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第18話

 そうだ、座敷わらしが出ていくと家が没落するというなら、話の筋が通らない。三科家は今でも座敷わらしを祀ってるし、仕事をしなくても生活できてる。


 この指摘に、賢人さんも頷いてくれた。


「うん、その意見ももっともだ。死体を発見したとき、間違いなく一度は座敷わらしはこの家から解放されている。それが、なんでまたこの家に憑いたかはまだ……」


 言いかけて、賢人さんの目はまた本に吸い込まれていった。この先に答えが書いてあると思ったのかもしれないけど、こうなると俺たちにはもう、なにも分からない。


 没頭してしまった賢人さんを横目に、孝太さんが立ち上がる。


「……大輔を手伝ってくるよ。一人で死体と向き合ってるなんて、俺なら耐えられない」


 さっきまで荒れていたとは思えない冷めた表情だった。


 だけど少し、その気持ちも分かる気がする。情報量が多くなりすぎて、もうなにもかも嫌になったんだろう。考えるのも、怒るのも、拗ねるのも、全部。


 その上で年の近い大輔さんが家族の利益になることをしているのを思い出して、……臭くても怖くても、なにも言わずに炎を見ていられるところに行きたくなったんだろう。


 焼くことに専念していれば、自責に駆られることもない。


 それを俺は、不誠実だとは思えなかった。


「なあ、陸」

「うん?」


 優斗に裾を引かれ、向き合う。


「完全に夜が明けたらさ、ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ」

「いいけど……どこに」

「墓を、埋めたところ」


 びくりとした。


「なんで、あんなとこ行きたいの?」

「わかんないけど──凄く気になるんだ」


 分かる。俺も気になってた。


 俺が来た日から急にこんなことになってしまって、あの日やったことと言えば、あの墓を埋めたことだけだ。きっと関係ない、関係ないに決まってると思いながら、もしかしたらって気持ちは拭いきれなかった。


 だけど行くのが怖い。


「あの墓、本当になにも書かれてなかったのかな。気づかなかっただけで、どこかになにか書かれてたんじゃないかな。なんだかそんな風に思えて仕方ないんだ。あんなことしなかったら、もしかしたらこんなことには」

「……やれって言ったのは大おじさんだ。俺たちは悪くない」

「っ、それも、分かってる」


 なにもしないでいることに耐えられないのは、孝太さんだけじゃなかったようだ。目を泳がせ、手を震わせながら、優斗は思い詰めた表情で唇を噛んでいた。


 この家から少し、離れたいのかもしれない。


 あそこに登るかどうかはともかく、その気持ちには同意できた。


「優斗」


 声をかけると、パジャマの肩が震えた。


「いいよ、行ってみよう。墓を掘り出すならシャベルも持って」


 勇気づけるつもりで背中を叩き、何度も頷く。それを泣きそうな顔で優斗が見返した。


「……ありがと、陸。でも一つだけ頼んでいいか?」

「なに?」

「もう、あんな風になるのだけは勘弁してくれ」

「あんな風って」

「墓を、埋めた日みたいな」


 ──静かな声に、ああと声が漏れる。


 直前まで怖がっていたのに妙にハイになって、優斗の言葉も耳に入らないまま、墓を埋めることだけ考えていた時間だ。


 俺があの山を、あの墓を怖がっている理由もそこにある。自分で思い返してみても、あの時の俺はなにかに操られているようだった。またあんな風になったら、俺はちゃんと、自分の考えや怖さを取り返せるんだろうか。


「保証はできないよ。俺だってなんであんな風になったのか、分かんないんだから」


 俺の声も震えていたと思う。


 それでもやっぱり、行かなきゃいけない気がした。怖くても行くべきだと思った。


 空腹感もピークを過ぎすぎたせいか、全然感じなくなっていた。


 時計が午前七時になると、どんよりとした空でも多少明るく思える。俺たちはじっとしているのも怖くて、ペットボトルとカビ取り剤、スポンジと手袋を持って出発した。


 どれだけ降れば気がすむのか、雨はまだ止む様子もない。なのにあの山に向かう道は崩れもなく、大きな水たまりができている程度だった。


 確かめるなら好きにしろとでも言われているようで、不気味でしかない。それでも引き返すこともできず、俺たちはあの山の麓に辿り着いてしまっていた。


「行こう」


 優斗の声に力づけられて、山道を登る。他の道は滝のように水が流れ落ちているのに、ここは小雨が降った程度にうっすら濡れているだけだ。それが余計に怖かった。


 前のようにハイになることもない。むしろこんな怖い場所に二人で来て、墓を埋めるなんてことよくやったもんだと、背筋がぞくぞくした。


 湿気で喉の奥が重い。肺がうまく酸素を取り込めていないような感じさえする。優斗がやめようと一言でも言ってくれれば、きっと俺はそのまま帰っただろう。


 だけどそうはならなかった。


 木が、草が、一部を避けて撤退している場所に着く。──そのすぐ横。明らかに掘り返され、埋め戻された場所を目にし、俺たちは顔を見合わせた。


「やろう」

「……うん」


 深呼吸して、シャベルを突き立てる。埋め戻したばかりの土は柔らかく、足かけを踏みつけなくても楽にすくうことができた。そのまま無言で土を掘り進める。後頭部に当たる雨がうっとうしかった。


 やがてガキンと、固い衝撃が走る。土の中から覗く苔色の石に、息が止まりそうだった。


「できれば墓石を傷つけないように掘り出そう。この柔らかさなら、手でも掘れそうだ」


 優斗の提案を受けて、俺たちは素手で掘り出しにかかる。──なにも話せなかった。この墓が怖すぎて、気づけば俺は泣きながら掘っていたからだ。


 怖くて怖くてたまらないのに、墓を掘る手が止まらなかった。この前みたいに、なにかに頭を乗っ取られているような感覚はない。ただこの墓の正体を突き止めないと、俺自身になにか降りかかる気がしてならなかった。


「出た、少し雨に晒そう! たぶん土が流れてくれるから……!」


 言いながら優斗は手袋をつけて、カビ取り剤をつけたスポンジで墓石をこすり始めた。できるだけ元の状態に戻して、なにか書かれていないか確かめるつもりらしい。俺も同じようにカビを撫でたけど、こすり落とせるほど、力を入れることができなかった。


 それでもだんだんと、石はキレイになっていく。雨で土が流れ、苔とカビが剥がされていくと、不意に優斗が手を止めた。


「──陸、これ」


 呼ばれ、恐る恐る手元を覗き込む。


 そこにあったのは小さな文字だ。少なくとも、三科家という字がすぐに読めた。


「これ、墓石のてっぺん……?」

「逆だよ、墓石の一番下の部分。ほら、台座と接してるところ」

「ああ」


 一番風雨に晒されない場所だし、普通は彫刻なんてしない場所だ。誰も見ないところに、家の名前なんて書くはずがない。


 だけどこの墓は不法投棄なんかじゃなく、元々三科家のものだったことがはっきりした。


「この周辺に、他に彫刻があるかもしれない。陸、手伝って」

「うん」


 震える手で、墓石を磨き続ける。なにかあるなら早く見つかってくれと心から願いながら歯を食いしばる俺の目に、やがて文字が浮かんできた。


「……明治八年、座敷わらし、供養の、標?」


 三科家という文字から少し離れたところに、はっきりとそう刻まれていた。


「標ってなんだろう」

「分からない……。写真を撮って帰って、賢人さんに見せよう」


 ひとまず写真を撮り、他の部分もキレイに磨く。それでも他に文字は発見できず、疲れ切ってしばらく座り込んだあと、両手を合わせて墓石をそのまま置いておくことにした。


 再設置するのも、埋め戻すのも、ためらったからだ。


 ただ、俺たちがこの墓を埋めたから今回の事態が起きているんじゃないかという恐怖は、より強く襲いかかった。


 無言で山を下り、三科家に向かう途中、優斗は唇を噛み締めて泣きじゃくっていた。


「……優斗のせいじゃないよ」

「うん、けど」

「出発前にも言ったろ、大おじさんのせいだって。俺たちのせいじゃない」

「でも、でもさ」

「優斗」


 俺は優斗を責める気はない。優斗にも、自分を責めてほしくなかった。


 優斗が自分を責めたら、俺もこの事件の発端を、俺の責任だと思えてしまうからだ。


 どこまでも、俺は自分勝手だった。


「──こんな所に呼んで、ごめん」

「次それ言ったら、めっちゃ痛いデコピンするからな」


 ついに立ち止まってしまった優斗の手を引いて、前に進む。


 三科の家は怖い。だけど、あの山も怖い。どっちも怖い俺は、それでも人が多い三科の家のほうがマシだと信じて帰路を急いだ。



 この日俺は、三科家のほうがマシだと思った。マシだと思ったんだ。


 二日経って書き足している俺は、この日の俺を馬鹿だと言いたい。


 どっちがマシかなんて、俺なんかが分かるわけがなかったのに。

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