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第19話 川崎ゼミ


 時間になって、図書館から移動する頃には、目の前にいたイケメンの姿はなかった。


 自分の講義に向かったのだろう。いつ彼が席を立ったのか解らないほど集中していたことは、良いことだと、大雅は満足していた。


(それに、何度読んでも川端は良い……)


 大雅は自分が『これは良い』と思うことは出来るが、それが何故か、説明することが出来ない。何が良くて、何が好きなのか、ちゃんと言語化出来る人たちがうらやましいと、高校の担任に言ったら、文学部を薦められた。どこか、文系で入れそうな所……という消極的な進路希望に、道筋が出来たのは、この瞬間だった。


 それから、自分の『これは良い』『これは好き』というのを大切にすることが出来、立派な腐男子にもなることが出来たので、あの時の国語教師には、感謝しかない。


 それはさておき。


 新館の三階。

 川崎ゼミの部屋へと向かう。担当教授である川崎達司教授の研究室と言うことだった。


(研究室っていうと……本棚に囲まれた感じかな……)

 様々な本が積み上げられた、部屋。そこに、机。そういうシンプルな部屋を想像している。

 歴史の教授だと、甲冑や刀くらいあるかも知れないが……。


(いや、刀はネェな)

 万が一、学生が使ったら、真剣は危ない。危険物をその辺に置くことはないだろう。大雅は、実家の家業の都合で、日本刀の切れ味というのは、良く知っている。


(うちのじーさんが、日本刀使いだったからなァ……)

 幼い頃、枯れ木のようにヨボヨボで、御年九十を超える祖父が、日本刀を易々と扱っていたのを思い出す。あの時は巻き藁だったが、お菓子でも切るように、さっくりと切れたものだった。


(うちの学校にも、歴史の先生はいたから、気を付けよう)

 とりあえず、危なそうな所には近付かないに限る。


 川崎達司の名札が掛かった部屋の前、一度、深呼吸して「失礼します」と大雅は入って行く。

 部屋は、奥行きがある。間口はそう広くないが、縦に長い部屋だった。奥に広い机があり、その手前に、長机が置いてあった。中には、川崎達司教授と、上級生らしい二人がいる。


「あ、どーも、済みませんっ。あの、自分、二年の稲葉です」

 ぺこっと頭を下げてから、室内をもう一度見回す。


 床から天井まで届く本棚には、ぎっしりと本が詰まっている。入れ場所がないのか、本棚と本の隙間に横置きにされたり、床に積み上げられているものもある。近代文学に関する本が主だったが、英文の本もある。


「……なにか気になる本があるの?」

 おっとりと聞いてくれたのは、太い黒縁メガネを掛けた、川崎教授だった。


「あっ……日本文学なのに、英文の本があるなあ……と」

「ああ」と笑いながら、川崎教授は本を取って、大雅に見せた。



『Kyoto』



 と書かれていたが、その上に『古都』という文字もあって、大雅は納得する。


「もしかして、川端の『古都』の英語版っスか?」

「そうそう。……日本文学が翻訳されて出版されることもあるからね。これを読むのも、新しい事に気付くことが出来るよ」


「……そうなんスか?」

「うん。沢山読んで、自分で学んでみてね」


 にっこりと笑う川崎教授を見て、大雅は、なんとなく、理解したことがある。きっと、この教授は、多くを語らないのだろう。指導はするだろうが、答えを言うことはない。そう言う人なのだろう。


 川崎ゼミは、厳しいよ、と上級生から聞いたことがあるが、なんとなく、理解出来た。


自分てめぇで考えて、自分てめぇで学べってやつか……)


 要求されるレベルに到達出来るか―――自信は無かったが、大雅としては、難しいことを言われる方が、やりがいを感じる性格だ。


「やってみるっス」

 と言うと、川崎教授は、眼を丸くしてから、「うん、やってみなさい。……英語だったらね、英文科ハワードさんが、日本文学に詳しいよ」と教えてくれたのを聞いて、確信した。


 自分から、学ぼうとすれば、教えてくれる。

 周りにいた上級生達は、川崎教授と大雅のやりとりを見守っている様子だったが、不意に「センセー、なんや、今日、えらいマジメやん!」とゲラゲラと笑い出す。


 濡れたような質感のパーマを掛けた、やや小柄な先輩だった。


「あー、後輩君。今、マジメにしてるけど、センセ、こないにマジメやないからね?」

「……はぁ……あ、どーも、稲葉大雅です」


「あー、おーきに。俺は、御園生みそのう麻耶まやね。で、こっちの、黒髪ロン毛が野原のはら修斗しゅうと


「ノハラじゃなくてノバラだ……、よろしく」

「ど、どうも……」


 二人の先輩は、どう見ても、『陽のもの』と『陰のもの』という感じだ。上手くやっていけるだろうか、と一瞬不安にはなったが、依然ぺらぺらとなにかを話し続けているだけで、御園生は、悪い人ではなさそうだった。


「あの、もしかして、プレゼミって、俺だけっスかね?」

 仲間がいないというのも、少々心細い。


 その大雅を見透かしたように、御園生が言う。


「あのな、タイガちゃん。……本当に心細、なってくるのは……この先やで?」

「えっ?」


「次の年度。タイガちゃん一人で、後輩の指導すんのは、かなーーーり、大変や。来年度の後輩がいれば、のはなしやけど」


 たしかに、その視点はなかった。運良くゼミに残れたとして、一人だった場合、後輩の指導は三年が行うはずなので……来年、一人で後輩を指導しなければならなくなる……。


「……あの」

「ああ、もう一人来るはずだけど、学内で迷子になったから、遅れてくるって電話があったよ」


 川崎教授の言葉に、ホッとしたものの、対して広くもないこの大学で、しかも、新館の三階というのは、間違いようもない場所だ。二年の後期にもなって、新館の場所が解らないというのは、どういう人なのだろうか、とそれはそれで、不安になる。


「まあ、タイガちゃんの考えてることは、俺もよぉぉぉぉぉく解る」

「……二年の後期なのに、学内で迷ってるヤツって、結構ヤバいかもしれないね。編入生とかじゃないんでしょ、その子」

 とはノバラ先輩。


「その子、良く、毎日渋谷駅ダンジョンを越えて、登校してるよね!? それはすごない?」

「確かに、うっかり、どこかの異世界と繋がっててもおかしくないくらい、出入り口が変わるから」


「異世界と繋がってたら、俺は就職しないで、ドラゴンと戦ってすごすわ」


 それは、ちょっと楽しそうだななどと大雅が考えて居た時、「すみません、遅くなりました」と部屋に入ってきたのは、あの、図書館で向かいに座っていた、白い髪をしたイケメンだった……。



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