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4-11

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 昨夜、父さんがアドバイスしてくれた、ラットをやり過ごす方法――好きな人の笑顔を思い出しながら、深呼吸を忘れないようにするために、登校途中で何度か試した。ついでに、いつものフェロモンが出ないようにするのも気をつける。


 学校がカオスになるだけならまだしも、犯罪に近い行為をしてしまったら悠真を傷つけ、傍にいられなくなるだけじゃなく、両親にも顔向けができない。


「強いアルファだからこそ、きっちりやってみせる!」


 両手の拳を握りしめながら、決意を新たに校門をくぐった。朝の喧騒が響き、曇り空が校内を薄暗くする。


 昇降口の靴箱で上靴を履き、今日の予定を思い出していると「西野おはよ」って、背後から挨拶された。肌に感じるピリッとした空気感は、間違いなく佐伯だろう。


「佐伯、おはよ。珍しいな、いつも俺より先に登校しているのにさ」

「連れの寝坊だ。俺が無理をさせたから」


 隣に並んで、さらっと告げられた内容にギョッとする。赤面する俺とは違い、佐伯はいつもどおり冷静沈着だった。


「むむむっ、無理させたって、それは榎本が大変だったということか」

「だろうな。昨夜、俺がラットだったし」

「ぶほっ!」


 佐伯の口から『ラット』というセリフが出た瞬間、なんとも言えない感情が湧きあがってしまい、吹き出さずにはいられなかった。


「西野、みっともないぞ。アルファなんだからこんなことくらいで、いちいち動揺するなよ」

「するに決まってるだろ。昨日、俺もラットだったんだ……」


 一応、声のトーンを落として返事をしたら、佐伯の眉間にシワが寄った。


「おまえ、それをどう処理したんだ?」

「処理もなにも学校でなっちまったから、その場で感情を全力でねじ伏せて、急いでバスケ部の副顧問に電話して、自宅に帰してもらった」

「フェロモンの大量誤爆といい、ラットをねじ伏せるなんて力技、普通のアルファじゃできないことだぞ。西野は化け物なのか?」


 そう言って奇異な目で俺の顔を見つめる、佐伯の表情がすべてを物語っていた。


「佐伯はいいよな。榎本っていうオメガと、つがいになれたんだから」


 いつものように階段をのぼり、教室まであと少しというところだった。廊下は適度に人が行き交って騒がしく、今日は曇りの天気なので窓から日が差していない分だけ、少しだけ肌寒く感じる。


「俺だって最初は、こんなことになるとは思わなかったさ」


 低い声で告げられた言葉は、どこか投げ捨てる感じの物言いだった。


「だって佐伯が望んで、榎本とつがいになったんじゃないのかよ?」

「違う。俺は誰とも、つがいになろうなんて考えてなかった」


 つまり佐伯は誰とも付き合わずに、ひとりで生きるつもりだったということか。


「そうなんだ。だったら榎本の存在って、ある意味すげぇな」

「俺、アイツのことが大嫌いだった。オメガっていうバース性も、榎本自体も嫌いで堪らなかった」


(――それって、嫌いきらいも好きのうちみたいな感じ?)


「佐伯は榎本が大嫌いだったのに、つがいになったのか?」

「なんか、言い合いしている内に気になってきて、気づいたら好きになったみたいな感じというか。俺にもよくわからん」


 その場に立ち止まり、顔を逸らして窓の外を見る佐伯に合わせて、俺も足を止めた。柔らかいまなざしが、過去を物語っているように感じる。

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