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第32話 祓いの朝

日曜日の朝。

幸いにも夜の間に美奈子さんの霊が来ることはなかった。

それがお墓参りをしたことが功を奏したのかどうかはわからない。

一階に降りるとテーブルに朝食が並べてあった。

味噌汁からは香ばしい匂いと一緒に湯気が立ち昇っている。

しかし祖母の姿がない。

「おばあちゃん?」

声をかけながら廊下に出ると、祖母の部屋から声が聞こえてきた。

仏壇にお経を読み上げている声だ。

祖父の位牌もあるし、私も改めてお礼をしておこうかな。

お経が止んだので祖母の部屋に行くと仏壇の前に祖母が座っていた。

「おばあちゃん。おはよう」

しかし祖母はこっちを向かないし返事もしない。

「おばあちゃん?」

仏壇の前で座ったままの祖母に近寄ると肩を叩いた。

ガクッと祖母の体が崩れるように倒れこむ。

「おばあちゃん!?」

驚いて抱きかかえると祖母の頬を叩いた。

「ちょっとおばあちゃん!どうしたの!?」

祖母の体は温かいが無反応だ。

口元に顔を寄せると息をしていない。

「嘘でしょう!?ちょっと!?」

必死に祖母の体を揺すると反応があった。

目を閉じたまま祖母の口が開く。

「瀬奈あ―……」

その声を聞いたときに戦慄した。

祖母の声ではない。

まるで地の底から這いあがってくるような悍ましい声が私の臓腑に響いた。

ぱっくりと開いた祖母の口の奥に私を見つめる禍々しい目が見えた瞬間、私は祖母の体を放り出そうとした。

しかし祖母の手が私の体をつかんではなさない。

「ひいっ!!」

部屋の中に吐き気を催すほどの腐臭が充満してきて部屋の外では子供のはしゃぐ声がする。

私を離さない祖母の喉の奥からうめき声がしたかと思うと、祖母の顔面が裂けて人間の手が出てきた。

「ぎゃああああ――っ!!」

悲鳴を上げて祖母の体を突き放そうとするがもの凄い力でつかまれていてはなれない。


私の目の前で祖母の口から下が裂けて、その体から全く別の、血みどろの人間が出てくる。

「村田美奈子……!!」

私はようやく絞り出すような声で名前を口にした。

体をつかむ祖母の手がはなれて、私の目の前には人間の体が真っ二つに裂けた悍ましい血みどろの遺体と、そこから現れた血みどろの人間……いや、化け物が立っていた。

化け物なのだが、その容姿は戦慄するほど美しい。

私の前に立っている美奈子……化け物……それが俯いていて血塗られてぬらぬらとした髪に隠れた顔を上げた。

真っ赤な唇が笑みを浮かべて吊り上がる。

美奈子が一歩出ると体が赤黒くぬらぬらとしたものに変わっていった。

表面が波打つような様は、まるで無数の蛇が絡まり蠢いているような体。

美しい顔も悍ましく変わっていく。

私は恐怖のあまり、全身の血管が収縮して満足に呼吸もできないまま心臓を握りつぶされるような感覚を覚えた。

「あああ……」

もはや声すらも出せない私は必死に這って逃げながら懇願した。

助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!……!

強烈な胸の圧迫感を感じながらも這うようにとにかく逃げた。

部屋を出ると廊下は真っ暗になっているが、この部屋に、いや、この家にいてはいけないと直感した私は、ようやく力を振り絞って立ち上がると玄関に向かって走り出した。

後ろから美奈子の迫る気配を感じる。

「ああっ!!」

玄関の前には子供が立っていた。酷く腐乱している。

もう助からない――

私が諦めてその場にへたりこんだとき、玄関の扉が勢い良く開いて夏の日差しが入り込んだ。

「桂木さん!!」

「伊佐山君!!」

美奈子の子供が振り向くと、伊佐山君は数枚のお札を玄関にバラまいた。

私のすぐ後ろに迫っていた美奈子がピタッと止まる。

子供も唸っているが動こうとしない。

なにが起こっているのかわからないが、これは私にとって幸運以外のなにものでもないことは理解できた。

「行こう!!」

上がりこんだ伊佐山君は私を抱え起こすと「これから除霊する!!」と、告げた。

私たちは家の前に停まっていた伊佐山君の車に乗り込むと、エンジンをかけた。

走り出すと私は助手席から後ろを振り向く。

家からは誰も出てこない。

美奈子も。

「伊佐山君……おばあちゃんが、おばあちゃんが!!」

私の悲痛な声に伊佐山君は慚愧に耐えないといったふうに顔を歪めた。

だが悲しんでばかりはいられない。

これから巴と合流して除霊をしないといけないのだから。

「そうだ!あの子のこと連れて行かないと!」

「わかってる。家は?」

「国道沿いのコンビニで待ち合わせしているの!急いで!」

「わかった」

待ち合わせ場所はすぐそこだとわかっていても不安が押し寄せる。

巴の方にもなにか恐ろしいことが起きているのでは?

そう思うと、いてもたってもいられない。

私は急いで巴に電話すると、幸いにも巴はすでにコンビニに到着していた。

ここからは目と鼻の先だ。

すぐに着くから外にいるように伝えると、車は国道に出た。

信号が赤に変わり停車する。

交差点の先、コンビニの前に巴の姿が見えた。

早く変わらないかと気が急いてしかたがない。

何度も後ろを振り返ってしまう。

「ああ、早く、早く変わって。お願い」

祈るような気持ちで信号が青になるのを待った。

ようやく信号が変わり、巴の前に車をつける。

「早く乗って!」

ドアを開けるなり言った。

巴は驚いて私を見ると、うなずいて車に乗り込んできた。

運転席にいた伊佐山君は私に渡したお札と同じものを巴にも渡した。

「これは?」

「これを持っててくれ。しばらくは見つからないですむから」

「先生、この人は?」

「私の昔の同級生。この人の叔父さんが除霊してくれるの」

巴が私と話しながらシートベルトを締めたのを確認すると車は発進した。

「よろしくお願いします」

巴が伊佐山君にお辞儀をする。

「紹介が遅れたね。伊佐山といいます」

運転しながら巴に話す。

「大秦です」

巴は伊佐山君に返すと、私の方を見た。

「先生、どうしたの?顔色がすごい悪いよ」

「ああ…… 昨日なかなか寝付けなくって」

「そうなの?大丈夫?」

「うん。大丈夫。それよりあなたの方は大丈夫?あれからなにかない?」

「私の方は全然」

「御家族にもなにもない?」

「うん。今日もいつもと変わらない、いたって普通の朝だったよ」

巴の様子を見ると、私のように家に霊が来たとかはなさそうだ。

それは、私のように目の前で無残に家族を失っていないということだ。

巴の家族が無事なことに内心ほっとした。


私たちは伊佐山君の叔父の家に到着した。

祖母がああいうことになったことを巴には言わなかった。

必要以上に恐れさせたくはなかったからだ。

叔父の家は町から車で30分ほどのところ、町外れの山側にあった。

純和風の大きな家で屋根に鬼瓦がある。

「凄い…… 霊能者って儲かるんだね」

「そうみたいだね」

巴の感想に伊佐山君が苦笑いした。

どこか他人事のような巴のおかげで私も予想以上に恐怖に囚われていない。

まさかこの子に救われることになろうとは。

「大丈夫かい?」

いたわるように伊佐山君が私の肩に手を置く。

「ええ。私のことなら気にしないで。寝不足なんてしまらないよね」

笑って返した。

少なくとも今、この瞬間は巴にわが身に起きた惨劇は知られてくない。

「そうか。安心したよ」

私のそうした心理を察してくれたのか、伊佐山君も笑顔を作った。


和装をした伊佐山君の叔父さんが玄関で私たちを迎えてくれた。

伊佐山君の話しでは五十代ということだったが、顔や肌の張りから見た感じがそれよりも若く見える。

ただ頭髪は真っ白なので年齢不詳というのが正直なイメージか。

後ろには白装束の若い男性が二人控えている。

叔父さんの弟子のような人たちだろうか?

特に紹介されるようなことはなかった。

私たちに挨拶をするや否や、叔父さんは言った。

「話は譲から聞きました。あなたたちの体の中から怨みの楔を感じます。今回の除霊と行う前にあなたたちに紹介したい方々がいます。私と一緒に来てください」

私たちが玄関から上がると、弟子と思しき人たちが扉を閉めてお札を貼った。


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