その後。
警察が来て、事情聴取などをされ、気が付いたときには、すでに同人誌即売会は終了していた。
「あー、ヤバ……クローク、どうなっただろ……」
GURIが呟いたのを聞いて、大雅は「クロークって?」と聞く。
「俺ら、コスプレって、荷物持ち歩きながら出来ないだろ。着替えとかいろいろあるし、それで、更衣室と、クローク……荷物預けるところがあるんだよ……。まだ、明日の設営とかしてるだろうから、俺、急いで行ってくる。じゃ、今日は、助かった」
GURIは早足で去って行く。その後ろ姿に、「なあっ!」と大雅は声を掛ける。
長々とした金色の髪を揺らしながら、GURIは立ち止まった。
「なに?」
「まあ、『天雨』コス、する予定ある?」
「あるよ。……衣装も勿体ないし」
じゃあね、とGURIは去って行く。その後ろ姿が見えなくなるまで、大雅は立ち尽くしてから、やがて、とぼとぼと、駅へ向かった。
会場から、自宅までは、割と面倒だ。
りんかい線で大崎まで出てから、品川まで折り返して、神奈川方面へ行く京浜東北線を捕まえる必要がある。幸いなのは、京浜東北線の本数が多いと言うことくらいだ。
同人誌即売会の時期は人で混雑している大崎駅は、時間が遅くなったこともあって、目立った混雑はなかった。
山手線や京浜東北線が混雑するのは、いつも通りだが、ラッシュ時間ほどではない。
蒲田で降りて、自宅まで歩いて行く。
蒲田というのは、割合、住みやすい土地だと大雅は思っている。一応、大田区なので、ギリギリ東京都。しかし、JR線を使えば都心へのアクセスも横浜方面へのアクセスも良いし、京急を使えば羽田空港などにも行きやすい。大雅自身は車を持っていないので、家のものたちに車を出して貰うことがあるが、その際も、幹線道路があるので、あちこちへ行くのに移動しやすい。
JR線で蒲田駅までたどり着く。東口から、京急の蒲田駅との中間地点くらいの住宅街に、広々とした日本家屋がある。立派な門扉に、白塗りの高い壁。そして、門のところには、スーツ姿の男が一人立っている。
その男は、大雅の姿を見るなり「おっ、坊ちゃん! お帰りなさいませ!」と足を広げて、身体を折り曲げて礼をした。
「おう……高階か。オヤジは?」
「ヘェ! オヤジなら、どこかへ会食へ出掛けられました。
「あー、オヤジの行方にゃ、興味はねぇよ……居なきゃいい」
大量のBL本を持ち込んだのを、父親に見られる訳にはいかないのだ。とにかく、父親が言えに居なければそれでいい。
見られた日には、説明不可避。
「あー、でも、近々、オヤジに客が来るっては言ってたっスよ」
「客だぁ?」
「へぇ」
高階の不確かな情報では、何も判断出来ない。とりあえず、大雅としては、この状況をなんとかごまかし続けるしかない。
「おい、高階、門のとこでなにごちゃごちゃやってんだ!」
門の中から、声がする。太くて低い声だった。大雅には聞き覚えがある。舎弟たちを纏める立場の男、坂崎だ。
「おー、坂崎か」
「なんだ、坊ちゃん、お帰りだったんですね。……お帰りなさいまし。食事、すぐ用意させますか?」
「あー、そうだな。頼むわ」
木で出来た重い扉が、軋んだ音を立てて開く。大雅の帰還を知ったものたちが、「お帰りなさいまし」とずらりと並んで一斉に礼をする。
(この大げさな感じが好きじゃネェんだよなあ……)
とは思うが、これも、『上には絶対服従』というのが染みついている社会でのことなので、仕方がない。
「しかし、坊ちゃん、こんな休みの最中だってのに、真面目なんスね」
「あぁ?」
坂崎のあとを歩きながら、大雅は生返事をする。
「……今日は、同人誌の集まりと伺ってますが」
「ああ、まあ……、集まりに参加する人たちは、社会人とかも沢山居るから、休みが合わなくて、盆暮れになるんだよ」
「なるほど。みなさん、盆や暮れには、用事もあるでしょうに、研究熱心な方々なんですね」
「ああ、俺も、大分勉強になった」
ぼんやり返事をしながら(まあ、嘘は言ってない)と大雅は、心の中で小さく呟く。
家のものたちは、大雅が、『同人誌の集まり』に行っているとは知っている。だが、それは、『アララギ』とか『青鞜』とか、そういう文学の集いだと思っているのだ。別に、嘘を吐くつもりはなかったが、勝手に勘違いしたのを、解っていて訂正しないだけだ。そして、今のやりとりも、全く嘘ではない。
正々堂々と、家で本を読みあさる為にはどうすれば良いかと考えた結果、現在、大雅は、渋谷にある大学の文学部に所属している。まだ、一般教養課程で、本格的に専攻に入るのは先の話になるが、本に囲まれた生活は、『幸せ』の一言に尽きる。
「……坊ちゃんは、どういう作家が好きなんスか? 俺も、ちょっとは学をつけた方が良いかと思って」
へらっと後ろからついてきた高階が笑いながら言う。
「そうだな」
と少々、大雅は考えた。
本来ならば皆を『天雨』こと『天よ、黄金の雨を降らせよ』にハマらせて、いつでも萌え語りが出来るようにしておくのが一番だったが、さすがにそれをやったら、オヤジから殴られそうだ。
「今、一番気に入ってるのは、呪われた宿命に抗う主人公の物語だな」とだけ、ぼやかしておいた。
「まあ、そんな話なら、いくらでもありそうっスね」
「けどまあ、殆ど、本なんか読まねぇんだろ? だと、結構、読むのが大変だからな。まずはチョットでも読んでおくのが良いんじゃネェか?」
『天雨』は原作小説が400万字を超える大ファンタジーだ。大体、最近の本だと10万字で単行本が出る。とすると、ざっと40巻。しかも、単行本になった際、加筆修正されまくっている。そういう作品を、いきなり、一度も本を読んだことがない人間が、そうそう読めるとは思えない。
「はぁ……じゃ、ちょっと、駅前の古本屋にでも行ってみますわ」
「まあ、そーすれば?」
本当は、古本屋ではなく、新品を身銭を切って買うことで、最後まで読むためのモチベーションになったりするだろうとは思ったが、口を出さないことにした。一生読まれないまま、ゴミ箱に捨てられる新刊単行本になったら可愛そうだと思ったからだ。