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第12話

「賢人! 賢人、どこにいる!!」


 叩きつけるような音の直後、武さんの大声が家中に響き渡った。ずいぶん怒ってるのか、ドスドスと廊下を踏み鳴らす音までしている。


 突然の騒々しさに、ぐったりと寝入っていた優斗が飛び起きた。


「……なに、武おじさん?」

「うん、そうみたい。なんか賢人さんを探してる」

「こんな狭い家なんだし、大声出さなくても聞こえるのに……」


 うんざりした優斗の言葉に、いや狭くはないだろうと突っ込みたかったけど──やめておくことにした。全体で見ると大きい家だけど、離れは普通の戸建て住宅だ。全員で集まる母屋の存在を除けば、優斗としては狭い家に住んでいるという認識なのかもしれない。


 とにかく怒鳴り散らしている武さんの様子を知ろうと、俺と優斗は部屋を出て、階段下を覗き込むように耳を澄ませた。


「あのしきたりはなんだ、なんの理由があってあんなものがうちに伝わってる! 破ったら──本当に誰かが死ぬのか!」

「落ち着きなさい武、どうしたんだ。賢人くんはここで面倒を見るから気にせずに──」

「大輔くんは黙っててくれ!! 俺が言ってるのはそういうことじゃない!!」


 聞いているだけで剣幕が目に浮かぶ怒声だ。しきたりを守るつもりなんてなかったはずなのに、今になってどうしたんだろうと考えて──一つの可能性に気がついた。


 たぶん優斗も、考えが浮かんだんだろう。血の気の引いた顔で、階段の手すりを握りしめているのが見えた。


 もう少しで、一階に事情を問い詰めに行くところだったと思う。だけど階段を一段下りるよりも早く、賢人さんの声が聞こえた。


「──誰か連れて行かれたんですか、座敷わらしに」


 静かだけど、確実に怒っている声だった。


 そしてその声がした途端、武さんの声が止まる。俺と優斗も顔を見合わせ、静かにリビングへと近付いた。


 磨りガラスの向こうに見えたのは、仁王立ちで向かい合っている武さんと賢人さんだ。大輔さんはその真ん中で、両者の様子を伺ってるらしい。


 さっき見た限り、普段の賢人さんは三科本家に対してかなり遠慮した立場を取っていたように見えるのに、今はそんな雰囲気が一切見えない。武さんたちがしきたりを破って食事したことが、かなり頭にきてるらしかった。


 そんな中、茜さんがそっとリビングの扉を開けて、中に招いてくれた。軽く会釈して、素早くリビングに入りこむ。


 中は思った以上にひりついた空気で満ちていた。


 特に緊張感を演出していたのは、賢人さんの表情だ。


「待って、少し落ち着こう賢人くん。武が、え? しきたりを破ったって言ったか?」

「はい。僕がこちらに来た直後、母屋でコーヒーのいい香りがしてました。それに武兄さん自身も、食事をしていたことを認めています」


 吐き捨てるような言葉に、武さんは食ってかかろうとしたように見えたけど──それより、信じられないという表情で見返った大輔さんに負い目を感じたらしい。怒鳴りかけていた口を閉じて、バツが悪そうに目を泳がせた。


 しきたりを破ったことをバラされて、後ろめたい気持ちが勝ったんだろう。


 賢人さんもそれを察したらしく、これ見よがしのため息を吐いて武さんを睨みつけた。


「兄さんたちがしきたりを破った問題はさておき、なにかが起こったのは事実ですか?」


 この質問にも、沈黙が返った。いや、正確には沈黙ではなかったかもしれない。確かにはっきりと舌打ちが聞こえた。


 そもそも賢人さんを敵視している武さんと、武さんの行動に怒り心頭の賢人さんでは話になるわけもない。お互い大人になって、少し妥協するくらい──と思ったら、大輔さんが困惑しながらも手を挙げた。


「……賢人くんに言いにくいなら、僕が聞くよ武。なんなら別室に行っても……」

「いや、ここでいい。大輔くんに気を遣われるまでもない」


 不愉快そうな口調だった。大輔さんに主導権を握られたくなかったのかもしれない。


 それでも、もうすべて話すしかないと思ったんだろう。武さんは深呼吸のあとソファに腰を下ろし、眉間を押さえて苦しそうに呻いた。


「──父さんたちが亡くなった。三人とも、同時にだ」


 その言葉で、室内に沈黙が落ちた。


 いや、誰かが息を飲む音は聞こえたかもしれない。だけどそれからしばらくは誰も声も発さず、窓の外から雨音だけが響いていたのを覚えている。


 沈黙を破ったのは、声を震わせた大輔さんだった。


「……は?」


 半分、笑っているような声だ。


 信じられないものを耳にして、分かりたくなくて、引きつってしまった結果なんだろう。それとも、悪い冗談だと笑い飛ばしたかったのかもしれない。


「え、それは……清おじさんだけじゃなく三代子おばさんも? え? うちの親父もってことか? そんな、そんな馬鹿なこと、誰が……」


「その馬鹿なことが起きたって言ったんだよ、火葬場のスタッフって奴が!! あの三人が、同時に、同じ有様で死んだと連絡があったんだ!!」


 二度目の沈黙が落ちた。


 怒鳴った武さんの荒い呼吸しか聞こえない。

 正直言うと現実味がなかった。


 ひいおばあさんの遺体を引き取りに行った三人は、さっき電話をかけてきていた。なのにたった数時間で、揃って死ぬ?


 それに、同じ有様ってなんだ?


 三人同時に死ぬなら、事故しかない。移動中の車が、とか、歩いているところになにか起きて、とか。でもそれを、有様なんて言い方で表現するだろうか。


 ──きっとこんなに冷静に考えられているのも、俺が三科家にとって部外者だからだ。その証拠に大輔さんと茜さんは蒼白になり、優斗はガクガクと震えていた。


 その中で賢人さんは──むずかしそうな顔で、口を開く。


「詳しい状況とかは、分かってるんですか?」

「……ショッキングなお姿で、としか言われていない。火葬場の待機室もひどい状態だと言われたよ。こうなったらしきたりの件も馬鹿にできないと思って、とにかく婆さんと同じ棺に詰め込んでもいいからすぐに焼いてくれと言ったが──」

「同じ棺に詰め込む!?」


 あまりの発言に声を上げた大輔さんに対し、武さんは慌てて弁解を口にした。


「っ、もちろん言葉の綾だ! でも飲食制限があるんだから、一刻も早い火葬が……!!」

「その気持ちも理解できるが、死に顔も見ずに焼くことを君一人で決めたのか? 僕や孝太くんにも言わずに?」

「それは、その」

「それに棺に詰め込むなんてそんなこと、冗談でも言うもんじゃない。本当におじさんが亡くなったというなら、武は三科家の仮当主だろう。あまり軽率な言動は」


 この言葉が出た瞬間、室内に妙な緊張が張り詰めた。


 どう表現したら伝わるだろう。気分がザワつくとか、糸が張ったようなとか、そういう感じじゃなかった。


 言ってはいけない相手に、言ってはいけないことを、一番言ってはいけないタイミングで言ってしまったと、そういう種類の緊張だ。


 大輔さんは言葉にしたあと口を覆ったけど──それまで精神的に追い詰められて見えていた武さんは、憑物が落ちたようにポカンとしたあと、うっとりしたため息を吐いた。


「そうか。もう俺が当主になったんだなぁ」


 仮、という部分はあえて無視したんだろう。もう誰の言い分も聞く気はない。そう言わんばかりの表情だった。


 さっきまでの切羽詰まった言動なんてなかったように、まるで大おじさんが乗り移ったような偉そうな態度で、武さんは胸を張った。


「確かに誰にも相談せず火葬を頼んだのは、俺が軽率だったよ。だけど俺は当主として、家族全員の命を守る選択をした。だからその点については、誰にも文句は言わせない。これは三科家当主の決定だ」


 重々しく言われたはずの言葉は妙に芝居がかって、陳腐に聞こえた。


 大おじさんの声真似に近かったからかもしれない。本人はきっと威厳たっぷりに演出したつもりなんだろうけど、逆に、頼りにならない端役の演技を見ている気分になった。


 だけど大根役者は、周囲の反応なんて気づきもしないで、下手な演技を続ける。


「賢人、当主としてお前に仕事を与えよう。あのしきたりがうちに伝わってる理由を調べるんだ。言っておくが、怖がってるわけじゃないぞ。なぜあんなことをし始めたのか、理由を知らなければ守りようもないからだ。それまではここに滞在するのを認めてやってもいい。ただし長く居座ろうとして、妙に長引かせたりするんじゃないぞ。そんなのは見てれば分かるんだからな」


 まさしく命令するように言うと、武さんは来訪時の動揺ぶりなんて嘘みたいに、堂々と離れを出て行く。扉を出る直前、優斗を見てとてもとても嫌な笑い方をしたけど──むしろ優斗は、肩の荷が下りたようだった。


 昨日の様子から考えても、跡取りの座を優斗に盗られるかもとか、そんな風に考えていたのかもしれない。賢人さんに対しても朝似たようなことを言っていたし、キツく当たられていた優斗としては、絡まれることが少なくなるならそのほうがよかったんだろう。


 もちろん事態は想定外のことばかりで、情報を整理しきれていない。特に大輔さんは負担に耐えかねたのか、音を立てて閉まったドアを見たまま、玄関に座り込んでしまった。


「あなた」

「……すまない、頭がグチャグチャになって……。なにが起こってるのか、うまく理解できないんだ。ばあちゃんが死んで、大雨でうちだけ孤立した上に、親父たちまで死んだなんて……。これは現実なのか? それとも今朝からずっと、夢の中にでもいるんだろうか。もう、なんにも分からない……」


 頭を抱えてうずくまった大輔さんを茜さんが包むように抱きしめるのを、俺たちは見て見ぬフリした。なんとなく、見ちゃいけない気がしたんだ。


 そっとその場を外れて、賢人さんは俺たちをリビングに手招いた。


「大輔さんが落ち着いたら僕は一度、自宅に戻って資料を探してくるよ。三人が本当に座敷わらしに連れて行かれたかどうかは分からないけど──関連があるなら、調べるべきだと僕も思う。まずは火葬場に連絡をとって、全員の死亡状況も確認してみるよ。火葬後なら食事をとっても構わないと思う。君たちには我慢をさせてしまうけど……」

「あの、俺も行っていいですか?」


 挙手した優斗の言葉に、俺も少し驚いてしまった。


「父さん、母さんと二人にしてあげたほうがいいと思うんだ。俺も頭が追いついてないからその、少し違うことを考えたいっていうか。もちろん危ないのは分かってるし、陸はここにいてもらっても──」

「いやいや、優斗が行くなら俺だって行くよ。一人で残されたってつまんないし、賢人さんの家も見てみたいしな」


 優斗の気遣いだと分かってはいるけど、この家に話し相手もいないのに置いて行かれるのは、ちょっと勘弁したい。


 賢人さんも察してくれたらしい。そういうことならと、俺にも同行の許可をくれた。


 大輔さんたちが二階に行った気配を察知したあと、賢人さんの家に行く旨を手紙にして外に出る。母屋は静まり返っていたから、みんなそれぞれの離れに戻っていたんだろう。


 雨は少しマシになっているようだった。


 敷地外に停められていた車に乗り込み、滑り落ちた山肌を見ながら進む。三科家に被害がなかったのが奇跡的なんじゃないかという有様で、土砂が流れていった方向を考えると、集落は何軒かの家が潰れていてもおかしくないと思えた。


 三科家に救助が来るとしたら、集落を助けてからだ。そうなると思っていたよりも長く籠城することになるかもしれない。


 優斗が飲食できないのに俺が食べられる状況にあるのは後ろめたい気分だったけど、いざとなれば抜け駆けも視野に入れるべきだろうか。


 ──そんなことを考えているうちに、小さな家が見えてきた。

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