川崎研究室に入ってきた男は、「すみません……、学校って覚えられなくて」とぺこりと頭を下げた。
「とりあえず、無事に到着してくれて良かったよ。……自己紹介、よろしく」
「はい。……二年の、
一礼した広瀬に「ほー、珍しぃなぁ。メグルちゃんね」と御園生が絡む。
その瞬間、広瀬が、整えられた美しい眉を寄せて、かすかな不快感を示したのを、大雅は見逃さなかった。
「あのさ、広瀬……サン? さっき、図書館で向かいに座ってた?」
広瀬と御園生の間に割って入って、大雅は聞く。
「えっ? ああ……そういえば……」
「……図書館を出て、道路を渡ったら、すぐに新館だから、エントランスのエレベーターで上がれば、ここまで五分もかからないけど……?」
大雅の言葉に、周りの人たちも、うんうんと頷きながら聞いている。
「……あっ……それが……。図書館を出て、道路を渡ったところまでは覚えてるんだけど……、多分、新館は左側から入った方が早い気がして、左に回り込んだら、なんか、住宅街に出ちゃって……。実は、その……今日、コンタクト付けてくるの忘れて……」
「……」
皆が、顔を見合わせた。
第一、コンタクトなど、家を出る前に装着していないことに気付くだろうに……。
この、美しいホワイトヘアのイケメンは、どうも、抜けているようだった。
「良く、駅からここまで来られるね、毎日」
「っえ? ああ……その、ウチ……、実家が、このあたりなので、駅は……」
小さく呟く広瀬の言葉を聞いた一堂は、大いに納得した。
学内で迷う子が、渋谷駅ダンジョンを踏破出来るはずもない。
「……この辺に自宅があるってすごいね」
「でも、言われて見れば住宅街なんだから、そこに住んでる人が居るってことでしょ?」
「まあ……」
「だったら、不思議なことはないんじゃないですかね」
「それで、メグルちゃんは、歩いて通えるとこにしたん? 大学」
「はい……ここと、もう一カ所迷ったんですけど……」
確かに、徒歩圏内に、いくつか大学はある。
「方向音痴って、中々やね」
「まあ、広瀬が方向が怪しくなると言うのは、よく解った……まあ、ちょっと工夫して、遅刻はしないようにして頂戴。……とりあえず、今の時点で、申し込まれてるプレゼミは二人だけだから。あと、三日以内に、移動が可能だからね。その際は、遠慮なく言ってちょうだい」
なるほど、雰囲気があわなかった時の救済もあるのか、と大雅は納得したし、有り難いと思う。
「俺は、移動しないっスよ」
大雅の言葉を聞いた川崎教授が、にこっと笑う。
「俺も、ここで頑張るつもりです」
広瀬の声を聞いた大雅は(あれ?)と思った。(なんか、この声……聞いたことがある……)
最近、よく聞いている、声だった。
耳に心地よく響く声で……、柔らかな印象。ちょっと笑った時の声が―――。
(GURIに似てる……)
じっ、と大雅は広瀬の様子を探る。シンプルで、淡い色あいの服は、ゆったりしていて身体のラインがあまり出ない。大雅が知っているGURIはサティシャの姿の時だけだったが、その面影を、どこかに探そうとしても、探し出すことは出来なかった。
私物も、帆布で作ったバックを持っているが、そこに、缶バッチやアクリルキーホルダーなどの、オタクや腐男子である兆候を、見いだすことは出来なかった。
じっ、と広瀬を見ている視線に気付いたのだろう。
「俺に……なんかついてる?」
と不審そうに、広瀬が聞く。
「あっ、えーと……、すみません、俺、目つき悪くて、何にもしてないのにガン飛ばしてるとか、よく言われるんですよ、なんでもないっス」
「あ、それなら良いんだ……コンタクトしてなくて、よく解らないから……」
「あの……コンタクトって、予備のとか持ってないんですか?」
その時、広瀬は、初めてそのことに気が付いた、とでも言うように、眼を丸くして「っ!!」と大急ぎでカバンの中を漁り始めた。
「あった! すみません、ちょっとコンタクト付けます!」
研究室の全ての人間が、広瀬の行動を見守っていた。いそいそと、使い捨てらしいコンタクトを取りだして、器用に装着していく。美しい、ブルーの瞳になった。
「へー、カラコンって結構綺麗に色出るもんだねぇ」
川崎教授が感心して呟く。
白い髪に、ブルーの瞳。なんとなく、美しくて気位の高い猫のようだ。
「あ、良かった……やっとみれた……って、あれ、アンタっ!!」
広瀬は、声を張り上げて、大雅を指さした。
「おっ、どうしたの。二人、知り合いだったりする?」
「……い、いえ……人違いです」
うん、人違い、ともう一度、広瀬が呟くのを大雅は聞いた。言い聞かせるような言い方だった。