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4-10

「父さん、母さんからどこまで聞いてる?」


 自分から口火を切ると、もう一口だけ紅茶を飲んだ父さんは静かにティカップを置き、寂しげなほほ笑みを唇に湛えた。


「陽太が学校でラットになって、部活の副顧問の先生が車で送ってくれたことを聞いたよ。誰も傷つけずによく耐えたなって、リビングで母さんとふたりして陽太を褒めたんだ」

「普通の性的な興奮じゃないのが、すぐにわかった。悠真に手首を触れられただけで、体の奥が熱くなって、気づいたら抱きしめてたんだ」


 言いながら、自分の両手をじっと見つめた。いつもの俺なら、あんな大胆なことなんてできない。悠真が近寄った距離を、恥ずかしさが先走って遠のかせようとするだろう。


「月岡くんが陽太に触れたって、どうして?」

「アイツ図書委員なんだけど、自分が企画した読書スペースを早く見せたくて、俺を引っ張ったんだ。友達の俺に自慢するために。ただそれだけ……」


 無邪気な悠真に俺は抱きつき、その結果ラットになって、いつもとは違う重さのあるフェロモンを垂れ流した。


「陽太はラットになって、まずなにがしたかった?」

「えっ?」

「人によって、したいことがさまざまあるからね。抱きしめてひたすら頭を撫でて愛でたり、それこそ犯罪につながってしまうものだってある」


 父さんの口からアルファのラットは、人によって違いがあるのを知らされたことで、顎に手を当ててあのときの状況を思い出してみる。


「まずは、悠真の首筋を噛みたい衝動に駆られた」

「アルファがオメガにする行為だね。つがいになるための」

「ベタのアイツを噛んでも、つがいにはなれないんだよな?」

「ああ。なにも起こらない」


 静かに説明を受け、ガックリと肩を落とした。


「父さんも若い頃……はじめてラットになったのは、大学生のときだったか。好きな人の首筋に噛みつきたい衝動があった」

「父さん、どうやって抑えた?」

「大きく深呼吸して、好きな人の喜ぶ顔をイメージするんだ。陽太なら、月岡くんの笑顔かな?」


 悠真が告げた俺への憧れが、胸を熱くする。アイツを傷つけずに、笑顔でいさせなければならない。


「陽太、ベタでも陽太のフェロモンは、きっと心を動かす。月岡くんが笑うなら、それでいいだろ?」

「父さんありがとう。制御のコツ、明日から試してみる!」


 ガッツポーズを作って笑いかける俺に、父さんはどこか安心したような笑みを浮かべる。


「父さんの会社の同期に、五十嵐ってヤツがいてな。お互い同い年の息子を持つ親として、子育てに苦労したから、結構仲が良かったんだ」


 仲が良かったと過去形になっているのに気づいたが、あえて指摘しなかった。


「その同期の子どもって、アルファなの?」

「ああ、とても優秀なコでね。ほら陽太が高校受験するのに、母さんが薦めた高校があったろ。そこの中等部に通っていた」


 父さんは一旦言葉を切り、ローテーブルに置かれたティカップを手にして口を潤す。俺も真似をして、紅茶を一口飲んだ。


「陽太が高校受験で母さんと揉めていた頃、五十嵐の息子は学校でラットになった」

「中学生でラット⁉」


 思わず、大きな声が出てしまった。窓の外から聞こえる、風で揺らぐ枝葉の音をかき消すその声に、父さんは胸の前に両腕を組み、大きなため息をつく。


「人によって、成長は違うものだからね。遅い早いはあるものの、中学生だとまだまだ未熟だ。突き動かされたアルファの衝動を、どうしても抑えることができないだろう」

「その……五十嵐さんの息子さんは、誰かを傷つけた?」


 俺からの質問に、父さんは無言で首を縦に振った。


「襲われた相手がオメガじゃなかったのが、不幸中の幸いだったと言える。だけど、そのコを傷つけたことには変わりないからね。五十嵐の息子は病院で抑制剤の治療を受けることになり、襲われたコは転校したそうだよ」


 過去の話だったが、もしかしたら俺が起こす未来だったのかもしれない出来事に、背筋がぞっとした。


「俺、すげぇ危なかった……悠真を傷つけることをしようなんて、これっぽちも思ってなかったけど、それでも襲いそうになったのは事実だから」

「そうだね。今回のことを機に、これから正していけばいい。アルファの血が濃い陽太は、どうしても制御が難しくなるが、逆に言えばそれが陽太の強さになる。自分を信じなさい」


 父さんからのエールが、挫けそうになった俺の心の柱になった。


「悠真の笑顔を守るために、がんばってみる」

「陽太の恋、応援してるぞ。母さんにバレないように、こっそりな」


 こうしてふたりそろって母さんが淹れた紅茶を飲み干し、明日への決意を語り合った。吹き荒んでいた風はやみ、カーテンの隙間から三日月が見え隠れし、書斎の空気を柔らかくする。


 悠真も同じ月を見ていたらいいなと思いながら、書斎をあとにした。




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