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第15話

 もちろん呼ばれたのは俺たちだけじゃなく、三科家にいる全員だ。


 誰も彼もが不満と困惑の顔で、広間に座り込んでいる。大輔さんも孝太さんも、武さんの顔は今はあまり見たくないのかもしれない。当たり前のように大おじさんの席に座っている武さんから、目をそらしたままだ。


 葵さんや楓さんも、とても満足そうに中央の机に腰を下ろしている。まるで自分たちが新たなこの家の主人と言わんばかりの態度に、俺でさえいけ好かないものを感じた。


「あれだけ嫌っていた賢人にまで同席を許すとは、どういう風の吹き回しだ。まさか当主になったことで、おじさんを真似て賢人を迎え入れようと?」


 心底馬鹿にしたように話す孝太さんの隣には、桜さんが困り顔で座っていた。


 桜さんはさっきも、武さんじゃなく孝太さんについていた。朝起こしに行っていたことと関係あるんだろうか。


 そんな俺たちの前で、武さんはやっぱり胸を張って口を開く。


「迎え入れるなんてとんでもない。ただ、座敷わらしについては一応専門家だろう? まだ解明には至ってないようだが、温情を与えつつ、監視下に置いてるだけだよ」


 ここまでくると、言葉選びすべてが嫌味なのはちょっとした才能なのかもしれない。


 自分で人から尊敬されるようなことをしたわけでもない、ただ跡を継いだだけの人が、なんでこんな偉そうにできるんだろう。


「今きみは監視下と言ったが、どういうことだい?」


 口を開いたのは大輔さんだ。それをふふんと小馬鹿にしたように見返し、武さんはナルシストじみた動作で話し始めた。


「俺も少し考えたんだよ大輔くん。もし本当に座敷わらしの祟りがあるなら、これ以上被害者は出したくない。だが、今のように各自自宅に引き籠もっていたんじゃほら、なぁ。人の目がないのをいいことに、つい食事をとってしまう者もいるかもしれない。それを」


「ははっ。いの一番にしきたりを破った人間がそれを言うのか。笑える冗談だな!」


 優斗の家族以外、三科家には嫌味の天才しかいないんじゃないだろうか。


 さすがの武さんもこれにはムッとしたようで、すごい形相で睨みつけていた。桜さんはどちらの顔色も窺っている立場だ。少しかわいそうに思えてくる。


 けれど武さんは腹立たしそうに、ふんと荒い鼻息を噴き出した。


「野次は議論の場に不要だ、誰も耳を貸さないように。──でだ。つまり誰も食事をとったりすることのないよう、母屋で、全員で、一晩過ごすことを提案したい」


 この一言に、俺と優斗は思わず顔を見合わせた。さっきの孝太さんじゃないけど、どの口がそれを言うんだろうと思ってしまったわけだ。


 禁止事項を率先して破った人たちが、破らなかった人たちを前にして監視を提案するなんて、よっぽど神経が図太くないと言えないと思う。


 ただこれはきっと、優斗たちにとっては最良の提案でもあったわけだ。


 なんせ一番危なっかしい人たちが、自分たちから相互監視を持ちかけたんだから。


 ──当然のように、孝太さんが乗った。


「滑稽と同時に素晴らしい提案だ武。お前の救いがたい棚上げ気質と楽天ぶりにはつねづね手を焼いてきたが、今日だけはそれに感謝したい。その提案、喜んで乗ってやろう」

「そりゃどうも。なぜだかまったく褒められた気はしないがね」


 互いに目も合わせず、その日の予定が決定した。悲しいことに大輔さんと賢人さんには、選択肢そのものが与えられていないようだった。


 それからは、なんとも言えない窮屈な時間が重なるばかりだ。


 賢人さんは何冊かの本を持ち込んで部屋の隅で読みふけり、俺たちは白熱しきれないままカードゲームに時間を費やした。他の大人たちは、まるでクラスのカーストグループのように分かれて、チラチラと反目し合っているように見える。


 人間は結局、大人になってもこんなことをし続けるものなんだと、目の当たりにさせられているようだ。いじめはダメだと言いながら、大人だっていじめをする。困ったときは協力をなんて言いながら、困ったときこそ、仲の悪さが表に出てくるのが現実だ。


 やがてそんなギスギスとした空気に我慢できなくなったのか、武さんが声を上げた。


「これだけ蒸し暑くちゃ、寝てやり過ごすこともできない! まったく、この雨はいつまで続くつもりなんだ!!」


 このイライラは、きっと空腹から来るものだ。家中で感じられるこの空気も、みんなが少しずつイラついているのもあるのかもしれない。だからこそ、それを抑えようともせず、すぐに表に出してしまう武さんの我慢のなさに嫌気が差した。


 不意に、大輔さんが立ち上がる。


「じゃあせめて不快感だけでもなんとかしよう。体を洗えばマシになるかな」

「体を洗うって……井戸水で? でも汲んでる間に濡れちゃうよ」


 大輔さんの提案に、優斗が不思議そうに首を傾いだ。それに、にっこりと笑顔が返る。


「井戸水なんていらないさ。天然のシャワーがあるだろ?」

「え、雨でってこと!? なんかこう、汚かったりとかしない?」

「降り始めの雨はあまり綺麗じゃないと言われるけど、これだけ降ってるからその点は大丈夫だ。目隠しにブルーシートを使えば、違和感なくシャワールームにできると思うよ」


 それでも武さんはこの提案に、かなり不安を覚えたみたいだった。


「いくらなんでも不衛生じゃないか? ブルーシートで覆うと言っても、足元は……」

「足元なら玄関で流せばいいじゃない。戻るときに各自井戸水を汲んでくればいいのよ」


 不満を漏らす武さんの言葉を遮ったのは、楓さんだった。


 女の人はやっぱり身だしなみに気を遣うんだろうか。女性全員が、大輔さんの提案に興味を持った様子で目を輝かせていた。


「……桜たちがやってみたいと言うなら、協力しないわけにはいかないな」


 孝太さんが立ち上がり、ふむとなにか考えこむ。やがて大輔さんと一緒に下着姿で外に出た二人は、しばらくしてずぶ濡れの状態で戻ってきた。


 壁といくつかの物干し台を利用して、見事四つのシャワールームを作ったという二人を女性陣は拍手で迎え、いそいそと洗面用具を自宅まで取りに行く。


 その間俺たちは全員分の布団を運び、優斗の自宅側にある和室に移動することになった。玄関から正面ホールにかけて、臨時脱衣所にすることになったからだ。


 一人だけハブられた形になった武さんも、お姉さんたちにはやっぱり逆らえないらしい。気乗りしない様子で移動を始めた武さんを、孝太さんが鼻で笑っていた。


 そんな中で、俺はこれまで一度も顔を上げずにいた賢人さんに近付いた。


 ここではあっさりと書いたが、実際はそれなりにバタバタとした動きがあったのに、賢人さんが動く様子がないのが気になったわけだ。


「賢人さんも、移動できますか?」

「え?」


 弾かれるように顔を上げた賢人さんが、目を白黒とさせながら俺を見た。


「あ、ごめん聞いてなかった。なに?」


 どうやら本当に聞いていなかったらしい。……頭のいい人は、集中力も凄いんだろうか。


 とにかく手短に話したほうがいいと思い、外にシャワーブースを作ったこと、女性陣が先に入浴すること、そのため俺たちは隣の和室に移動することを告げると、ようやく賢人さんはなるほどと頷いてくれた。


 俺もいくつかの本を持ちながら話しかける。


「なにかいい情報、ありました?」

「うん? んー、むずかしいね。今読んでる郷土史が一番可能性は高いと思うんだけど、三科家の座敷わらしがいつ現れたか、義父さんも詳しく知らなかったから……」

「大まかには聞いてるんですか?」

「江戸時代とだけ、だね」

「……範囲広すぎじゃないですか」


 歴史は得意じゃないけど、確か三百年くらいあったんじゃないか? 徳川三百年とか聞いたことがある。三百年分の郷土史があるかどうかは分からないけど、賢人さんの持っている本は薄い。紐で纏めてあって、なんというか、本屋で売っているような本じゃない。


 これを何冊読めば目的の部分が見つかるのか、それとも見つからないのか。今はそれすら分からないってのが、なんともキツそうだ。


 そうこう言っている間に、戻ってきた女性たちは入浴の準備を始めたらしい。さっきまでのギスギスした雰囲気はどこに行ったのか、サバイバル生活っぽくてドキドキするなんてことを話しながら、はしゃいだ声を上げて外に飛び出していった。


 なんだかんだ言って、やっぱり一緒に暮らしている家族ってことだろうか。というか、ギスギスの原因が本人たちの問題じゃないからだろう。


 あくまで、味方している相手が反発し合ってるだけで──本人たちのいないところでなら、あんな風に話すことができるんだ。


 女性陣がいなくなってから、家の中はさっきよりも険悪な雰囲気に飲まれていた。


 協力して布団を敷く中で、一人だけ別部屋に行っていた武さんが戻ってきた。


「さっき連絡があったが、父さんたちは全員火葬されたらしい。しばらく遺骨の引き取りは無理だと伝えたらなにやら喚いていたが、まったく、土砂災害の被災者を労おうという気持ちはないのかな、ああいう連中は」


 俺たちに言っているのか、それとも独り言なのか分からない大きな呟きを漏らした武さんに、誰も反応を見せなかった。それが気に食わなかったのか、武さんは不機嫌そうに足を踏み鳴らしてまた廊下に出た。


「武、どこに行くんだい」

「トイレだよ! それくらい一人で行ったっていいだろう!!」


 そのまま、ドスドスと廊下の奥へと消えていく。それを横目で見送った孝太さんは、ふんと大きく鼻を鳴らした。


「放っておけ大輔。あいつは自分で相互監視を申し出ておいて、なんて言い草だろうな。まるで駄々をこねる子どもだ。まぁ武がいないほうが、こっちも気が休まる。──母さんたちが無事に火葬されたことは朗報だな。明日には食事をとってもかまわんだろう」


 そう言いながらも悲しそうな顔で、布団に胡座を掻いた孝太さんは静かに手を合わせた。


 よく考えてみれば、大輔さん以外の大人が悲しんでいる姿を見たのはこれが初めてだったと思う。俺たちの前では落ち込まないようにしていただけかも知れないけど、なんだかそれがとても、人間味のある姿に見えた。


「優斗」

「うん?」

「俺あの人、もっと怖い人かと思ってた」

「孝太おじさんはいい人だよ。跡取りに一番ふさわしいのは自分だと思ってるところはあるけど、色々教えてくれるいい人だ。……ホントは、武おじさんも」

「……そっか。そうだよな。ごめんな、身内の悪口みたいなこと言っちゃって」

「ううん、いいんだ。今のうちの状況見たら、そう思うのは仕方ないよ」


 眉毛をハの字にして笑う優斗に、俺はなにも言えなくなっていた。


 家族の中で悪口を言い合うことはあるけど、他人に言われると腹が立つ。……そういうことだ。もう少し、ちゃんと優斗の気持ちを考えながら話す癖をつけたい。


 その時、シャワーを終えた女性陣が家に戻ってきた。さっぱりした、雨でもちゃんと洗えたと話している声に、次は俺たちの番かとタオルを準備し始めると、トイレから戻った武さんが玄関を不思議そうに見ていた。


「もしかして、救助が来たのか?」

「え?」

「声がするだろう。姉さんたちでも茜さんでもない、誰かの声が」


 その言葉に、全員が顔を見合わせた。

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