木曜日になった。
今日から学校は休みだ。
午前中に祖母へ電話して村田家の墓がどこにあるか聞いた。
理由を聞かれたときに「美奈子さんにお花を供えたい」と、答えた。
祖母は、気にかけるのはこれを最後にするようにと言われた。
昨日聞いたときは、生死に関して「亡くなったものとしている」と、もやもやした言い方をしていたが、お墓に花を供えることを止めさせないのは、遺骨がそこにあるからだろう。
途中で花を買い、川沿いを歩いていく。
海へつながる川は干潮の時間で水深が十数センチくらいまで減っていた。
陽光に煌めく川面の下を、稚魚の群れが泳いでいる。
この川も今はそれなりだが、昔は自転車や粗大ゴミまで投棄されてゴミだらけだったらしい。
その頃は観光客で賑わっていた頃だ。
私が物心ついた時には、もう今の姿だった。
その頃はもう、賑わいも去って過疎っていくだけだった。
人が減ってからはゴミが捨てられることはなくなった。
汗ばんできたので道端の木陰に入ると、足下には蟻に集られた脱皮したての真っ白い蝉が落ちている。
おそらく目の前の幹で脱皮していたところを蟻に集られて、為す術もなく落ちたのだろう。
もうどうにもならない。
蟻にばらばらにされて死ぬだけだ。
細かくなった体は巣に運ばれる。
自然界の死は誰かの糧になる。
では人は?呪いで死んだ人はなんの糧になるのだろう?
対岸からの生きている蝉の声を聞きながら意味のないことを考えた。
程なくして墓地に着くと、祖母から聞いた場所に村田家の墓を探しあてた。
墓石に水をかけ、簡単な掃除をしてから花を生ける。
ここに骨はあると思う。
しかし当の村田美奈子は災いを成す霊として別の場所にいる。
おそらく酷い死に方をしたのだろう。
だから祖母もはっきりとはなにも言わない。
人に聞かせられるような様ではなかったのだ。
私はしゃがむと、あの美しい顔を思い浮かべながら合掌した。
千沙が殺された夜に、私はあの家へ行き、なんとか千沙を殺さないでほしいとお願いした。
そのとき初めて目に見えないなにかの気配を感じた。
それもたくさん。
しかし、一つの影が現れた瞬間にそれらは霧散した。
あの影は村田美奈子だったのだと私は思っている。
今考えたら、私はあの場で殺されていたかも。
彼女はそれをさせなかった。
だけど千沙は殺された。
美奈子さん。あなたが千沙を殺したのですか?
掌を合わせながら尋ねたところで、答えが返るわけもなかった。
墓地を出てからスマホを見ると、クラスメイトからLINEが来ていた。
これから蛇餓魅を呼び出す交霊会をやるらしい。
来るわけがない。
だって、あの家に行かなければ霊は憑いてこないのだから。
蛇餓魅。
改めて考えてみたが、蛇餓魅とはなんだろう?
私は村田美奈子、美奈子さんを「蛇餓魅と一緒になった人」と思っている。
だがそれは、美奈子さんが蛇餓魅というわけではない。
蛇餓魅は別にいるのだ。
私が今回調べてわかったのは、あの家にいる霊の一人が美奈子さんだということだけだ。
蛇餓魅については全くわからない。
呼んだら来たりするのかな?
ネットにある、あんないい加減そうな儀式で呼べるとも思えないけど、今の私は特にやることもないし、暇つぶしに見に行ってみよう。
クラスメイトが交霊会をやっている場所は墓地から歩いて二十分はかかるファミレスだった。
ファミレスといっても都会にあるような大手チェーンの店舗ではない。
同級生の家族が経営している、ここらではちょっと敷地が広い飲食店だ。
「あんたたち、こんなとこでやるの?」
「広いし、見たい人も見れるからちょうどいいでしょ」
このファミレスを経営している家の娘が得意そうに言う。
広いのは確かだが、そういう問題じゃないだろう。
ここには全く関係のないお客もけっこう来ている。
自分たちは興味があって呼び出すんだから、万が一呪われようとどうでもいい。
でもそうでない人たちに迷惑がかかる可能性は考えないのだろうか?
私は、あの家にも行かずにこんな儀式ではまず来ないだろうと思っているが、この子たちは呼び出そうと思っているのだから、少なくとも「来る」とは思っているわけだ。
私は少し離れた場所から、内心呆れながら交霊会を眺めていた。
一つのテーブルに代表者四人の男女が座り、呼び出すらしい。
「蛇餓魅様、蛇餓魅様」
五十音と数字、「はい」と「いいえ」を書いた紙に十円玉を使い呼びかける。
なんのことはない。こっくりさんと同じだ。
「蛇餓魅様、蛇餓魅様。どうかこの場にお越しください。場所は……」
お店の住所と名前を言う。
スマホをいじりながら眺めていた私は、なんだか変なことに気がついた。
なんだか店内の空気が陰気なものになっている。
見物しているクラスメイトの表情もなにか重苦しそうなものになっていた。
それは居合わせた他のお客さんも例外なく、同じような表情になっている。
蛍光灯は普通に点灯しているし、窓から陽の光も差し込んでいる。
本当なら明るいはずの店内が、なぜが陰気な影が差したように暗く感じた。
「なんか変だよ。もうやめた方が良いんじゃない?悪いこと言わないからさ」
「ふふふふ。巴恐くなったの?」
「大秦。なにビビってんだよ」
「いひひひひ」
テーブルに着いて呼び出しているクラスメイトが笑いながら言った。
ていうか、あんたらそんな声してたか?
私だけでなく、他のクラスメイトもその変化に気がついたようだ。
テーブルを囲むクラスメイトの声は、明らかに別人の声だった。
ヤバイぞこれは。激ヤバだ。
これはもしかして本当に来るのかも…… いや、もう来ていると考えた方が良い。
大きな笑い声が聞こえてきた。
誰が発したかわからない。
「臭い!!」
「なにこれ!?」
「オエッ…くっせええ…」
店の中に腐ったような臭いが充満してきた。
「寒い……!」
「本当だ。誰かエアコンの温度上げてくれよ」
全員が室温が下がってきたことを感じていた。
しかしエアコンの温度は二十五度だ。
恐怖と不安が店内にいる者の間に伝播する。
見物していたクラスメイトは、怯えたような顔で辺りをキョロキョロと見まわす。
「なんだこれ?」
足下に違和感を覚えた私は、ふと下を見ると異様なものを見た。
床が黒くなっている。
いや、赤黒くぬらぬらと光ったなにかが床一面をひたひたと押し寄せる水のように覆っていた。
交霊をしているテーブルに向かって渦を巻くように迫っていく。
店内を見渡しても、クラスメイト含め他の人たちは気がついている様子はない。
赤黒いものは私にしか見えていないようだった。
店内の空気はさらに悪くなっていた。
息を吸う度になんだか気持ち悪くなってくる。
あの家に行ったときとは比較にならない圧を感じた。
この赤黒いのはどこから来ているんだろう?
流れてくる方を見ると女性が一人立っていた。
あの人…… 美奈子さんだ。
その足下から赤黒いぬらぬらとしたものが、まるで水が湧きだすようにこちらへ押し寄せてきている。
私は今度こそと思い、美奈子さんに駆け寄ろうとしたとき「ひいっ」というクラスメイトの声が聞こえた。
テーブルを囲んでいた子たちに、赤黒いものが足下から、まるで大きな蛇のように絡みついている。
「なにこれ?」「なんだ?変だぞ」さっきと違い、テーブルを囲んでいた子たちの声は戻っていた。
足下から上へ上へと赤黒いものが巻き付いてくる。
他のクラスメイトは首をかしげてその様子を見ている。
なにが起こっているのか見えていない風だ。
そのうちに、バキバキ……ゴキッ!と、いう聞いたこともない音がしたかと思うと、テーブルを囲んでいた子たちは一度聞いたら耳から離れないような絶叫を上げ続け、真っ赤な鮮血を目や鼻や耳、口から噴き出して絶命した。
次は店中に悲鳴が響き渡る。
みんなが無残な死体を見て我を失ったようにあらん限りの声を上げる。
地獄絵図…… 阿鼻叫喚とはまさにこのことだ。
私のクラスメイトを絞め殺した…… いや、握りつぶしたと言った方が良いかもしれない赤黒いものは死んだクラスメイトの体から離れると死体から血が噴き出した。赤黒いものは、今度は逆流するように一点へ流れていった。
その終着点に美奈子さんが一人佇んでいる。
私と視線が合うと、涼し気に微笑んだ。
私はなんだか呼ばれているような気がして、立ち上がるとふらふらと歩きだした。
周りではお客さんやクラスメイトの悲鳴や鳴き声が溢れているが、私にとってはもはや別世界の出来事のように感じられた。
今あるのは、私と美奈子さんを結ぶ直線。
美奈子さんに集まる赤黒いものと一緒に、私も歩みを進めた。
店内の陰気な空気はさっきまでとは比較にならないほど増大している。
周りには嘔吐までしている者もいる。
だが私は平気だった。
私と美奈子さんは、この不快で陰気な空気の真ん中にいた。
私に向かって美奈子さんが白く細い腕を指し伸ばしたとき、店の扉が風鈴を鳴らしながら開いた。
美奈子さんは両眼をカット見開いてそちらを見ると、まるで煙のように掻き消えてしまった。
床を流れていた赤黒いものも跡形もなく消えていた。
代わりにショルダーバッグを持った一人の女性が入り口からこちらに向かって歩いてくる。
今まで店内を満たしていた陰気な空気が一気に消えたのを感じた。
異臭も全く感じない。これはどういうことだろう?
その人は周りの惨状には目もくれずに、美奈子さんが立っていた場所まで歩いてきた。
ただ歩いて来ただけなのに、私はその人から目が離せなかった。
黒いロングヘアに大きなサングラス。
通った鼻筋に、赤い口紅を引いた形の良い唇。指先にタトゥーが入っていて、上下黒のノースリーブトップスにショートパンツがモデルのような体系の長い手足を殊更に魅力的に見せていた。
なにより、その人を見ていると同性である私ですら胸の内を掻き乱されるような煽情を抱いてしまう。
その人は美奈子さんの立っていた場所に立ち、口許を緩めると私の方を向いてサングラスを外した。
長い睫毛に淡褐色の瞳に見つめられ、私は動けなくなった。
スッとした姿勢で私の方へ歩いてくる。
なんなんだこの人は?
私のすぐ前で立ち止まるとニッコリ笑った。
「あんな綺麗な顔なのに、目を見開いてはしたない。台無しよね」と、言った。
この人には、今まで私にしか見えていなかった美奈子さんが見えていた。
そうとしか思えない。
「な、なんのことですか?」
思わず私は胡麻化した。心臓がドキドキする。
「あなたも見えていたんでしょう?目線でわかったわ」
「えっ?ちょっとわかんないんですけど」
声が上ずってしまう。
なぜか私はとっさに嘘をついてしまった。
自分でもわからないが、この人に美奈子さんに関わる本当のことを言ってはいけないと心の奥底から発せられる警報を感じる。
この人は普通じゃない。と、直感的に感じていた。
「ねえ。この辺で蛇餓魅の家、もしくは蛇餓魅が来た家ってところに案内してくれない?」
「あ、あなたは誰ですか?そんな家しりませんけど」
「嘘。知っているよね。だって本当に知らないなら私の名前なんか聞く前に、知らないということを先に伝えるはずでしょう?」
「あっ……」
たった今のやりとりでここまでわかるのか?
どういう人なんだろう。
淡褐色の瞳はまるで私の心の奥まで見透かしているようだ。
この人に嘘は通用しない。
「さあ。行きましょう。ここはうるさいし」
細いあご先で出入り口の方を指す。
なぜか逆らうことができずに、同級生の突然の死を嘆き悲しみ怯えるクラスメイトを尻目に一緒に店を出た。
田舎でそれほど人が多くないこの町で、この人は目立ちすぎた。
すれ違う人、道路を挟んだ向こうの人もこの人のことを見た。
通りを歩いていると、パトカーと救急車が何台もサイレンを鳴らしながら走っていく。
行先はさっきのファミレスだろう。
「あのう…… 観光ですか?」
「仕事よ」
「どちらから?」
「東京から。イタリアの仕事が終わって日本に帰ってきて東京に一泊してからこっちに来たの」
「海外でも仕事してるんですか。すごい…… なんのお仕事なさっているんですか?」
「人に言えない仕事」
女の人はこっちを見て悪戯っぽく笑った。
はぐらかされたけど悪い気分にはならなかった。
一緒に歩いていると嗅いだことのない、素敵な香りが鼻腔をくすぐる。
きっとこの人から香っているのだろう。
この人は、私が今まで見てきた大人とは違う。
桂木先生は都会的な大人の女性だけど、ここまで浮世離れした雰囲気はない。
あの人は所謂「等身大の大人」で、それも真面目な部類。
地に足のついたものが芯にある感じ。
美奈子さんは…… 人間ではないけど、とにかく綺麗で引き寄せられる。
話したことがないからなんとも言えないけど、きっととても恐い。
それはさっきのことを見ていればわかる。
桂木先生以外の学校の教師や塾の講師は…… 話にならないな。
両親は都会的でないことを除けば、桂木先生に近い部類だと思う。
目の前の女性は私の知っているどの大人にも分類できないというのが結論だった。
蝉の声を聞きながら木陰の下を選んで蛇餓魅の家へ向かった。
汗ばんだ額をハンカチで拭う。
チラッと横を見ると、この人は全く汗をかいていない。
この人はいったい何をしに蛇餓魅の家へ行くのだろう?
「さっきレストランで殺された人たちは友達?」
ふいに聞いてきた。それも殺されたと確かに言った。
この人にも赤黒いものが見えていたということだ。
「友達ってわけじゃあ…… 同じクラスですけど」
「OK。理解した」
「あなたには見えていたんですか?」
「ええ。あなたに見えていないものまでね」
「えっ」
あの場に他にもなにかいたということか。
私には美奈子さんと、赤黒いものしか見えなかった。
でも圧を感じた。
大勢があの場にいるような圧を。
私には見えていなかっただけで、あの場には大勢いたのだ。
この世の住人でないものが。
「あそこにはどうして来たのですか?」
こんな人がどうしてあの場に来たのだろう?
「食事をしに行ったの。そうしたらあの騒ぎでしょう?食欲なくなっちゃった」
「嘘。そうじゃないくせに」
「わかる?」
女の人は笑った。
だってそうじゃないか。この人は店に入ってきてテーブルに着くでもなく、迷うことなく美奈子さんが立っていた場所に歩いてきた。
あの惨状を見て食欲が失せたなら、入ってきた時点で踵を返して出て行くはずだ。
この人は明らかに飲食以外の目的であの場に来た。
女の人は短く笑うと話した。
「なんだか淀みが酷い場所に感じたから見てみたの。そうしたらけっこうなものが見れたなってとこ」
「あなたは霊能者ですか?」
「そうね。そういう力はある」
「もしかして除霊とかできちゃう人?それで蛇餓魅の家へ?」
「どうかな?ちゃんとしたのやったことないから。家へ行きたいのは単純に見ておきたいから」
ちゃんとしたの?どういうことだろう?私が見た印象では、そうとう凄いように感じるのだけど。
だって、店に入ってきた瞬間に美奈子さんは逃げ出し、店の空気そのものが変わった。
「あなたは中学生?何歳?」
「じゅ、十四です。二年生です」
「十四歳か。懐かしい」
形のいい唇が緩んだ。
「ここです」
話しながら歩いていて、この人お目当ての蛇餓魅の家へ着いた。
「ふうん。ここか」
家を見上げる。
ここに来るたびに感じるのだが、どんなに蝉が鳴いていたり、小鳥がさえずっていても、この家の近くになると全く途絶える。
これだけ気温が高くて強い日差しでも、ここら辺だけどこかひんやりしている。
陰が多いというだけではない気がしてきた。
「門は閉じているけど…… ラッキー!玄関のカギは壊れているみたいね」
「えっ…… もしかして入るつもりですか?」
「そうよ。あ、あなたはもう帰っていいわ。案内してくれてありがとう」
そう言って財布から千円札を取り出すと差し出してきた。
「お駄賃。むき出しで悪いけど、帰りになにか冷たいものでも飲んで休憩して」
「いえ、そんな、それより入ったらダメですよ」
「どうして?」
「呪われるからです」
私にしては珍しく赤の他人を親身に心配した。
「ありがとう。でも私は大丈夫だから」
言うや否や、その人の体が宙に浮いた。
いや、自分で飛んだのだが、あまりにも力みがないので、本当にふわっと浮いたような感じに見えたのだ。
そのまま鎖と南京錠で閉じられた門を飛び越え、敷地の中に入った。
スマホを取り出してどこかに電話する。
「私。ええ…… 今その家。…… そうね。ここだけでも数はいるみたい。うん…… ここにはいないわね…… うん…… わかった」
話しながら、ごく自然と扉を開けて家の中へ入っていった。
今までの私なら、もらったお駄賃を手にさっさとその場を離れただろうが、今回はこの場に残った。
あの人が入ってからそれほど経たずに家のドアがすごい勢いで開くと、凄まじい突風が噴き出してきた。
「なにこれ?」思わず髪を抑える。
突風は一瞬だった。
私が呆然としていると、玄関からあの人が出てきた。
「あれ?まだいたの?」
私を見て首をかしげる。
「いや、その…… 心配だったから」
「ありがとう。優しいのね」
「いや……。そんな」
淡褐色の瞳が優しく私を見つめてきたので、私は思わず照れ臭くなってしまった。
「あなたの帰る方向はあっち?私は泊っている旅館があっちなんだけど一緒かな?」
女の人は指を指して聞く。
「あ、は、はい。同じ方向です」
「じゃあ行きましょう」
二人で歩いてきた道を戻っていく。
「あそこが良い感じじゃない?暑いしあそこで一休みしましょう」
女の人はそう言うと、私の意見も聞かずに店に入った。
私が持っているお駄賃は、帰りに休憩するためにもらったものだ。
仕方なく私は後に続いた。
二人で窓際のテーブルに着いた。
女の人はコーヒーのブラックを。私はアイスティーを頼んだ。
なんだか気恥ずかしい。
それはこの人があまりにも洗練されていて、綺麗だからだ。
一緒にいると公開処刑されているような気分になる。
女の人がサングラスを外してテーブルに置く。
淡褐色の瞳がまっすぐ私を見た。
「私から案内を頼んでおいて言うのもなんだけど、あなた、あの場にいなくて大丈夫だった?」
「別に。必要なら警察は家に来るでしょうし」
「OK。ならいいわ」
女の人はバッグからタバコを取り出した。
「これ、吸っていい?」
「どうぞ……」
タトゥーが入った人差し指でタバコを挟むと、なんとも優雅な動作で火を点けてタバコを吸った。その仕草がどうにも目が離せない。
この人の一挙手一投足は見る人全てを魅了してしまうのではないか?そう思えてしまう。
「あなたはあの家に行ったの?」
窓の外を見ながら聞いてきた。
「行っていませんけど」
私はまた嘘をついた。
「そうなんだ。そのわりにはここに楔があるよ。蛇餓魅の」
手入れが行き届いた煌びやかなネイルが私の胸の真ん中を指す。
「楔ってなんですか?」
「わかりやすくいえばマーキング。あなたがどこにいても見失わないようにするための印。これは自分のものだって証ね」
「ちょっと意味わかんないんですけど」
テーブルに頼んだ飲み物が二つ置かれる。
「ならいいんだけど」
そう言うと、女の人は飲み物に口をつけた。
「ここは良い所ね」
煙を細く吐いて言う。
「そうですか?ただ過疎っていくだけで未来も何もない場所ですよ」
「そうなんだ。でも海や川は残るでしょう?」
「そうですね。でも私がいない場所にあるものとか正直、あってもなくてもどうでもいいかなって」
「そうね。でも私はここが気に入ったから、私のお気に入りの旅館と温泉、それに海や川はあった方が良いかな」
「ここってそんないい町ですか?」
「ええ。二三日過ごすにはね」
そう言ってストローでグラスの中を回した。氷がグラスに当たる音が耳に心地いい。
「あのう…… あの家はあなたの仕事になにか関係があるのですか?」
「ないわ。ただの暇つぶし。仕事の合間のね」
「そうですか?さっき誰かに家のこと電話してたけど?」
「あの家に興味がある人がいたから実況してあげていたの。気に障った?」
「別に」
そう答えて私はアイスティーを一口飲んだ。
さっきからこの人と話していると、どうしようもなく劣等感が生まれる。
なぜそんなものが生まれるのか説明できないけど、いつもの自分ではいられなくなる。
それが知らないうちに顔に出てしまった。
「活発になっているところにあんな煽りをいれたら、ああなっても仕方ないわね」
「なんのことですか?」
「さっきのレストランのことよ。相手のこと、性質のこと、なにも知らずに呼びつければ最悪、殺されることも十分あり得るってこと」
「あなたは知ってるんですか?」
「ええ。蛇餓魅のことならね」
「本当ですか?蛇餓魅ってなんですか?」
蛇餓魅のことは全く分かっていなかった。
それで構わなかったけど、今こうして目の前に答えがあると思うと興味をそそられる。
「あんまり言うと寄ってくるから。めんどくさいことになるのよ。ごめんね」
またはぐらかされた。
それからいくつかこの町のことを聞かれたので、わかる範囲で教えた。
「ありがとう。私はもう行くわ。あなたは?」
「私も帰ります」
会計のときに私が自分の分を払おうとすると、「いいの。ここに入ろうって言ったのは私だから」と、言った。
私は「さっきお金もらったし、自分の分は払いますよ」と、返した。
「いいからとっておきなさい」
結局、お店の会計はその人が払って、私は御馳走してもらった形になった。
「ご馳走様でした」
店を出てお礼を言うと、ニッコリと返された。
私はその後も帰る方向が一緒なので、その人と一緒に歩いた。
話していて、その人が迦麗(カーリ)という名前だとわかった。
芸名?源氏名?いずれにしても本名ではないなと思った。
「ここまで一緒に来てくれてありがとう。あなたと話せて楽しかったわ」
「ここに泊っているんですか?」
「ええ。いい旅館よね」
迦麗が泊っている旅館は、海岸の一番端にある国民宿舎だった。
おそらくここいらの旅館では一番評判がいいところだ。
「そうそう。一つ忠告しておいてあげる」
「なんですか?」
「人でも幽霊でも、自分が好意を持っていたり利用価値のある相手に対しては、頑張って自分を良く見せるものよ」
「まあ…… そうでしょうね」
私に好意を寄せていた高津も、必要以上に自分を良く見せようとしていた。
だから死んだのだ。
「帰るまでにまた会えたらいいな」
そう言ってバッグから手帳を取り出すと、LINEのIDを書いて渡してきた。
私は受け取ると丁寧に財布にしまった。
「気が向いたら連絡ちょうだい」
そう言って迦麗は背を向けると、旅館の自動ドアをくぐってランウェイでも歩くように中へ入っていった。
私は、その背中を見送ったあとに歩き出した。
まっすぐな道を海側へ曲がると、海岸に出る。
気温は高いのだろうが、海風が吹くせいでそこまで暑さを感じなかった。
レストランでのこと。
美奈子さんのこと。
そして迦麗のことを思い出しながら、しばらく海を眺めていた。
そういえば桂木先生があの家へ来たとき、先生と一緒にいたのは女二人に男一人だった。
そのうち、女一人と男一人は死んだというニュースが流れた。
もう一人はどうしたのだろう?
その人も私や桂木先生と同じように呪われていないのだろうか?
ふと気になった。