たった五分も経っていないが、驚くほど長く感じられたシュウの着替えを見届けた。
「いってきます。」
「いってらっしゃい。」
出勤するシュウを見送ると、ハルは部屋を出てバスルームに向かう。昨日は妨害されたが、首元の違和感を確認してみたかった。
「は?粉々じゃん!」
洗面台の鏡は粉砕され、とても姿を確認できる状態ではなかった。浴室の鏡も同じような状態であった。
(鏡なんてここにしかないぞ?首元はどうなってたんだ?)
ハルの姿を見せまいと、鏡まで壊してしまったシュウへの不信感がますます募る。どうにかして首元を確認しようと、電源を切ったテレビや窓ガラスを覗いてみたが、全く成果は得られなかった。
(どうしたものかな……。たしか、この辺に赤い痕が……)
ハルは自分の首筋を確かめるようになぞる。ふと、指が何かの隙間に入り込む。
「え?」
奇妙な感触に思わず首から手を離す。
(今、首に指が食い込んだよね?どういうこと……?)
首に食い込んだはずの自分の指先を見る。いつもと変わらない普通の手だった。心臓が止まったかような感覚をごまかすようにテレビをつける。
――死亡した会社員の知人は……
『死亡』という単語にドキリとして、慌ててテレビを消す。
(首……くっついてるよね……?大丈夫だよね?)
ハルは恐る恐る振り向いてクーラーボックスを見る。強めに付いている冷房、新しく置かれたクーラーボックス。重たいクッキー缶の中に冷やさないといけない何かがあることは明白だった。
(……あのクッキー缶の中、何入ってるんだろ……?)
ハルは息の詰まりそうな緊張の中、クーラーボックスに手を掛けると、背後から聞きたくない声が聞こえた。
「何してるの?」
ゾクッと身体中に悪寒が走る。弁明しようと振り向いたときには、シュウは手が届くまで距離を詰めていた。
「クッキー缶、開けようとしたの?」
無表情のシュウをこんなに恐ろしいと思ったのは初めてかも知れない。
「いや、まあ、えっと……」
ハルは両手を小さく上げて、シュウから顔を逸らす。シュウはハルの手首を乱雑に掴むと、シュウの部屋に投げ捨てる。
「心配だったから仕事早退して帰ってきたのに。僕の忠告を守らないでウロウロして……ハルは僕とこれからも一緒に暮らしたいんだよね?」
脅迫のような質問にハルは何度も頷く。ハルの中のシュウは恋慕の対象から恐怖の対象に成り代わり、生活を支えてあげたいと思って始めた同居から、生活を支配される同棲へと移り変わっていた。
「ハルがそうやって、僕のいないところで『病気』が悪化しそうな事をするなら、僕は仕事なんて辞めるよ。そうすれば、ずっとハルを見てられるね。」
ハルはジリジリと部屋の端に追い詰められる。シュウの狂気に満ちた優しい笑みに、ハルは乾いた笑いを返すことしかできなかった。