3
「ちわーっす」
空気を切り裂くように、事務所の扉を開けたのは海だ。
「おはよーございまっす」
夕方だろうか夜だろうが出勤する時はおはようございますと挨拶するのは一体誰が決めたのであろうか。
「海、ちょっといいか」
「ほい、どうしたンすか?」
小林に手招きされた海は事務所の奥へと連れていかれた。
「じゃあ、いーちゃん私帰るわねぇ」
「あ、お疲れ様でした」
フローラルな香りを残して最潮が去った。国定と悦子はどこにいるのだろうか。
憩はいつも自分が担当しているパソコンの前に座った。エクセルのデータを開いて、入場者数、フリーパス購入数などを集計する。これは経理の仕事ではないのかと最初思ったが、任されたのならやるしかない。
やがて、話終えたのか小林が事務所から出ていったので、憩は海と二人きりになった。
「えー、マジで。そんなことがあったんだ」
「ウサギのこと?」
憩がそう尋ねる。
「ああ。盗まれたかもしれないって、ウサギを盗んでどうするんだろうな」
みんな、感想は一緒だ。金品ではなくウサギを盗む理由はやはり……。いけない余計なことは考えないようにと憩は首をふった。そこへ、帰ってきてほしくない人二名が帰ってきてしまった。
「ああ! くそっ!」
頭を抱えている国定と眉間に皺が寄っている悦子。
「なんなのよ! 私たちのせいじゃないっての!」
鼻息の荒い悦子の甲高い声が耳障りだ。
「どうしたんですか?」
間髪を入れず海が二人に尋ねる。
「どうもこうもないわよっ! あの南原がもんたんをパレードから外せって言うの」
南原ということは市長にバレたのか。
「えー、もしかしてウサギの件で、ですか?」
「そうだよ。市長がウサギを可愛がっていたのなんてもちろん知っている。だが、我々に罪はないのに!」
どうして南原市長にバレたのか……。ああ、もしかしてネットニュースにでも載ったのだろうか。
「困ったなぁ、もんたんは人気キャラクターだから」
このラビパのイメージキャラクター、ラビタンとラビリスはウサギのマスコットだが、もんたんはナマズをイメージして作られた。キモかわいいと世間的にヒットしているキャラクターで、紋路市のサービスエリアや観光地に置かれたもんたんグッズが好評なのだ。
国定夫妻があーだこーだ五月蝿いが、憩は自分の仕事を進めないと十時に帰れなくなるので、作業に励む。海も、今あまり二人に触れない方がいいと判断したのか、黙々と印刷作業を始めた。
翌日、憩はいつも通り三時に出勤したが、お客さんがザワついていた。本日のパレードを急遽中止にしたのだそうだ。別にもんたんがいなくても他キャラクターでパレードを行えばいいのに、と思った憩だが、今日も相変わらずオモチャのような急流すべりの受付を行う。ふれあい広場は「改装中」という張り紙が貼られてこちらも昨日から入場できないようになっている。羊やヤギ、リスたちが盗まれることはないが、国定はどうやらふれあい広場に監視カメラを設置するらしい。業者がふれあい広場にて設置作業を行っていると、すべては海から聞いた。
海は同じ大学の四回生で、憩と同じく夏休み中である。六月に大手メーカーの内定を獲得しているので、余裕綽々だ。週五回、朝から晩までいる日もあれば、夕方から出勤する日もある。海という名前らしく日に焼けていて、湘南でサーフィンをしていますと言わんばかりの風貌だ。しかし、実際のところ紋路市は海に接していない都市で、海はカナヅチらしい。どうして日に焼けているのかというと実家が農家で畑仕事を手伝っているからだという話を聞いて憩は思わず吹き出してしまった。
「バカにするなよな!」
子どものように頬をふくらます海は精神年齢八歳くらいにしか思えない。
「夏野菜いっぱい収穫したからやるよ!」なんて白いビニール袋から色鮮やかなトマトや茄子をスタッフたちに配っては喜ばれている。
憩は職務中もずっと五羽のウサギの行方が気になっていた。しかし、お願いだ。どこかで生きていてくれ。という彼女の期待はある日裏切られる。
最初に発見したのは金田だった。彼はいつも朝の八時に出勤して動物たちの世話をするが、ふれあい広場に入った途端、異臭がした。よく目を凝らすとウサギ小屋の中に何かが見える。それは死に絶えた五羽のウサギたちだった。
その話を聞いた憩は愕然とした。再び警察が来て現場検証を行っている。真夏で最高気温が三十六度、三十七度の日が続いていた。
憩はショックからか珍しく熱を出して家で休んでいた。ぼんやりする頭で枕元のスマホをいじっているとネットニュースに「変死」の文字が飛び込んできた。
紋路市にあるテーマパーク『ラビパ』にて園内で飼育されていたウサギ五羽が六日夜、突然姿を消し、昨日十三日の朝に変死しているのが発見された。
どうして、一体誰が?