甘味を食べて装備を新調して、適度に和んだところでそろそろおいとまの時間だ。そうしないと明日の探索やそれぞれの予定に支障が出るころだろう。
「じゃあまた、よろしくお願いします」
井上さんがマツさんに頭を下げる。それを見て焦ったマツさんが頭を上げさせる。
「俺のわがままでこうしてもらっているんだ、今では事務長なんだろう? 立場のある人が軽々しく人前で頭を下げるもんじゃないさ」
「いえ、でも今回上手くいったというか、これが出来るのが現状マツさんしかいないのが現実を物語ってますからね。とりあえず、今日はありがとうございました。また交易が出来る段階まで魔石が溜まったら連絡をよこします。その時にはまたお世話になりますよ」
井上さんのマツさんの崇拝ぶりは凄いな。まあ、それだけの希少スキル兼貴重な人材であることは確か。事故と前の事務長の覚えの悪さであんな結果になってしまったとは言え、人の上に立って何かをするという能力はあるのだ。井上さんは可能なら自分の席を譲ってでもマツさんを連れて帰ろうと考えているだろう。
「五郎さんも、無理はしないでね。いくら五郎さんのスキルがこれまた希少だからって、無理にダンジョンの奥へ潜って怪我して帰ってきたりしたらこの交易も遅れる話になってしまうんだ」
俺はマツさんに近寄り、そっと耳打ちをする。
「実は俺のこの能力、スキルじゃなくて体質らしいんですよ。だからスキルは別で生えてくるものだと思います。どんな能力になるのか楽しみですね」
マツさんはその話に驚いた表情を見せるが、すぐさま表情を元に戻すとこっちの肩を叩いてくる。
「それは楽しみですね。とにかく無理はしないようにしてくださいね。五郎さんも良い歳なんですから」
「レベルアップのおかげで随分体も楽になりましてね。今は自分より三周りぐらい若い人たちとパーティーを組んでいるんですが、近い動きは出来るようになってきました。これからレベルを上げて、さらに磨きをかけていこうと思っています」
さて、お別れの時間である。名残惜しいし、もし望むならこのままここで暮らす、と言い出したら井上さんは反対するだろうが、マツさんは多分なんだかんだで受け入れてくれるだろう。しかし、個人的な感情でそこを許される立場ではないということもわかっている。残念ながら今日はここまでだ。
車に乗り込んで、移動の準備をする。マツさんはみんなが出したゴミを片付けて一ポイントでも浮かせようとしているのか、次々にスキルの中に放り込んでいく。それを呆然と見ている、マツさんのスキルを始めてみる探索者達。
「あの人のスキルは一体どういうスキルなんだろうな」
「とりあえず魔石を色んなアイテムに替えることができるのは解った」
「モンスターのドロップ品じゃないと判定できないスキルか……ちょっと過去の事件について調べてみる必要がありそうだな」
探索者の反応もそれぞれ。九年前の事件については知っている者もいるようだが、知らないのがほとんど、という感じらしい。人選は井上さんが行ったはずだが、多少の認識の齟齬があるのか、細かいことまでは伝わっていないのか。
どちらにせよマツさんのスキルに今回初めて触れて、こんな便利なスキルを持っている人がここにいるのは何かあったに違いない、と考え始めているようだ。もしかしたら全員向けに井上さんが情報を開示するかもしれないな。
「しかし、こんなところで一人で住んでるのは不思議だったが、あのスキルがあれば生活はできるな」
マツさんを迎えに行っていない探索者の一人がポツリと漏らす。
「一人じゃないですよ。十人ぐらいはいるはずです。私がここから出て来る際にそのぐらいの人数は残ってましたから」
「ほう……その十人は良い思いをして暮らしてるってことか? 」
ポツリと漏らした探索者が疑い始める。
「いえ、ある意味ではもっと厳しい生活だと思いますよ。あそこにいる人たち、みんな家族に捨てられてあのダンジョンに置き去りにされた爺さん婆さん……俺も元はそうだったんですけどね。そんな人たちが寿命まで生き延びられるようにと作られたのがあの場所なんです」
「じゃあ、もしダンジョンを攻略してしまったらその人たちは本当に行き場がなくなってしまうわけか。その人たちの世話をするためにあの松井って人があそこにいるということなのか」
「大まかにはそういうことになります。なので、本当にダンジョンを攻略したらマツさんが帰って来るかどうかは……その人たちによるところがあるかもしれません」
全員にその言葉を告げると、一気に暗い雰囲気になった。やはり、姥捨てダンジョンの話をいきなりぶち込むのはテンション的に重たかったか。
「まあ、俺の場合はレベルアップのおかげでボケも体の不調も治ってこうやってピンピンしてるわけで、ある意味捨てられてラッキーでしたね。家族の無事も確かめられましたし」
何とか明るい空気に持っていこうと試みるが、身に覚えがありそうな探索者達のテンションは下がったままだ。ここは何か明るい空気に持っていく方法はないだろうか。
「また次来ればあんパンと牛乳……今度はコーヒー牛乳が飲めるかもしれませんよ。コーヒーなんて贅沢品、しばらく味わってないんじゃないですか? それを目標に頑張って生き続けるという話で行きましょう。今日の取引で一段階前には進めたんですし」
「そうだな……暗くなってても仕方がない、前向きにこの時代を生き抜いていかないとな」
多少は緩和できたらしい。しかし、俺の隣に座る斉藤君はまだ落ち込んでいる最中のようだ。
「斉藤君、あんまり気にしちゃだめですよ。あそこでは定期的に全ての人がレベル上げを行って自分の身体の調整まで行っているんです。下手にぼけたり体を悪くしてそのままベッドの上で死ぬよりは、死に方を選べる時点でまだ幸福なんじゃないかと俺は思ってますよ」
「そういう考え方もあるのか……俺のばあちゃんもそろそろそういう時期に来たからさ、そうならないように工夫してるんだけど……もしかしたら、彼らのことが世の中に知られるようになったら”鉱山”の中に放り込んでレベルアップさせて、老化を阻止させていくとかそういう世の中になったりするのかなあ」
なるほど、そういう考えもありになってくるのか……人類すべてにレベルアップを押し付けることはできないだろうが、いずれはそうなっていくのかもしれないな。
色々考えさせられる話だな。俺自身はレベルアップをかなりのところで行っているため範疇外の考えだったが、最初のゴブリンの時みたいにひたすら殴り倒してレベルアップして、徐々に自分で戦うようになっていくのだろうか。
「そうなったほうが世の中のためになる、というならそういうサービスも始まるかもしれませんね。それで解決する問題なら、ですが」
「そうだよな。あまり深く考えなくてもいいよな。むしろ野田さんみたいな方が特殊なのだろうし、誰もかれもレベルを上げて強くなる世の中よりは、一部だけがそうなっているってほうが平和な世の中を維持できていると考えるほうがいいよな」
平和とは何か。今の世の中において平和と言えるのは絶対生活圏の内側だけ。その外側はモンスターがあふれる自然に還ってしまった地域だ。日本の国土全体をそうさせることはおそらく俺の生きているうちには不可能だろうが、いつかそうなる未来もあるんだろうか。この目で見られないであろう未来に少しだけ思いをはせた。