金曜日。昨日は大変なことが起きた。学級閉鎖中のクラスの生徒が四人死亡した。
事故か他殺かははっきりと言われていない。
当然ながら学校は大騒ぎになったが、教頭曰く、校外で起きたことが不幸中の幸いだったらしい。当たり前だが、その発言は他の教師たちから一斉に非難された。
しかも学級閉鎖中に起きた事であり、生徒を切り離す目的だった学級閉鎖が、逆に生徒に集まる時間を作ってしまい、今回の事が起きたのではないかと教頭は突き上げを食らっていた。
私も放課後の職員会議に駆り出され、帰ったのは定時を大きくを過ぎていた。さらに昨日の晩はやけにパトカーのサイレンがうるさかった。
おかげで変に目が冴えてしまいなかなか寝付けなかった。
早朝にインターホンが鳴って出てみると、この前学校にきた二人の刑事がいた。
「あのう……なにか?」
なにか嫌な予感しかしない。
「朝早くにすみません。今日は別件で参りました」 別件とはなんだろう?
「昨晩、野田恵子さんが亡くなりました」
「えっ……まさか綾香のお母さん」
「はい。それで野田綾香さんの行方が知れないので、桂木さんのお宅にきたわけです」 状況がよくのみこめない。
「野田綾香さんがどこにいるか、ご存知ありませんか?もしくは心当たりは?」
「い、いえ……」
お母さんが亡くなって、綾香はどこかに行ってしまったということか?
「では、野田さんからなにか連絡は?」
「昨日はありませんでした……あの、綾香のお父さんは?」
「とても話しを聞ける状態ではないので」
綾香の両親はとても仲が良かったことを思い出した。
一昨日、綾香の家に行ったときの笑顔や声が鮮明に記憶にある。
「野田さん、最近なにか変わった様子はありませんでしたか?」
「友里が死んで……」怯えていたと言おうか迷った。
「少し不安定になってました」表現を変えた。
警察に綾香が怯えていた「呪い」のことを話しても相手にされないだろう。
二人の刑事は顔を見合わせると「連絡があったら教えてください」と言って帰っていった。
「瀬奈、なにかあったの?」
「綾香のお母さんが亡くなって、綾香がいなくなったの」
私が答えると祖母は愕然とした。
「朝ご飯はいいや。今日は少し早めに出るね」 祖母にそう言うと急いで支度をした。
これまでの自分の認識を変えなければ。 これは霊の仕業、呪いなのだと思わなければ説明がつかない。
でなければ、これほどあの家に行った人間が短期間に連続して被害に遭うだろうか? もう偶然では済まないと思った。
そして心の片隅で最も恐れていたことが現実になってしまったのだ。
急ぎ家を出た私は学校に向かわず、あの家に向かった。
もしかしたら綾香はあの家に連れ去られたのかもしれない。漠然とそんな気がした。もしいないにしても、なにか手掛かりのようなものはあるかも。
怖さはある。でも私も巴も呪われていないという事実が躊躇いを消していた。
玄関のドアは、あの日私たちが入ったときのように開いている。
無言で中に入ると廊下に上がり綾香の名前を叫んだ
「綾香――!」薄暗い家の中は静まり返っていて返事はない。
むわっとした暑さのせいで汗が流れてくる。
一階を探した後に二階へ上がった。
「綾香!綾香!」いくら呼んでも私の声はむなしく響くだけだった。
「綾香……本当にあの世へ連れて行かれたの?」誰に言うでもない言葉が口から洩れた。
もう一度、一階から見ていようと思い降りてから一番奥の部屋へ行く。
ここはたしか庭に面した場所だった。
奥にあるせいか他の部屋よりも一際暗く感じる。
部屋の隅々まで見ても綾香がいるような痕跡も、他に誰かいたという跡も見られない。
無性に苛立った私は叫んだ。
「なんで私の友たちを呪うの!なんでよ?私たちがなにをしたっていうのよ!」叫んだ後に肩で息をした。
考えてみれば人間ではない幽霊のやることに痕跡や手掛かりなんてものがあるのだろうか?
私は全く無駄なことをやっているのではないだろうか?
途方に暮れてため息をついたとき、なにげなく閉められた窓に目をやった。
「ええっ!」暗い窓ガラスに私が映っていて、その後ろ、部屋の隅に髪の長い着物を着た女の人と女の子が佇んでいる姿が映った。
慌てて振り向くと、後ろには誰もいない。
一瞬で暑さが消し飛んで、まるで冷水をかけられたような寒気を感じる。
同時に得体のしれない圧迫を感じた。
「だ、誰かいるの?誰よ?」
佇んでいた方向、部屋の隅になる一番暗い所に向かってに叫ぶ。
返事がない代わりになにかがじわじわと近寄ってくる感じがした。
無意識に後退りしてしまう。どこからか肉の腐ったような臭いが漂ってきた。
同時に息苦しさが増してきて、呼吸が荒くなってきた。あのときの腐臭だ。
誰か……いや、なにかがいる。そう思った瞬間、私の中で抑えていた恐怖が決壊するように溢れてきた。
目の前にある暗がりがどんどん近付いてくる……体ががくがくと震え出したとき、「馬鹿な子……せっかく……免じて……あげたのに」と、耳許で冷たい声がした。
「ひいいっ!」周りを見るも誰もいない。
ただ、空気が重く周りから圧してくる。
「もう助からない」
また同じ声がしたかと思うと「瀬奈もおいでよ」「私たち友たちじゃない」と、友里と綾香の声がした。
「友里!綾香!ここにいるの!?」
叫んで問いかけると二人の声で「いるよ」と明るい口調の返事が返ってきた。
そして何人もの楽しそうな声。
子供のものだ。
中高校生っぽい声もする。
大人の声も。
いったい何が起きているのか理解できなかった。
友里と綾香の声はすれども姿は見えない。
それは他の声も同じなのだが、最初に聞こえた声ほど悪寒は感じなかった。
玄関の方から物音がした途端、大勢の声がぴたりと止み、腐臭も圧迫感も消えた。
代わりに何人かの話し声と足音がする。
「誰…?」リビングのドアの方を見ると、ヘルメットをかぶった作業着姿の男性が現れた。
「ちょっと……ここでなにしてるんですか?」
「えっ…… 私は」
「おい。誰かいるのか?」廊下の方から声がする。
「ああ」男性が返事をすると、同じ作業着を着た人が顔をのぞかせた。
「誰あんた?」生きている人間だ。間違いない。
恐怖が急速に引いていき安堵が満ちてくる。
「すみません……ちょっと人を探していて」
「人?」
「はい。もしかしたらここにいるんじゃないかって」
「で、いたんですか?誰か」「いいえ」男性の問いに力なく首を振った。
「はあ……悪いけどこれから取り壊すんですよ。危ないので出て行ってもらえますか?」
「ここ、今日壊すんですか?」
「ええ。だからお願いしますよ」
迷惑と警戒が入り交じった目を私に向ける。
当然だろう。誰もいないはずの取り壊し予定の家に来たら、わけのわからない女がいたのだから。
「わかりました……すみません」頭を下げると私は家の外に出た。
五六人の作業員と一緒に外には車が三台停まっていた。それと警備員が一人。
重機を積んだトラックもある。
ここには「なにか」がいる。この家が壊されて無くなったら、その「なにか」はどこに行くのだろう?
漠然とした不安が渦巻いた。
ああ……どうしよう……綾香はどこへ消えてしまったんだろう?とてもじゃないが学校へ行く気なんてしない。
だがそうも言っていられなかった。
学校は学校で生徒が立て続けに死んで大変なのだ。それに明日は伊佐山君と呪いについて調べなければならない。
私は折れそうな心を奮い立たせると学校へ向かった。
学校へ来たは良いが、情けないことに仲が呆然自失とした状態だった。
友里と綾香。
再会した友達二人を立て続けに失った。
この惨たらしい現実に対して、自分の心は受け入れることができなかった。
ふいに涙が出そうになる。
そんな状態を何とか悟られまいと、努めて平静に授業を進めた。
「桂木先生、大丈夫?」
まもなく昼になろうとしたとき、藤井先生が声をかけてきた。
「ええ、大丈夫です」
「嘘。顔色が最悪よ」
「そ、そうですか?」
藤井先生は声をひそめて話しかけてきた。
「今朝、ニュースでやっていた事件って、桂木先生のお友達の家のことでしょう?お母様は誰かの手にかかって亡くなって、娘さんは行方知れずっていうの」
「そうです…… 綾香は私の友人です」
「早退したら?」
「そんな。こんなときに私だけ…… できませんよ。そんなこと」
「なに言ってるの?この前といい、立て続けに友達の身に不幸が起きているのは桂木先生だけよ。私たちに気兼ねなんてする必要はないわ」
「藤井先生の言う通りですよ。こんなときは休めるときに休んでいた方がいい。それにその顔、見るからに精神的に不調なのは明らかだ」
「川野先生……」
「まあ、教頭には嫌味の一つくらい言われるかもしれませんけどね」
川野先生は向かいの机から笑みを見せた。
会議のときは辛らつだったが、この人は普段はこういう人なのだと再認識した。
「そうよ。ここは甘えなさい」
藤井先生が優しく肩に手を添えた。
自分の精神状態を考えたら、もう限界に近かった私は事情を話して教頭に早退を願い出た。
川野先生の言う通り、嫌味を言われたが早退は許可された。
学校を出た私は、ふらふらと家へ向かって歩いた。
なんなんだろう?この町は。
これが本当に私が産まれ育った町なのだろうか?
友里と綾香と三人で神社公園で遊んだ。
夏の花火大会では、両親から小遣いをもらい、三人で出店で飲み物と食べ物を買ってから、浜辺に座って、沖から打ち上げられる花火に歓声を上げた。
綾香の家で三人でお昼を食べた。
どこを切り取っても、私の中にあるのは楽しくて平和な思いでしかない。
記憶のどこを引っ掻き回しても、こんな凄惨な事件が連続するような場所ではなかった。
しかも呪いが介在する恐ろしい兆候など何一つない。
平穏で静かな場所だったはずなのに……。
気がついたら私は家に向かわず海岸に来ていた。
ホテルの前にある階段に腰を降ろすと、海を眺めた。
キラキラと陽光を反射して輝き揺れる海を見ながら、自分の中に湧き上がる思いを見つめた。
もう私には何が起きているのかわからない。
完全に常軌を逸している。
どんなに理論を後付けしようと、人間には不可能な事件なのは明らかだ。
どうしようもない……。
もうどうしていいのか、なにをすればいいのかわからない。
伊佐山君と明日、呪いの背景になる事柄を調べたところで、それがいったい何になるのだろう?
全ては無駄ではないのか?
そう考えると、いつの間にか頬を涙が伝っていた。
私の中で今まで懸命に保っていたなにかが崩れてしまった。
両手で顔を覆うと、泣いた。
肩を震わせて泣いた。