プッ、と小さく笑った男を、思わず大雅は見やる。
「……ストレス溜まってそうで大変だよね、会社員は」
男は、淡く微笑みながら、大雅をのほうを向いた。
(……こいつ、俺の見た目でもビビんねぇんだ)
とは思ったが、「なんか、助かった……アンタも、コスイベに来た人?」と大雅は礼を言いがてら聞いてみる。
あわよくばリアルのオタク友達を得たいと言うだけだったが……。
「うん。……あんたさ。コスイベ突っ切りながら『喫煙所』って探し回ってたでしょ。俺も、喫煙所探してたんだよ」
「あ、そうなんだ……」
と言いつつ、口に出して喫煙所を探していたという事実が、痛々しくて、恥ずかしくて顔が熱い。
「今、けっこう、喫煙所って探すの大変だからさ。あんたが居てくれて助かった。……あ、俺は北丸。サイ大の二年」
「あ、俺は……、桜花堂の、二年で、稲葉大雅……」
「あ、タメだったんだ。ちょっと年上かと思った」
「うん、俺も……」
大雅が言うと、北丸が笑う。「えー、俺のほうが年上に見える?」
「まあ……うん」
サイ大―――グローバルサイエンス大学という名前の大学だった。有名な建築家が建てたことで有名な、綺麗な校舎が有名で、偏差値が割合高かったはずだ。
「えー、酷いなあ」
「それより、あんた……、吸わなくていいの?」
「ああ。それがさ、……吸おうと思ったのに、忘れてきたんだよ」
ははっと北丸は笑う。
「紙? 電子?」
「紙。……電子って、好きじゃないんだよ。それでさ」
「俺の吸ってるので良ければ」
大雅がタバコを差し出すと、「助かる」と北丸が受け取って、吸い始める。
「……北丸は、コスイベとか。良く来るの?」
「あんまり。今日は、ちょっとグッズの発売があるから、ついでに来てみたんだよ」
「もしかして……『天雨』のグッズ……?」
そんな情報はなかったはずだが……と、大雅は思っているが、それでも、昨日のGURIの配信のように、大雅の知らないグッズもあるのかも知れない。と、わくわくしながら答えを待っていると、
「あー、これ?」
と北丸は、トートバッグについた、アクリルキーホルダーを見せた。
「これ、妹のなんだよね」
「妹居るんだ。ちょっとうらやましいな。ウチは、男所帯で」
だいたいがムサ苦しい上に、暑苦しいし、鬱陶しい。
「男所帯のほうが、気が楽じゃない? 妹って、……まあ、概ね逆らえないよ……?」
視線をスッ、と逸らした北丸の態度で、なんとなく、状況を察した大雅は、それ以上、追求はしなかった。
「そっか。……俺は、『天雨』が好きで、『天雨』コスの人が居ないかなと思ってきてみたんだよね。夏の同人誌即売会で、すごいコスさんを見かけたから……」
「へー……。『天雨』って、BLだよね?」
「……なんでしってんの?」
BL作品など、BL好きでなければ知らないだろう。もしかしたら、他のBL作品は好きだったりするのだろうか……? と期待した大雅だったが、北丸は苦笑しながら、
「妹が、ものすごい腐女子だから」
と告げた。
北丸の言う『ものすごい』というのが、どの程度なのか、解らなかったが、仲間ではなかったらしいと思うと、少々落胆した。
「あ、でもさ、稲葉は、『天雨』好きなんだよね。じゃ、今度、妹に借りてみるよ。あいつ、大体、布教用に数冊買ってるはずだから」
ははっと笑う、爽やかなイケメン、北丸の笑顔が眩しい。
BL沼に、男子一名を招待してしまったことに、少々の罪悪感はあったが、それより、大雅は嬉しくてたまらなかった。
大雅の言うことを、北丸は否定しなかった。それどころか、『天雨』を―――大雅が好きだと言ったものを、見てみる、と言ってくれたのだった。
リップサービスかもしれないが、それでも、見た目のおかげで、今まで大体遠巻きにされていた人生を送ってきた、大雅に取っては、とても、有り難かった。
「ありがとう」
素直に礼を言うと、北丸は、きょとん、とした顔になって、すぐに笑う。
「なんだよそれ!」
「まあ、ありがたいなと思ってさ……ほら、さっきも、リーマンのオッサンを、追い払ってくれたし」
「あー、そのことね。……でも、実は、動画とか取ってなかったから、バレたら、大変だったよね。あそこに、防犯カメラはあるから、ここの管理センターとかにお願いすればなんとかなるかも知れないけどさ」
明るく笑う北丸を見て、意外に食えないヤツなのだなというのは理解した。
「あっ、稲葉。……んー……あのさ。俺、稲葉って名前って、高校時代のセンセーが、トラウマ級に嫌なヤツだったんだよね。それで、ちょっと、呼びづらくてさ。大雅でいい?」
「えっ? う、うん、良いよっ!」
名前で呼んでくれる他人!! それは大雅にとっては、初めての経験だった。
遠巻きに『稲葉サン』と呼ぶ人は居ても、『大雅』と呼ぶ人は皆無だったのだ。
「……えーと。LINEとか教えて? 今から、コスイベ見るなら、一緒に行こうよ。それで、また、機会があったら、誘って良い?」
「勿論!」
二つ返事で応える大雅に、北丸は笑いながら「こういう所で知り合い出来て嬉しいよ」と言ってくれたので、大雅は、嬉しくて舞い上がっていた。