「あ、あの」
震えた俺の声に、二人の視線が集まる。
「……陸、大丈夫か? ものすごい顔色だぞ」
「うん……大丈夫、だけど」
夢のことを話すべきだと思ってるのに、頭のどこかに、夢を大げさに話すなんて馬鹿げていると思う気持ちがある。それが俺の目を泳がせて、言葉を詰まらせていた。
なんなら、あの夢に出てきたのが座敷わらしだなんていう保証はない。それでもうっかり声を上げてしまった俺を、二人はじっと見ている。
居心地が悪かった。
「笑わないでほしいんだけど──優斗と墓を埋めた日、夢を見たんだ」
「夢?」
「うん、知らない人に感謝される夢。その人はその、なんて言うか。……頭の上にある重いものをどけてくれたって、俺に感謝したんだ」
この言葉に、二人が息を飲んだのが分かった。俺と同じことを考えたんだ。つまり、縛られていた座敷わらしが解放されて、今は三科家が全滅しそうになっているのかも、と。
もしそれが本当なら──ただの客としてここに来ている俺と、三科家とは血が繋がっていない賢人さん。それと座敷わらしの解放に一役買った優斗以外、全員死ぬかもしれない。
つまり、優斗の両親である大輔さんや茜さんもってことだ。
優斗の目が泣きそうに歪んで、茜さんを振り返った。疲れ切った桜さんと二人でなにか話している。お互いに背中をさすり合っている姿に、限界が近いんだろうと察しがついた。
これ以上死人が出たら、少なくともあの二人はきっと、心が壊れてしまう気がする。
「賢人さん、もう一回封印ってできないのかな。もう一回山に行って、墓を組み立てて、ごめんなさいって謝って……!」
「……どうだろう。以前は遺体があったから、名前を与え供養することで封じられたんだろうと思う。だけど埋葬されてからもう百五十年だ。……骨だって、もう土に還ってる」
心から悔しそうに、まるで納得できない判決を言い渡すように話した賢人さんの言葉に、優斗も肩を落とす。打つ手がないと思ったんだろう。
実際、詰んでることに変わりない。座敷わらしをどうにかして三科家に縛らないと、目の前で人が死に続けるかもしれない。なのに、それを止める手段なんてないんだから。
せめて座敷わらしに関係しているものが一つでも残っていれば、それを埋めて代用できるかもしれないのに。
──ここまで考えて、気づいた。
「ノートだ」
呟いた俺に、賢人さんが目を見開く。
「そうか、ノートだ」
「だよね!? ノートがあれば、もしかしたら……!」
頷き合って立ち上がったオレたちに、優斗は目を白黒させて戸惑っていた。
「え、なに? ごめん、わかんな──」
「座敷わらしの死体が見つかった場所にあったっていう、恨み言ばっかのノートを探すんだ。そいつを座敷わらしのシルシにして、墓に納めたらさぁ……!」
そこまで言って、分かったらしい。ずっと強ばっていた優斗の目に光が入った気がした。
そういうことならと、ガリガリと頭を掻く。
「昔は蔵があったって聞いたけど、管理が面倒で、所蔵品を売り払って壊したらしいんだ。でも座敷わらしに関係するものは全部残したって聞いたから、絶対どこかに……」
あそこにはなかった、ここじゃないと思うと言いながら、優斗は心当たりを探っていく。こういうときは家の中をひっくり返すのがセオリーだけど、なんせ三科家は広い。せめてアタリをつけてもらえれば、無駄な時間も省けるはずだ。
立ち上がったはいいものの、結局この家の中の決定権を持っていない俺と賢人さんは、優斗に頼るしかない。
だけどふと、賢人さんの目が今朝三人が急死した──あの部屋の方向を見た。
「祭壇を最初に、調べてもいいかな」
とても、とても小さな声だった。
どっちかというとそれは、こんな状況で聞くような声色じゃなかったと思う。子どもが漏らした本音というか、手の届かない憧れを口に出したような、そんな声だ。
あの祭壇がどんな作りになっているのかは知らないけど、もし普通の仏壇みたいに棚や引き戸がついてるなら、確かに座敷わらしのものを納めておくには最適な場所なのかもしれない。優斗もそう思ったのか、頷こうとしたときだった。
「祭壇になにかするなんて、そんなのダメよ!!」
突然、それまで茜さんと話していた桜さんが吠えた。
本当に犬が吠えたのかと思うような声量だったんだ。キツい声で、こっちを振り返った目つきも、孝太さんと一緒の時には見られなかったほど吊り上がっていた。
「座敷わらしのことはその本の中で調べられるんでしょ!? あの祭壇は神聖なものなの、三科の人間でも、毎日の掃除とお供えのとき以外は手を触れちゃいけないって言われてるのよ! そんなものを、よそ者のアンタになんて触らせたらもっとひどい罰が……!!」
「本の中で調べられる情報なんてたかが知れているんですよ、桜姉さん。僕に触るなと言うなら、僕は隣で指示するだけで、優斗に任せます。それなら文句ないんでしょう」
……武さんとのやり取りを見たときも思ったけど、賢人さんは義理の兄姉に対して一歩も引いてない。よっぽどいじめられて対処法を覚えたのか、それとも、そんなことに付き合うのも飽きたのかは分からないけど──少し、憧れる。
桜さんも口では勝てないと思っているのか、ものすごく悔しそうな顔をしたあと吐き捨てるように言った。
「もし優ちゃんになにかあったら、座敷わらしじゃなく私がこの手で殺してやるから!」
……優斗のことは、大事に思ってるんだ。ずっと一緒に暮らしてるんだから、そりゃそうかもしれないけど。
この優しさを賢人さんにもわけてあげて欲しいと思うのは、俺が部外者だからだろう。
「どちらにしろ、あの部屋の畳はもう使い物にならない。大量の汗と尿が染み込んでいて、きっとひどい臭いだ。……茜さん、畳はもう捨ててしまってもいいですか?」
そして賢人さんも、茜さんに対しては言葉が柔らかい。少し悲しい光景だ。
優斗たち親子が、ずっとこの家族内の橋渡し役をしていたんだろう。初日の昼間、大おじさんと俺の間で優斗が困り顔をしていた時みたいに。
俺自身も知らない間に優斗を緩衝材にしてしまっていたけれど、なんて言えばいいだろう。優斗たち親子が都合よく使われていたように見えて、気分が悪い。
だけど賢人さんのほうは、三科家に滞在すればこうなることが分かっていたんだと思う。
「……だから、離れて暮らしてたんだろうな」
モヤモヤするけど、それだけは受け入れられた。
「畳を運ぶなら、俺も手伝います」
「え? ──かなり汚いと思うよ? いいのかい?」
「畳って重いと思うし、賢人さんだけに運ばせるのは申し訳ないっていうか。優斗が祭壇を調べてる間、俺はボーッとしてるだけじゃないですか。それくらい頑張れますよ」
俺にできることなんてそれくらいだ。そう言うと、賢人さんと優斗も笑ってくれた。
「だったらその間に、俺はできるだけ祭壇を整理してみる。もちろん、祭壇に手をつけることを座敷わらし様に謝ってからだけど──そのほうが、いいよね?」
「僕に聞くまでもない。どんな相手にでも、敬意を持って接するのは大事だ。優斗はちゃんと分かってるだろ?」
自信を持てと背中を叩いた賢人さんの言葉に勇気づけられたように、優斗が胸を張る。それでもきっと、今まで禁止されていたことをする怖さはあるだろうけど、優斗は唇を引き結んで茜さんと桜さんを見返った。
「言いつけを守るのも大事だと思うけど──どうしても探さなきゃいけないものがあるから、行ってくる。二人はのんびり待っててよ」
へラリと笑って手を振った優斗に続き、俺たちも祭壇に向かう。
襖に手をかけたときだ。
「賢人くん、陸くん、待って!」
俺たちを呼び止めたのは茜さんだ。
「……服も手も汚れるわ。レインコートとゴム手袋があれば、少しはマシなはずよ。取ってくるから待っててちょうだい」
「ちょっと、茜ちゃん……!」
「桜さん大丈夫、心配いらないわ。二人に畳を運び出してもらうだけ、それだけよ。その間に、優斗が少し祭壇を掃除するの。無事なものと、ダメなものを仕分けるだけ。罰が当たるようなことなんてなにもしないわ」
止めないのかと口を開いた桜さんの手を握って、茜さんは静かに話した。まっすぐ目を見て話すその言葉に、桜さんも少し、なにか思うところがあったんだと思う。唇を噛み締めて涙目になった桜さんは、震えるように息を吐いた。
「……そう、そうね。優ちゃんは賢い子だもの。罰が当たるようなことも、しきたりを破るようなこともしないわね。──うちにもレインコートとゴム手袋くらいあったはずよ。持ってくるわ」
お互いに勇気づけるように腕を叩き合い、各自の家に戻っていく。心なしか、自宅に戻るのも不安そうだった。
ほどなくレインコートを着せられ、ゴム手袋も着用し、さらにマスクまでつけさせられた俺たちは、あの祭壇の部屋に入った。
……ひどいアンモニア臭だ。温泉のニオイだなんてお世辞を言う気にもならない。締め切っていたせいもあるのか、まるでサウナの熱気のように襲いかかったニオイに、俺たちは思わず呻き声を漏らした。
三人分の水分を吸い取った畳は、はっきりと変色している。
「……やろうか」
「はい」