夜の間、課外授業で魔物狩りに出て、夜遅くにテントで眠ったが、リアが隣りのテントで何をするか分からないと思うとよく眠れなかった。
クリスティーナ嬢もよく眠れなかったのだろう、かなり眠そうにしていた。
朝になってマジックポーチからバゲットサンドの材料を出して、それぞれ自分の分を作って食べて、テントを撤収して解散したのだが、帰ってからぼくは眠くなってしまって自分の部屋で休んでいた。
その日は学園は休みだったので、ゆっくりと休むことができた。
この国では相手を魅了する魔法具は違法である。
相手の心を勝手に変えるということ自体違法で、魅了の魔法は禁忌となっているし、魅了のかかった魔法具は開発を禁止されている。
それだけにリアが魅了のアイテムをぼくに渡すとなれば、それだけで犯罪になるのだ。
開発を禁止されている魅了のアイテムが本当に存在するのか。
それをぼくは調べなければいけない。
最初にぼくは情報収集から始めることにした。
情報収集の相手はクラウス殿下、ラウレンツ殿、ブリギッテ嬢の上級生の頼りになる方々と、クリスティーナ嬢だった。
ゲームの中では魅了のアイテムは手に入れられたのだが、ここがゲームではないことをぼくは知っている。ひとの一人一人が生き、主人公とはいえリアはままならないことがたくさんあって、クラウス殿下もラウレンツ殿も簡単にリアに心を奪われるようなこともない。
『星恋』と違うところがこの世界には多々あるのだ。
お茶の時間に閉じられたサロンの中でぼくはクラウス殿下とラウレンツ殿とブリギッテ嬢とクリスティーナ嬢に聞いてみた。
「魅了の魔法がかけられた魔法具についてお聞きしたいのですが、存在するのですか?」
「そんなものは聞いたことがないな。この国では開発を禁じられているし、この国には存在しないと思う」
「魅了の魔法は禁忌とされています。遠い異国では分かりませんが、この国では厳しく規制されています」
「魅了の魔法がかけられた魔法具は存在しないと思いますわ」
「わたくしも聞いたことはありません」
返事は全部同じようなものだった。
やはり魅了の魔法がかけられた魔法具というのは手に入れられないようなのだ。
「ただの噂なのですが、王都の下町で魅了の魔法がかけられた魔法具が売っているというのを聞いたのです」
「噂になっているのならば、警備兵が取り調べに行ってないことを確かめているだろう」
「この国の法を簡単には潜り抜けられませんよ。ただの噂でしょう」
ゲーム攻略のときに魅了のアイテムを買いに行く下町の怪しい店の話をすると、クラウス殿下もラウレンツ殿もそれはあり得ないときっぱりと否定してくれた。
それならばリアが魅了のアイテムを手にすることはないと思うのだが、一応ぼくは確かめておきたいことがあった。
「クリスティーナ嬢、今週の休みにその店を確かめてみたいのです。お付き合いいただけませんか?」
ぼくがクリスティーナ嬢に頼むと、クリスティーナ嬢は素直に頷いてくれて今週末の休みの日に下町に出かけることになった。
「できるだけ地味な格好をしてきてください。髪や顔もフードで隠せるようにしてもらえると助かります」
「分かりましたわ。下町に溶け込むことは難しいでしょうが、高位貴族とは悟られないような格好にしましょう」
「髪の色や目の色も念のため魔法で変えておいた方がいいかもしれません」
「アンドレアス様もそれは気を付けてくださいませ。アンドレアス様の目はとても珍しい色をしておりますので」
そうだった。
ぼくも目が見えるように髪を切ってしまったのだ。
瑠璃色に金の散ったぼくの目は非常に目立つ。フードの中からちらりと見えても目を引いてしまうだろう。
目の色を変える魔法薬を使うことを約束して、ぼくはクリスティーナ嬢と日程と時間を合わせた。
週末に、護衛たちにも地味な服を着てもらって、一番地味な馬車で下町に行ったのだが、それでもぼくは目立ってしまっていた。下町の子どもが着るようなボロボロの服ではない、清潔な洗濯された服に上質なローブを羽織ってフードを目深に被っているぼくは、貴族のお忍びだということは分かってしまっているだろう。クリスティーナ嬢も暗い色のローブを羽織っていたが、その高貴さは隠しきれていなかった。
目の色はごく普通の黒にしたのだが、クリスティーナ嬢も髪の色と目の色を黒に変えていて、ぼくたちは兄弟のようだった。
目的の店に近付いたとき、店の中が騒がしいことに気付く。
ぼくはクリスティーナ嬢に視線を向けて、クリスティーナ嬢は心得たというように頷いて記録の魔法を発動させた。
店の中にはリアがいた。
リアは店のカウンターに片足を乗せて、店主に掴みかかっていたのだ。
「魅了のアイテムがあることは分かっているのよ! さっさと出しなさい!」
「そんなものはないと言っているだろう!」
「合言葉が必要なのね! 大丈夫、分かっているわ! 『昨日森の奥の楡の木が倒れた』よ! さぁ、これでいいでしょう!」
「何を言っているのか全然分からない! ないと言ったらないんだ!」
リアの言っている『昨日森の奥の楡の木が倒れた』というのは、魅了のアイテムを買うための隠しコマンドだった。それを必死に言っているが、店主の方は何を言われているのかさっぱり分かっていない顔をしている。
あまりに自分の要求が通らないので、リアが片手を上げて光の魔法球を作りだす。
「これが爆発したら、この店はどうなるでしょうね? わたしには光の魔法は効かないから平気だわ! さぁ、出すのよ!」
「そんなぁ!?」
店主を魔法で店を壊すとまで脅して魅了のアイテムを出させようとしているリア。店の入り口近くに隠れてぼくとクリスティーナ嬢は様子をうかがっている。
「わ、分かった、店を壊さないでくれ! これだ! これがお前の言ってるものだ!」
店頭に並んでいる魔法具を適当に指差した店主に、リアが光の魔法球を消してそれに駆け寄る。それは何の変哲もないブローチに見えた。
「これなのね?」
「そ、そうだ! それを持ってさっさと帰ってくれ!」
「わたしがこれを買ったことを他言したら、店を破壊しに来るからね!」
「言わない! 誰にも言わないよ!」
悲痛な悲鳴を上げる店主を置いて、リアはさっさと店から出て行った。店の入り口付近に隠れていたぼくたちには気付かなかったし、目も向けなかった。
リアが完全に立ち去ってから、ぼくとクリスティーナ嬢は店の中に入る。護衛たちも入ってきて、小さな店はひとで埋まってしまった。
「大丈夫だったか? 災難だったな」
ぼくが声をかけると店主がげっそりとした顔で答える。
「見ていたのか。そうなんだよ。魅了の魔法具なんてあるわけないのに」
「ああいう頭のおかしい輩はなにをしてくるか分からないから、警備兵に相談しておくといい。そのついでに、警備兵にこの店を確認してもらって、疑われたときにも問題ないようにしておくといいんじゃないか」
ぼくの助言に店主が頷く。
「そうしておくよ。坊ちゃん、ありがとう」
感謝されて、ぼくは確信する。
ゲームの中では魅了のアイテムは存在したが、この世界のこの国には魅了の魔法がかけられた魔法具なんて存在しない。
一応、警備兵にもこの店を確認させて本当に魅了の魔法具がないことを証明してもらうつもりだったが、十中八九店主は嘘をついていないのではないかというのがぼくの感想だった。
リアは魅了の魔法具が存在すると信じ込んでいたが、そんなものが存在するはずがない。
魅了とは人格を変えてしまう恐ろしい魔法だ。それを使うとなると、洗脳の一種になってくるので、国家転覆を狙っていると思われかねない。
そんな恐ろしいものを命を懸けて開発する愚か者なんて存在しないし、売ればそれだけで死罪になるかもしれないのに取り扱う店も存在するわけがないのだ。
「平民の特待生は魅了の魔法具を手に入れたと思い込んでいるようですね」
「あれをいつ使うつもりなのでしょうか。使ったところで効果がないのは分かっていますが」
リアが魅了のアイテムと思って持って行ったのは、何の魔法もかかっていないブローチだった。それを渡されたところで、ぼくに変化があるとは思えない。
それでも、ゲームの強制力というものがどんな風に働くか分からない。
リアが偶然手にしたものが本物の魅了のアイテムだったなんてことも、あり得ないわけではないのだ。
実際に課外授業のグループ分けのときには、ぼくはリアと同じグループになってしまった。あれと同じ力が働かないとも限らないのだ。
「偽物だとは思いますが、対策はしておかないと」
「そうですね。アンドレアス様に何かあったら大変です」
今日のリアの店主を脅す様子を記録した魔法石を、クリスティーナ嬢がぼくに渡してくれながら頷く。
いつリアがあれをぼくに渡してくるか分からないが、ぼくは警戒はしておかねばならないと思っていた。