土曜日。私はもしかしたら綾香がどこかで無事にいて私に連絡してくるかもと淡い期待を抱いていた。
しかしその願いは空しく、私のスマホに綾香から連絡が来ることはなかった。
その代わりに朝起きたとき背中と脚に痛みを覚えた。
「痛っつ……なにこれ……」
脚を見て愕然とした。
私の膝上に友里や綾香と同じ傷のような痣が。
「こ、これは……?」
鏡を合わせて背中も見ると同じ痣が獣の爪の様に四本。
「私も呪われたってわけだ……」
ぞくっと戦慄した。
エアコンが効いた涼しい部屋のはずなのに冷たい汗が流れる。
この部屋に恐ろしい霊がいるということなのか?
部屋の中をみてもなにも不気味なものは感じない。
いつもと同じだ。
一階に降りると祖母が顔面蒼白になってテレビを見ていた。
もしやと思い、私も画面を見る。
「綾香……」
綾香の遺体が隣の海辺に流れ着いていたというニュースがやっている。
事件性は不明だが、死因は全身を骨折したことによるショック死らしい。
「瀬奈……」
祖母が私を心配するような顔で声をかけてきた。
私はそれに黙って首をふるしかできなかった。
今日から学校は学級閉鎖で休みになっている。
朝から伊佐山君の仕事場に行くことになっていた私は家を出た。
仕事場である図書館に行くと沈痛な面持ちをした伊佐山君がいた。
「野田さんのこと…… 残念だったね」
伊佐山君は市内の自治体職員の研修で昨日までこっちにはいなかった。
「うん…… なんにもできなかった」
しばし沈黙が流れた。
「伊佐山君、ちょっと見てほしいものがあるの」
「なんだろう?」
私は周囲に誰もいないことを確認してからワンピースの裾をまくって脚を見せた。
「お、おい」
「いいから見て」
私の脚を見た伊佐山君の目に驚きの色が浮かぶ。
「ついに私のところにも来たみたい」
「そんな……なんで」
「最初から呪われていたのかも。たんに順番だっただけで」
伊佐山君は首を振る。
「大丈夫だ。明日の朝には叔父が帰ってくる。すぐに除霊ができるようにするよ」
「ありがとう……」
「それから役場にいる知り合いに頼んで調べてもらったことがある。あの、神社公園があった土地の元の所有者のことだ」
「えっ!誰?」
「岡野義道という男で、この辺りでは有名な地主の家だったらしい」
「その人のことを調べればいいのね?」
「ああ。本当に噂のような事件があったのかをね」
私と伊佐山君は本当に噂のような事件を岡野義道という男が引き起こしたのか調べてみることにした。
あの家の隣、私たちが昔遊んでいた神社と公園があった土地に住んでいた「人さらい」が本当に実在したのかどうか?
なにかそういう事件があったのかどうか?
本棚からこの前読んだ郷土史を手に取る。
公園が出来たのは昭和三十年代後半。
町の方で土地を買い取って公園と神社を建てたとある。
ただ、以前に住んでいた人たちの事は書かれていない。
「ここに住んでいた人が岡野義道……?でもどうして土地を?」
「岡野が犯罪を犯したとして、家人が犯罪を犯したことがわかれば以前の様には住んでいられないからね……引っ越してしまったのかも」
「そっか……」
噂の通りなら、ここに住んでいた岡野がこの町でいう「蛇餓魅」ということになる。
ある程度の時期に目星がついたので、今度は新聞記事を探すことにした。
私は年代が新しい順に、伊佐山君は年代が古い順に見て行く。
「誘拐事件があった」
伊佐山君が私に昭和二十四年の記事を見せる。
「行方不明の少女……」
「少女は夕方、自宅から忽然と姿を消した…… 庭から何者かが侵入した形跡…… 自宅からさらわれたのか」
友里や綾香の言っていたことと重なる。
「なんなのこの事件は?」
犯人からなにか家族に接触があったようなことは書かれていない。
本当に忽然といなくなったという内容だった。
「もしかしてこの子がいた家が、私たちが入ったあの家だったのかも」
住所も番地までは書いていなかったが、だいたいあの位置だ。
顔写真と名前が載っている。
村田美奈子という小学生。
でも大人びていて中学生かと思えるような雰囲気。
そしてなによりも顔が整いすぎているほど奇麗だった。
私は一瞬、巴を思い浮かべてしまった。
「これ……この子、見た覚えがあるわ」
「えっ。こんな古い事件を?」
どこだっけ?
「そうだ!これ!」
横に置いておいた町の歴史本を開く。
「これ!この子よ!」
全国作文コンクールで受賞した児童の顔写真。それにしてもこの子は巴に似ていると思った。
「間違いないな」
本と記事の写真を伊佐山君が見比べる。
しかし、その後はこの町で誘拐事件のようなものは載っていなかった。
ただ数年後に間隔を置いて幼稚園児から小学校低学年の子供の失踪事件があったが、場所も時期もばらばらでこの町のことと関連付けることはできなかった。
そして、その後この子たちが見つかったというような記事はない。
どういうことだろう?たしかに行方不明事件はあったが、これが岡野に結びつかない。蛇餓魅が人さらいの揶揄で、それがなぜ岡野のことを指すのかわからない。
今度は私がある記事を見つけて戦慄した。岡野義道として写真に写っている男は、私が夢で見る男だったからだ。
「これ!岡野義道が載ってる!」
「なんだこれ……」
それは衝撃的な見出しだった。
「十人殺害……しかも一時間ほどでって……」
「被害者は家族と隣の家に住んでいた家族、計十人を斧と鉈で殺害……なんでこんなことを?」
「犯人は逃走とあるな……捕まらなかったのか?」
おおまかな事件の内容は、その晩に岡野義道(三十八歳)が突然家族を襲い殺害した。
その後、隣の家に庭から押し入って同家族を殺害。
被害者の内訳は岡野義道の両親と妻、実子二人、隣の家の夫婦二人に子供二人、一人は赤ん坊だった。
何人かの近隣住民が目撃していて通報した。
通報を受けた警察が駆けつけたときには岡野義道の姿はなく、凄惨無残な現場には不幸な遺体だけがあったという。
しかも犯人である岡野義道は、数日後に峠にある森で惨殺された遺体となって発見された。
関連の記事では、その後に岡野の自宅にある地下室から新たに二人の腐敗した遺体が発見されたとある。
「この人なの…… 私の夢に出てくる、窓から侵入してくる人」
「じゃあやっぱり岡野が」
この事件に関連した記事を読んでいて、私は妙な圧迫を感じた。
全身に悪寒が走ってくる。
息苦しく、胸が抑えつけられるような圧を感じた。
「桂木さん。大丈夫?」
伊佐山君が気に掛ける。
「うん……ありがとう。大丈夫」
あまりの凄惨さに読んでいて精神と体に変調をきたしたのだろうか?
胸を押さえて呼吸を整える。
「惨殺されたって…… 岡野は誰に殺されたんだろう?」
私も伊佐山君も、岡野が誰に殺されたのか記事を探したが一向に出てこない。
ただ、気になる記述はあった。
岡野の遺体が発見された記事で、全身に及ぶ複雑骨折というヶ所だ。
それを見ると連想してしまう。
友里や伊藤真一の遺体を。
でもこのころには蛇餓魅の家なんてものはない。
今、私たちの周りにあるような呪いも当時は存在しない。
「この事件の後に土地は親戚が売却してるな」
「それで神社と公園を作ったってことね」
岡野の事件については、これ以降全く報道されていなかった。
「こんな大事件なのに続報は随分と扱いが小さいんだな」
伊佐山君が首を傾げた。
「結局、犯人は死亡してしまったからじゃないの?」
「そういうことかもね」
私はもう一つのことが気にかかっていた。
「この新たに発見された遺体は誰なの?」
「わからない。どこにも書いてない」
いくらページをめくっても地下室から発見された遺体について触れている記事はなかった。
「腐敗がひどくて当時では特定ができなかったとか?」
「たぶんそうじゃないかな……」
蛇餓魅とは人さらいの化け物で、恐ろしい殺人犯である岡野が蛇餓魅の森と言われる場所で殺されていた。
ここから蛇餓魅と岡野を結び付けて都市伝説のような話が根付いたのだろうか?
では、岡野と人さらいを結び付けるものはなんだろう?
その後いろいろと記事を調べてはみたが、岡野に関するものは見当たらなかった。
「結局はいなくなった美奈子さんは発見されてないわけね」
「そうなるね……ここらで言われている噂だと岡野が誘拐犯ということになるのだろうけど、岡野が彼女の失踪に関わっているという記事はない」
「岡野が殺した隣の家族は美奈子さんの家族なのかしら?」
「違うな……名前が違ってる。引っ越した後に別の家族が住んだのだと思う」
「それから、これは過去の事件とは関係ないのだけど」
私は自分が今抱いている疑問を話し始めた。
仮に蛇餓魅が人さらいで岡野のこととしよう。
しかし友里のところに現れた幽霊は子供だと聞いた。
巴から聞いた話では自殺した生徒も、子供の声を聞いて怯えていた。
だが、その前に死んだ巴の先輩という高校生は自殺した女子高生の幽霊に怯えていたという。
私が聞いた話では、蛇餓魅に関係する呪いは一年前に自殺した女子高生が家に帰ってきていて、家に入った人間を呪うというものだった。
あの家に二度目に入った私の耳許で囁いてきた声は女のものだった。
そして巴から聞いた「大呪」という言葉。
あの家に壁にも無数に書いてあった。
どれもこれも岡野とは関係ないように思える。
それを聞いて伊佐山君も考え込んでしまった。
私たちが調べていることは、とんでもない見当違いなことではないのだろうか?と、いう疑念が湧く。
「おばあちゃんなら何か知ってるかも……」
祖母ならリアルタイムで二つの事件を知っているはず。
資料しか読んでいない私たちの知りえない情報を持っているかも。
そして蛇餓魅や大呪に関わることを知っているかもしれない。
「桂木先生に聞きに行ってみよう」
「そうだね。それは私が聞いてくる」
「わかった。こっちは明日の朝、除霊の準備ができたら迎えに行く」
「うん。お願いね」
伊佐山君と笑顔で別れると、私は一人で家へ向かった。
不思議と取り乱すほどの恐怖が私の中にはなかった。
もっともいざ、そのときになったらわからないが……。
歩いていると巴から着信が来た。
昨日の、海岸での会話が瞬時に頭に浮かぶ。
「はい。桂木です」
「大秦です。ちょっと先生に話したいことがあって」
「どうしたの?」
「呪いについて重要な話しなんですけど」
呪いについてなら、私もこれから祖母に話を聞きに行こうと思っていたところだった。
今は早く確認したいという気が急いでいる。
「私も呪いについて重要な話を聞きに行くところなんだけど…… どんな話?」
「私や先生がなんで呪われないのか、それがわかったの。あの日の私と先生の共通点」
「えっ!それは本当なの!?」
「もちろん」電話の向こうで巴がクスクス笑っているのが聞こえる。
「それから今後どうなるかも話したくて」
「今後?」
「あの家、昨日から取り壊しが始まってるのは知ってます?」
「知ってるけど……あなた、また行ったの!?」
「ええ。ちょっと実験したくて昨日の夜に。そうしたら殆ど壊されてて。さっきも見に行ってみたら土台しか残ってなかった」
「先生はいつ行ったの?」
「あなたよりも前。昨日の朝よ」
「えっ……」
巴は短い声を発すると、しばし黙り込んだ。
「どうしたの?」
「あ、ああ。うん。まあいいや」自分一人の中で完結されても、なにがいいのか私にわからない。
「それより今から会えないかな?話したくて」
私は少し考えた。すぐにでも祖母に話を聞きに行きたい。しかし、今後のことを考えるとこの子はなにをするのかわからなかった。
今回のことがどういう怨みや因果から起こっているのか知った方が良いかもしれない。
「私と話した内容は誰にも、学校や外の友たちに話さないと約束できる?」
「できるよ。それに先生の他に友達いないし」
巴は笑いながら言う。
「じゃあ待ち合わせましょう。それから二人で私の家へ行く」
「OK!なんか楽しみ」
この状況で明るい巴に私は頭がくらくらしてきた。
えらい友達ができたものだ。
同時に巴はなにを「実験」したかったのか興味も湧いた。
巴との待ち合わせ場所は以前、友里や綾香と行ったファーストフード店にした。
夏の日差しは容赦なく照りつけ、熱気は地面から立ちのぼるようで、上と下から焼かれてるような暑さだった。祟りや幽霊なんて忘れそうなほどに。