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第5話 クッキー缶

 電気も点けずにソファに座る。シュウが帰ってくる頃には、真っ暗な部屋にハルは一人で待っていた。


「ただいま。」


玄関からシュウの声がする。とてもじゃないが、答える気にはなれなかった。


「ハル?ハル!」


シュウが慌てたような声で叫ぶ。リビングのソファにいても慌てた様子が伝わるくらい、バタバタしていた。


「ハル……良かった。」


シュウが電気を点けて、安堵の声を漏らす。明るくなった室内とは裏腹に、ハルは隠し事についての答えを確定させる不安に沈んでいく。


「ねぇ、シュウ。これ……」


指輪ケースとクッキー缶が並べられたテーブルと対峙したシュウの顔が、分かりやすいくらい青ざめる。ああ、やはり隠していたのか。


「これ、結婚指輪だよね?お前、既婚者だったのかよ。そういうの先に言えって。」


ハルは目から溢れる涙を悟られぬように手で拭う。シュウは「それか」と小さく呟くと、指輪ケースを開けて指輪を取り出す。


「これはハルに渡そうと思ってたやつ。」


「誤魔化すなよ!それで騙されると思ってるのか?」


そもそも、ハルとシュウはただの同居人であった事を思い出し、ハルはシュウから顔を逸らす。


「いや、ゴメン。オレはお前の奥さんに浮気とか疑われたくなかっただけだし……。一緒に暮らしてるんだったら、教えて欲しかっただけで……。怒鳴ってゴメン。」


シュウはハルの左手をスッと持ち上げる。


「いや、これはハルに渡そうと思ってた。同棲三年目のあの日、恋人から家族になろうって言おうと思って。」


ハルが疑いの目でシュウの持つ指輪を見つめる。シュウはハルの薬指にスッと指輪をはめ込む。


「ハルの指の太さに合わせて買ったんだから、嘘なんかじゃない。」


「シュウ……」


無表情のままハルを見つめるシュウに目を奪われる。けれども、シュウはハルから指輪を抜いてしまった。


「でも、僕以外の奴と結婚するんだろ?だから、これは要らない。僕だけの思い出。」


ハルは思わずシュウに抱きつく。シュウは困惑した声を上げた。


「早く言えよ!ずっと暮らしてるのに、オレだけが……オレだけがシュウを好きだと思ってたのに!」


「ずっと同棲してたのに、僕だけがハルと恋人同士だと思ってたんだね……」


「バカ!恋人だと思ってたなら、婚約なんか引き留めろよ!」


「……もう引き返せない所まで決まってたんだろ?」


「だからなんだよ!そんなものどうにでもなるだろ!」


ハルはシュウの肩に顔を埋めて、泣く。これまで堪えてた分だけ大泣きした。結婚指輪を渡す相手が自分であった事に大きく安堵した。


「婚約の話は、断っておくよ。親が決めた事だし、断れるでしょ。」


ハルが身体を離すと、シュウは無表情のままハルの顔、一点をだけをじっと見つめて立ち尽くしていた。


「ああ、その前にスマホどうにかしないと。……全部、『病気』が治ってからだな。早く治せるようにするよ。」


ハルは頬の涙を拭いながら、自分で指輪を嵌めるとシュウに笑顔を見せる。シュウは穏やかに微笑みながらハルを抱き締める。


「お揃いの時計じゃ伝わらなかった?」


「ああ、伝わらなかったよ。ちゃんと言ってくれないと。」


シュウはハルから身体を離すと、肩に手を置き真っ直ぐにハルを見つめる。


「ハル。好きだ。ずっと一緒にいてくれ。」


「うん。オレもシュウのこと、好き。これからもずっと一緒にいるよ。」



 しばらく見つめ合っていると、シュウは思い出したかのようにクッキー缶をクーラーボックスに片付けた。ハルもその背中に付いていく。




「そういえば、そのクッキー缶の中って何入ってるの?」

「ハルの思い出。」


「見ていい?開かなかったんだよね。」


シュウは素早く振り向いて、ハルを鋭く睨む。

「ダメ。絶対にダメ。」


ハルはシュウの気迫に押されて、それ以上は追及できなかった。


「あ……時計。ゴメンね、なんか割れてたし。」


シュウとお揃いで買った腕時計。シュウの見解だとその腕時計が恋人同士である証だったらしい。


「割れてるのは僕の腕時計の方。ハルの腕時計は今、僕が着けてる。」


シュウがスッと左手を挙げると、見覚えのある腕時計と薬指に指輪が光っていた。ハルはクーラーボックスから、割れた腕時計を取り出すと、自分の左手首に着ける。


「これでお揃いだね!しかも交換してるし……付き合いたてのカップルみたいだね?」


このクーラーボックスを初めて開けたときハルは悲しみが溢れていたが、シュウがクーラーボックスを閉めるときはハルは喜びに満ちていた。


「うん。」


シュウはいつもの無表情よりか心なしか寂しそうに思えた。

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