「稲葉君、ちょっと勘違いしてるね」
川崎教授が、静かな声で、口を開いた。
「勘違いっスか?」
「うん。……まあ、君のご実家が、いろいろあるのかも知れないけど。大学は、少なくとも、親御さんがどうとかいうのは、関係のない場所だからね。そんなことを気にするより、一回でも多く本を読みなさい」
「えっ? あ、はい……」
とりあえず、親のことを話しても、何も言われなかった―――ということは、実家の家業が原因で、大雅を追い出すような人ではなかった、ということにはホッとした。ここに、来ても良いと言われたようなものだと思ったからだ。
それとは別に、一冊ではなく一回でも多く、本を読めと言われたことについては、少し、引っかかる。
「……それで、ちょっと聞いておきたいんだけど……稲葉君はなんで、日本文学を?」
川崎教授が、静かな眼差しをして、大雅に向き合った。凪いだ―――湖のようだった。澄み切っていて、風もなく、ただ、静かに、大雅を見詰めている。
「……あの……自分、川端とか横光利一とかが好きなんスけど……何が好きなのか、何が良いのか、自分で説明出来ねぇんスよ……それで、それを言葉にしたいというか……もっと深掘りしたいというか……捕まえておきたくって……、そうっス、知りたくて、ここに来たって感じです」
言葉にしてみたら、それは、同人誌即売会に行くのと、大差ないようにも感じられた。
同人誌即売会。
特に二次創作は、原作の小説なりアニメなり、コミックなり……そういったモノに対して、自分の感じた萌えをぶつけていくスタイルの創作だ。そのおかげで、原作への理解が深まったり、自分のヘキに対する理解が深まったりするのだ。それは、得がたいものだろう。
そう考えれば、原作が著作権などの問題に眼を瞑っていてくれることを除けば、これもまた、一つの立派な文学活動なのではないか―――と、大雅は思う。
「なるほど。知りたいというのが、君の文学に対する興味なんだね。じゃあ、広瀬君は?」
急に話を振られた広瀬は、動揺しているようだった。だが、「俺は……俺も、稲葉と同じで……、文学作品について知りたいと思いました。それに……その、知るための方法が解らなくて、此処に来た感じです。もっと深く理解したい、という感じ……」と、小さい声で、だが、ハッキリと、告げた。
「志望動機が、しっかりしていてすごいなあ」
川崎教授が、急に笑い出す。
「そうですねぇ」
御園生がしみじみと呟いて、肯いていた。
「……あのですね、この人、御園生さん、同じ質問して、なんて応えたと思います?」
野原が呆れたような声を出して、言った。
「解らないですけど……」
「『一番チョロそうなんでここに来ました』って言ったんだよね」
はははは、と御園生は笑う。川崎教授も、隣で腹を抱えて笑っていた。
(これは、笑うところなのだろうか……?)
身内のノリが解らず大雅は、呆然と立ち尽くす。傍らの広瀬も、ぽかん、と口を開けたまま呆然としているようだった。
「本当に、この先輩は、いい加減な人だから……、まあ、今は、すごく研究熱心な方なんだよ」
野原がフォローを入れるが、果たしてフォローになっているかと言われると。微妙な所だった。
「いい加減ってなんや……お前……」
「まあ、いい加減でしょ。でも、今は、近代文学好きで、院に進むんじゃないですか?」
「……別に……、就職も探している所だし……」
ぷい、と顔を横に向けてしまって、御園生は言う。
(なんか、御園生さんって……ツンなんだな……)
やりとりを見ていると面白い。御園生と野原は、学年も違うはずだが、中々、面白い。
「僕としては、院に行って欲しいなあ」
川崎教授が小さく呟く。それを聞いた、御園生が「うっ」と声を上げた。
「まあ。良いんじゃないですか? ……まあ、それはそうと……、学祭の話ですよ。なにやります? 稲葉君の実家とかの手を借りるとかじゃなくて」
「……展示って言ってもさ、今年はこんな人数でしょ、だったら、大がかりなことは出来ないんじゃない? 屋台みたいなのって、結構大変やし」
「そうだね……じゃあさ、いっそ、日本文学の展示でもやろうか。……ゲームとかで、馴染みがある人も居るだろうし、儲けはないけど、お客さんは来てくれるかも知れないし、未来のゼミ生になるかも知れないという意味では、投資としては正しい気がするよ。……プレゼミの二人はさ、手伝って貰えたりする?」
野原の言葉を聞いて、思わず苦笑が漏れた。
「そう言われて、断れるヤツって居ないと思いますけど」
「はは、そーかも。野原って、けっこー、えげつないよなぁ」
「なんですか、それ。……だって、御園生さんと二人で何かやるってなった時―――御園生さんは戦力にならないんですよ」
なんとなく、納得出来たので、思わず広瀬と顔を見合わせてしまった。
「俺は……手伝えると思うけど……広瀬は?」
「俺も、大丈夫です」
「良かった~。じゃ、展示のテーマは『近代文学』にしよう」
パンッと手を叩いて、野原はそれで勝手に決めてしまった。
確かに、戦力にならないと言われた御園生を除いて、野原と大雅と広瀬の三人で、なにかの屋台をまわすというのは、無謀だった。
(特に、広瀬とかは、客寄せになりそうだしな……)
ヘタに、屋台ものなどをやった場合、イケメンが一人居るだけで、客入りが半端ないことになるだろうことは容易に想像が付く。
「……自分、陰キャなんで、……屋台みたいなやつより、展示の方が有り難いっス」
「その代わり、本気で展示は作るけどね!」
野原の笑顔に、大雅はぞっとした。