カレーを所望しだした田沼さんの後は大変な行列が出来た。どいつもこいつもカレーが食べたいと言い出し、マツさんの前に行列を作り始めた。流石にレトルトを今すぐ温めることは難しいので、順番に魔石コンロで温めながらカレーをふるまっていくマツさん。一人では大変なので俺も手伝った。
香辛料をふんだんに使った料理は久しぶりであり、テンションが上がった子供のように喜んで食い、人によっては涙すら流す始末。やはりカレーは日本食になってしまっていたんだな、ということがよく解る一幕だった。
マツさんはそんな皆を苦笑いして眺めながらも次々にリクエストに応えていき、全員が料理を平らげていったのを見終えた後、各自の最後に食べたいものを聞いて回り、可能なものは出していった。
皆〆はアイスクリームが良いと言い出したので、箱入りの大きな薄いチョコレートを幾層にも挟んだ多人数用サイズのアイスクリームを出して、切り分けて皆に振る舞っていた。
やはり冷凍庫があるとはいえ、バニラを入手するルートはないのでアイスクリームが作れるとしてもバニラではなく乳成分そのままのミルク味しか味わえなかったところに、チョコレートまで挟んであるアイスクリームは皆を満足させるに充分な一品であった。
皆口々に今日参加してよかった、今日たまたま探索者事務所に訪れて良かった、と喜んでいた。たまたまここにいて宴会に参加した奴は本当に運が良い奴だな。ここで運を使い果たしてなければいいが、明日からもそれで精勤してくれるなら悪いおすそ分けではないだろう。
宴会も終わり、酒が入りグダグダになりつつあるところで、井上さんが宴会を閉めに入った。
「さあ、そろそろ終わりだ。酒がそこまで入ってなくてまともに動ける人は片付けを手伝ってほしい。酒が入ってもうダメな人は……その辺で寝ずに頑張って家まで帰ってくれ。さすがに明日の朝も仕事があるからここで浜辺に打ち上げられたセイウチのようにぐったりとしていてもらっては困るからな」
パンパンと手を叩き合図すると、机と椅子を元に戻し始める探索者と、かろうじて起き上がってフラフラした足取りで家路に着こうと努力して壁にぶつかる探索者。うちのパーティーメンバーはあまり酒は嗜まなかったようで、足取りはしっかりしていたし、俺自身も酒は胃袋に入れなかったので同じように
片づけを手伝い最後まで片づけを見守ることとなった。
◇◆◇◆◇◆◇
片付けが終わり皆それぞれに帰っていった。残っているのはマツさんと井上さんと俺。パーティーメンバーである佐々さん、田沼さん、谷口さんもご馳走様と言いながら足早に帰っていった。今日の宴会は誰にも話せないだろうな。うっかり話すとずるい、参加したかった! と口々に言いだすに決まっているからだ。
「一応口止めはしておきましたが、こんなもんでよかったですかね」
マツさんが井上さんに聞いている。
「上々かと。また食べたければ黙っておくほうがいい、と一人一人に言い聞かせたのは中々の効果があったと思いますよ。これで胃袋をがっちりつかんだので松井さんへのみんなの信頼感もそれなりに高まったかと」
そんなことをしていたのか。俺もリクエストの列に並んでいたら同じことをささやかれていたかもしれないな。
「場所を変えましょうか」
井上さんが自分の部屋に俺とマツさんを案内する。
「ここも変わってないね。書類がずいぶん増えたけど」
「内装は松井さんがまだこっちにいた頃とは大差ないかと。そこに金を使うぐらいなら他に金を使う先がいくらでもありますからね」
井上さんは戸棚の中をごそごそと探すと、一本の酒を取り出してきた。森崎五十年。逸品中の逸品のウィスキーだ。
「いつか、松井さんを救出出来たらこいつで一杯やろうと思って密かに隠し持っていた奴です。付き合って、くれますよね? 」
マツさんは頭を掻きながらしょうがないな……と言いつつ、グラスを三つ持って来た井上さんに付き合うことにしたらしい。そしてグラスが三つということは、俺も付き合うことになるらしい。
「野田さんには口止め料です。こんなもん持ってるって知れたらこっそり盗み出されるかもしれませんからね。それに、マツさんのネットショッピングでもこいつは相当高値で取引されてるはずです。そうそう飲めるものではないでしょう? 」
マツさんがネットショッピングのウィンドウを開いて品物を検索して、ため息をつく。
「そいつ一杯であの巨大オークの魔石が吹き飛ぶぐらいの金額になりますね。全く、とんでもないものを持っていたものだね」
「大きな記念日があれば飲もうと思っていたものです。飲む機会がちゃんと訪れて酒も喜んでいると思いますよ」
指一本分ぐらいの少ない量だが、封を開けて中身を取り出す。確実に注がれたそれは、一杯分で巨大オークの魔石と同等の価値があるという。そんなものを口止め料として出す、と言われた分だけのものではあるらしい。酒にはあまり強くないがこのぐらいなら問題なく飲めるだろうな。
「では、無事の帰還とこれからに」
「これからこき使われる上司に」
「マツさんの帰還に」
三人でグラスを鳴らして、少しずつ飲んでいく。しっかりと熟成され濃く深い琥珀色になっているとまで表現できるその酒をまず匂いで感じると濃厚で芳醇な香りがする。まるでお線香の香りを嗅いでいるような気分にさえなれる。
少し口に含み、舌で味わい、存分にその味を確かめる。甘いフルーティーな香りもする。喉の奥までしっかりと味わいきり、その奥深さを知った。これを呑んだらおいそれとちょっとお高い酒で乾杯しよう、なんてことは難しくなるだろう。それだけのまるで一流シェフが綿密に作り上げたコンソメスープと同等の、いやそれ以上の液体を飲んでいる気分だ。
酒であることを少しだけ忘れそうになるが、カッと熱くなるからだがアルコール濃度の高さを教えてくれている。これをハイボールで飲んだら縛り首にでもなりそうな、そんな一口だった。
「ああ、これでようやく文明圏に帰ってきた、という気分になってきましたよ。静かな酒も良いものですね」
ふぅ……と一息ついてマツさんが感想を漏らす。井上さんは本日ようやく口につけた酒を手にしてしっかりと封をし直すと、戸棚にウィスキーを戻した。
「さあ、これからバリバリ働いてもらいますよ。松井さんにはスキルを利用したロジスティック担当として各種材料や食料の手配から壊れた道路の補修資材、それからネットショッピングで出来る範囲の品物は全部吐き出してもらって、馬車馬のようにこき使わせてもらいますからね。一日八時間ほど」
「待遇はそれなりってところかな。新しいポストを用意してもらうって形になるんだろうけど、収入のほうはどうすればいいのかな。私用にまた魔石を掘り出してきてもらうことになるんだろうか? 」
酒が少し入り舌も滑らかになったのか、お互いの今後について真面目に話し合っている。
「その点は俺達のパーティーも継続してマツさんに魔石を供給し続ける、ということでいいのかな」
「野田さん達には引き続きその任務に就いてもらうことにしようかと思っていますし、新規部署の立ち上げの都合上、在庫がないでしょうから少しずつ魔石を都合してもらって、実績を上げてより多くの魔石を集めてもらってその都度色んなものを補充していってもらう形になっていくと思います。これからはマツさんが寝て起きたら目の前に魔石が積まれているように手配しておきますよ」
「やれやれ、帰ってくるんじゃなかったかなぁ」
マツさんは苦笑いしているが、これからはきちんと仕事をしていこうという前向きな姿勢をしているのか、井上さんと握手してその仕事を請け負う、ということで腹積もりを決めたらしい。ここからまた、新しい街での生活が始まるんだな。