷った。
天海はその様子──自らもそうだったように、人間が"八天鬼人"へと変貌していくその様子を息を呑んで見やった。
しかし、天海はこうも思った──この二人は既に普通の人間ではない、伝説の陰陽師である。その二人が超常なる八天鬼人の力を得たならば、いったいどうなってしまうのか。
──……間違いなく、日ノ本に恐ろしい事が起きる……。
──……よかった。この二人が、わしの味方でよかった……。
天海は恐怖とも畏敬とも区別のつかない引きつった笑みを浮かべながら"八天鬼人"へと変貌していく二人の姿を見届けた。
「──ぐッ、ぐぉおおおおッッ──!!」
「──がはァッ! がぁあああッッ──!!」
激しいうめき声を発する道満の肌が朱色に染まっていき、晴明の肌が緑色に染まっていく。それと同時に道満の額の中央からは、前方に突き出した真っ赤な一本角が、晴明の額の左右からは、前方に突き出した濃緑色の二本角がグググ──と生え伸びる。
苦悶の表情を浮かべる両者の見開かれた黒い瞳が黄色く染まっていき、それぞれ朱色と緑色に光り輝く"鬼"の文字が瞳孔に浮かび上がることによって、新たな"八天鬼人"の誕生とするのであった。