* * *
夜明け前――
境内は静寂に包まれていた。
夜の冷たい空気の中、私は四神の卵を抱きしめながら、小さく息を吐く。
「……今日も、まだ孵らないかぁ」
ここ数日、試行錯誤を繰り返しながら卵を育てていた。
温め方、気の送り方、そして環境。
すべてを調整しているはずなのに、卵はまだ孵る気配を見せない。
「焦っちゃダメってわかってるけど……」
私はそっと卵の表面を撫でる。
ぬくもりは確かに増している。
それなのに、動く気配はない。
(もしかして、育て方が間違ってるのかな……)
不安が胸をよぎる。
* * *
朝――
「おはよう、ゆず」
玖蛇がいつものように鳥居の向こうから姿を現した。
「おはよう、玖蛇」
「……卵、まだ変化ない?」
玖蛇が卵を覗き込みながら、眉をひそめる。
「うん……昨日もいろいろ試したんだけど、まだ……」
玖蛇は小さく頷き、真剣な顔で卵に手をかざした。
「……ゆず、この卵、"呼びかけ"を待ってる気がする」
「呼びかけ?」
玖蛇が静かに目を閉じる。
「ボクたちはずっと、卵に力を分けてきたよね?」
「うん」
「でも、それだけじゃ足りないのかも」
玖蛇が卵に手を添え、優しく撫でる。
「この子は……"何者"なのかを知りたがってるのかもしれない」
私は目を瞬いた。
「"何者"……?」
玖蛇は静かに言葉を続ける。
「生まれる前に、自分が何者なのか。"どんな存在として目覚めるべきか"を、知りたがってるのかもしれない」
「……」
私は卵を見つめる。
この中には、まだ見ぬ命が眠っている。
その命は、何を望んでいるのだろう?
私はそっと卵を抱きしめた。
「……ずっと待ってるの?」
ぽつりと、呟く。
「生まれるのが怖いの?」
卵の表面を優しく撫でる。
「大丈夫。あなたがどんな存在でも、私がちゃんと受け止めるよ」
玖蛇が静かに微笑んだ。
「……きっと、それが合図になるよ」
その時だった。
ピキッ……!
小さな音が、境内に響く。
「っ!?」
玖蛇と私は目を見開いた。
卵の表面に、小さなヒビが入っていた。
「……今、ヒビが……!」
私は思わず玖蛇の腕を掴んだ。
「ゆずの言葉、ちゃんと届いたんだね」
玖蛇が優しく微笑む。
私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(本当に……生まれるんだ)
卵の中の命が、ようやく目覚めようとしている。
「もうすぐ……会えるね」
私はそっと卵を抱きしめた。
その温もりが、心地よく私を包み込む――。
* * *
――第18話・完