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第14話

 三科家についた俺たちを出迎えたのは、険悪な雰囲気で向き合っている武さんと孝太さんの姿だった。


 殺意すら持っていそうな孝太さんの視線を、武さんが素知らぬ顔で無視している。それぞれの背後には、まるで各自を援護するように三姉妹の姿があった。


 楓さんと葵さんは勝ち誇った顔で、武さんの後ろに。桜さんは武さんの顔色を見ながら、不安そうに孝太さんの後ろに立つ。


 桜さんが孝太さん側に立っているのが、なんだか不思議な気がした。


「おじさんが亡くなったからといって勝手に当主を名乗るとは、傍若無人もいいかげんにしろ武。正当な血筋だと言い張るつもりだろうが、お前は我々の中で最年少だ。その上しきたりを軽んじて座敷わらしを呼び、母さんたちを殺した張本人らしいな。そんな人間に、三科家の当主は任せられん。ここは一族全員の総意を聞くことで──」


「俺たちが食事をとったから父さんたちが死んだなんて、発想の飛躍だよ孝太くん。そこに関しては、図々しくうちに転がり込んだ専門家──ああ、ちょうど帰ってきたそいつに調査を命じてる。俺は当主として、できる限り家族を守るための行動をとった。それよりも悲しいもんだなぁ。長年慕ってきた年長の従兄(いとこ)殿(どの)が、いざこういう事態になった途端、自分の方が当主にふさわしいとばかりに物申し始めるとは。頭が良くて尊敬すべき従兄だと思っていたのに残念だ。こんなところで人間性の卑しさを感じてしまうとはね」


 昨日の昼食時とはまるで雰囲気が違った。


 いや、近いものは確かにあった。大おじさんが優斗を跡取りだと言ったとき、この二人は俺でも感じ取れるくらいはっきりと不愉快さを表に出していたんだから。あの時点で俺は、この家の跡取り問題のデリケートさをなんとなく察したくらいだ。


 ただそれがたった一晩で、ここまで荒々しいものになるとは思っていなかったんだ。


 玄関ホールを抜けたきり、身動きもできず立ちすくむ俺と優斗を気遣い、賢人さんが少し声を張った。


「跡取り問題についてはどうぞお二人で、心ゆくまで議論してください。ただしこちらの調査が終わるまで、水、お湯以外のものは口にしないでくださいね」


 それだけ言い置くと、賢人さんは俺たちの背中を突っつくようにして離れへと急がせた。親族同士がいがみ合ってる姿なんて、あまり俺たちに見せるべきじゃないと思ったのかもしれない。なにより俺は部外者だし、身内の恥を人目に晒したくないんだろう。


 離れに戻ったときには、大輔さんと茜さんが家の中の整理をしている最中だった。どうやら物置同然にしていた部屋を片付けて、賢人さんの部屋を作っているらしい。


 普段は使いにくさを理由に開けていなかったのだと笑いながら、屋根裏収納に梯子をかけて荷物を運ぶ姿に、俺たちも慌てて手伝いを申し出た。


 大輔さんは落ち着いたように見える。二人きりにした甲斐が少しはあったんだろうか。


「調べ物をするなら、一応机があったほうがいいだろう。折りたたみ式のテーブルですまないが、よければ使ってやってくれ。あと、他になにか必要なものがあれば──」

「いえ、充分ですよ大輔さん。置いてもらえるだけでもありがたいのに、まさか一部屋使わせてもらえるなんて……。本を開いたまま並べて読むクセがあるんで、広いスペースを使えるのがなにより嬉しいです」

「それならよかった。くれぐれも遠慮だけはしないでくれよ? 武たちがなにを言ったとしても、僕らは家族なんだからね」


 この言葉に、賢人さんはとても嬉しそうな顔をした。この二人は家庭内の立場が弱い者同士という点で、意気投合している部分があったのかもしれない。


 そんなとき、俺の腹からものすごい音が響き渡った。


 ──この恥ずかしさを、どう表現したらいいだろう。


 ちょっといい話を聞いている最中、脇にいた俺の腹が空気を台無しにしてしまったという現実に、本当に顔から火が出るんじゃないかと思うほど首から上が熱くなった。


 それをみんな笑ってくれたけど、俺としてはすぐ布団に潜り込んで頭を抱えたい気持ちでいっぱいだ。いたたまれなくて、恥ずかしくて、さらには逃げ出したい俺が、呻き声を上げながらうずくまったときだった。


「陸くん、少しいいかな」


 大輔さんの手招きに、ちょっと涙目で顔を上げた。


 その時優斗と茜さん、賢人さんの三人は、室内を軽く拭き掃除していたり、部屋の中で本を広げ始めたりしていたから、俺が大輔さんに呼ばれたことは気づいていなかったと思う。仮に俺がなにかしようとしていても、きっとそっとしておいてくれただろう。


 本当に恥ずかしくてたまらず、少しでも人目につかない場所に行きたかった俺にとって、大輔さんから呼ばれたのは渡りに舟だった。


 のろのろと立って、大輔さんが手招くリビングへと滑り込む。


 電気がついていないリビングは、広々としている分だけなんだか物悲しかった。


「こんなことに巻き込んでしまってごめんな、陸くん」

「ああいえ。茜さんからも朝に謝られましたけど、運が悪かっただけですから。それに結構楽しんでいる部分もあるんで、気にしないでください」

「そうかい? ──いや、この被災した状況のことだけじゃないんだ。僕がもっと優斗から君の話を聞いていれば、ここに呼ぶこともなかったはずなのに……」


 大輔さんはとても苦しそうな顔をしていた。


 やっぱり昔、母さんとなにかあったんだろうか。俺のことをよく知っていたら、三科の本宅に呼ぶことはなかったと面と向かって言われたのは、少しショックだった。


 この非常事態時、確かに俺は扱いに困る存在だろうと分かってはいるけれど。友だちの親から邪魔者扱いされるのは、なかなかキツい。


 でも大輔さんは邪魔者扱いしたのと同じ口で、泣きそうになりながら何度も謝罪した。


「本当にすまないと思ってる……! だけど頼む陸くん、これだけはお願いだ! 全員の火葬が終わったとはっきり分かるまで、君も僕らと一緒に、食事を控えてほしい」


 ……これは、予想外のお願いだった。


「もうすでに空腹だと思う。きっと持ってきた荷物の中にも、優斗と食べようと思っていたお菓子が入っているだろうとも思う! だけど、これだけはなんとしても守ってほしい、お願いだ……!!」


 友だちの親からこんな風に懇願されて、突っぱねられる人間がいるんだろうか。


 少なくとも俺は無理だった。なんで、とか、俺は関係ないだろとか、いろんなことが頭の中をよぎりもしたけれど──結局、分かりましたと首を縦に振るしかなかった。


 自分でも、一人でこっそり食べるのは優斗に悪いとも思っていたんだ。もし口の端に食べかすをつけて、それを優斗が見つけたら──きっと俺を責めず、いいなぁなんて愚痴をこぼしながらも許してくれると思う。だけどそれじゃあまりにも、友だち甲斐がなさすぎると、ちゃんと分かっていた。


 だからこうして、俺一人が盗み食いするのを止めてくれたことは感謝すべきことだと、日記を書いている今はそう思える。


 それでもやっぱりその瞬間は、なんだかモヤモヤしたものを感じていた。


 すまない、申し訳ないと繰り返す大輔さんを宥めてリビングを出た俺は、愚痴を言いたい気分でもなく、とにかく人気のあるところに行きたかった。なんというか、卑屈に見える大輔さんの態度が、俺の感性に合わなかったのかもしれない。


 大おじさんのように高圧的に話されるのも、大輔さんのように下手に出た言い方も気に障るなんて、我ながらずいぶんワガママだと思う。だけどあっけらかんと、悪いけどやめてくれよーって笑いながら言われるのが、きっと俺には合っていた。


 賢人さんの部屋に戻ると、すでに部屋の中には何冊かの本が広げられていた。たぶん座敷わらしに関連しているページが開かれてるんだろう。風で閉じてしまっても問題ないように、全てにしおりが挟まっていた。


 どれもこれもびっしりと文字が書いてあるから、それだけであくびが出そうだった。


「あ、陸! どこ行ってたんだ?」

「ちょっとストレッチ。外が雨だと、なんか体がムズムズしてさ」


 次々に開かれていく本の山にうんざり顔を見せていた優斗が、やがて俺の帰還に気づいて寄ってきた。その気安い感じに、ホッとしたのはここに書くまでもない。


 大輔さんとの話は言い出しにくくて咄嗟に嘘をついてしまったけど、優斗はそれを素直に信じてくれたようだった。分かるーなんて笑いながら、優斗自身も両腕を上に伸ばし、ぐぐっと背筋を伸ばす。


「気が滅入ることばっかりだと、なんか体がギシギシするよな。……ひいばあちゃんやじいちゃんたちが死んだって聞かされても、正直全然実感湧かなくってさ。夢でも見てるみたいな、ふわふわした気分だ。薄情かもしれないけど、死に顔も見てないから……」

「……分かるよ、その気持ち。言葉だけで言われたって、実感なんて湧くわけないよな」


 もし今俺が、母さんが死んだと言われても似た反応を見せると思う。冗談を言われたような、でも本当だったらどうしようってあせるような、そんな気持ちじゃないかと思えた。


 そんなただの当てずっぽうな共感に、優斗はありがとうと笑ってみせた。


 ──本当に、コイツはいい奴だ。


「ところでこれ、マジで全部座敷わらしに関係してる本なのか? 妖怪の本なんて、子ども向けの本くらいだと思ってたんだけど……」

「研究者がいるくらいだから、むずかしい本も多いんだよ。勉強しろよな小説家志望」

「うぅ……やっぱ小説書くにも勉強って必要なんだろうなぁ……」


 前に少しだけ物語を書いてみて分かったけど、頭の中でだけ考えた話は現実味がない。空想を書こうとしてるんだからそれでいいんだなんて開き直っても、読者は現実の人間だ。理屈で納得できない話は、やっぱり読む人に共感してもらえなかった。


 この経験があったからこそ、俺はいろんなものを体験したくて、三科家に来たんだ。金持ちの家の人間関係、その家独自のしきたり、被災時の不安な気持ち、収穫は予想以上だ。


 ただちゃんとした勉強も、やっぱり必要なんだろう。それだけはうんざりするとため息を吐いてしまったときに。


 俺の腹が、またグゥと鳴った。


「あ……」


 気まずかった。だって優斗も空腹のはずなのに、今までそんな素振りを見せていない。朝だってお湯を一杯飲んだきりだ。


 育ち盛りの俺たちの体がメシを要求しないはずがないのに、優斗はたぶん、できるだけ空腹を忘れることにしているんだろう。


「……いいよ、遠慮しなくて。陸はうちと関係ないんだし、なんか食べた方がいい。ごめんな、一人で食べるのは味気ないかもしんない」


 優斗はそう言って、少しだけ羨ましそうな顔をした。


 大輔さんにお願いされなければ、俺はこそこそと、お菓子の一つでも食べてたんだろう。自分だけ空腹を紛らわしながら、口先だけで優斗に同調するフリをしていたかもしれない。


 だけどこんな顔で我慢する優斗を見て、そんなことをする気にはならなかった。


「食べないよ」

「え」

「優斗が食べられるようになるまで、食べない」

「でも、」

「昨日あれだけ食ったんだからさ、一日や二日食わなくたって問題ないよ。食うなら一緒に食おう。そのために色々持ってきたんだから」


 拳で肩を押した俺に、優斗は困ったように笑って、同じように肩を押した。少しカッコつけた言い方だったけど、優斗が笑ってくれて良かったと思う。


 その後は二人で部屋に戻り、カードゲームで時間を潰した。ゲームで電気を使うのは、緊急時にふさわしくないと思えたからだ。


 カードゲームも充分熱中できるし、熱中すれば時間も、空腹も忘れられる。


 そんな俺たちが部屋を出たのは、母屋にいる武さんから呼び出しを受けたからだった。

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