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マツさん救出計画

第86話:近況

 マツさんのところと交易を始めてから一ヶ月が経った。あれからも二日に一回いつものパーティーで毎日五往復ほどすることで、以前より往復回数が増えた。これもエンチャントによる移動速度の上昇と共に戦闘時間の短縮化、魔石の確定ドロップ化をするための俺の動きも素早くなり、倒すのが容易になったこともある。


 一日五往復するということはその分自分たちの収入も増えているということで、軽く小金持ちになってしまった。しかし他に使うところもないので、精々ボロボロの服を着ていなくてもいいように服装をそろえたり、魔石コンロなんかの家具もちょっとずつそろえだした。


 魔石をエネルギー源としてガスや電気の代わりに使用する家具は世の中にも充実してきており、それなりの値段こそするものの一家に一台あるようなものはそろえ始めた。しいて言うなら洗濯機が欲しいが、これは場所も取るし現在の住居で買って設置することは難しいだろう。


 あとは食事もちょっと良いものを食べられるようになった。昼食は相変わらず”鉱山”の食堂で取っているものの、コンロが設置できるようになったことから自分で食材を買ってきて調理して、好きなものを食べられるようになったことは大きな前進だろう。


 一般家庭用の簡易魔石コンロは地震が来たらすぐに止まる安全家具だ。火を使わず温め機能の強化版としてコンロが設計されているので熱が出るだけで炎までは出ない。おかげでパラパラのチャーハンは作れないのだが、それ以外の料理は一通り作れるように設計されている。


 温度も二百五十度ほどまでは上がるので揚げ物もできる。揚げるものがあれば、というのが現状ではあるが、おやつのドーナツが作れるのは悪くない点だな。たまには甘いものが欲しい時もある。


 今日も午前中、朝食堂でご飯を食べてそれから二層へ移動して二層で探索。荷物がいっぱいになったら帰ってきて、昼食を頂いて帰ってきたところだ。四層での魔石発掘の仕事がないときは午後は暇。そんな時はゆっくりと時間を過ごして日向ぼっこをしながら、その間に出来ることを考えたり、人生の残りの時間について思いをはせる時もある。


 俺が生きている間に世の中は何処までよくできるのだろうか。そしてそれに対してこの小さなよぼよぼの手で何が手伝えるのか。今後はそれを考えながら人生を楽しんでいこうと思う。


 何もダンジョンに通うばかりが人生ではない。セカンドライフのほうが引退してからよりも充実しているような気がしないではないが、これもまた人生。体が動かなくなるまでここにそのまま居続けていいという人もいてくれているのだから、自分の目標である所のマツさんの帰還に向けて準備を進める手伝いが出来ればそれでいい。


 あふれの時は今後は四層で五層のモンスターを相手にするのもいいかもしれないな、というのは暫定パーティーリーダーである田沼さんの意見。この調子でレベルが上がっていくならもう一つ下の階層で戦うことは充分にできるが、今の手荷物と持ち運べる重量、それから移動時間を考慮すると、五層で戦うよりも四層で数多く戦った方が経済的効率で言えば上らしい。


 強いモンスターと戦った方がレベルも上がりやすく、新しいモンスターの知識も増えることで自分のためになることは間違いないのだが。


「我々の目的は経済的な面から探索者事務所の支援をすることであるから、楽しいから五層ではなく、効率的だから四層を選ぶべきだろうね」


 という話らしい。


「それに、五層で無理をして野田さんに怪我でもさせたらそれこそパーティー崩壊の危機だ。安全率を取る意味でも、野田さんにはまだ四層でしっかり地力をつけておいて欲しいかなって」


 かなり丁重にもてなしてくれているのは確かだが、エンチャントのこともありそこまで心配されることもないんじゃないかと思っている。あれからレベルも上がったことだし、チラッと覗くぐらいのことはさせてくれてもいいじゃないかとも思う。


 ただ、五層からはゴブリンロードが出て来るらしく、ゴブリンロードが部下としてゴブリンを引き連れてうろついている。そこでは集団戦になるので、俺が攻撃の基点になるようにパーティー編成や陣形を組み替えるとかえって非効率になる、ということらしい。


 オークとホブゴブリンさえ倒していれば問題ない四層とは違ってまた別の仕組みが必要になってくるため、その点でも五層で戦うのはあまりお勧めできないと、年下に諭されてしまった。そこまで解ってるなら仕方がないな、と納得するのが今である。


 さて……お夕飯の準備をしつつ、ゆっくりしてたら一日が終わるだろう。今度盆栽になるようなものが残っていればそれでも購入してひそやかな老人ライフを楽しむことにしようかな。盆栽とは器の中の小さな庭だ。庭のないこの部屋には盆栽という小さな箱庭を用意してやることで心の癒しになるんだ。


 俺も子供のころは何で年寄りは盆栽なんかやっているんだろうと不思議に思ったものだが、この歳になってわかるようになってきた部分もある。これはこれでなかなか楽しいのだ。庭という広い空間を持てないものにとって、盆栽一つ一つは鉢の中に自然を縮尺して詰め込んだ楽しみのようなものだ。山野にある植物を鉢の中で育てていきながら、自然界の植物の姿以上の美しさを求めていく趣味として、現代に残った少ない高尚なものの中の一つであると言えよう。


 一つ趣味を手に入れたことでまた人生が華やかになった。今度マツさんの所へ行った時に盆栽の本を入手できないか交渉してみよう。一人で集める際にちょっとずつ魔石を溜めておいて、マツさんの所に行った時に参考書として入手して今後の趣味に活かしていくことにしよう。


 さて、年を取ると時間が過ぎるのも早く、気が付けば夕方だ。夕食用に買ってきた野菜を切り、そこにちょっとラードを足して肉の切れ端を入れてまとめて、それで終わり。あまり贅沢な食事ではないが、ご飯があるのでカロリー的には充分足りているだろう。


 明日になればまた朝から夕方まで食堂でちゃんとした定食を食べられる。腹いっぱい食べたいならそっちでしっかりご飯を食べればいい。今日のところは明日の朝までお腹が空かない程度に出来ればいい。過剰にカロリーを摂取して動きが鈍くなっても困るし、この先カロリーが足りなくて動けなくなる、といったような事態は発生しないだろうしな。


 さて、今日も一日が終わった。二日にいっぺんはこんな日々が続いている。こんな平和でいいんだろうか。今もマツさん達は自分らが生き残るために頑張っているはずなんだ。そんな中で俺がこっちで一人のほほんと生活していることに少し罪悪感を覚える。


 マツさんを救い出すためにはあとどのくらいの時間がかかるんだろうか。それを考えるだけでも胸が締め付けられるように痛い。本来なら盆栽の本が……等と言っている場合ではないのにな。


 明日も四層で五往復。その為にもしっかりとした睡眠は必要だ。布団も新しく出来たし、しばらくは快適な睡眠がとれることは間違いない。これも、こっちに来てから改めて寝床がちゃんとあるのは良いな、と思った点ではある。快適な睡眠と充分な食事が得られている以上、後は他人のために使う時間が長ければ長いほどいい。


 明日からも頑張って仕事に励むとするか。そう決めたら眠くなってきたので早速眠ることにする。マツさん、待っててくれよ。必ずマツさん自身がかけている呪縛から解放しに行くからな。


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