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第8話

「……ひいおばあちゃん、亡くなったって」

「え」


 俺と優斗の声が重なった。大人たちの様子から、この雨のせいで土砂災害に巻き込まれかけてるのかもとは考えていた。だけどひいおばあさんが死ぬなんて、そんな話は想像もしていない。


「日付が変わる頃、施設から電話があったのよ。あちらもなにか混乱してらしたそうで、早めに来てほしいって言われて……だから大おじさんと大おばさん、おじいちゃんはご遺体の引き取りに行ってるの。だけどラジオでは、山向こうで土砂崩れがあったって──」


 一気に流れ込むには情報量が多い。


 ひいおばあさんが亡くなって?

 大おじさんたちはみんなで遺体の引き取りに行ったけど?

 山向こうで土砂崩れが──


 ──土砂崩れ?


「それって、ヤバくないですか?」


 口を出すつもりなんてなかったのに、思わず声に出してしまった。


 初めて来た場所だ、ここいらの地理は詳しくない。だけどここが主要道路から外れた場所にあって、さらにこの家そのものが、道の行き止まりにあることは分かってる。


 ニュースでよく見る、大雨による孤立集落化だ。下手をすると今回の場合、孤立集落の中の、さらに孤立世帯になってるかもしれない。


 水道が止まってることは分かった。ガスは無事、電気もなんとかなるらしい。だけど。


「陸くん」


 優斗のお母さんの声で我に返る。


 まっすぐ俺を見てくる目からは、強い責任感が見えた。


「大丈夫だからね。食糧もたくさん備蓄してあるし、この家の周囲は地盤がしっかりしてるって聞いてるから、崩れたりもしないはず。せっかくのお泊まりなのに昨日から申し訳ないことばかりだけど、あなたのことはちゃんと守るから」


 内心不安そうなのは変わらなかったけど、この人が俺をちゃんと見てくれているのは分かる。なら、いつまでも現状に怯えているのは不誠実だ。


 ドキドキしている心臓を深呼吸で落ち着けて、間抜けな顔で笑ってみる。


「やだな、そんなに心配してないですって。スマホもあるし、いざとなればヘリでもなんでも救助方法はあるんですから。せっかくの被災体験、自由研究にでも活かしますよ」

「あ、それいい! 頭いいな、陸!」

「だろー」


 共同研究にしようとか、テーマは災害時の食事のことがやりやすいんじゃないかとか、とにかくわいわいとはしゃぎ始めた俺たちの様子を見て、優斗のお母さんも少しは安心したのかもしれない。強ばっていた肩の力が抜けて、表情も柔らかくなっていた。


 そのときだ。


 ガラガラと引き戸が開く音がして、土と雨の香りが強くなった。


「ただいまぁ」


 妙にぼやけた、デジタル加工されたような──声だった。


「ッ、父さん! お帰り!」


 玄関から一番近い場所にいた優斗が襖を開くと、確かにそこにいたのは大輔さんだった。


 疲れ切っていて喉が掠れてたのかもしれないけど、なんだか変な感じだ。


 だけど直後、塊になって話し合っていたおばさんたちが詰めかけたことで、そんなことを考えている余裕もなくなった。


「大輔くん、集落の方まで行けた!? 山道のほうも見てきたんでしょう!?」

「土砂はどこまで来てるぅ? 近いぃ?」

「まぁなんてずぶ濡れ! 大輔ちゃん、まさかこの雨の中徒歩でほっつき歩いたの!」

「そんなわけないだろ。質問にはちゃんと答えるから、一気に話さないでくれ」


 質問攻めを困り顔で受け止めた大輔さんは、玄関でびしょ濡れの靴下を脱いだ。今ここにいる大人の男が大輔さんだけだからか、昨日の昼より少し余裕があるように見える。


 一度大きく息を吐き、思い返すように視線を斜め上に向けた。


「道は残念ながら、賢人くんの家付近までしか繋がっていなかったよ。かなり広い範囲で山肌がすべっていたから、乗り越えて集落へ抜けるのも無理だと思う。山道ももう道というより川だ。いつ崩れてもおかしくないし、近づかないほうがいい。町側での土砂崩れのことを考えると、電線もどこかで切れていると思う」


 近隣集落とも分断されている上に、停電の復旧も目処がつかなさそうだ。


 おばさんたちもガッカリしたのか、一様に肩を落とす。


「ちなみにいつもの駐車場所から、玄関に来るまでの間でこれだけ濡れた。まったくひどい雨だよ。ああ、茜さんありがとう」


 優斗のお母さん──茜さんって名前らしい──からタオルを受け取って、洗い髪のような頭をガシガシと拭く。朝から走り回っていたのか、大輔さんは疲れ切った顔をしていた。


「賢人くんにもうちに来るよう声をかけたよ。一人だと不安だろうし、あっちの発電機や備蓄も持ち寄ってくれるそうだ。家族なんだから、災害の時は助け合わないとね」


 賢人さんの名前が上がった瞬間──三姉妹の顔が、明らかに歪んだ。


 泣きそうって意味じゃない。例えるなら、遠足で嫌なやつと無理矢理同じグループにされたときの歪み方だ。


 賢人さんが一人だけ離れて暮らしているらしいこと、それに一人だけ働いていることとなにか関係あるのかもしれないと、俺はついに好奇心を抑えられなくなっていた。


「優斗、優斗」

「ん? なに陸」


 少しだけ腕を引っぱり、大人たちから距離を置く。


「昨日から気になってたんだけどさ。賢人さん、もしかして嫌われてんの?」

「あー……いや、別に全員から嫌われてるわけじゃないんだけど……」


 だけど、なんだろう。


 俺の目は、よっぽどワクワクしていたのかもしれない。優斗はしばらく誤魔化したそうに眉毛をハの字にしたまま困っていたけど、やがて諦めたように肩を落とした。


「賢人おじさん、血縁者じゃないんだよ。だから浮いてるっていうか、なんて言うか」

「血縁者じゃない? 優斗のおじさんなんだろ?」


 目をパチパチさせた俺の疑問に、優斗は苦笑する。


「大おじさん夫婦はバツイチ同士なんだ。賢人さんは、大おじさんの今の奥さんの連れ子で、あの三人と武おじさんは、大おじさんと先妻さんの子。だからちょっと」

「ああ、そういう……」


 思ったよりドロドロした関係だった。


 賢人さんだけが働いているのも、三科家に受け入れられていないからなんだろう。三科家の財産に手をつけるつもりはないっていうアピールなのかもしれない。


 そう思ったとき、誰かのスマートフォンが鳴った。


 全員が一斉にポケットを確認し──受話したのは、大輔さんだ。


「おばさんからだ」


 たぶん、優斗から見た大おばさんのことだろう。


「はい、大輔です。昨夜はお疲れ様で……え、まだ遺体は引き取ってない? まぁ夜中でしたし、あちらのご都合も──え? おじさんが? なんで、安らかなお顔じゃ……」


 困惑した顔での会話が続く。


 片側からの言葉しか聞けないけど、その内容が妙に不穏な雰囲気であることに、俺たちだけでなくほかの大人たちも気づいているらしい。顔を見合わせ、誰からともなく唇の前に人差し指を立てたあと、誰もがその会話に耳を澄ませた。


「ああ、はい。そうですね、こんな状況じゃ通夜もいつ開けるか分かりませんし……はい。えぇ、あぁ……とにかくその件は伝えておきます。分かりました。おばさんたちもお気をつけて、少しでも気分転換なさってください」


 疲れた様子で通話を終える。


 そんな大輔さんが再び口を開くのを、全員が静かに待っていた。


「──ばあちゃんの遺体、ちょっと異様な状態らしい」

「は? ……異様?」

「うん。詳しくは聞けなかったけど、全員が一目見て悲鳴をあげたそうだ。司法解剖が必要かもしれないと言われたそうだよ。結局医師不足を理由に、見送られるらしいけどね」


 司法解剖なんて、サスペンスドラマでしか聞かないような言葉だ。それだけで充分、遺体がなにかおかしいことが分かる。おばさんたちも気味悪そうに肩身を狭めていた。


「昨日はおじさんたちの混乱ぶりを見て引き取りは延期になったけど、職員さんもかなり気味悪がってるらしい。もう少し落ち着いたら、通夜もせず、読経と火葬だけ済ませてしまうって。だから明日までは……水以外、なにも飲み食いするなと言われたよ」


 その言葉に、首を傾ぐ。


 俺は葬式に出たことがないから詳しい方法とかは知らないけど、こういう日は物を食べちゃいけないんだっけ? 優斗も分からないらしくて、肩を竦めて首を傾げている。


 少し離れた場所から、不機嫌そうな溜め息が聞こえた。


「そんなこと、被災してる状況で言うこと? どうかしてるわ。お父さんたちがいるならともかく、今この家には私たちしかいないのに」

「楓さん」


 吐き捨てたのは、三姉妹の中でも一番若いおばさんだ。昨日の昼に、ドタドタと食事の準備を進めていた。


 鼻を鳴らし、面白くなさそうに唇を尖らせている。


「前はおじいちゃんが死んだときだったわよね。身内が死に顔を見たときから断食だって言われてさ。弔問客を招いても、通夜振る舞いも、精進落としもナシ。それどころか、食事もとっちゃいけないなんて! 火葬した翌日からは食べてもいいって言われたけど、三日間水以外飲まず食わずよ! その理由も、座敷わらしが寄ってきて、ほかの人も連れて行ってしまうからだって。馬鹿馬鹿しいったらないわ!!」


 鼻で笑う楓さんの言葉に、そりゃそうだと思ってしまう。日本で、三日間も断食する葬式? もし乳児も同じ制約を受けるのなら、命に関わる状況にもなりそうだ。


 それに、楓さんが言った言葉は明らかに変だ。


 断食しないと、座敷わらしがほかの人も連れて行ってしまうって?



 ──座敷わらしって、そんな妖怪だったか?

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