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第9話

 俺の知っている座敷わらしは、見た人や、住んでいる人に幸運を運んでくる神様みたいな妖怪だ。葬式で物を食べると一緒にあの世につれていくなんて、そんな話は聞いたこともない。それとも三科家の座敷わらしは、俺が知ってる座敷わらしとは違うのか?


 考えている間も、楓さんのマシンガントークは止まらない。


「他家に弔問に伺ったときは、通夜振る舞いも精進落としもいただくでしょ? 参列側なら食べてもいいけど、身内の不幸には食べちゃダメだなんて。おかしいと思わない?」


 まくし立てるような早口をようやく話し終え、楓さんはようやく、身長も体格も一回り大きいおばさんに顔を向けた。


「そうねぇ、守る必要はないんじゃなぁい? ねぇ、桜姉さぁん」


 こっちはずいぶんのんびりした話し方だ。間延びしているようにも聞こえる。


 大おじさんに似た三姉妹は、上から桜、葵、楓というらしい。


 二人から苦情を受けた桜さんは、改めて見ると一人だけ体型が違った。ほかの二人は全体に丸いからパッと見よく似ているけど、桜さんは細めで、女性らしい。顔立ちは三人とも同じなのに、体型と仕草のせいか、一人だけずいぶん色っぽく見えた。


 そんな桜さんは応接セットの一人掛けソファに腰を下ろし、にっこりと笑う。


「馬鹿ねぇ二人とも。しきたりにはちゃんと意味があるの。私たちが文句を言うことじゃないわ。それにこういうときは、本家跡取りに意見を聞くのが一番よ。武がどうするかに従う。それが筋ってものでしょう?」


 誰からも反論が上がらない。


 それをこの場の総意ととったのか、桜さんはさぁさぁと声を上げた。


「楓は武を起こしてきて! あの子は寝起きが悪いから気をつけてね。葵はここを食事の時のように整えてちょうだい。みんなでなにか相談するには、あの形が一番でしょう。茜さんは大輔くんの着替えのお世話ね。私は──んふふ。孝太さんを起こしてくるわ」


 指示を出したあと、桜さんは妙に嬉しそうな笑みを浮かべて、優斗宅とは逆側の離れに向かった。孝太さんっていうのは、昨日の昼、俺と同じ食卓を囲んでいた無口そうなおじさんのことだろう。


 そんな後ろ姿を見送りながら、葵さんがぼそりと呟いた。


「……桜姉さんてば、本当にいやらしいわぁ」


 その一言にギョッとする。のんびりした口調から想像もつかない、嫌悪感を隠さない声だった。


 いやらしいって、どういう意味だろう。


 だけどさっきの桜さんの笑い方に、その表現はしっくりきた。粘こくて、いやらしい。それでも他人の家の事情だ。あまり考えすぎないように頭を振った。


 ゾワゾワと、足元が落ち着かない。たぶん大輔さんが帰ってきてから、どうにも居心地が悪かった。


 妙に、濡れた土の匂いが鼻につく。


 そのとき、優斗が肘でつついてきた。


「なぁ陸、自家発電機って興味ある?」

「へ?」


 ずいぶんいきなりな質問だ。


「興味って言われても、そもそも見たことないよ」

「だろ? うちんち、各家庭で使えるように四台持ってんだ」

「は!? 四台!?」

「うん、エアコンも動かせるやつ。倉庫に保管しっぱなしだから、それ取りに行こうぜ。暗いままだと気も滅入っちゃうしさ」


 ここで気づく。優斗はこの居心地の悪い場所から連れ出そうとしてくれているんだ。これに乗らない手はない。


 倉庫まで行って少しでも電気を使えるようにしてくると申し出ると、葵さんはさっきの声と一転したニコニコ笑顔を見せてくれた。その上、あとでお菓子をくれるらしい。


 どうもこの人たち、大おばさんからの言いつけなんて最初から守る気はないようだ。


「優斗、陸くん。私とお父さんも、一度離れに戻るからね。泥まみれで運べそうになかったりしたら、無理せず戻ってらっしゃい」

「はーい!」


 離れに向かう二人を見送りながら元気よく返事し、玄関に出ようとして──足を止める。


 玄関土間から式台に、べっちゃりと泥の足跡がついていたからだ。


 大輔さんの足跡かと考えかけて、打ち消す。


 大輔さんは帰ってきたとき、靴下を脱いでから玄関を上がった。少しくらい指の間に砂が入っているかもしれないけど、素足にこれだけの泥がついているわけがない。


 しかもそれは玄関からまっすぐに、応接間を横断して奥へと続いている。さっきまでここにいた大輔さんの足跡のワケがない。じゃあ。



 じゃあこれは──誰の足跡だ?



 黙って床を見る俺たちの様子に、葵さんも床に注目して──ぎょっとしたようだった。


「やだわぁ。いつの間に入ってたのかしらぁ、猿なんて」

「……え?」


 猿?


 目を見開く俺の顔がよっぽど面白かったらしい。葵さんはプッと吹き出し、きゃらきゃらと遠慮なく笑い始めた。


「ヤダわぁ陸くん。なに想像してたかしらないけど、どう見たってこれは猿でしょお。雨がひどいから、雨宿りに入ってきたのよぉ! 最近は見かけないけど、いるのよこの辺り。こんな山の中じゃ玄関に鍵もかけないし、入りやすかったのかしらぁ」


 のんびりとした話し方ではあるものの、正直、キンキンと耳障りな笑い声だ。


 だけど確かに、猿なら泥まみれの素足で家に上がっていてもおかしくはないのか?


 いつからあの足跡があったのか分からないけど、大輔さんが帰ってきたことに気をとられて、気づかなかっただけかもしれない。横目で隣を確認すると、優斗も俺と同じように怖い想像をしていたのか、引きつった顔をしていた。


 笑われているのが自分だけじゃないという、よくないタイプの安心感が湧き上がる。


「優斗、なに考えてた?」

「あ……っ、陸は?」


 お互いの想像を理解でき、気まずい笑いを浮かべたあと──俺たちはその場から逃げるように倉庫へと駆け出していた。


 大人からの小馬鹿にした視線なんて、長く浴びていたくない。


 まだまだやみそうにない雨の中、転びそうになりながら全力疾走した。水たまりで泥が跳ねても気にせず、母屋の斜め前──優斗宅とは逆側の離れに隣接しているトタン屋根の倉庫に、優斗が一足早く飛び込んだ。


「俺いっちばーん!」

「バカ。俺はお前のあとから走ってんだから、お前が先につくに決まってんだろ」

「でも一番は一番じゃん」


 ピースして見せる優斗に、とりあえず敗北は認めておく。今回はお互い照れ隠しで走り出しただけだ、負けても腹は立たない。それに変に対抗心を燃やしたり、意地にならないことが友情の長続きの秘訣だ。優斗も冗談半分だろうし、ここは聞き流しておくに限る。


 倉庫はあまり使われていないらしくて、はっきりと埃の匂いがした。


「かなり空気が籠もってるな」

「うん、いつもは扉も閉めてあるんだ。開いてたってことは、父さんがなにか──」


 不意に、奥でゴトンと大きな音がする。


「ッ!?」


 二人してピタッと動きを止めた。


 音のしたほうをじっと見て、気配を探りながら話し合う。


「猿、かな」

「いや……風でなんか落ちたんじゃないか?」


 思わず声も小さくなる。さっき葵さんに笑われたこともあって、二人していろんな可能性を考えていた。


「ちなみに猿だったらヤバい?」

「ヤバくはない……けど野生だから、引っかかれたり噛まれたらヤバい」

「ヤバくないとは言わないだろ、それ」


 普段ならそこまで危険じゃないかもしれない。だけど医者に駆け込むこともできない今の状況でそんなことになったら、充分命の危機だ。


 奥からは、まだゴトゴトとなにかが動いている気配がある。


 今戻っても、葵さんと顔を合わせることになる。俺たちが自家発電機を取りに倉庫に向かったことは分かっているだろうし、ここでなにも持たずに母屋に戻ったら、またなにか言われそうだ。それはかなり気まずい。


 物が落ちた可能性だってあるし、まずは現場確認が一番だろう。


 二人して忍び足で奥に進み、息を潜めて様子を伺う。人影だ。


 大きなブルーシートをめくり、下からゴロゴロとなにか引っ張り出している。


 その背中に、優斗が瞬いた。


「あれ、賢人さん?」

「ん?」


 優斗の声に反応し、汗を拭いながら振り返ったのは賢人さんだ。


「おっ、誰か来たとは思ってたけど優斗と陸くんか。どうした、こんな所で」

「発電機を取りにきたんです。ないと困りそうだし」

「ああ、それならこれだよ」


 賢人さんが少し体を避けると、旅行用キャリーケースに似た機械が見えた。確かにコンセント用の穴や、電源ポートがあるらしい。キャンプに持っていったら大活躍しそうだ。


「非常時だからって大輔さんにお呼ばれしたけど、なんせ俺はここじゃ肩身が狭いからね。少しでも役に立とうと思って、運び出す準備をしていたところだ。車輪つきのポータブル仕様だけど、一台ずつカバーしようとしてたんだ。先に一台持って行くかい?」


 そう言うと、その中の一台を大きなビニール袋で二重に包んで、台車に乗せてくれた。こんな優しい人、どんな相手とも仲良くやっていけそうなのに。大人の世界ってのは分からないもんだ。


「賢人さん、うちに避難してる間はこっちの離れにおいでよ。呼んだのは父さんだしさ。俺と陸相手なら気ぃ遣わないだろ? 陸もいいよな?」

「うん。ゲーム詳しいって言ってたし、一緒にチーム戦しようよ」

「君らの優しさには涙が出るね」


 心底嬉しそうに言われると、ちょっとくすぐったい気持ちになる。


「だけど今日は慎ましく過ごしたほうがいいかもしれないぞ。数日は飲食禁止になるだろうから、あまり腹を減らさないようにしないと」

「あ……火葬が済むまではってしきたり? それなんだけど」


 賢人さんの言葉に、優斗が気まずそうに首を縮めた。


「どうもおばさんたち、守る気がないみたいで……」

「──は?」

 優斗の言葉に、賢人さんがとても、とても冷たい声を出した。

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