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第19話

 三科家に戻った俺たちは、玄関先で茜さんからこっぴどく叱られた。少し気分転換してくると言って出ていった俺たちが連絡もなく一時間以上戻らなかったばかりか、ズボンの裾まで泥だらけにして戻ってきたからだ。


 どこに行ってなにをしてきたのか聞き出した茜さんは、土砂崩れに巻き込まれたらどうするのか、なぜ事前に大人を連れて行く選択をしなかったのか強く叱った。


 その理由を優斗はこう語った。大人たちも充分ショックを受けていて、俺たちに構うほど精神的な余裕があるように見えなかったからだと。それでも調べるべきだと思ったから決行したと語った優斗に、茜さんは泣き出しそうな顔で俺たちを抱きしめてくれた。


「気を遣わせてごめんね。だけどお母さん、こんな状況で二人にそんなことさせたくないの。ご飯も食べさせてあげられないのは本当に申し訳ないけど、もう一日。もう一日だけ我慢してちょうだい」


 何度も謝る茜さんにどう言えばいいかも分からず、俺は口を閉じているしかなかった。


 だけど自分の母さんと比べてしまったのは、ここにしか書けない正直な気持ちだ。母さんがもしここにいたなら、こんな風に心配してくれただろうか。電話口であんな風に、俺の話も聞かずに放り出した母さんも、この状況を見たら心配してくれたんだろうか。


 考えてもどうしようもないけど、考えてしまう。


 きっと母さんは、ここが座敷わらしの家で、幸運に守られてるから心配ないと思ったんだろう。でも、まだモヤモヤは消えてくれなかった。


 ズボンを脱いで母屋に上がった俺たちは、賢人さんのところへ急いだ。当然、撮ってきた写真を見せるためだ。


 賢人さんはまだ資料を読みながらむずかしい顔をしていたけど、この写真をしばらく眺めたあとは慌てて郷土史と見比べ、大きなため息を吐いてしばらく黙ってしまった。


 説明もなく、俺たちにはなにが起こったのか分からない。それでもしばらく待っていると、賢人さんはもう一度息を吐いて顔を上げた。


「──君たちがあれの調査に行ってくれたことは感謝するよ。たぶんこれが、三科家から解放された座敷わらしを再び閉じ込めてしまった呪式だ」

「呪式って……」


 ファンタジーやホラー作品でよく出てくる、魔術的なものが頭に浮かんだ。


「明治八年、座敷わらし供養の標(しるし)、三科家って刻まれてるだろう」

「しるし? 普通こういうのって、慰霊碑とか言うんじゃ」

「そうだね優斗。だけど一般に碑は、銘文を刻むこと自体を目的としたものなんだ。だけど──君たちが見たものは、一見して墓だと分かるものだったんだろう?」


 俺と優斗は顔を見合わせ、揃って頷く。賢人さんは、そうだろうねと返答した。


「生き残った兄弟はね、きちんと墓のつもりで建てたんだよ。ここに書いてある」


 見せられたのは郷土史の一ページだ。さっきみんなで読んだものより、数年後部分らしい。さっきと同じように指で追いながら、賢人さんは現代語訳して話してくれる。


「明治八年四月。明治三年に三科家で発見された死体が、三科家長男清久が十五歳を迎えたのを機に、供養されることとなった。寺に安置されていた遺体は改めて供養を受け、明笠山の中腹に埋められる。死体は天明二年に開かずの間に閉じ込められた、妾の子と判明している。しかし名前がないため、墓銘もしないという。今後は三科家にて手厚く祀っていくらしい」


 相変わらず、こんなのたくった文字をよく読めるなぁなんて少し感心しながら、やはり呪式というのが分からない。


「供養してもらったのに、なんで成仏しなかったんだろう」

「それはね陸くん、ここに座敷わらしと刻んでしまったからだよ」

「え?」


 賢人さんが指さしたのは、俺たちの撮影してきた写真だ。


「この下に埋まっているのは座敷わらしだと、名を固定してしまった。形のない曖昧なものっていうのはね、名前によってその性質を縛られてしまうんだ」

「……よく分からないです」

「例えばあの花瓶に生けられた花。見た目は綺麗だけど、口に入れると下痢と嘔吐を引き起こす毒なんだ」

「え」

「というのは嘘だけど、今二人とも、信じたよね?」


 にっこりと笑った賢人さんの言葉に、俺と優斗は瞬き、顔を見合わせて首を傾げた。


「う、嘘なんですか?」

「嘘だよ。例えばスイートピーやシクラメンは観賞用の毒花だけど、あれは違う」


 嘘なのかとホッとする気持ちと、挙げられた二つの花が毒だと知って驚く気持ちが一緒になって、変な顔をしていたかもしれない。賢人さんは少し笑ってから、深刻な顔をした。


「いま僕は『正体が分からないものに対して属性を付与』したけど、名前はそれ以上に重いものだ。名は体を表すと言うだろ? 軽々しくつけるものじゃない。まして座敷わらしだなんて、名前とともに誰でも想像する属性が付随している。正直、最悪の名付けだ」

「じゃあ、どうしたらよかったんですか?」


 俺の言葉に、賢人さんは沈み込むように上半身を屈めていく。


「妾の子で、生前名もなかったとあったから──近所の噂通り座敷わらしとして供養したんだろうけどね。せめて墓銘に三科家縁者の墓と入れていれば、違ったかもしれない」

「どういう風に?」

「少なくとも人間として供養できたはずだ」


 なるほどと、優斗が頷く。


 確かにそれなら死体は座敷わらしとしての役割を終えて解放される。新しく三科家で座敷わらしが祀られたとしても、別の座敷わらしということになったのかもしれない。


 だけど墓に座敷わらしだなんて彫ったせいで、そうはならなくなった。


「もしかしたらこれまで通り家を守ってもらいたい、なんて思惑もあったのかもしれないけど……発見時に恨みを書き付けたノートまで見つかってるんだ。そんな相手を、利用し続けようなんて虫がよすぎた」

「それがこの事態の原因なんですか?」

「ああ、いや──今のは僕の推論でしかない。本当に呪いだとかそういう原因なのかどうかは、まだ分からないよ。ただ」


 賢人さんはメモ帳に、ボールペンを走らせていく。



 三科家では明治時代、正体不明の死体が見つかってる。

 この人物が書いたであろう、恨み言の書かれたノートも見つかった。

 その後三科家の人間は、幼い兄弟を残して全滅。

 兄弟は当主の妹夫妻に引き取られ、兄の元服頃、当主として死体を供養した。

 この頃には遺体の正体が、天明二年に死んだ妾の子(名ナシ)だと判明している。

 供養墓に墓銘はなく、座敷わらしの標と書かれた。



 ここまで書ききり、ふむと低い声が漏れる。


「開かずの間で発見されたノートが気になるな。恐らく天明二年に死んだってくだりは、このノートに書かれていた情報だろう。気味が悪いと燃やされた可能性もあるけど、座敷わらしと目された人物が書いただろう物だ、残してあってもおかしくない。あと──三科家は全滅したけど、妹夫妻はここに含まれなかったって部分」


 ぐるぐると赤いボールペンで印をつけた賢人さんは、唇を尖らせて何度も舌を鳴らした。


「なんで妹夫妻は家族と見なされなかったのか。家父長制度から考えれば、他家に嫁いだ娘はその家のモノ扱いだけど──日本全体に家父長制が定着したのは明治頃、死亡時期が天明二年で、江戸時代中期だ。自治組織の権力者が武家の家父長制を真似ていた頃かもしれない。そういえば三代子おばさんには孝太さんの他に、嫁いだ娘さんがいたな。しきたりにある飲食禁止の法がそっちに適応されないなら、やはり結婚した女性はもう三科家と見なされないのか? 死体の人物の認識では女性は家の持ち物という考えなのかも……」


「じゃあ、なんで大おばさんは死んだの?」

「あの人は……一度家は出たけど、一番最初に子どもができたことを理由に出戻ったって聞いてる。だから嫁いで他家の人間になったとは思われなかったんだろう」


 推論だと言われたけど、賢人さんの言葉を聞いていると、それが真実に思えてくる。


 流されやすいと言われてしまえばその通りなんだろうけど、説得力を感じてしまうんだから仕方がない。俺の中ではすっかり、これこそが三科家の座敷わらしにまつわる正しい解説なんだと思ってしまっていた。


 優斗も、真剣な顔で聞き入っている。


「兄弟が生き残った理由は?」

「死体を発見したのが、この兄弟だったのかもしれない。かくれんぼで隠し部屋を発見した話なんかは外国でもよく聞くし、だとすると死体の人物にとってこの兄弟は自分を解放してくれた恩人だ。恩を感じていれば、命を見逃す理由にもなるだろう。本当のところは分からないけどね」


 念を押すような賢人さんの言葉に、優斗は重い重いため息を吐いた。


「……座敷わらし……今はどういう状態なのかな」


 これに、俺はドキッとした。


 あの日見た、気味が悪い夢を思い出したからだ。たった二日前のことなのに、いろいろなことがありすぎて、すっかり忘れていた。


 俺の頭を撫でながら、ありがとうと繰り返し言っていた誰かの夢。

 花柄の着物、冷たい手、泥まみれの指と、あの感触。


 夢の中で見たあの人は、なんて言ってた?


 背筋を寒いものが駆け上がり、俺ははっきりと震え上がっていた。

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