大輔さんは母さんじゃなくて、父さんの知り合いなのか?
これまで父さんが三科家について話したことはないけど、よく考えればそのほうが自然かもしれない。父さんと大輔さんが元々知り合いで、母さんとはそのあと知り合った。最初は仲良くしていたけど、途中でなにかいざこざでもあった、とか。
──親しそうに呼んでいたのもそのせい……なのかもしれない。
今は話さなくなったけど、昔仲良かった友だちに俺を紹介したい。せっかくだからたくさん遊んでもらってほしい。そんな感じなんだろうか。
だからと言って。
……だからと言って。
心配されていなかったことと、俺の話を聞いてくれなかったことは、やっぱり寂しい。
家に帰る頃、俺はちゃんと、母さんたちのことを覚えてるんだろうか。
母さんはちゃんと、俺のことを出迎えてくれるんだろうか。
なんとなく不安ばかりが頭に浮かんでくるけど、なんでだろう、妙に眠くなってきた。まだ書きたいことがあるはずなのに、もうあまりなにも
寝落ちた俺が、いや、寝ていた俺たち全員が飛び起きたのは、部屋の中から凄まじい叫び声が聞こえたからだった。
叫んでいたのは三人。
武さんと葵さん、楓さんだ。
「ッ、なんだ!? なん、どうしたんだ!?」
動転した孝太さんが蛍光ランタンを灯しても、三人は目を見開いて叫び続けていた。
「葵どうしたの!? 楓、こっち見て! ねぇ!!」
「武どうした、なにを見てる!? しっかりしろ、大丈夫だ、なにもいないから!!」
桜さんが姉妹を、大輔さんと孝太さんが武さんの頬を叩いても揺すっても、三人が反応する様子はない。
俺と優斗は縮み上がってそれを見ているしかなくて──茜さんはそんな俺たちを、震えながら抱きしめてくれていた。
やがて全員を振り払って、三人は転がるように奥へ向かう。俺と優斗も、なにが起こっているのか知りたくて──怖さよりも好奇心が勝って、その後を追った。
奥。最初に大おじさんがいた部屋。いや、その襖さえ開けることなくぶつかり破って、座敷わらしの。
座敷わらしが祀られている祭壇に、縋るように爪を立てていた。
「や、やめなさい三人とも! そこは……!」
ガリガリガリガリガリガリガリガリ
祭壇が荒らされていく。
大輔さんたちの制止の声も、きっと三人には届いていなかった。
暗い中でも異常な事態が起こっているのが、俺たちにも分かるくらいだ。
爪を立てる音がだんだんと音を変え、さびた鉄棒のニオイがし始める。言葉にならない声を上げながらそれでも祭壇を引っ掻く三人を、大輔さん、賢人さん、孝太さんが必死に引き離そうとしていた。
ガリガリガリガリガリガリガリガリ
「あぁあああああああ! 出してぇえええええ!! 出してくれよぉおおおおおお!!」
ガリガリガリガリガリガリガリガリ
「出してよ! ねぇ、出してったらぁ!! お腹減ったの! お腹減ったのよぉ!!」
ガリガリガリガリガリガリガリガリ
「なんでこんなことするのぉ……! 私なにも、なにもしてないよぉ……!! ずっといい子にしてたじゃない……!!」
ガリガリガリガリガリガリガリガリ
引き剥がそうとする大輔さんたちをも蹴りつけ、引っかき、噛みついて、三人はそれでも祭壇にすがる。言葉になっていなかったはずの声はいつの間にか、ここから出せ出せと切実に訴え始め、絶望を吐き出していた。
なにが起こったのか、分からない。分からないけどとにかく、恐ろしいことが起こっていることだけは分かった。
そのうちに。
「異常な汗じゃないか! 疲れてるんだよ、早く休んだほうが……!?」
孝太さんの指摘どおり、三人は物凄い量の汗をかいていたらしい。大おじさんの部屋からことの成り行きを見守っていた俺の鼻にさえそのニオイが届いていたから、三人と密着状態にある孝太さんたちはたまったもんじゃなかったと思う。
だけどそんなのは。
少しのべたつきや汗なんてものは。
このあとの衝撃に比べれば、どうってことなかったはずだ。
「わっ、ちょっと……!!」
しゃああと水音がして、三人は揃って失禁した。
思わず賢人さんが怯んだその瞬間、三人の様子が見る間に変わっていったんだ。
体中が水浸しになるほどの汗をかいて。
お漏らしもして。
涙も鼻水もよだれも垂れ流したまま。
──三人は見る間に、干からびながら黒く変色していった。
「……え?」
最後にガリ、と祭壇を引っ掻く音がして、三人が汚水の中に崩れ落ちる。それを誰も受け止めることができずに、ただ非現実的な光景を見下ろしていることしかできなかった。
生きているのかどうか確認することすら、咄嗟に考えつかなかった。
無駄だと、一目で分かっていたのかもしれない。だってあんな。
あんな軽い音を立てて水たまりに崩れた人たちが、生きているとは思えなかった。
……その光景を目の当たりにして以降、誰も眠れずにいる。
遺体は大人たちが倉庫に運んだ。家の中に三人分の変死体があるなんて、耐えられないからだろう。なかなか帰ってこなかったのは、運んだあと、雨で体を流していたらしい。
死はケガレだと聞いたことがある。それじゃなくても、あの遺体を運ぶのは色々とキツかったはずだ。部屋の外から見ていただけの俺でさえ、あの瞬間部屋中に充満した、あの独特な臭いが鼻の奥から消えていないんだから。
今は優斗は布団の中に引きこもり。
賢人さんは一心不乱に本を読み。
大輔さんと茜さん、桜さんと武さんは抱き合いながら震えて、
俺は、こうして日記に逃避している。
「もしかして今日も、食事をとれないのか」
少しだけ窓の向こうが明るくなってきた頃、ぽつりと誰かが言った。
「一昨日婆さんが死んで。昨日母さんたちが死んで。今日は武たちが死んだ。──昨日の朝からだ。昨日の朝から、なにも食べてない。今日はようやくなにか食えると思ったのに、これでまた。……これでまただ!!」
「孝太さん!!」
立ち上がって吠えた孝太さんに、桜さんがしがみついて止める。
「次から次に死にやがって、次は誰だ!? いつになったら食事ができる! 第一、救助隊はなにをしてるんだ!!」
「孝太さん落ち着いてちょうだい、人が死ぬのは誰の責任でもないでしょう……!? それに救助だってきっと、もうすぐ……!」
きっとこの言葉はただの願望だ。雨はまだ続いているんだから、三科家の手前にある集落の救助が始まったかも分からない。
空腹がイライラをつれてくる。そのイライラが、俺たちをさらにイライラさせた。
もう聞きたくない、黙ってほしい、自分だけが我慢してると思うな、大人なのにそんなことも分かんないのか。
ふざけんなよ。部外者の俺だって我慢してるのに。
ここまで書いたとき、大輔さんがふらりと立ち上がった。
「──三人の遺体を、焼いてくるよ」
しんとした。
動き出した大輔さんを誰もが、なにを言っているのか分からないって顔で見上げた。
「じゃあ、僕も」
口を開いたのは賢人さんだったけど、大輔さんはそれに笑って首を振った。
「はは。……賢人は座敷わらしについて調べるのを最優先にしてくれ。とにかく焼いてしまわないと──いつまでも、食事ができない。倉庫には薪も、バーベキュー用の炭も入っていたはずだ。きっとひどい臭いになるだろうから、みんな外に出ないようにな」
水の入ったペットボトル、新聞紙、ライターを鞄に詰め、大輔さんがフラフラと出ていく。それを見送って、茜さんは再び布団に引き籠もった優斗に寄り添っていた。
また、部屋の中が静かになる。
「……大丈夫、きっともう、誰も死なないわ。あの子たちはしきたりを破ったから──座敷わらしさまが罰を下されたのよ。きっとそうよ。だってしきたりを守ろうとしていた父さんたちだけが連れて行かれるなんて、ねぇ。道理に合わない、じゃないの」
座り込んだ孝太さんの頭を抱きしめ、桜さんは子どもをあやすように話しかけている。
本当に、そうだろうか。もちろんそうならいい。そうならいいけど。
また、一日が始まる。食事のとれない一日だ。
きっと今日は昨日よりも精神的にキツい一日になる。そう思ったときだ。
「明治三年十月、三科家で乾物みたいな死体が出た──?」
賢人さんの声が聞こえた。
三科家、乾物、死体。
まるでさっき見た死体そのものだ。
みんな俺と同じことを思ったんだろう。バタバタと音を立て、全員が賢人さんの手元を覗き込んだ。
だけど目に映るのはうねうねとのたうったような文字ばかりだ。全体的に繋げて書かれているせいで、一文字それっぽいものを探すだけで精一杯なのが情けない。
きょろきょろと目を動かしていることに気づいてくれたのか、優斗さんが紙面をなぞりながら話してくれる。
「明治三年神無月。三科某の家に、乾物に覚えしけやけき死体見つけられき。──」
スラスラと読み上げてくれたけど、ほとんど意味が分からない。言葉の感じからして国語……古典で習う文章みたいだ。ずらずらと長いだけで、日本語とも思えない。
ただその読み上げる最後辺りで、座敷わらしという言葉だけがはっきり聞き取れた。
「座敷わらし? 座敷わらしと言ったか、賢人。明治の文章なら俺たちには古文みたいなもんだ、理解ができない。すまんがもう少し砕いて教えてくれるか?」
孝太さんは武さんほど、賢人さんを見下してはいないらしい。賢人さんを馬鹿にせず、素直に頼ることができる人なのだと驚いた。それとも武さんが賢人さんをあんなに嫌っていたのは、やっぱりお母さんのことがあったからなんだろうか。
賢人さんはしばらく考えたあと、今度は俺たちに分かる言葉で説明してくれた。
「明治三年の十月、三科某(なにがし)の家で乾物に似た異様な死体が発見された。奥座敷にある隠し扉の向こう、およそ二畳ほどの空間で発見されたものだ。壁一面が爪で掻かれ、恨み言が書かれたノートと筆入れが置かれているという状況に、捜査員の中にも怖がる者がいたらしい。その後、三科の人間が次々と怪死を遂げ、残ったのは十歳と三歳の男児だけだった。この二人は当主の妹夫妻に引き取られ、元服後に三科家を継ぐ予定だという。三科家は座敷わらしの住む家として噂されていたが、この異様な死体が座敷わらしの正体ではないかと新たな噂が広がっている。──新聞の内容をそのまま書き写したものみたいだ」
「干物みたいな死体がうちの家で発見された? 子どもだけ残してみんな死んだなんて、そんな話聞いたことないぞ……!」
「それに、なんでこんな死体が座敷わらしだなんて思われたの? 座敷わらしって、普通もっと可愛いものじゃ……」
「姉さんの思う座敷わらしがどんなものかは分からないけど……座敷わらしやその類型には諸説あるよ。河童が家に憑いたものだとか、赤く染まった熊の毛を被ってるとか」
「河童? 赤い熊の毛!? そんな」
「あとは奥座敷に住んでいるとか、座敷わらしが出て行った家は没落するとか。──確かに、この話から読み取れる情報と近いものがある気がするね」
「……死体っていうのは?」
「間引かれた子どもが座敷わらしになるという一説がある」
ゾッとした。
だったら、だったら本当にその死体が、三科家で祀られている座敷わらしの正体なんだろうか。だとしたらそんな気持ちの悪いものを、この家は。
でもふと気になった。
「待って賢人さん。家族が一気に死んだのは座敷わらしが三科家から出て行ったからなんでしょ? だけど今も三科家は座敷わらしを祀ってるし、豊かなままだ。……出て行って、ないよね?」