「あまりゆっくりはできない」
仰向けに寝ていると、ニュッと結姫の顔が視界に入ってきた。
「わかってる。けど、あと30秒だけ。コレを使っていても、まだ苦しいんだよ」
「わかった。20秒待つ」
……10秒値切られた。
まあ、しゃーないか。
いつ応援が来てもおかしくない状況だ。
「大丈夫ですか?」
オレが心の中でややゆっくりめに20秒を数えている間に、結姫は部屋の隅でしゃがみこんでいる乃々華に声をかける。
乃々華は口を覆っていたものを外す。
オレが渡した道具だ。
なんでこんなものが、この世界にあるのか不思議そうに見ている。
「これって……酸素缶、ですよね?」
「手作りですが」
そう。
オレたちが用意していたのは酸素缶だ。
これのおかげで、鬼たちのように気絶しなくて済んだというわけだ。
「みんなが気絶しているのは、低酸素状態だから、ということですか?」
「はい。この部屋の中の酸素濃度を下げました」
「そんなこと……。どうやって?」
「そういうスキルですから」
「……スキル」
これが今回、オレが練った策だ。
結姫のスキルは空気を操る。
いつもは風を起こして、それを刃にして攻撃する。
その応用として、相手の顔の周りの酸素濃度を低くして気絶させるということもできる。
ただ、今回、結姫はスキルの力を増幅させたせいで、細かい制御ができなくなっていた。
だからその方法が使えず、鬼たちとの戦闘はオレが一人でやる羽目になっていたというわけだ。
だが、さすがに複数の鬼を相手にする場合、オレだけで戦うのには無理がある。
実際、10体も倒せずに、追い詰められた。
そこで結姫のスキルに頼ることになるのだが、風の刃で攻撃した場合、威力が強すぎて重傷、最悪死に至らしめる可能性もある。
迂闊に手を出せない状況だった。
それで考えたのが、今回の策だ。
一人一人に対して酸素濃度を低くしていくというのができないのであれば、部屋全体の酸素濃度を低くするという方法だ。
これならそこまで精密なコントロールは必要ない。
ただ、一気に下げ過ぎないように慎重にやってもらった。
なので、効果が出るまで少し時間がかかってしまったというわけだ。
ちなみに酸素缶も、結姫のスキルを利用して作った。
街で缶を買い、その中に圧縮した酸素を詰め込んでいる。
「さてと。じゃあ、帰ろうぜ」
格好つけて勢いよく立ち上がる。
だが、ちょっとふらついてしまった。
このくらいなら、帰って休めばいい。
「……帰るって、どういうことですか?」
「私たちはあなたを元の世界――地球の日本に帰すために来ました」
「帰る方法があるんですね」
「ああ。ささっと帰れるぜ。痛みも酔いもなく、あっさりとな」
だが、乃々華は神妙な表情で俯いてしまった。
あれ?
てっきり喜ぶと思ったんだけどな。
まさか、帰りたくない、とかか?
いや、それはないはず。
監禁されてる状態のままでいたいなんてドM過ぎる。
「弱みを握られているのですか? それなら問題ありません。なんとかします」
結姫が乃々華を落ち着かせるように優しい声で言った。
そっか。
前の任務の、使役された魔王のように何か弱みを握られている可能性もあるのか。
それなら、乃々華が強力なスキルを持っていたとしても、大人しく奴隷として使える。
ただ、もしそうだとしても、結姫の言う通りこっちで何とかできるはず。
仮にオレたちで解決できなくても、他のエージェントに依頼してもらうという手もある。
最悪、シャルに土下座してお願いしよう。
「違います」
乃々華が顔をブンブンと横に振った。
「では、なぜですか?」
「……彼らを」
ジッと倒れている鬼たちを、心配そうに見ている。
「放っておけないからです」
「「え?」」
乃々華の言葉に、またも結姫とハモってしまったのだった。
念のため、気絶している鬼を縛りあげる。
強制的に返還してもいいんだが、それはそれでモヤモヤが残る。
ここまで来たんだから、すっきりと終わらせたい。
「うっ……」
やはり鬼の中で一番に目を覚ましたのはボスの鬼だった。
あたりを見渡して状況を把握したのか、暴れることはなかった。
そしてオレを真剣な目でジッと見てくる。
「乃々華は無事か?」
「お前らがそれ言うか。心配すんな。オレたちは乃々華を助けに来たんだ」
「……助けに? 今更か」
そういえば前にも、そんなことを言っていたな。
今更?
どういうことだ?
王都の人間たちが助けに来ないことを言っているのか?
けど、それはそもそも乃々華が捕まっていることを知らない。
今も乃々華が鬼を倒してくれるのを待っている。
……いや、待て。
なんか違和感があるな。
あの街の人たちの反応。
あれは期待をしているという感情ではない。
なにかを隠しているような、そんな後ろめたい雰囲気を感じた。
「私は無事です」
乃々華が前に出てくる。
その姿を見て、ボスの鬼はホッと安堵の表情を見せた。
「よかった。……なあ、乃々華」
「はい、なんですか?」
「もし、お前が帰りたいのなら……俺たちのことは気にしないでいい」
オレと結姫はチラリと視線を合わせる。
どういうことだ?
乃々華は捕まっているんじゃないのか?
するといつも通りオレの心を読んだのか、結姫は小さく首を横に振る。
「あなたたちを置いてなんか行けません」
「……ふっ。本当に乃々華はお人よしだな。だから生け贄なんかにされるんだ」
「そうですね」
乃々華が苦笑する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。生け贄ってどういうことだ? 勇者として鬼の退治を頼まれたんじゃねーのか?」
「そうか。人間のやつらはそう言っているのか。実にやつららしい」
「私は……追放されたんです。あの街から」
「で、生け贄として、俺たちの住処に放り込まれた」
「は?」
意味が解らない。
勇者を追放だと?
なぜ、そんなことをする?
いや、そもそもそんなことができるのか?
転生者は強力なスキルに目覚めることが多い。
そんな転生者を追放するほどのやつがいるっていうのか?
それなら、なぜ、そいつは鬼たちを倒しに行かないんだ?
「乃々華さんは『呼ばれて』いない……」
結姫のつぶやきで、ズレていた歯車がピタリと合ったような感覚を覚える。
転生者が強力なスキルに目覚めるのは、『呼ばれた』際の強い意思が関係しているらしい。
思いが力を増幅する、なんて言われている。
逆に自分の希望で転生した場合は、思いや意思が関連しない。
なのでスキルには目覚めるにしても、強力なものにならない場合がある。
「なあ、この世界に来る前のこと、覚えているか?」
オレの問いに乃々華は顎に指を当て、顔を上げて考える。
「えっと、夜勤明けでフラフラしながら歩いてて……。信号待ちで立ってたら、トラックが突っ込んできて……」
「轢かれたのか?」
「はい。凄い衝撃でした。血がドクドクと出て、このまま死ぬんだなって思ってたら、この世界に来てました」
確定だな。
結姫が睨んだ通り、乃々華は呼ばれたんじゃなく、死んだときに転生したタイプだ。
ただ、それならなぜ……。
「乃々華はなんで街のやつらに勇者って呼ばれるようになったんだ?」
呼ばれたわけでないなら、基本的にはこの世界の人間には認知されていない。
つまり乃々華が来たことを誰も知らないはずだ。
それなのに、勇者と呼ばれているということは、なにかしら乃々華がやったと考えられる。
「この世界はあまり医療が発達してません」
そういう世界は結構多い。
地球ほど、科学が発達している世界の方がレアだと支部長に聞いたことがある。
「それで、私、研修医なので……」
「街の人を診ていたってわけか」
「はい。この世界で生きていくには仕事が必要でしたので」
「なるほど。この世界じゃ、乃々華の知識と技術は『チート級』ってわけだ」
「いつの間にか、私はこの国でかなり有名になっていました」
この世界ではオーバーテクノロジー。
そんな乃々華を崇めるようになるのは自然の流れだ。
「私は食べるのに困らない程度のお金しかいただいていなかったんですけど、国にとってはそれが気に入らなかったみたいで……」
「おそらく国は『スキル』で儲けている」
「……うーん。ドンドン繋がっていくな」
この世界ではみんなスキルを持っている。
中には怪我や病気などを治すスキルに目覚めるやつが出てくる。
そいつらを国で集める。
で、国民が治療が必要になったとき、高額で国が治すというわけだ。
「あるとき、私の家に国の兵がやってきました。そして、鬼を倒して来いと言われて、縛られてダンジョン内に放り込まれたんです」
「……」
なんてこった。
この世界は鬼よりも人間の方がクソだってオチだった。