発表会の劇が終わった翌日のこと――――――。
卒園式に参加できないというリッちゃんのために、ぼくたち年長のゾウ組のお部屋で、お別れ会が行われた。
クラスの中でも、ぼく以外の園児たちは、リッちゃんが引越して遠くへ行くということをはじめて耳にしたらしく、エリちゃんやケンタくんのように、寂しさのあまり泣き出す子が、何人もいた。
前の日の劇の本番で涙を出し尽くしたぼくは、リッちゃんと本当にお別れするんだという実感が持てず、ただただ、会が進行していくのをながめていた。
ただ、ぼく以上にリッちゃんは冷静で、お別れ会が行われる間も淡々と受け答えをしている。
(みんなとお別れするのも寂しくないのかな? やっぱり、リッちゃんは強いな……)
そんなことを考えていると、中浜先生が、お別れ会の主役であるリッちゃんに、こんなことをたずねた。
「リッちゃん、みんなとお別れする前にしてみたいことはある?」
その質問に、彼女は「う〜ん……」と、少し考えたあと、予想もしないことを口にする。
「昨日の発表会でがんばってたから、ムネリンと二人でお話しがしたい!」
とつぜんのご指名に、なんのことなのか意味がわからず、「えっ?」と、キョトンとしていると、先生は、リッちゃんの意外なリクエストに、少しだけ困ったような表情を浮かべたあと、
「じゃあ、お別れ会が終わったら、ムネシゲくんと少しだけお話しする?」
と、リッちゃんにたずねる。
そして、「うん!」と力強くうなずいた彼女の返事を待って、ぼくにも、
「それでいいかな、ムネシゲくん?」
と、確認するように問いかけてきた。戸惑いながら、ぼくも、「うん、いいよ」と答える。
(リッちゃんは、ぼくとナニを話したいんだろう?)
そんな疑問を感じながら、会が終わるのを待つことにする。
そうして、お別れ会が終了すると、中浜先生は、
「リッちゃん、ムネシゲくん、ちょっと離れてお話しようか?」
と言って、ぼくたちを部屋の片隅に案内した。
少し離れた場所から、クラスのお友だちの声が聞こえるのを感じながら、ぼくは、恐る恐るたずねる。
「リッちゃんは、どうして、ぼくとお話ししたいの?」
すると、彼女は、ニコリと笑って返答する。
「発表会の劇は、みんなと一緒にできる最後の行事だったから、がんばりたかったんだ。とっても良い劇だったって、私のママも言ってたよ。ありがとう、ムネリン」
前日の劇での大号泣は、家に帰ってから、ビデオ録画をしていた母親や、家に遊びに来て動画を見たワカ
こうして、リッちゃんに褒められると、別の意味で気恥ずかしい気持ちになる。
「ゴメンね……本番では泣かないゾ、って思ってたのに、セリフもちゃんと言えなくて……」
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、そう言うと、リッちゃんは、小さく首を横に振って答える。
「ううん……ムネリンが、本当に黒いケモノのことを大事に思ってるんだって伝わってきて、嬉しかったよ」
「そうなの?」
「うん、前にも言ったかも知れないけど……私ね、『泣き虫なケモノのおはなし』の黒いケモノが大好きなんだ。私も黒いケモノみたいに、自分が嫌われ者になっても、誰かが笑顔になってくれたらイイなと思ってたんだけど……やっぱり、ダメだったみたい。だから、うちのパパとママは……」
そう言うと、リッちゃんは、悲しそうな表情でうつむいてしまった。
それでも、彼女は、すぐに表情を変えて、「でもね……」と、付け加える。
「練習のときや、昨日の本番の劇のムネリンを見て思ったんだ……ムネリンは、黒いケモノのことを本当に大事に思ってるんだなって……それが、とっても伝わってきたから……だから、ありがとう、ムネリン」
このとき、彼女が見せた表情は、これまで見たリッちゃんの笑顔の中で、いちばん可愛らしいと感じた。
その笑顔に、ぼくは、これまで言えなかったことを口にする。
「もちろん、黒いケモノのことも好きだけど、ぼくは、リッちゃんのことも大好きだよ! ぼくが、他のお友だちと話せるようになったのも、リッちゃんのおかげだし……だから、ぼくは、リッちゃんと離れたくない!」
思わず口から出てしまった言葉に、自分自身で驚いていると、リッちゃんは、目を大きく見開いたあと、
「ムネリン、良くそんな恥ずかしいことを大きな声で言えるね?」
真顔で、そんなふうにたずねる彼女の言葉に、ぼくは自分の顔が、カーッと赤くなって行くのを感じた。
そうして、うつむいてしまったぼくの表情を見ながら、クスクスと笑って付け加える。
「ムネリンの気持ちは伝わったよ。ありがとう! でも、もうちょっと、泣き虫なところを直した方が、女の子にはモテるかもね?」
その言葉に反応して、ぼくは問い返す。
「な、泣き虫なところを直すには、どうしたらイイのかな?」
「さあ? 自分が強くなればイイんじゃない? ムネリンは、男の子なんだから、たとえば、『ぼく』って言うのをやめて、『オレ』って言ってみるとか?」
「オレって言えば、強くなれるのかな?」
「いや、いまのは冗談だよ! ホントに大切なのは、周りヒトたちのことを気にして、ウジウジ悩まないようにすることだと思うよ。周りの目を気にしたり、誰かに言われるから、自分の想いを簡単に手放すのっては違うんじゃないかな?
正直なところ、ぼく……いや、オレには、難しすぎてリッちゃんの言っていることは、良くわからなかった。
それでも、こう答えないといけない気がした。
「わかった! 強くなって、いつか、リッちゃんみたいに、誰かを笑顔に出来るようになるから!」
「そっか! じゃあ、約束ね!」
そう言って、リッちゃんは、小指を差し出す。
「指切りげんまん、ウソついたら、ムネリンをイ〜ジる! 指切った!」
勝手に歌詞を変えるリッちゃんに、
「ムネリンをイジるって、どういうこと?」
と抗議すると、彼女は、また可笑しそうにクスクスと笑い声をあげる。
年長組の部屋の窓際では、換気のために開け放たれた窓から、まだ寒さの残る季節の冷たい風に乗って、オレンジなどの柑橘の実を思わせる爽やかで明るい香りがただよい、オレの鼻をくすぐった。