電気も点けずにソファに座る。シュウが帰ってくる頃には、真っ暗な部屋にハルは一人で待っていた。
「ただいま。」
玄関からシュウの声がする。とてもじゃないが、答える気にはなれなかった。
「ハル?ハル!」
シュウが慌てたような声で叫ぶ。リビングのソファにいても慌てた様子が伝わるくらい、バタバタしていた。
「ハル……良かった。」
シュウが電気を点けて、安堵の声を漏らす。明るくなった室内とは裏腹に、ハルは隠し事についての答えを確定させる不安に沈んでいく。
「ねぇ、シュウ。これ……」
指輪ケースとクッキー缶が並べられたテーブルと対峙したシュウの顔が、分かりやすいくらい青ざめる。ああ、やはり隠していたのか。
「これ、結婚指輪だよね?お前、既婚者だったのかよ。そういうの先に言えって。」
ハルは目から溢れる涙を悟られぬように手で拭う。シュウは「それか」と小さく呟くと、指輪ケースを開けて指輪を取り出す。
「これはハルに渡そうと思ってたやつ。」
「誤魔化すなよ!それで騙されると思ってるのか?」
そもそも、ハルとシュウはただの同居人であった事を思い出し、ハルはシュウから顔を逸らす。
「いや、ゴメン。オレはお前の奥さんに浮気とか疑われたくなかっただけだし……。一緒に暮らしてるんだったら、教えて欲しかっただけで……。怒鳴ってゴメン。」
シュウはハルの左手をスッと持ち上げる。
「いや、これはハルに渡そうと思ってた。同棲三年目のあの日、恋人から家族になろうって言おうと思って。」
ハルが疑いの目でシュウの持つ指輪を見つめる。シュウはハルの薬指にスッと指輪をはめ込む。
「ハルの指の太さに合わせて買ったんだから、嘘なんかじゃない。」
「シュウ……」
無表情のままハルを見つめるシュウに目を奪われる。けれども、シュウはハルから指輪を抜いてしまった。
「でも、僕以外の奴と結婚するんだろ?だから、これは要らない。僕だけの思い出。」
ハルは思わずシュウに抱きつく。シュウは困惑した声を上げた。
「早く言えよ!ずっと暮らしてるのに、オレだけが……オレだけがシュウを好きだと思ってたのに!」
「ずっと同棲してたのに、僕だけがハルと恋人同士だと思ってたんだね……」
「バカ!恋人だと思ってたなら、婚約なんか引き留めろよ!」
「……もう引き返せない所まで決まってたんだろ?」
「だからなんだよ!そんなものどうにでもなるだろ!」
ハルはシュウの肩に顔を埋めて、泣く。これまで堪えてた分だけ大泣きした。結婚指輪を渡す相手が自分であった事に大きく安堵した。
「婚約の話は、断っておくよ。親が決めた事だし、断れるでしょ。」
ハルが身体を離すと、シュウは無表情のままハルの顔、一点をだけをじっと見つめて立ち尽くしていた。
「ああ、その前にスマホどうにかしないと。……全部、『病気』が治ってからだな。早く治せるようにするよ。」
ハルは頬の涙を拭いながら、自分で指輪を嵌めるとシュウに笑顔を見せる。シュウは穏やかに微笑みながらハルを抱き締める。
「お揃いの時計じゃ伝わらなかった?」
「ああ、伝わらなかったよ。ちゃんと言ってくれないと。」
シュウはハルから身体を離すと、肩に手を置き真っ直ぐにハルを見つめる。
「ハル。好きだ。ずっと一緒にいてくれ。」
「うん。オレもシュウのこと、好き。これからもずっと一緒にいるよ。」
しばらく見つめ合っていると、シュウは思い出したかのようにクッキー缶をクーラーボックスに片付けた。ハルもその背中に付いていく。
「そういえば、そのクッキー缶の中って何入ってるの?」
「ハルの思い出。」
「見ていい?開かなかったんだよね。」
シュウは素早く振り向いて、ハルを鋭く睨む。
「ダメ。絶対にダメ。」
ハルはシュウの気迫に押されて、それ以上は追及できなかった。
「あ……時計。ゴメンね、なんか割れてたし。」
シュウとお揃いで買った腕時計。シュウの見解だとその腕時計が恋人同士である証だったらしい。
「割れてるのは僕の腕時計の方。ハルの腕時計は今、僕が着けてる。」
シュウがスッと左手を挙げると、見覚えのある腕時計と薬指に指輪が光っていた。ハルはクーラーボックスから、割れた腕時計を取り出すと、自分の左手首に着ける。
「これでお揃いだね!しかも交換してるし……付き合いたてのカップルみたいだね?」
このクーラーボックスを初めて開けたときハルは悲しみが溢れていたが、シュウがクーラーボックスを閉めるときはハルは喜びに満ちていた。
「うん。」
シュウはいつもの無表情よりか心なしか寂しそうに思えた。