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第11話

 優斗の震えた声が聞こえて、はっとした。


 俺はどこか他人事、実話怪談を楽しんでいる気分で賢人さんの話を聞いていたけど、優斗にとってはそれどころの話じゃない。


 いつ自分に降りかかるか分からない、脅しのような話だ。無神経にもほどがある。


 だけど賢人さんは優斗のその言葉に、分からないと小さく呟いた。


「実際のところ、どうなのかは分からないよ。本当にただの迷信で、なんの影響もないかもしれない。もしくはあのしきたりが自戒なら、障りはもっと軽いもので済むかもしれない。警告通りの障りだったとして、その範囲はどの程度なのかも分からない。結局、なにが起こるかなんてのは分からないんだよ。だから昔からの伝承やしきたりには、慎重に向き合う必要があるんだ」


 リビングが静まりかえる。


 二人ともものすごく疲れた顔をしていた。


 かける言葉も見当たらず、早く大輔さんたちが戻ってこないかと、離れの玄関方向に目をやったときだ。


「ごめんな陸」


 ソファの前に座り込んでいた優斗が、泣き笑いの声でポツリと言った。


「泊まりになんて、誘わなきゃよかったな。こんな話聞いたって、楽しくも、なんとも」


 そんなことないとは、言えなかった。


 確かに思い描いていた夏休みとは形が違うけど、災害に巻き込まれたことを優斗の責任にするつもりはない。怪談みたいな環境に放り込まれていることも、別に構わなかった。


 ただ、そんなことないよと声に出したら、俺がこの事態を楽しんでいることが、優斗にバレてしまうかもしれないと思っただけだ。


 まるでホラー映画か小説の登場人物みたいな今の状況に、俺はひそかに興奮していた。昨日の体験も、今朝の不思議な夢も、この家に来たから起こったことだと思えば、怖さが消し飛んでいる。


 家に帰ればきっと、俺には関係のない話になるだろうと思えたからだ。


 当事者が自分じゃないと分かった瞬間、こんなにも薄情になれるものなのかと、自分のことながら少しゾッとする。


 だからこそこの内心を、優斗に知られたくないと思った。


「優斗も賢人さんも、色々あったから疲れてるんだよ。水は飲めるんだろ? 井戸水は心配だけど……どっかに備蓄用の水があるなら、少しだけ飲んで落ち着こう。ただでさえこの雨で気が滅入ってるだろうし、考えすぎると病んじゃうよ」


 話しながら、気遣っている顔をしている自分を想像し、嫌な気持ちになった。


 もちろん気を遣っているのは本当だ。だけど他人から見たらとてもわざとらしく見えているんじゃないか、行動と内心がチグハグなのがバレるんじゃないかとハラハラした。


 優斗はそんなことも知らず、本当に申し訳なさそうな顔をして立ち上がった。


「そうだな、そうしよ。二階の納戸にあるから取ってくるよ。水のペットボトルなら箱でいくつもあるから、遠慮しなくていいぞ」


 そう言うと、手伝いを申し出た俺をリビングに押しとどめ、優斗がリビングを出る。


 賢人さんと二人で残され、なんとなく気まずくて話しもせずにいたけど、賢人さんの視線が俺に向いているのに気づいた。


 妙にじっと見られている。もしかしたらさっきまでの内心を見破られていて、不謹慎ぶりを無言で責められているのかもしれない。


 そう思うと余計に尻がもぞもぞとしたけど、二回くらい深呼吸をした後、覚悟を決めて賢人さんに向き合った。


「あの、なにか……」

「なんだか君、目元が大輔さんにそっくりだなぁ」

「え?」


 思いがけない言葉に、理解が追いつかなかった。


 目を瞬くと、賢人さんはそれもじっと見つめてくる。


「そうですか?」

「うん。君の目、右が吊り気味で左がまっすぐだろ。大輔さんもそんな形なんだ。なんだか不思議で、小さいときによく見せてもらったから覚えてる」

「へえ……。左右で目の形が違う人って多いのかもしれないですね」

「確かにそんなものかもしれないな……。ごめんよ、なにを話そうかと思っていたら目についちゃってね」

「気にしてないんで大丈夫ですよ。話題に詰まるとそういうのありますよね。なんでもいいからとにかく話そうとして、適当に目についたものを話すこと」


 さっきの重い空気は、なんとか消えてくれたらしい。笑い飛ばしたものの、やはり話がうまく続かなくてまた部屋の中に沈黙が落ちる。


 どうしようかと目を泳がせていたら、賢人さんは静かに、長い長い息を吐きだた。


「さっきは優斗の気持ちも考えずに色々言ってしまったし、余裕がないんだろうなぁ。あとであの子にも謝るけど──申し訳ないことをした。いくらなんでも、容姿を話題に出すのはデリカシーに欠けてたよ。君は優斗に優しくしてくれたのに、恥ずかしい限りだ」

「あ、いや……」


 突然の言葉に面食らって、顔をそらす。優しくしたように見えていたなら、それはただの誤魔化しだ。お礼を言われるようなことなんてないと、口の中でモゴモゴしゃべった。


 それをどうも賢人さんは、俺が照れていると思ったらしい。微笑ましそうな──だけど俺にとっては責められているようにも感じる視線を横顔に感じていると、大輔さんたちが発電機を持って戻ってきた。


 ゴロゴロとプラスチック製の車輪音を響かせて、リビングのドアが開く。


「武と話してきたよ。賢人くんはうちの血筋じゃないとか文句を言われたけど……こっちで勝手に面倒を見ると話したら、ぶつぶつ言いながらも引き下がってくれた。本家筋だと言うなら、もっとドンと構えて欲しいんだけどなぁ」


 疲れたため息を吐いた大輔さんの背中を、茜さんが苦笑いでゆっくりとさする。この二人もたぶん、武さんが苦手なんだろう。もしかしたら茜さんと優斗が日頃別宅に住んでいるのも、あの人と物理的に距離を取りたかったからなのかもしれない。


「水しか飲めない決まりではあるが、なにもないよりはマシだろう。備蓄の水でも飲んで、今後のことを決めよう」

「あ、水なら今、優斗が取りに──」

「ちょうどお届けに上がりましたよー!」


 俺の言葉を遮るように、わざとらしいくらい明るい声が飛び込んでくる。二リットルのボトル用の箱を両手で抱えた優斗が、肩で扉を押し開けて入ってきた。


 一人になっている間に、少し泣いたのかもしれない。少し目元が赤くなっていた。


「ありがとう優斗、助かったわ。だけどせっかく陸くんもいるんだし、ゆっくりしていてもいいのに」

「いやー、なんかソワソワしちゃってさ。動いてた方が気が紛れるんだよ」


 力いっぱい腕を動かしながら表情を崩した優斗は、俺から見ても無理をしているように見える。たぶん茜さんにもそう見えたんだろう。困った顔をして優斗を見たあと、俺に頼み込むように口を開いた。


「ごめんね陸くん。優斗、少し疲れてるみたい。もしよかったら──」

「分かってます。水を飲んだら部屋に戻って、二人でちょっと昼寝でもしようかなと」

「お客さんに気を遣わせてしまって、ごめんなさいね」


 気を遣うのを忘れていたから、今になって必死に取り返そうとしているんだとは、言えなかった。


 コンロで沸かしたお湯が、目の前で湯呑みに注がれていくのを静かに見守る。水のままではなくわざわざ沸かしたのは、衛生的な問題というよりもむしろ、空腹感を紛らわせるためらしい。ダイエットなんかでよく使われる手で、胃を温めることで空腹を感じにくくするんだそうだ。


 確かに熱いお湯を少しずつ啜りながら飲むと、こんな状況でも少しホッとする。


 大輔さんも同じ心境だったのかもしれない。お湯を啜って一息ついた大輔さんは、同席している全員を見回して口を開いた。


「きっとすぐに救助が来るとは思うが……だとしても、火葬が済むまではこれが命の水だ。もちろんこれは我が家だけの習慣だから、榎本くんは備蓄食料を食べてもらっても──」

「父さん、エノモトじゃないよ。イナモト」

「え? いやでも、昨日の昼食の時……」

「あっ」


 緊張して噛んだせいだと、すぐに思い当たった。


 いくらあせっても、自分の名前を噛むなんて恥ずかしい失敗だ。しかもよりによって、そっちが印象に残っていたらしい。


 今さら自己紹介というのも変な感じだけど、ここは改めて名前を覚えてもらおうと背筋を伸ばした。


「すみません、あの時緊張してて……。稲本陸です」

「……稲に本と書いて、イナモトかな」

「そうです。エノモトとかイノモトとか、よく聞き間違われるんですよ。その上俺が噛んじゃったんで、そりゃ覚え間違われてても仕方ないっていうか」


 笑い飛ばそうとしたけど、なんとなく雰囲気がおかしかった。


 俺を見る大輔さんの顔は真っ青で、まるで幽霊でも見たような顔だ。顔は引きつっているのに、眉尻は恐怖で下がってる。呼吸を吸い込んだまま吐き出すのを忘れてるのか、肩も強ばったままだった。


「あの、なにか……?」


 恐る恐る声をかけると、大輔さんの体は跳ねるように震えた。


「いや、いやなんでもないんだ。すまない、ごめんよ。昔好きだったスポーツ選手の名前と同じだと思って、ビックリしちゃってね。……そうか、稲本くん、か」


 明らかになにか思うところがある反応だったけど、触れないことにした。なんとなく、母さんが関係しているような気がしたからだ。


 得体の知れない反応を見せた母さんと、大輔さんの怯えた表情が、妙に頭の中で繋がる。


 母さんと大輔さんの間に、なにかあったんだろうか。こそっと優斗に耳打つ。


「……なあ優斗。お父さんって何歳?」

「え? 四十二だったと思うけど」

「そっか」


 うちの母さんは四十歳だ。二学年差なら、どこかで交流したことがあっても不思議じゃない。大輔さんのこの性格じゃ、母さんになにかしたとは思えないし──したとすれば、母さんのほうからだろう。それなら、大輔さんが怯えたのも納得がいく。


 そう思うと、なんだか申し訳なかった。


「それじゃ俺と優斗は、少し休んできます。あー、でも母屋に行くときは起こしてくれると嬉しいです。今朝、ちょっとビビったんで」

「ふふふ、じゃあそうするわね。……二人とも、ゆっくり休んで」

「うん、父さんと母さんも少し寝たほうがいいよ。もちろん賢人さんも。──おやすみ」

「おやすみ」

「おやすみ」


 仮眠の挨拶を受けて、俺たちは優斗の部屋に引き上げた。


 扉を閉めた直後に部屋の中に響いたのは、疲れきったため息と、布団に倒れ込む音だけだ。精神的なストレスが思った以上に蓄積されていたのか、二人とも言葉を交わす余裕もなかった。


 しばらくの沈黙。普段の優斗なら俺に気を遣って、色々話しかけていたかもしれない。けれど今回は俺がちゃんと、忘れずに気を遣うことに成功した。


 倒れ込んで身動きしない優斗の背中をゆっくり叩き、そのまま寝ろと合図する。たったそれだけのことが、少しは役に立ったんだろう。優斗はそのまま、すぐに寝息を立てるようになっていた。


 静かな部屋で、雨音だけを聞きながら俺は日記に向き合う。


 予想外の事件に、俺もひどく興奮していた。こうして起こった事実を書いているだけで、充分小説として面白い作品になってるような気がしているからだ。


 本当は、目と体を休ませたほうがいいのかもしれない。だけど記憶が薄れないうちに、どうしても書き留めてしまいたかった。


 ──気がつくと、もう二時間経っている。家の中からも、なんの音もしない。きっとみんな、疲れて眠ってるんだろう。


 少しは俺も眠ったほうがいいのかもしれない。ようやくそう思えたとき、母屋から続いている玄関が乱暴に開いた音がした。

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