大雅の方は、目の前の男に見覚えはなかった。
この、恵まれた容貌の男ならば、一目見ただけでも、記憶にガッツリと刻み込まれて、一生忘れないだろう。GURIの声に似ているというのだけが気になるところだが、いま、それを聞くわけにも行かない。
「まあ、それなら良いんだけど……じゃあ、プレゼミの説明をするよ」
席に着いて、と言われたので長机に着席する。
ゼミでは、共同で研究をする他、文学への理解を深めるために、『文学散歩』を行うということだった。
「あの、文学散歩ってなんスか?」
「ああ、文学散歩は、その作家や作品にまつわるところを訪ねることや。……作家が見た風景を体験するのは、理解の一助になるな」
御園生が頷きながら言う。
「あー、わかったっス。ようは、推し活で言うところの、聖地巡礼と一緒っスね」
「……聖地巡礼……」
「そうっスよ。アニメに登場したところとか、小説に登場した食べ物とか、そう言うのを全部体験して行くのが聖地巡礼です。で、この場所で、あのキャラとかあのアイドルが、なになにしたんだ~とか、感慨に耽るヤツです」
「なるほど」と川崎教授が声を掛ける。「そう言う意味では、文学散歩も、推し活の聖地巡礼も同じだね」
「合ってたなら、よかったっス」
「でも、君は、いま簡単に『要するに』と纏めたよね?」
「えっ? ハイ」
なにか、それが行けないことだったのだろうか。内容はあっている。だが、川崎教授は、わざわざ、ソレを指摘した。
「……気軽に『要するに』という言葉を使って、ある言葉を別の言葉に置き換えて、理解したつもりにはならない方が良い。その言葉で……君が『文学散歩』という言葉で、理解出来なかったのは何故なのか。そこに、なにか取りこぼしていることがあると思うよ。こういうことを、少しずつ、丁寧に取りこぼさずに見ていく必要があるね」
背中に、冷たい水をぶっかけられたような。
そんな気分になった。
目が覚めた―――と言うべきだろうか。
今まで扱ってきた、言葉、というものを、もっと丁寧に大切に扱う必要がある。それを、大雅は知らなかった。
「……俺、がさつなんで……、丁寧さとかは、あんまりないんですけど、今から、気を付けます」
「うん。『次から』じゃなくて『今から』で良かったよ」
川崎教授の柔らかな笑顔を見て、ぞっと肌が粟立った。些細な言葉の全てを、川崎教授は、見ているのだ。
(これは……油断できネェ、真剣勝負だ……)
斬るか――――。
――――斬られるか。
そういう、緊張感がある。
額に、脂汗をかき始めた時、「あの、そういえば」と野原が手を上げた。
「ん? なに、野原くん」
「毎年、プレゼミから参加して貰ってるんですけど……、来月、学祭があるじゃないですか。それで、もう出し物決めないと、日程厳しいんですよ」
「あー、学祭ね」
面倒くさいなあ、と川崎教授は小さく呟く。
「学祭とかだと、大体、屋台とか、そういうのやりますよね。川崎ゼミは、去年は何だったんですか?」
広瀬が、聞く。
「去年は……たしか、林檎飴だったかな」
「多分……」
先輩二人が、妖しい記憶を頼りに返答する。それを聞きながら「屋台ものって感じっスね」と小さく大雅が呟いた。
「まあ、そう言うのが、一番無難だよね。……二人は、そういうの、詳しかったり、やりたかったりする?」
「あー……、自分、うちのもんが、そういうの、詳しいですね。家業のサイドみたいなのでそういうのやってる奴らがいるんで」
ぽそっと大雅が呟くと、皆の顔が一瞬、引きつった。
「家業……って?」
「あー、最初から、一応言っときますけど、自分、家が、アレなんスよ。ようは……『ヤ』な感じの家で……自分は、そっちには行かないんで、関係はないんですけど、もし、気になるなら、ゼミも諦めますんで」
後から、バレて、出て行けとか、騙したな、と言われるよりは、よほど良いだろうと思って、大雅は自分から言う。
実家のことを話すと、何割かの人間は、大雅と付き合いを止める。それも、仕方がないとは、大雅自身も、よく解っている。
「……稲葉本人は、無関係。で、いいんやな?」
御園生が、静かに確認するので、大雅は大きく肯いて応えた。
「勿論です」
「……こわーいお兄さんたちが、大挙するようなことは?」
「まあ、ないと思います。ウチのもんたちも、俺の近辺でちょろちょろするのは、止めろってオヤジにも言われてますから」
オヤジ、という言葉に、皆の顔が、こわばった。
「……まあ、そういう家の生まれなんで……、迷惑が掛かるようだったら、追い出してくれて構わねぇっス」
これを最初に明言しておかないと、後になって、大雅を追い出したいと思ったときに、いろいろと迷うこともあるだろう。
(……広瀬さんが、GURIだったら……)
GURIにも、知られたことになるのかな、と大雅は少し、苦笑した。