座り込んでいると体が鉛のように重くなっていく。
このまま地面に身を預けてしまいたい衝動に駆られる。
だが、ここで眠ってしまえば、二度と立ち上がれなくなるだろうな。
そうなると、せっかくここまでやってきたことが無駄になっちまう。
視界の端では酔っぱらったドラゴンと、いつの間にかオレの手から離れた三毛猫が一緒になってゴロゴロと転がっている。
「いよっいしょっと!」
少々おっさん臭い掛け声とともに、気合を入れて立ち上がる。
まるで重力10倍の世界にいるかのように体が重い。
……いや、重力10倍の世界なんか行ったことねーけど。
重い体を引きずりながら部屋の外へ出ると、宮殿に待機していた兵士たちが集まっていた。
兵士たちは部屋の中を見ながら呆然と立ち尽くしている。
当然といえば当然か。
魔王を倒した勇者が、訳のわからない人間にやられてしまったんだからな。
ここで、慕われている勇者だったら、兵士たちは戸惑いながらも戦おうとしてくるだろう。
けど、源五郎丸は傍若無人に振舞っていたようだし、こんな時間まで働かせてもいた。
正直、慕っている人間は少ないはずだ。
もしかすると、この状況に内心ガッツポーズを取っているやつもいるかもしれない。
「すまん。ちょっとどいてくれるか」
兵士たちの脇をすり抜け、結姫の元へ向かう。
結姫はさっと同じ状態で、まだ眠っていた。
「結姫。終わったぜ」
声をかけるが、ピクリとも動かない。
――まさか。
出血していなかったし、気絶する前は普通に動いていたから致命傷は受けてなかったはずだ。
それでも心配になり、結姫の胸に耳を当てる。
もちろんこれは心臓の音を聞くためだ。
手首の脈を測れよという声もあるかもしれないが、あれは実際難しいんだって。
今は何より体がボロボロで自分の脈さえも安定してない。
そんな中で他人の手首から脈があるかを調べるよりも、こうして心臓の音を聞く方が早いし確実だ。
……と、一応心の中で言い訳をしておく。
トクン、トクン、トクン。
よかった。
ちゃんと生きてる。
結姫が起きたら、なにをされるかわかったもんじゃないからな。
確認ができたので、すぐに離れ――ようとしたときだった。
ガッ!
いきなり結姫に抱き着かれた。
頭を抱き抱えらえるような形だ。
「ゆ、結姫さん?」
思わず上ずった声が出てしまう。
やや小ぶりだが、実に感触のいい胸が押し付けられている。
なんだ?
もしかして、オレの格好いい姿を見て惚れちまったか?
「モフモフ……」
今度はオレの頭を撫でてくる結姫。
どうやら寝ぼけているようだ。
起こすのも悪いし、もう少し動かないでいてやるか。
「じゃない!」
カッと目を見開いた結姫から、右フックを食らう。
「ぐはっ!」
顔面に、ドラゴンの尾で攻撃されたとき以上の衝撃が走る。
そしてオレはなす術なく吹き飛んだのだった。
「ううっ……」
「よお、目が覚めたか?」
「うわ! 化け物!?」
「ちげーよ!」
目を開けた源五郎丸がオレを見て、震え始める。
気持ちはわからんでもないが、化け物はないだろ。
結姫に殴られて、単に顔面が2倍に腫れ上がってるだけだ。
「お、おい! こいつを……って、くそ! 解け!」
「解くわけねーだろ」
暴れられた困るので、源五郎丸が気絶している間に手首を紐で縛っておいた。
「後悔するぞ」
「お前がな」
この状況でよくそんなセリフが吐けるもんだ。
強がりなのか、それともただの馬鹿なのか。
まあ、どちらでもいいが。
「さてと、お帰りの時間だぜ」
「か、帰る? まさか……」
「ああ。元の世界だ」
「い、いやだーーーー!」
「残念だが、お前の意思は関係ない」
「絶対に! ぜーったいに帰らないからな!」
「もう一回、寝かせるか。結姫、やる?」
「いい。殴る価値もない」
「そっか……。じゃあ、オレがやるか。動けない相手を殴るってのは気が引けるけどな」
「思い切りやって」
「……」
結姫さんはどうやら激怒のようだ。
たぶん、今殴ったら勢い余って殺しかねないんだろう。
「娘を元に戻してもらおう」
いきなり後ろからヌッとドラゴンが首を伸ばしてきた。
すっかり酔いも醒めたみたいだ。
そのドラゴンの頭の上には三毛猫が乗っていて、それを悲しそうな顔で見ている結姫。
自分よりも父親に懐いているのがショックなんだろう。
「元に?」
「うむ。普通の猫の状態になっている。おそらく、こやつが何かをしたのだろう」
なるほど。
もう一体使役しているという話は、完全に嘘ではなかったわけだ。
使役され、猫の状態にされていたせいで三毛猫は近くに親がいたのに出てこなかったのか。
あと、街から出るときに立ち去ったのは、源五郎丸の使役されている範囲から外れるからだったんだろう。
立ち去ったというより、出られなかったと予想できる。
「無駄な抵抗はやめて、戻してやれよ」
「俺様を見逃してくれたら戻してやる」
「……調子こくなよ」
せっかく怒りが収まってきたのに、またふつふつと湧き上がってくる。
拷問でもして、無理やり戻させるか。
「そんな時間はない」
まるでオレの思考を読んだかのように、結姫が呟く。
怖いからやめてくれって!
「頼む! 何でもする! だから戻すのはやめてくれ!」
「そんなに元の世界は嫌か?」
「……あの世界では俺様は無力だった。他者に虐げられるだけだったんだ」
悔しそうに唇を噛んでいる。
イジメにでもあっていたんだろうか。
この世界で、権力にこだわったのも、そういう理由があったからなのかもしれない。
「今、お前はそれをやってるんだぜ?」
「……え?」
キョトンとした表情となり、辺りを見渡す源五郎丸。
周りにはオレたち以外にも、多くの兵士たちが遠巻きに見ている。
兵士たちはジッとやりとりを見ているだけだ。
「お前はこの世界で力を得て、その力でこの世界の人間――いや、魔王でさえも虐げていたんだ」
「……」
「お前ならわかるはずだ。虐げられる者の気持ちが」
「うっ……」
「やり直してみろよ。今度は他人の力を利用するんじゃなくて、自分の力でさ」
「うっせー! てめえらに俺様の気持ちがわかるか!」
「……」
無駄だった。
せっかくいいこと言ったのに、やつの心には微塵も響いてなかった。
まあ、言っただけで改心するようなやつは、そもそもこんな風にはならないか。
「大体、弱い奴が虐げられるのは当然だ! なぜなら俺様の方が強いからな! だから、お前らは一生、俺様に虐げられる人生を――」
突然、フッとやつの姿が消えた。
「送還完了」
いつの間にか準備していた結姫が、強制送還したらしい。
イライラが限界にきたんだろう。
「お、おい! 結姫、魔王の娘はどうすんだよ? 猫の状態から元に戻してもらわなくてよかったのか?」
「戻ってる」
「え?」
振り向くと、そこには猫耳のついた少女が立っていた。
「お父様!」
ガッとドラゴンに抱き着く少女。
結姫の言う通り、元に戻ったらしい。
「えっと、どういうことだ?」
親子の感動の再会を見ながら結姫に問いかける。
「元の世界に帰ればスキルは使えなくなる」
「……あ、そっか」
スキルは異世界に行った際に発動する能力だ。
元々いた世界に戻ると、その力は使えなくなる。
スキルを持たないオレには関係ない話だが、結姫も戻れば風を操るスキルは使えなくなってしまう。
源五郎丸が元の世界に帰ればスキルが消える。
そうなれば、やつが使役していた娘も解放されるってわけだ。
ドラゴンの使役が解かれたときにこのことを言えば、解決したかもしれない。
だが、追い詰められた源五郎丸が何をやるかわからなかった。
最悪、娘の方を消滅させる可能性もあったかもしれない。
だからこそ、あの場では言わなかった。
結姫もそこに気付いていたから、あえて黙っていたのだろう。
あそこで話してしまうと、情報を与えてしまうことになる。
そうなれば、あの場で見逃してもらえる可能性は低くなっていたはずだ。
そう。
ここまでちゃんと計算していたのだ。
――決して忘れていたわけじゃない。
ホントに。
「……で、あんたはこれからどうするんだ?」
そう問いかけると、ちらりと兵士の方を見るドラゴン。
一気に兵士たちに緊張が走る。
「この子と一緒に田舎にでもこもるさ。もうゴタゴタに関わるのはコリゴリだ」
「そっか」
例え、人間たちを滅ぼすと言ったところで、オレたちにはどうすることもできない。
任務以外で異世界に関わることはできないからだ。
最大の懸念が解消された。
これで心置きなく帰れるというもんだ。
「じゃあ、帰るか」
「そうね」
人がいるところで戻るわけにはいかないので、部屋を出る。
そして誰も見ていないところで、帰るための準備をする。
本当に疲れた。
帰って泥のように眠りたい。
こうして過去最大の難関な任務を達成し、オレたちは元の世界へと帰ったのだった。