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第31話 告白

巴より先についた私は窓際の席でアイスラテを飲んでいた。

外の景色をぼんやりと眺める。普通の景色だ。フロントガラスに太陽を反射して行き交う車。

向かいのバスターミナルのベンチに座る人。

こうして変わらぬ日常を見ていると、我身に降りかかった呪い夢のように思えてくる。

しかし夢ではない、現実。紛れもない現実なのだ。

友里に雅人さん、友里の母親、綾香と綾香の母親、伊藤真一に野村千紗、さらにはレストランで死んだ四人の生徒。

私の周りで十二人が一週間で異様な死に方をしている。

地獄。まさに地獄だ。

それなのに、この町はなんとのどかなんだろう。

自分の周りで起きている惨劇とあまりにかけ離れた日常に、なんとも言い難い思いがした。


アイスラテを半分ほど飲んだ頃に巴が入って来た。

ノースリーブの白いカットソーにデニムのショートパンツ、足元は水色のサンダルを合わせていた。

大きめのサングラスをずらして窓際にいる私を見つけると、笑顔で手を振ってきた。

巴はコーラとポテトをトレイにのせて私の前に座った。

「先生お待たせ!」

「ううん。それより暑かったでしょう」

「まあね。それよりこれあげる」巴は自分のトレイにのせたポテトを私の方へ向けた。

「ダイエット中だから」

「そう…ありがとう」死にたいと言ったかと思えばダイエットで体重を気にしたり、私は巴のことがおかしくなって笑ってしまった。

「なに?」

「ごめんなさい。だっておかしくって」私が笑った理由を話すと、巴は「そうかな?」と首をかしげて笑った。

剥き出しになっている巴の両手足を見ると傷跡はなかった。

「どうしたの?」

「まだ傷はないみたいね」

「先生もでしょ?」

「私は今朝できたわ」

「うそ!」驚く巴に向かって首を振ると、ワンピースで隠れた脚を指した。

「もしかして……先生、さっき電話でまたあの家に行ったっていたよね?」

「ええ」

「そのとき工事はまだ始まってなかったの?入れたの?」

「え、ええ」巴は大きく息を吐いて「あ~あ」と、天上を仰ぎ見た。

「先生、そのとき黙って入ったでしょう?」

「えっ……どういうこと?」

「逆に、この前の夜は入るときに声をかけた。扉をちゃんと開けてね」

「なんでそれを……あっ!」

私は祖母が言ったことを思い出した。

「声をかけて入ったか」「扉を開けたか」

巴はテーブルに両肘をついて身を乗り出すと「私もなの」と、言ってから続けた。

「私がさっき言った、先生と私の共通点ってそれだったの。あの日の私はどういうわけか家に入るときに挨拶しちゃったのよね。千沙には笑われたけどさ」

思い出した。私が各部屋に声をかけたときに笑った巴が友たちに茶化されたのを。

「先生も同じように部屋を見るときに声をかけてた。私、その時思ったの。もしかしてこの人は家に入るときも声をかけてちゃんと入ったんじゃないかなって。黙って隙間から侵入しなかったんじゃないかなって」

巴の話を聞いていて私の中でなにかが形を成そうとしていた。私が見た夢……黙って侵入してくる男……岡野義道。家に入る……。

「先生、どうしたの?」

「ううん。それが私とあなたが呪われなかった理由だと思ったの?」

「うん。他に共通点は思い当たらなかったし。それで試してみようと思って昨日の夜に行ってみたら取り壊されてんだもん」

「さっき言ってた実験ってそのことだったの?」

「うん。そこで私が黙って入って呪われたら証明できるじゃない?先生は無事なんだし……あ、ごめん。無事じゃなかったね」

私は苦笑いして首を振った。こうして話していて巴にいちいち腹を立てる気も起きなかった。

「そういえばあそこに祠があったわよね。あれは昨日あなたがいったときはどうだった?」

「ああ…… ぶっ壊されてた」

私の中でだんだんとわかってきたことがあった。ただ、それを確認しなくてはいけない。

それに巴がこの先も絶対に無事だとはわからない。

「ねえ。私もいろいろと調べたの。あの噂のこと。そうしたら噂の基になった事件を見つけたの。それが本当か確かめに行くんだけど、あなたも来ない?」

「行く。どこ?」

「私の家」そう言ってから家に電話した。

「おばあちゃん、私だけど…… うん。ちょっとこれから話したいことがあるの。いいかな?」祖母は大丈夫と言った。

「良かった。でね、実は生徒も一緒なんだけど、その子も一緒に話したいの」電話口で祖母は困惑したようだったが了承した。

「祖母も良いって言ったから行きましょう」「OK!」

私は巴と一緒に家へ向かった。

店の外に出ると巴は暑さにたいして文句を連発した。私はなんだかそれが可笑しくてたまらなかった。


家に帰ってくると祖母は私と巴に飲み物を出してくれた。

巴は私に対するのとは違い、祖母相手に妙にかしこまっている。

祖母の方もなぜか巴を見たときに、驚いたような目で見ていた。

テーブルを挟んで、私と巴が並んで座り、祖母は一人向かいに座った。

「瀬奈、生徒さんと一緒に話したいことってなに?」

「おばあちゃんに教えてほしいことがあって」

冷たいお茶を口につける。

「私、あの家に行ったって話したじゃない」

「ええ……」

「今度は綾香があんなことになったでしょう?」

「それから私の学校の生徒も二人死んでるの。あと一人、まだなにも起きていない生徒がいるわ……この前まで私と同じだった。この子よ」

私の言葉に改めて祖母は巴を見た。

巴の方はぺこりと会釈して、私と祖母を交互に見る。

家の話に集中させたいこともあり、レストランで死んだ生徒のことは言わなかった。

「ちょっと待って、瀬奈。だったというのは……?」

私は立ち上がるとワンピースの裾をまくって脚を見せた。

「もう薄れてるけど、今朝起きたら傷というか叩かれたみたいな痣ができてたの。死んだ友里も行方不明の綾香も同じように傷跡のような痣ができてた」

「ああ……」

それを聞いた祖母は打ちひしがれたように肩を落とした。

「そういえば真一のお父さんが行方不明だって聞いた…… 千沙の方はわかんないけど」

友里のときも綾香のときも、同居している家族にまで呪いの影響があるのだろうか?

だとしたら私と一緒にいる祖母にも恐ろしい呪いがふりかかるのだろうか?

肩を落としていた祖母は深くため息をつくと私たちの顔を見てから重い口を開いた。

「これから本当のことを話すから…… そのかわりね、これを聞いたら忘れるんだよ。気にもしてはいけない、微塵も考えないように…… でないとやってくるからね」

「わかった」

「このまえ言ったように、あなただけは絶対に連れて行かせないから」

祖母は私の手を握って言った。

「なぜ人さらいに友里や綾香が呪われるの?」

祖母は首を振った。

「ここで……この町で本当に「蛇餓魅」と呼ばれていたのは人さらいじゃないんだよ……それは嘘なの」

「ええっ……でもこのあたりでは人さらいが多かったからって」

「それは昔も昔…… 私たちが知っている事にはなんの関係もないの……」

「じゃ一体……?」

祖母は虚空を見上げ、遠い目をした。

そして一旦目を閉じると話し始めた。


「まだ私が小さいころ……あれは昭和二十四年くらいだったね」

「そんな頃に……」

「私はそのとき四歳だった。近所には美奈子さんという私よりも四歳位上の子がいてね。私もよく遊んでもらったよ」

「岡野義道の家の隣に住んでいた人?」

私が尋ねると祖母は無言でうなずいた。

「その人は私の父親の母…… 祖母の従妹です」

「あなた!それ本当なの?」

横に座る巴を見ながら言った。

祖母も驚いた顔をしている。

「うん。私も気になってね。いろいろ調べた。夢の内容と自殺した女子高生の日記。これらから考えられるのは、女子高生が言っていた『蛇餓魅と一緒になった人』というのはあの家に住んでいた人だと思ったの。そしてあの夢、誰かが侵入してくる夢はあの家に住んでいたころの記憶。もう一つの夢はさらわれて監禁されていた部屋。部屋の様子から昭和の中頃よりも前の時代。その頃に行方不明や誘拐事件がなかったか調べたの」

「そうしたらあったのね」

「うん。それに私はさらわれた人の写真を見てどこかで見たことがあるなって。頑張って思い出してみたら、お祖母ちゃんの家で見た昔の家族写真だったんだよね。それでお祖母ちゃんに直に聞いてきた。この人は誰なのかって?そうしたら従妹で行方不明になった、今では亡くなったものとみんな思っているってね。それに先生のお婆さんと同じこと言ってた」

「なんて?」

「もう考えたらいけない的なこと」


私は驚愕した。

巴が村田美奈子の血縁者ということも十分驚くことなのだが、彼女が村田美奈子まで辿り着いたという、その発想力だ。

日記からあの家に住んでいた人物とあたりをつけ、夢からいつの時代なのかを導き出した。

目の前の巴にただひたすら驚くしかなかった。

しかし、どうりで村田美奈子に似ていると感じたはずだ。

巴は血縁者だったのだから。

「あなたが本当に美奈子さんの?」

「ええ。美奈子さんは私よりずっと美人ですけど」

なんだか変な物言いをすると思った。

なにか引っかかったのだが、今は祖母の話に集中することを優先しないと。


祖母は巴を見ながらしばし目を潤ませると、居住まいを正して話を再開した。

「美奈子さんのことが私は大好きでね、むこうは同じ年の友たちと遊びたいだろうに、私が駆け寄ると嫌な顔一つしないで相手をしてくれた」

村田美奈子という人のことを語る祖母の顔は和らいでいて、どこか憂いを帯びていた。

「頭も良くてねえ……全国の作文コンクールでも表彰されて、このあたりの大人は自分のことでもないのに余所で自慢したもんだよ……」

祖母は一旦話を区切って、いたましい顔をした。

「その美奈子さんがある日突然、消えてしまったんだよ……家で一人、留守番をしているときにね」

「それって…… 古い記事で見たけど家から忽然といなくなったって…… 誰かが庭から侵入した形跡があるって」

祖母は首を縦に振ると続けた。

「美奈子さんは居間で休んでいたんだろうね。そのときに庭に面した縁側の窓を閉めてなかった。誰かが庭から忍び込んでさらったんだろうとみんな言っていたね」

お茶を入れたグラスの氷が溶けて、透き通るような音がした。

「警察ももちろんだが、町の人も総出で美奈子さんを探したけど、ついに見つからなかった。本当になんの痕跡も残さずに煙のように消えてしまったの」

話を聞いていて当時のことを想像した。

そのときの幼かった祖母は何を思ったのだろう?


「美奈子さんをさらった人間からは金をよこせとか、そうした要求は一切なかった……そんな調子で一年たっても二年たっても美奈子さんの行方はようとして知れなかった……そのうちに警察の方でも捜査は縮小されて……あれはやっぱり家出なんじゃないかと無責任な噂も出てきたものでね……」

「家出?だって小学生でしょう?そんな年の子が家出なんてするの?」

私にはちょっと理解ができない。なぜそんな話が出てくるのだろう。

その疑問に祖母は少し間を置いてから話した。

「普通ならね。ただ美奈子さんという人はとても綺麗で……それだけじゃなくて、なんというのだろう……人を惹き込むような魅力っていうのかね……そして子供の時分、ときおり大人たちの美奈子さんを見る目がどうにも怖かったときがあってね。私が大きくなってからだね。それがわかったのは。美奈子さんを見る町の大人……男の目に感じた怖さは『異性に向けた目』だったってことを理解したのは」

写真で見た美奈子さんの顔を思い出した。

たしかに不自然なほど整った顔立ちをしていた。

そして歳不相応に大人びた印象を受けたこと。


「さっきも言ったようにね、雰囲気がそこの生徒さんに似てるよ……あなたは本当に美奈子さんに似ている」

「そうなんですか?自分ではどうもピンとこないっていうか」

「顔に面影のようなものもあるし、それよりもなにより、雰囲気がね。」

私はさっきの話題に戻すために質問する。

「ねえ、美奈子さんがそういう魅力があったから、だから誰かと一緒に家出したのかって噂が?」

「ああ。だけど町からいなくなった男なんていなかったからね…… 無責任にも程があるって、耳に入れた人は怒ったもんだよ。だからそのうちそういう悪い噂はなくなったけどね」

祖母はため息をつくと遠い目をして続けた。

当時を思い出しているのだろうか?

「それから五年もすると美奈子さんのお母さんが亡くなってね……旦那さんはそのまま家を出て行方知れず。家は他人の手に渡ってしまったよ。お母さん、半ば気狂いのようになっていてね……あの様子では成仏なんてできないだろうってみんな言っていたよ」

祖母は深いため息をついたが、私には魂が抜け出るかのように感じられた。


「それから十年経ったころに町で恐ろしい事件が起きたんだよ」

「それは岡野義道の起こした事件?」

「ええ。あの神社と公園があった土地…… その頃はここらで一番の地主の岡野が住んでたんだ。そこの旦那、岡野義道が突然発狂してね…… 家にいた家族と美奈子さんが住んでいた家に新しく引っ越してきた家族を鉈や斧で皆殺しにして行方をくらましたんだよ」

「だからそれが……蛇餓魅なんでしょ?」

祖母は首をふり否定する。

「それをこれから話すから。こんなことにならなかったら話すこともなかったんだけどね」

祖母はお茶を一口飲むと、話を続けた。

「警察がいくら探しても行方はわからなかった…… 町中の人はいつか戻ってきてまた暴れるんじゃないかと戦々恐々だったよ……でもね、岡野はしばらくして峠の森で、ここらでは蛇餓魅の森と言われている場所で殺されていた。誰が殺したのかもわからなかった…… ただ、死体は恐ろしい有様だったらしいよ」

祖母はその後を続けようとして一旦黙った。

表情には明らかに逡巡が見て取れる。

口を開いてから絞り出すように語りだした。

「それから、その家の地下室から家族ではない親子の死体が見つかったんだよ」

「それも記事で見た。でもどこの誰かは一切書かれていなかった」

私と祖母が話しているのを、余計な茶々をいれることもなく巴は黙って聞いていた。

「惨たらしい虐待の跡が体中にあってね…… しかも発見されたときは腐り始めて虫がわいていた……それはそれは凄惨な死体だって聞いたよ」

「誰なの?それは誰だったの!?」

「それが美奈子さんだったんだよ」

私はそのとき頭を殴られたような衝撃を受けた。

いなくなった美奈子さんはすぐ隣の家にいたのだ。

それも十年間、地下室に監禁されて。

「やっぱり」

巴が小さくつぶやいた。

「その子供は美奈子さんの子供だとわかってね…… 町中はまた大騒ぎさ……ただ、あまりにも凄惨無比な内容と影響、残っている血縁者のことを鑑みてどこも記事で明確には書かなかった」

愕然とした。

誘拐されて監禁され、虐待され、子供まで産まされていたなんて……。

でも、これで子供の幽霊の正体がわかった。

美奈子さんの子供だったのだ。

「なんでそんな監禁しているのに家の人は黙ってたの?共犯だよそれ」

巴の言葉に私はうなずいた。

「岡野は何か気に入らないとすぐに暴れてね。おまけに金もあるし町の人間は誰も逆らえない。もちろんなにか問題があっても家の人が諫めようものなら殴る蹴るの暴力。岡野の父親も体を壊していたし、誰も岡野に逆らえなかった。言うがままになるしかなかった。でないと家族と言えどもなにをされるかわからないからね」

だからといって監禁しているのを黙っているなんて……。

私は信じられない思いだった。

同時に美奈子さんの絶望を想像した。

「地下室の様子から、服や調度品、その他のことから美奈子さんに対して岡野がかなりの……というか熱狂的な愛情を持っていたことはわかった…… それが最終的にああして惨たらしい折檻の挙句に殺されたのだからみんな首を傾げたものだよ」

「岡野って人は美奈子さんのことが好きすぎて誘拐した……そういうこと?それなのに殺しちゃったの?」

巴が私に聞くと代わりに祖母がうなずいた。

「美奈子さんが逃げようとして殺されたとか、いやいや、殺すつもりもなかったが勢い殺してしまい、岡野は狂ってしまって後の凶行に及んだっていろいろ噂はされたね…… だけど本当に何があったのかは岡野がいなくなってしまった今となっては誰もわからないのよ」


祖母は天井を見上げながらなにかを思案するようにしばし沈黙すると、大きく息を吐いてから話を再開した。

「すぐ隣にいながら帰れない美奈子さんの無念、恨みはまさに骨噛むほどの憎悪だと私は思ったよ…… それから一ヶ月したころだったかな……私は美奈子さんを見たんだよ」

「見た……?ちょっと待ってよ!美奈子さんは亡くなったんでしょう?」

「言っただろう?私は見えないものが見えるって」

背筋がぞっとした。

「美奈子さんは自分の家に帰ってきたんだ…… あの家の前を歩いたときに二階から私に微笑んでいるのを見たんだよ」

「それはおばあちゃんのことを覚えていたから」

「多分ね…… しばらくしてその家に住んでいた家族はいなくなった」

「それって行方不明?」

「いや。不幸なことが続いて出て行ったの」

「そのときはそれだけだったの?」

「それだけじゃない。夜道を歩いているときに私の友逹の家へ美奈子さんが入っていくのを見たんだよ。小さい女の子を連れて。私はあれが美奈子さんの子供だとすぐにわかった」

「庭に面した窓の開いている隙間から入っていくのを見てね…… それから数日して友逹は死んで、家族も死ぬかどこかに消えてしまった」

「どうして友逹の家へ?関係ないじゃないですか」

巴が首をかしげて言う。

「興味を持ったからだよ。その子は学校で美奈子さんの話をしていた。私の他にも夜に町を歩いている美奈子さんを見た人は何人かいてね…… 結局、話していた人はどんどん不幸に襲われて町でもなんとかしないとって話になったんだよ」

「どうして興味を持っただけで?」

「さあ……それは私にもわからない。ただ……波長が合ってしまうんだろうね…… それに美奈子さんは自分を助けてくれなかった世の中全てを怨んでいるのかもしれない……」


祖母が言うには美奈子さんが開いたドアや窓の隙間から入り込むのは自分が誘拐されたときの影響じゃないかと話した。

美奈子さんの恨みを考えれば、発狂した人さらいも美奈子さんの呪いで狂ってしまい恐ろしい事件を起こしたんだろうと。

そして蛇餓魅の森で殺された。

検分に立ち会っていた警察官も、最初は何かの塊が木に刺さっているのかと思ったそうだ。

首も両手足も全部が後ろ側に折られて、体も胴体のところで二つに折れ、ちょうど後ろに折られた首と両手足を体で挟み込むような形で、血を滴らせながら高い木の枝に突き刺さっていたそうだ。

どう考えても人間技ではない。しかし自然にせよ偶発的な事故にせよ、こんなことが起きるわけがない。

形式的に殺人事件とはなったが、すぐに捜査は打ち切られたそうだ。

私と巴は言葉を発することもできずに聞くしかできない内容だった。


「あの家を取り壊して神社を建てて祀ろうって話も出たんだけど、あそこに美奈子さんがいることを知ると誰も恐ろしくて壊せなかった。だから美奈子さんが殺された場所、となりの岡野の家を更地にして神社を建てて、美奈子さんの家の庭に祠を建てたんだよ」

それでようやく美奈子さんは夜の町を徘徊することはなくなったのか?

「ただ、美奈子さんの家の土地を管理している人はそういうことはまるで信じない人でね…… 逆に祟りや呪いを訴える人たちを気狂い扱いしたものさ…… 隣の土地が悍ましい曰くがあるから、ここでも人が殺されたのは事実だからと、どうにかこうにかして祠だけは建てさせてもらったんだよ」

「庭に祠がある家とか気持ち悪がって誰も引っ越してこないんじゃないですか?」

巴の質問に祖母はにこやかに答えた。

「そこの大家がご利益のある地元の神様だなんだと適当なことを言ってね…… だけど二年といつく家族はいなかった。ただ、不思議とあの家を気に入る家族は多くて結局は空き家になったりを繰り返して今でもあるんだよ」

「どうしてあの家に入ると呪われるの?というより、呪われる人とそうでない人がいるのはどうして?それとも全員が呪われるの?ただ単に順番の問題なの?」

私は最も気になっていることを聞いた。

「あの祠を建ててから美奈子さんは家から出ることは稀になった。私にはそう感じられた…… 同時に美奈子さん、いや、美奈子さんたちにとって安息の家にもなったんだろうね。だから岡野のように黙って忍び込むような相手は許さないのかもしれないね。これはたぶん、あの家だけでなく美奈子さんがいる場所なんだろう。だから家族まで巻き込まれるのかもね」

「そういうわけだったのか…… だから」

巴が独り言のようにつぶやいた。


「それから美奈子さんのことは一切口にするのは止めようということになったんだよ。せっかく一カ所に留まるようになったのだから、わざわざ呼び込むような真似は止めようってね。それでも稀に生きてる人間の家に灯る明かりが羨ましいのか、窓の隙間から幸せそうな家族を眺める美奈子さんを見たよ。もちろん、なんの関りも持たなければ呪いはしない。でもすぐ外にこの世ならざる者が佇んでいることは恐ろしいことだし、何かの拍子で入ってくるかもしれない」

「だからちゃんと閉めないと蛇餓魅が来るって?」

「ええ。最初は美奈子さん……つまり美奈子さんの霊のことを直接言っていた。でも美奈子さんを化け物として言い伝えることも恐ろしいし、不憫だ。怒るんじゃないかって。だからさらった隣の家にいた岡野を指して『蛇餓魅』と昔から言い伝えられている蛇の化け物の名前を使った。隣から、隙間から入る化け物は蛇餓魅であり、人さらいの岡野であって美奈子さんではありませんということと、美奈子さんのことを思い浮かべないためにもね。口にしない、思わない、考えない、とにかく一切関わらないことが一番だと決めたの」

そこまで話すと祖母は疲れ切ったようにテーブルに手をついて大きく息を吐いた。

「おばあちゃん!大丈夫!?」

「ええ、大丈夫……大丈夫」


祖母は姿勢を正すと私に向かって質問した。

「瀬奈、あなたは前に聞いたときに家に入るときに声をかけたって言ったじゃない?」

「うん。でも綾香がいなくなったと聞いてあの家にさらわれたんじゃないかって思ったの。もう無我夢中で声なんてかけずにそのまま入ったの」

祖母はそれを聞いて目を閉じたまま眉根を寄せた。

「だとしたら早晩、美奈子さんはやってくる……でも私は知らない仲じゃない……なんとか、なんとかお願いしてみるよ。もしも美奈子さんに憐憫の情があるなら私の願いを聞き届けてくれるかもしれない。今回ばかりは勘弁してもらえるかもしれない」

「もしかしてこの前の夜に誰かと話していたように聞こえたのは美奈子さんと?」

祖母は黙ってうなずく。

「あのときはまだ恐ろしい気配はなかった…… まだあなたは助かると私は思って頼み込んだのに……」

「大丈夫よ。おばあちゃん。私、明日には除霊するから」

「除霊?」

「伊佐山君の叔父さんが高名な霊能者なの。その方が除霊してくださるの」

「誰それ?伊佐山君って?先生の彼氏?」

「違うわよ」

場違いな巴の質問を否定した。

しかし除霊をすると聞いた祖母の顔は晴れない。

「大丈夫かな……美奈子さんを刺激して怒らせたりしないか心配よ」

「でもこのままじゃあ、おばあちゃんだって私の巻き添えで危ないかも」

祖母はしばらく思案してから口を開いた。

「この側に墓地があるでしょう?そこに美奈子さんの家…… 村田家のお墓があるから、そこに美奈子さんの骨も一緒に入ってるからお参りしておきなさい…… そんなことで勘弁してくれるかわからないけど」

「わかった」

私が言うと、巴もうなずいた。

「ねえ?おばあちゃんは他に子供を見たことはない?」

「他に子供?」

「うん。私が家に行ったとき、美奈子さんと思われる人と四人くらいの子供の影を見たの」

「さあ……ただ、もしかしたら岡野がさらってきたのかもね。美奈子さんと自分の間にできた子供の遊び相手に…… どこまでも罪を犯す男だよ」

美奈子さんがいなくなってから数年後の児童が行方不明になった記事を思い出した。


「先生のおばあさん、質問していいですか?」

「なあに?」

「私は声かけて入ったけど、変な夢を見るんです。先生も最初そうだった。男が侵入してくるのとか窓がない部屋…… 多分地下室だと思うけど。呪われていないならどうしてなんでしょう?」

「さあ……それは私も見たことはあるけど……」

「おばあちゃんも?」

「ええ。もしかしたら近くにいて怨みが体に入ってきたのかもね…… 呪われはしなくても私たちのことを知っている、見ているという意思表示なのかも」

「あと一つ。あの家と祠が取り壊されたらどうなるんですか?っていうか昨日取り壊されたんですけど」

「ええっ……」

巴がもたらしたこの情報に祖母は非常に驚いたようだった。

声を漏らして体を震わせる。

「なんてことを……これで抑えはなくなったってことじゃない……あそこを壊したら怨念は歯止めが効かなくなる……口にしただけ、思っただけで寄ってくるようになるかもしれないのを最小限に留めていたのに」

あえて祖母には言わなかったが、もうそういう段階を過ぎていると思った。

レストランでの事件は、あの家に行ったとかそう言うことではない。

巴の話によれば、家に行かずに呼んだだけで恐ろしいことが起きたのだ。

「あなたも私と一緒に除霊しなさい」

「なんで?」

「聞いたでしょう?あなたの家族まで巻き込まれるかもしれないの!あなた弟がいるって言っていたでしょう。幼稚園で可愛いって」

「まあね……」

「その子になにかあってもいいの?」

巴はしばし沈黙してからうなずいた。

「わかった。弟になにかあったら可哀そうだからね」

私は巴のこの判断に胸をなでおろした。



私たちはその後、三人でお墓参りに行った。

お墓には先に誰かがお花を供えた跡があった。

祖母かと思って聞いたら、祖母は私のこともありお参りに今日行こうと思っていたので違うと言われた。

「これ、私が供えたの」

「あなたが?」

「うん。お祖母ちゃんから聞いて、私とは血のつながりがある人なんだと思ったから」

私たちは理不尽に命を奪われた美奈子さんのことを思い、手を合わせて祈った。

これで今まで謎だったもののいくつかはわかった。

藤井先生が言っていた「蛇餓魅の噂を大人が信じている」ということも、こういう理由だったのだと、祖母の話を聞いて納得できた。

だとしたら、あの家が取り壊されたことは事件を知っている人にとっては恐怖以外のなにものでもないだろうことは想像に難くない。

巴は明日の朝には私と一緒に伊佐山君の叔父の家に行くことを約束をして家に帰っていった。

その日の夜に伊佐山君に祖母から聞いた話と、巴も除霊することを伝えてから私と祖母は家にある仏壇の前で二人祈った。

「お祖母ちゃん。結局、蛇餓魅っていうのはなんなの?」

「わからない。蛇の化け物、大蛇と言われた人を食べる化け物だって伝説のこと以外は」

「そう……」

結局、蛇餓魅については伝承以外のことは何一つわからなかった。

どうしても引っかかる。

巴から聞いた、日記にあった記述。「蛇餓魅と一緒になった人」というのはどういう意味だったのだろう?

それが美奈子さんのことを指しているのはわかるが、蛇餓魅がどこから出てくるのかわからない。

祖母たちは美奈子さんのことを考えないために、蛇餓魅の名前を使った。

それとは全く違う意味で使われている。

まだ、なにか私たちが及びもつかないようなことが隠されているのではないか?

そういう不安が消えない。

しかし、今から調べてわかることでもないし、なにを調べればいいのかもわからない。

とにかく、全ては明日だ。

明日でこの異常で恐ろしいことが終わる。

もっともこの夜のうちに私が呪いで殺されなければの話しだが。




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